悪役
それは就職して3年経ったある夏の事でした・・
帰りの通勤電車の中で見知らぬ男に声を掛けられたのです。
「すみません・・ あなた、少し時間は有りますか?」
「え!・・ 何でしょうか?」
「あなた、映画に出てみる気はありませんか?」
「ええ!・・ 映画ですか?」
「もし興味がお有りなら私の話を聞いて下さいよ・・ 無ければしょうがないですが。」
「はあ・・」
人生とは不思議なものです。一度あきらめていた演劇の話しが突然向こうからやってきたのです。
私は大学時代、演劇サークルで活動していたのですが、就活で演劇を選ぶ勇気が無かったのです。両親も反対でしたしね。
喫茶店に座ったその人は私に名刺を差し出しました。映画監督をされている方で・・名前だけは聞いたことのある人でした。
「主演男優ならね・・簡単なんですよ。まあ・・人気の有るイケメン俳優はいくらでも居ますからね。 しかし悪役は難しい・・悪役が悪いと主役が光らないばかりか、ドラマに締まりが無くなるんですよね。 あなたね・・ 私の思っている悪役に
ピッタリなんですよ。どうですか、私の映画に出てみませんか・・ 」
「はあ・・実は私は大学時代に演劇を目指していたんですよ。でも、演劇では食えないと思いましてね、それで建設会社に入ったんです」
「演劇を目指していたんですか!?それは丁度良い・・・確かに俳優で生活するのは簡単では無いですがね。しかしですね・・・主役系の俳優なら掃いて捨てるほどいますがね・・ 良い悪役はそうは居ませんよ。まあ、建設会社の方が堅い事は・・それは間違い無いですがね。もし・・その気になられたらお電話を下さい・・・2--3日中にお願いしますね。」
そう言って監督さんは席を立とうとしました。
「いや、待って下さい!やります!・・やらせて頂きます。」
私は思わずそう言ってしいました。これを断れば二度とチャンスは無いと思ったのです。
しかしこの決断は間違っていませんでした。監督の目に狂い無かったようで私の悪役はとても高く評価され次々と仕事が入ってきました。
その上・・
私が最初の仕事で殺した有名女優に気に入られて密かに付き合うようになったのです。監督に声をかけられたあの日から私の人生は一変してしまったのです。
そして・・
彼女とは一年後に結婚をして・・週刊誌にも騒がれ・・私も芸能人の仲間入りを果たしたような気持ちになりました。
しかし・・子供が生まれると大変でした。2人とも俳友業だと協力し合わないと生活が成り立ちません。妻は人気女優ですから仕事も多く家に居ない事が多かったのです。
子供が小学生になると学校の行事や参観は私の担当になってしまいました。まあね・・私は建設会社時代には営業が仕事でしたから先生や保護者との付き合いは苦にはなりませんでしたがね。
しかし問題が起きたのです。ある日、子供が・・
「お父さんは学校に来ないで・・・」
と言い出したのです。それは、私の仕事が原因でした。悪人の子と言われるのだそうです。そのころ子供向け番組の悪役をやっていたのです。
「あなた・・その役を降ろしてもらったら?」
「何言ってんだよ。そんな事をしたら他の仕事が来なくなるぐらい君だって知っているだろう・・」
「そうよね・・・困ったわよね・・」
「まあ、学校行事に来ない親も多いから・・ 少し出席を控えるよ。」
「そうね、私も忙しいし、それしか方法が無いわよねえ・・」
さすがに私も落ち込みました。私の生き甲斐の演劇が理由で子供がイジメられるのですから・・
「お母さんね・・初めてお父さんに会った時にお父さんに殺されたの」
「こ・殺されたあ??」
「馬鹿ねえ、映画での事よ・・ その殺し方が良かったのよお。お母さんさあ、いっぺんでお父さんを好きになってしまってさあ・・ それでお父さんを食事に誘ったのよ。」
