我が家のタブー
私の父は超イケメンだ。クラスの友達にも父のファンがいるくらいだ。父は車の免許を持ってなくて電車で会社の通ってるのだが、その電車で通学する女子が私のクラスに何人かいるのだ。
「あなたはどこの高校ですか?」なんて気軽に聞くらしい。父とお友達みたいな女子もいるらしい。マジで止めてほしい。父はクリスチャンで普段は超真面目なのに可愛い子にはすぐに話しかけるのだ。女子も女子だ、普通ならきもい爺に話しかけられたとか言って騒ぐのに、父のファンだなんてばっかじゃないの!
父は他人には上品ぶって優しく話すけどそれは癖みたいなもので社交辞令なんだよ。
それにクリスチャンていうのもよく分からない。我が家では父だけがクリスチャンでほかの家族は信徒なんだよね。
「お父さん、クラスの女子に話しかけるのは止めてくれる!」
「お父さんは話しかけてないぞ、話しかけられたら答えるのは礼儀だろうが・・」
「でもさあ、私がクラスで嫌な思いをするから・・」
「どうして?俺は話しかけられたら話をするよ、それのどこが悪い・・お父さんはやましい気持ちは無いからな・・聖書に反するような気持ちは持っとらんぞ。」
いつも最後には聖書がどうとか言って逃げる。
「お父さんは聖書とか信じてるの?なぜ?なんでお父さんだけ?」
しまったと思った、我が家ではこの問題に触れるのはタブーなのだ。
お母さんもこの問題には触れたことが無いのに・・
するとお父さんは両手で頭を抱えるようにして、
「それはなあ・・話したくないことなんだが・・」
と言い・・
「お前には分からん事かも知れんがな・・」と話し始めた。
「昔の事なんだが、俺は時々不安な気持ちに襲われる癖があってな。
とにかくその時は何もかも嫌になって死んでしまおうと思ってな。
夕方の大阪の街を・・トラックに飛び込んでやろうか・・
どっかから飛び降りてやろうか・・
そう思いながらふらふら歩いていたんだ。ちょうどクリスマスの夜で、みぞれのパラつく寒い日だった。
前の方からトラックのライトが迫ってきて、ふらっとそっちへ行こうとした時、誰かに強い力で肩をつかまれてな。振り返ると痩せた背の高い50才ぐらいの男だった。
その男が今度は俺の手首を捕まえてな、
「何処に行く気かは知りませんが私の話を聞いてからにしませんか。」と言うんだ。
そう言いながらも手を離そうとしないで、ジッと俺をみているんだ。
都会で知らない奴にそんな事を言われたらな・・絶対に警戒しなきゃあいかんのだがな・・俺はどうなってもいいと思っていたから、冥土の土産に聞いてやろうと思ってな・・するとその男は俺の手を引っ張るようにしてどんどん路地の暗い方に入って行ったんだ。
しばらく歩いて、1軒の家の前で止まりその玄関を開けたんだ。
「おーい、帰ったぞ!お客さんだ。 暖かい紅茶でも入れてくれ。」
俺はその人の家の応接間に通されてたんだ。
奥さんが紅茶とカステラを持ってきてな・・それから黙ったままその男とお茶をすすったんだ。街は寒かったしな、お茶を飲んだら少し気も落ち着いたような気がしてな。そうしたらな、その人が話し始めたんだ。
「私はね、さっきあんたを見たときビックリしたんですよ。あんな凄い顔を見たことがありません。この人はこれから人でも殺しに行こうとしているのか、それとも死にに行こうとしているんではないかと思いましてね。 声をかけずにはおれなかったのです。どうでしょう、何か有るのなら話してみてくれませんか。」と言うのでな・・
俺は言ったんだ。
「そんなに凄い顔をしていたんですか。あなたのおっしゃる通り私はトラックの前に飛び出そうと思っていたんです。」
「やっぱりそうでしたか、引き止めて良かった。 こうやって知り合ったのも何かの縁だと思って、あなたが死"にたくなった訳を私に話してくれませんか。」
それにしてもな、人の顔を見ただけで考えていることを洞察できる人がいるんだな。
この人は信用出来る人かも知れんと思ってな。俺は此れまでの経緯をその人に話したんだ。それは俺の子供の時の話なんだがな・・
「何から話せばいいのか・・私は、私の父親は小さな会社を経営していましたが、人に騙されて倒産しましてね・・それで、父が事務の女と駆け落ちをしてしまったんです。そうすると今度は体裁を失った母は一人で実家に帰ってしまいました。
