熊さん

ゴン!と嫌な音がして車が止まった。バックをしたところに無理に入ってきた車とぶつかったのだ。車を運転していた彼は血相を変えて車を降り相手の男に苦情を言う。

「出る方が優先でしょうよ!なんで無理に入って来るんですか!」


相手の男も引き下がらない

「急にバックするから避けられなかったんですよ!後ろを見てバックしなさいよ!」いつまでも二人はグダグダと言い合いをしている。


私はレンタカー会社に電話して指示を仰いだ。

「相手の連絡先と車のナンバーを確認して写真を取っておいて下さい。人身で無ければこちらで対処できますから。」


私は相手の免許証の写真を撮らしてもらい車の接触場面とお互いの損傷具合を写真に収めレンタカー会社に送った。


「後は保険屋さん同士で解決するそうだからもう止めましょうよ。」

私がそう言うと相手も引き下がり彼も車に戻った。


しかしその後が大変だった。車を走らせながら彼の気分が収まらないのだ。

「狭いところでは出る方が優先なんだよ。奴はそこを分かっていない!」


「だからね、レンタカーなんだし、保険で処理するんだからもお止めましょうよ。」


「保険で済んでもさあ、俺は悪くなかったからな。奴の判断ミスなんだ。まったく、奴はそこを認めようとしない。そもそも入口で一旦止まるべきなんだよ。その常識を守らないから接触したんだ。車の運転なんてものはお互いが常識的に・・・・」


それから2時間と言うもの彼はグダグダと自分の正当性を説明した。

そんな事はどうでもいい、今は新婚旅行中なのだ。この程度の小さな事で新婚旅行を台無しにして欲しく無い。どうして私の気持ちを分かってくれないのか。彼がこんな小さな男だとは知らなかった。3年も付き合ってきたのに気が付かんかったなんて、私はいったい彼のどこを見ていたのだろうか。


「あのね。そんな事はどうでも良いの。新婚旅行を台無しにしないでちょうだいよ。」と私が彼の言葉をさえぎると彼は言ったのだ。

「冗談じゃない、何を言っているんだ!台無しにしてるのは奴じゃあ無いか!俺のせいにするなよ!俺には非は無いんだって・・・誰が考えたって・・」

彼は私の気持ちを酌んでくれず、とても話にならなかった。


冗談じゃないと思った。長い人生で接触事故程度の事は何度もあるだろう。その度にグダグダと愚痴をぶつけられては、私には無理・・こんな男と人生の長いドライブは出来ない・・そう思った私は旅行を中断し、次の駅で彼と別れて一人で帰って来てしまったのだ。結婚して2日めの事だった。

披露宴をして2日で離婚をしたので、両親も親戚に対して体裁が悪く、父は怒っていて私と目も合わさず口もきいてくれない。母に言わせると、私の我がままだと言うのだ。


結婚すれば長い人生を付き合うことになる。小さな事に拘って人生の方を台無しにするような男とは付き合えない。それが私の我がままだと言うのなら、私は結婚などしなくて良いと思った。


私の家から一番近いコンビニの横に小さなが学習塾が有った。廃業したらしく暫く閉めていたのだが、今度新しくパソコン教室としてスタートしたようだ。それを見て私は考えた。そう言えば私は我流でパソコンを使っていて、きちんと基礎から勉強したことが無い。気分を変えるには新しい事を始めるのが一番だ。そう思って私はその教室に入学をしたのだ。


パソコン教室は月水金の週3日7時から9時までの授業だった。生徒はお年寄りが多く後は小学生ぐらいの子供だ。授業はパソコン用語から始まりマウスの使い方やらキーボードの入力の仕方など基礎の基礎からやるので、私にはかったるかったが、教師は冗談などを絡めながら子供を飽きさせないように授業を進めるので、笑っているうちに2時間が終わってしまう。まるで落語家みたいに生徒を笑いに誘い、時間を感じさせないのだ。私はパソコンより彼の巧みな話術の方に興味を惹かれて、彼の話に注目するようになった。私はこれまで付き合った男たちにはない何か違う魅力を、彼に感じていた。


