ケーちゃん、ブチ切れる
数日後、そのまま難航していくかと思った状態に変化が訪れた。
ケイティアーノが問題のエドアルドを連れて、カインの下を訪れて来たのだ。
「カインお兄様。ちょっと込み入ったお話がございますの。皆様の隠れ家にご招待してくださいませんこと?」
高貴な令嬢らしくおっとりとした微笑みを浮かべ、しかしこめかみのあたりがピクピクと小さくけいれんしている。
(ケイティアーノが怒ってるっ!?)
珍しく五年一組の同級生と一緒に移動教室から教室へと戻るところだったカインは、その様子に驚いて一瞬言葉がでなかった。
「あ、カイン様。俺、先に教室に戻っておくよ」
ケイティアーノの尋常じゃない様子に、カインと同様に驚いたらしい級友が気を利かせてサッとその場から去って行ってしまった。
「その子は?」
ケイティアーノが令嬢らしくなく、エドアルドの首根っこを掴んでいる。後ろ襟を掴まれているエドアルドは、喉元がしまって少し苦しそうだ。
「ソレも含めて、込み入ったお話ですのよ。カインお兄様」
「あ、はい」
カインは少し離れた場所に控えていたイルヴァレーノを手で呼び、そのまま放課後魔法勉強会の会場にしている使用人控え室へと移動した。
「まずは、こちらをご覧頂きたいんですの」
控え室のソファーに座ると同時に、ケイティアーノは綺麗な造花の花束と透明な液体の入った美しい造形の小瓶をテーブルの上に置いた。
「これは?」
ソファーに座りながら、テーブルに置かれたものを見て問いかける。カインとしては、だいたいこれが何かは想像できているが、この場の会話の主導はケイティアーノなので話を促すためにあえて質問をした。
「こちらの方が、必ず告白が成功する花束と、綺麗になれる化粧水だと言って私に売ろうとしたものですわ」
「……やっぱり」
ケイティアーノはサラティ侯爵家の長女である。サラティ侯爵家は当主である祖父が元老院にも名を連ねている名家であり、代々強力な水魔法をつかって国の治水関係事業を支えてきた歴史ある家柄である。
ディアーナと並んで王太子殿下の婚約者候補とも言われており、アルンディラーノとは刺繍の会を通じての幼なじみでもある。
「ケイティアーノをターゲットにしちゃったのか……」
カインは憐憫の目でエドアルドを見た。
「詐欺商品を売りつけようとしたのは、構わないのですわ」
「構わないんだ……」
「以前に、テスト問題の解答だというでたらめなメモ用紙が売られていたこともありましたし、教えてくださる先生方を脅すための秘密等が口伝で売買されていたこともありましたもの。その時も、だまされて買った方がおろかだっただけですし、買ったことがそもそも恥ずかしい事ですから、購入者も販売した方を表立って責めたりはいたしませんでしたのよ」
「え……今の二年生、治安悪くない?」
「そんなことはどうでもよろしいのですわ。問題は、この子がこれを売ろうとした時に、私に言った言葉ですの」
ケイティアーノの声はいつも通りおっとりと、落ち着いて優しく響いている。
しかし、エドアルドはケイティアーノがしゃべるたびに、ビクビクと体を震わせている。
「何を言われたの? ケイティアーノ」
イルヴァレーノが三人の前にお茶の入ったカップを置いていく。仕事を終えて壁の方へと控えに戻るイルヴァレーノに小さく会釈したケイティアーノは、お茶をゆっくりと一口飲んでカップを戻すと、しっかりとカインに向き直った。
「ディちゃんが、影で私の目が細い事を揶揄して笑っていたというのです。令嬢としては顔が丸すぎるとも言っていたと言うのです。この美人になれる化粧水を使って美人になって、そんなディちゃんを見返してやらないか、と言ったのです」
「えぇ。ケイティアーノの目はいつもニコニコ優しく笑っているみたいで可愛いのに」
カインがそう言って褒めるが、ケイティアーノはクワッとその目を見開いた。
「私の目が細いのがおかしいとか可愛いとかはどうでもよろしいのですわ! そこではありません! ディちゃんが! わたくしのディちゃんが、他人の容姿をあれこれ言って笑うなどするわけないのです! ディちゃんは本人がすでに至高の顔面、究極の美しさなのですわ。他の人の容姿を気にする次元にいないのです! それを! この少年は! ディちゃんが私の容姿を笑っていたなどと!」
普段は侯爵令嬢らしく、しっかりと自制することの出来るケイティアーノの珍しく激高する姿に、カインもタジタジである。そんなケイティアーノの隣に座っているエドアルドはどんどんと縮こまって小さくなっていっている。