残されたのは10才の私と11才の兄と寝たきりの祖母でした。たちまち日々の食事にも窮する事態になりました。それからというものは・・
夕方になると茶碗を持って近所の家に行ってご飯を分けてもらうようなひどい生活でした。見かねた親戚が私たちを引き取り、祖母は施設に入りましたが祖母はすぐに亡くなりました。
楽しい事は何一つなく、学校で先生に褒められるのが嬉しくて勉強をしました。それ以外に何も有りませんでした。嬉しかった記憶が何一つ有りません。
おかげで成績だけは何時も学年トップで、高校も主席で卒業することが出来ました。大阪に出て今の会社に入ったのは今年の春の事だったのですが、半年もすると私は主任に抜擢されたのです。給料も上がり喜んだのですが・・・
2ヶ月も経たないうちらに問題が起きました。
私の管理している書類が無くなり始めたのです。私は大切な書類を無くす様なぼんやりした男では有りません、私の急な昇進を妬んだ者の嫌がらせだと思いました。
そこで私は上司である課長に相談しました。課長はニヤニヤしながら私にこう言いました。
「いくら計算が早くて記憶力抜群でも自分の書類を隠されてしまうようじゃあ、今以上の出世は無いな、ははははははは!」
課長もグルだったんです・・
課の者が皆で私を目の敵にしていたのです。私は目の前が真っ暗になる思いでした。
明日、部長のところへ行って主任の任を解いてもらおうと考えていました・・
そんな時私に電話がかかってきました。驚いた事に駆け落ちした私の父からでした。大阪にいるとは噂に聞いていたのですが・・
父が近くの喫茶店にいるので会いたいと言うのです。
私は家庭を捨てた父を恨んではいません、母とは上手くいってなくとも私たち子供の事は愛していたはずです。会社が倒産してやむをえず逃げたのです、私に会いたいと思っていると信じていました。
それにしても、どうやって私の居場所が分かったのかは知りませんが、ともかく会いに来てくれたのです。私は嬉しくなって父の待つ喫茶店へ急いで出かけました。
10年ぶりの再会でした。すこしやつれた感じの父は私に言いました。
「大きくなって立派になったのう。じつはなあ、金に困っているんだ、幾らかこっちに回してくれないか。」
父が私に会いにきたのはお金の為でした。
カッとなった私は財布ごとお金を父に投げつけて店を出ました。会社では皆に妬まれ、大切な書類まで隠され・・父親は金の無心に来るし、もう誰も信用出来ない!みんな敵だ!・・人間なんてろくでもない生き物だ!!・・俺は天涯孤独だ・・・
俺なんか生きていても意味が無い・・・こんな苦しい人生は終わらせよう。
トラックの前に飛び出せばイチコロだ。それで終わりだ・・・それで楽になれる・・・そう思って、あてもなく歩いていました。』
俺はな・・話しながら感極まってな。テーブルが塗れるほど涙をこぼしていたんだ。するとその人がな・・・
「あなたは泣いていますね。 涙がこぼれている。 涙が出るのなら死ぬのはまだ早いですよ。涙が出切ってからでも遅くは無いですよ。どうですこれも何かの縁ですから、しばらくこの家でゆっくりして行きませんか。何もそんなに急いで死ぬ事も有りませんよ。さあ、カステラを食べてください。これはね、旨いカステラなんですよ。」
そう言われると何だかそんな気になってきて、その日はその人の家にやっかいになる事にしたんだ。
そしてな・・
次の日になると死ぬ気力も落ちてきて、進められるままに6日ほどその人の家にに居候してしまったんだ。
この家は大阪のドヤ街の近くにある、小さな家だった。
その人の年頃も俺の親のような年齢でな・・何か忘れていた家庭の味を思い出した様な気がした。俺の事を心から心配してくれて、この人が望むのなら生きてみてもいいかなあと思えるようになってなあ・・・
その人がな、牧師だったんだ。
しょうじき言えば聖書を信じている分けではないんだよ。その牧師さんのことを信じているんだ。」
私は言葉を失って何も言えなかった。
涙があふれて止まらなくなった。
父がそんなに重たい人生を背負っていたなんて・・
だから母もこの問題に触れなかったんだ・・
あれから私は父のクリスチャンの事には触れない。
それは我が家のタブーだから・・
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