夜行列車
突然・・・奇妙な感覚にとらわれる。
明日からの予定が現実の事と思えない・・
仕事仲間の会話すら、テレビの中のドラマを見ているようで現実感が無く奇妙な感じがする。
私は周りからはエリートとして大事に扱われ、多少の我がままも許されていたので、仲間からも疎まれるほど待遇は良かったのだが・・時々自分の役を演じることに疲れ何故か現実に対してドン引きをしてしまうのだ。
その時もそうだった。
週末の夕方、私は行き先の無いまま駅にいた。
どこか遠くに行きたかった・・
此処でなければ何処でもいい・・
僕は何か無理をしているんだ・・
あり得ない自分を演じている・・
こんなの本当の僕じゃあない・・
その時、ホームに入って来たのが急行別府行きだった。
私は現実から逃げるようにその電車に乗り込んだ。
午後八時半、車内はガラガラだった。
誰もいない場所の窓際の席を選んで座った。
しばらくするとガタンと揺れてから列車は静に動き出す。
何故だろうか、電車が動き出すとホッとする。
不安な街から、不安な世界から遠ざかる。そんな心持ちだ。
午後9時頃、次の停車駅で止まった。
停車時間は五分だと放送している。
外はミゾレが降っていて、所々白くなってきている。
今夜は積もるのだろうか・・・
発車ぎりぎりになってホームを駆けている女がいる。
小さなバックを小脇に抱えて走っている。
女は何とか乗り込めたようだ。
カタカタと変な靴音をたてながら車内を歩いて来た。
私の横まで来たときガタンと揺れて電車が動き出した。
その女はフラつくように私の向かいに座った。
車内はガラガラだ、他にも空いている席があるのに・・
「寒いなー」
独り言のように女が言った。
見ると、網の夏物みたいな履物を履いている。
足が冷たそうだ。
それにこの季節にしては薄着だ。
「冷たい・・・・」と言いながら片足をシートに上げて手でさすっている。
タバコを取り出して金メッキの細いライターで火をつける。
フウーーと煙を吹き出してから私を見た。
「タバコ吸っていいでしょ?」
「いいですよ僕も吸いますから。」
「おおー寒む、、、こんな格好だもんね。」
と言って女は私に微笑みかけた。
金色のピアスが揺れている。
「逃げてきたの、、店からそのまま。アパートにみんな置いてきちゃったんよ。だからこんな恰好なの。」
「逃げたんですか?」
指に薄紫のマニキュア・・・
「悪い奴に見つかってね。」
「悪い奴ですか?」
「私ね元は京都の人なんよね、何でアイツに此処が判ったんだろう。」
私もタバコを取り出して火を点けようとすると、スーっと女の手が伸びてパチッっと火を点けた。
その時一瞬香水の香りがした。
「ごめんなさいね、一人で喋って、、あなたには関係ないわよね。」
「はあ・・・。」
それからしばらく沈黙した。
私より5-6才は年上だ・・
或いはもっと上かも知れない・・
複雑な人生を背負っていそうだ・・
窓の外をぼんやり見ている・・
窓ガラスに映る女の顔はどこか不安そうだ。
眉毛が歪んでいる。
「行き先は決まっていないのですか?」
そう聞くと、彼女は笑顔を作りながら私に向き直って、
「そうね・・・博多かどっかにね。あなたは?」
と聞く。
「ああ、とりあえず別府です。一人旅ですから・・」
「一人旅?、こんな時期に?」
「ええ・・・。」
彼女は改めて私を上から下まで観察している。
一人旅は変だ、私こそ突然電車に乗り込んだものだから。
薄着ではないにしろ財布以外に荷物が無い、そんな私も女からは変に見えることだろう。
「急に思いついて職場から電車に乗ったので・・。」
するとニヤリと女が笑った。
「あなたも何か事情がありそうね。」
「でも、、悪い奴には追われていませんから。」
「ははは、そうでしょうね。」と受けて笑っている。
彼女の表情から少し不安の色が消えた気がした。
それから少し打ち解けてビートルズが好きだとか、最近見た映画の話など、とりとめもない話をした。
結局女は、終点の別府で私と電車を降りた。
「腹ぺこだね。何か食べようか。」
「モーニングサービスが有ればいいのですが。」
駅前の店が開いていたので2人はモーニングを食べた。
彼女は笑いながら
「これが全財産。」
と言って小型のバックを開けた。
財布や通帳、化粧品が乱雑に入っていた。
「私、取りあえず着る物を買わなきゃあ。」
昨夜の不安そうな顔はどこにも無かった。
この人は強いな・・そう思った。
食事が終わると二人は店の前にいた。
「じゃあね。」と女は手を振った。
「じゃあ。」と私も手を上げた。
別府は暖かかった。空は晴れていて人通りも増えてきた。
昨日のミゾレが嘘のようだ。
私はバスターミナルの方に向かって歩き出した。
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