「何より、ディちゃんはコソコソと陰口をたたくような人では無いんですのよ! カインお兄様もご存じでしょう? ディちゃんの心の優しさ、朗らかさ、天真爛漫さを! 世を忍ぶ仮の姿として令嬢を演じることはあっても、心根に裏表のないさっぱりとした性格を! そんなディちゃんを、よく知りもしないで侮辱したんですわ! よりによって! このわたくしに!」
ケイティアーノの怒りはごもっともである。
カインに「妹が家督の座を狙ってるよ。『兄は当主の能力がない』って陰口たたいてるよ」と言われたとしても、カインも信じない。
ただし、カインはその場合ディアーナが侮辱されたと受け止めて怒ったりはしない。
「ディアーナの事ぜんぜん分かってないんだね」
と鼻で笑っておわりである。
自分の方がディアーナに詳しいと言うことを再確認したことで、逆に満足する可能性すらあった。なので、ケイティアーノの言葉を聞いても「ケイティアーノはちゃんと可愛いよ」という慰めの言葉が先にでてきたのだ。
しかし、ケイティアーノのディアーナ愛はカインとはまた別方向に飛び抜けている。デイアーナを侮辱された事に対してぶち切れているのだ。
「落ち着いて、ケイティアーノ。それを売りつけられようとしたときに周りに誰かいた?」
「いませんでしたわ。二人きりにならないように、空き教室の扉は開けておりましたけれど、廊下を通り過ぎるだけの方に会話の内容は聞き取れなかったと思います」
「それなら、ディアーナがケイティアーノの陰口を言っていたという『嘘』は、噂として広がる可能性はないってことだよ。まずそこは安心して?」
「……そうですわね」
ディアーナの名誉が損なわれる可能性が低いことを諭されて、ケイティアーノは小さく深呼吸をした。心を落ち着かせようとして、残っていたお茶もゆっくりと飲んで一息入れた。
その間に、カインは立ち上がり、テーブルを回り込んでひじ置き越しにエドアルドの脇へとしゃがみ込んだ。
「エドアルド」
優しく声を掛ける。首根っこ掴んでカインの元に連れてこられるまでに、静かに怒るケイティアーノから圧力を掛けられていたのだろう。身をちぢこまらせてブルブルと震えていた。
「なんで、ボクの名前」
「僕は優秀だからね」
肩甲骨のあたりまで伸びたくりくりの髪の毛と、こぼれ落ちそうな大きな目、ぷにぷにのほっぺたに小さな口。涙をためたうるうるの瞳でカインの事を上目遣いで見上げてくる。
(あ、これ泣き真似だな)
まぶたの上が指の大きさほどに少し赤くなっている。うつむいて震えているフリをしている状態で、まぶたの上から自分の瞳を指でぐりぐりと押していたのだろう。刺激を受けた目が、こぼれるほどでは無い程度の涙を分泌してうるうるの目にしているのだ。
「さて、エドアルド。僕も、ディアーナがケイティアーノの悪口を言っていたなんて信じない。ディアーナは素直で可愛くて、人の事をおもんぱかれる優しい心を持っていて、愛らしくて、身分の差で区別はするが、差別はしない公平な態度を取れる良い子なんだ。知ってる? 子どもの頃は孤児院の子ども達と一緒になってどろんこになって遊んでいたんだよ。今だって時々孤児院に遊びに行っては刺繍を教えていたりもするんだ。学園でも平民出身のアウロラ嬢と仲が良いし、何より美人だ」
あざとい可愛さで攻めてきても、カインには効かない。毎日鏡を見ているし、ディアーナの顔も見ている。なにより、カインにはショタ属性はないのだ。
「君は知らないかもしれないけれど、ディアーナはいつもケイティアーノの事を可愛い可愛いと褒めているんだよ。『ケーちゃん』『ディちゃん』って愛称で呼び合う仲だしね。だいたい、ケイティアーノはディアーナ単推しガチ勢なんだよ。そんなケイティアーノとディアーナの仲を裂こうとしたのが間違いだったね」
そう言って、出来うる限りのキラキラ笑顔で笑ってやるカイン。顔面の威力で心を掴む技が使えるのはエドアルドだけじゃないのだ。むしろ、ディアーナが生まれた瞬間から自分の美貌を認識し、利用してきたカインに隙はない。
「うぅっ……」
ソファーのひじ置き越しに、のぞき込まれるように見つめられていたエドアルドは、カインの慈愛に満ちたとっておき笑顔に顔へと熱が集まってくるのを感じていた。
おそらく、ディアーナがゲームのままの『高慢で我が儘な公爵令嬢』で、ケイティアーノやノアリア、アニアラとの関係が友人ではなく取り巻きのままであったのなら、ケイティアーノはエドアルドの言葉を信じてディアーナを疑うようになった可能性は高い。