「先生、何か聞きたいことがあった時の為に、ラインを繋いでもらえませんか?」私がそう申し出ると先生は「あ・・良いですよ。」とスマホを開けてQRコードを示し「これを読み込んで・・」と言った。私は機会をみて彼と個人的に話をしてみたくなったのだ。


彼の名は大橋友則と言う随分古風な名前だった。もみあげから顎にかけてひげを生やしていて生徒の小学生から熊さんと呼ばれている。彼はそれを嫌がる様子もなく何時もニコニコして対応するのだ。お年寄が子供たちに釣られて先生を熊さんと呼ぶと、一斉に教室が笑いに包まれる。すると本人も大うけして笑っている。何んなんだろう、この柔らかさ、私はどうしても彼と話をしてみたくなり、思い切ってラインをした。


『お話したいことがありますので、今度食事に誘って頂けませんか。』

送ってから、しまったと思った。・・誘ってくれじゃあ無いよ、私が誘わなきゃあ・・しかし後の祭りだ。


どうにか取り消せないのか考えていると彼から返信が来た。

『今からでも良いですか。』

『はい、よろしくお願いします。』

『じゃあコンビニの駐車場で待ってます。』


コンビニは私の家から歩いて5分の所なので直ぐに駐車場に着いた。彼は車で待っていた。

「すみません、変なお願いをして。本当は私がお食事に誘おうとして書き間違えたんです。」と照れながら言うと、

「いや、とんでもないですよ。僕めちゃ嬉しくて。正直言うとデート初めてなんですよ。めちゃ舞上がってしまって・・」

「それじゃあ、私が行きつけのお店に行きましょうよ中華料理の店なんですけど。」

「あ、はい、どこでも行きます。」と彼は緊張している。本当にはじめてのデートのようだ。


中華料理店で食事を始めると彼の緊張が解けて彼本来の柔らかな対応に戻った。

「すみません、本当にデートなんかしたことが無くて、馬鹿みたいに上がってしまって。調子がくるってしまって・・お恥ずかしい。あ、これデートですよね。」

いいカッコをせずにデートが初めてだと言う彼に、私は誠実さを感じて益々好感を持った。

「ええ、私の方からお誘いしたんですから。デートですね。」

「僕ね、坂本さんにラインしようと思ってたんですけど、ちょっと勇気が出なくって・・だから坂本さんからラインが入った時は舞い上がってしまって。」

「私の事を誘おうと思ってたんですか?  私ね大橋さん、もし良かったらですけど、私と付き合って頂けますか?」

「あ、もちろんです。あ、そういう事なら。ええ、めちゃ嬉しいですよ。」

「でも、私バツイチなんです。2日だけ結婚歴があるんです。それでもいいですか?」

「そんなの全然OKです。それより僕の方が・・あの、恋愛の素人なもので・・」と言って笑う彼の手に、私の手をそっと重ねて言った。

「よろしくお願いしますね。」

恋愛に慣れてない彼に、私の気持ちを率直に示したのだ。彼は私の手を優しく握り返し、私の指を愛撫するように撫でた。私の指はそれに応えて彼の指に絡みつく。指と指が気持ちを伝えあい求めあっていた。私たちは指を絡めたまま店を出て指を絡めたままホテルに入った。ベッドに入ると彼は甘えるように私の胸に顔をうずめた。久しぶりのセックスに私は体が強く反応し恥ずかしいほど濡れてしまう。しかし彼はすぐにイッテしまい。「すみません、慣れてないので・・」と照れながら言う。可愛い・・私が唇で彼を含むと彼はアアと声を出し直ぐに復活をする。・・大丈夫だよ私が育ててあげるから・・私の好みの男に育ててあげる・・


彼は純朴で誠実な男だった。彼は私を抱くようになると責任を感じたのか直ぐにプロポーズをしてきた。

「そんなに急がなくても、もっと私を観察してからの方が良いんじゃあない?」

と私が言うと。

「いや、早くしないと他の男に取られそうなので・・」と言う。

「大丈夫だよ。今度は逃げないから・・」と言って私が笑うと

「本当に逃げないでください。」と言って彼も笑った。


誠実な彼と居ると安心する・・幸せの予感しかしない・・



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