「ええ!!お母さんが誘ったの?」
「そうなのよ・・お母さんの方が先輩だったからお金も有ったしね。それに・・お父さんが私を好きなのは分かっていたからね。」
そこで私が口を挟みました・・
「いや、当時お父さんはさあ・・まだ新人でさあ・・お母さんは先輩で有名女優だ
からね・・こちらから誘うわけにはいかなかったんだよ・・」
「へーえ・・・」
「世間の人から見れば悪人に見えてもね・・お母さんや他の俳優から見れば、お父さんは素敵な映画俳優さんなのよ・・」
妻も私と息子の関係に気を使ってくれましてね・・それもあって親子の関係までおかしくなる事は避けられました。
そして息子が中学1年生になった頃の事でした。その日は妻は前日からロケで家
には居ませんでした。
土曜日で息子が居たので、
「昼ご飯は外で食べようか・・」
「あっ・・俺、餃子が食べたい!」
「よっしゃ、美味しい餃子を食いに行こうか!」
「うん・・」
最近、反抗期にでも入ったのか少し無口な息子も食べる事になると乗りが良いようです。
店に向かう途中で雨が降り出して・・
「おい! 走るぞ!」
息子と一緒に走って店に駆け込んだり・・ 久しぶりの息子との外食は何も話さなくても楽しいひと時でした。
食事の後店を出ると、外は雨も上がっていたので街をぶらぶらしながら息子と話をしました。
「どお! 最近・・学校の方は・・」
「別にどおって事は無いけど・・・」
「そう・・・」
「部活の方はやってんの!」
「まあね・・・」
その時・・前から来た中年の主婦らしき2人連れがこちらをじろじろ見ています。
まあ、俳優業をやっていればよく有る事ですがね。
「こんな悪人でも自分の子だけは可愛いのね・・ははははは・・」
すれ違いざまにそう言ったのです。こちらに聞こえるように・・
ワザとらしく・・大きな声でそう言ったのです。
私たち親子の会話が途切れてしまいました。
・・息子はどう思ったのだろうか・・
息子も私に気を使っているのか何も言いません。気まずい気持ちのまましばらく黙っ
て歩きました。
その気まずい沈黙を破ったのは息子でした・・
「やっぱお父さんはすげえや・・・皆お父さんの演技を本当だと信じ
てるんだぜ!・・あいつら・・・」
思わず涙が出そうになりましたよ。
息子が続けました・・
「お父さん・・最近普通の叔父さん役でドラマに出ていたよね・・」
「ああ、最近そういう役も増えたんだよ・・年のせいかなあ・・」
「やっぱ、お父さんは悪役の方が上手いね!」
「そうかい!・・・実はね今、刑事役のドラマの撮影に入ってるんだ。」
「へー お父さんが刑事?!・・」
「しかも主役なんだよ・・」
「凄いじゃん! 主役って初めてじゃあないの?」
「うん、初めてだよ。 でさあ・・正直、緊張しまくってるんよ・・」
「へえー・・お父さんでも緊張するんだ!」
「する、する・・・何て言ったって俺を中心にカメラが回るんだぜ・・・もちろんストーリーの展開も俺が中心なんだぜ。これまでとは勝手が違ってさあ・・緊張のしまくりだよ。」
「へーえ、そのドラマいつ放送されるの・・見てみたいなあ。」
嬉しかった・・・
あの2人の主婦のおかげで息子と仕事の話が出来た・・いい時間が持てた・・・無性に嬉しくなってニコニコしてしまいました。見れば息子も嬉しそうです。
ああ・・妻が帰って来たら今日の出来事を話して聞かせなきゃあ・・
「お母さん・・お昼の飛行機だって言ってたよね・・」
「もうお母さん帰っているかなあ」
「お母さんの好きなケーキでも買って帰ろうか・・」
「うん、それが良いね!」
私たちは足取りも軽くケーキ屋に向かったのでした。
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