でも、そうはならなかった。ケイティアーノはエドアルドの言葉に激怒し、カインに報告しに来た。ディアーナを素直に育て、カイン自身も刺繍の会に参加してディアーナの友人達と良好な関係を築いてきた。その、成果が現れたのだ。
「さて。ディアーナがケイティアーノの陰口を言わないのであれば、ケイティアーノに対する誹謗を口にしたのはエドアルド、君自身ということになる。わかるね?」
カインは、諭すように語りかける。エドアルドは、十二歳というには見た目が幼いせいでつい子どもに向けるような口調になってしまう。
「目が細くて、顔が丸いと言った事をケイティアーノに謝るんだ」
「だって……事実じゃん」
ぼそりとつぶやいて悪あがきをするエドアルド。カインはニコニコと笑顔を崩さないまま、エドアルドのほっぺたをつねった。
「痛ぁ!」
「ケイティアーノは慈愛に満ちた瞳で、女性らしい顔つきをしてるって言うんだよ。それはそうと、思ったこと、感じた事をそのまんま口に出して良いわけがないだろう。相手が傷つくだろう言葉をわざわざ口に出すのは、侮蔑する行為だ。エドアルドだって、入学前に遊び相手にされていた貴族の子息からされて、嫌だったんじゃないのか?」
カインの言葉に、ハッとしたような顔をした。
「あんたも、自分がされたら嫌なことは人にするなって説教するのか?」
照れ隠しなのか、それとも警戒心なのか、キッと目をとがらせてカインをにらみつけてきた。
「違うよ。相手が嫌がることはするなって説教してるんだよ。何が嫌で何が嫌じゃ無いかなんて人それぞれだし、相手によって受け入れられる事と受け入れられない事もある。自分基準じゃなくて、相手基準で考えろ」
カインの言葉の意味を考えているのか、エドアルドが黙り込んだ。カインはつまんでいたエドアルドのほっぺたを放すと、自分の席へと戻って座り直した。
「カインお兄様。私への謝罪なんてどうでもいいんですのよ」
「けじめは必要でしょう?」
「私、気にしていませんもの。カインお兄様の言う『相手が嫌なことはするな』という言葉を借りれば、別に嫌ではありませんでしたから、謝罪も結構ですわ」
そういってにこりと笑うケイティアーノ。しかし、カインは気がついた。この笑顔は、まだエドアルドを許していない笑顔である。
「それより、もう一つカインお兄様にお伝えしておかなければならない事がございますのよ」
「なんだろう?」
ケイティアーノが謝罪しなくて良いと言ったためか、エドアルドの態度がふてぶてしくなっている。縮こまるのをやめ、ソファーの背もたれに体をあずけて不満げな顔を隠しもしていない。
「先ほどのは、化粧水を売るために私に言った言葉ですの。こちらの、告白すると両思いになる花束を紹介したときはまた別のことを言っていたんですのよ」
そういえば、ケイティアーノがテーブルの上に置いたのは化粧水の瓶と花束の二つだった。美人になってディアーナを見返せ、という言い方は確かに化粧水についてしか言及していない。
「ケイティアーノ、好きな人がいるの?」
エドアルドにそれがバレて、そそのかされたということだろうか? とカインが首をかしげるが、
「私の一番はディちゃんですわ。残念ながら女性同士では結婚できませんけど」
「じゃあ、誰と両思いになれるよって言われて花束売られそうになったの?」
想像が付かない。ケイティアーノの身近な男性でディアーナから奪えと言われそうな男性……と考えて、カインは一つ思いついた。
「もしかして、僕?」
「カインお兄様といえど、さすがに自意識過剰ですわ」
一刀両断された。
「アルンディラーノ王太子殿下ですわ。この子、私とディちゃんがアルンディラーノ王太子殿下の寵を奪い合っていると思っていたんですのよ」
「はぁ!?」
カインの口からドスの利いた低い声が漏れ出た。せっかく戻ってきたソファーだったが、一瞬で立ち上がり、一足でテーブルを乗り越えてエドアルドの目前にたどり着くと、片手でその頬を掴んでアヒル口にさせた。
「あぁ!? どこをどう見たらウチのディアーナがアル様に恋慕してるなんて発想がでてくるのだぁ? おぉっ? 喧嘩売ってんのか? 僕がどれだけ細心の注意を払って二人が恋仲にならないようにしてきたと思ってんだぁああ?」
まるでヤクザの恫喝のように迫るカインを、慌ててイルヴァレーノが羽交い締めにして引き剥がした。
鼻の先がくっつきそうな至近距離から、綺麗な顔がブチギレした表情でにらみつけられたエドアルドは、あまりの恐怖に泣いてしまった。
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