こころのゆくえ

 カインが無事に帰ってきた日は、エルグランダーク家は蜂の巣を突いたような騒ぎだった。


 翌日決行予定だったカイン捕獲作戦の中止を関係各所に連絡するために急いで出かけていったディスマイヤ。

 泣きながら怒り、そして喜んでぎゅうぎゅうとカインを抱きしめてくる母エリゼ。

 見た目の変わっているカインを隠すために下級の使用人達に休暇を言い渡して屋敷から出していくパレパントル。

 忠誠心の高い一部の使用人達は疲れて帰ってきたディアーナとカインの為に食事と沐浴の用意に走り回り、屋敷に常駐している主治医はその隙間を縫ってカインとディアーナの健康チェックを行った。


 バタバタとせわしなかった邸も、日をまたぐ頃には落ち着いてきた。

 特にカイン達の私室のあるプライベート区画は早く体を休ませるために静まりかえり、灯りも落とされて薄暗くなっていた。


「では、おやすみなさいカイン様」

「ああ、お休みイルヴァレーノ」


 一週間ぶりに暖かい食事をとり、ゆっくりと湯船につかって体を暖めたカインは布団に入った途端にうとうとし始めた。最後の灯りを落としたイルヴァレーノが部屋を出て行った扉の音すら聞く前にまぶたが閉じる。

 体を乗っ取られないために、ここ一週間の間カインはなるべく起きていた。

 うとうとしてしまえば、意識を乗っ取られてしまう。その辺にいる動物や魔獣を襲って負の感情を吸収していたらしい痕跡を目にするのは憂鬱だった。

 一週間ぶりのフカフカのベッドに、たまった疲労と寝不足、そして魔力をギリギリまで削ってからの転移魔法の行使。もう起きていられなかった。

 アルンディラーノが王妃殿下にゲンコツされている夢をみて、学園寮の部屋でジャンルーカに叱られているジュリアンの夢を見た。そうして意識が深く落ちていき、ぐっすりと寝ていたカインだったが、ふと人の気配を感じて目が覚めた。


「……ディアーナ?」


 カインの枕元に立っていたのはディアーナだった。不安そうな顔で、ポスポスと布団の上からカインの体を叩いている。


「ちゃんとお兄様がいるのか不安で……」

「そっか」


 ディアーナも、昼間は乗っ取られているカインの体力と魔力を削るために動き続けていたのだから、だいぶ疲れているはずだ。

 カインは布団の端を掴んでめくり上げると、空いている手でトントンと自分の隣を軽く叩いた。小さく笑ったディアーナが、もぞもぞと布団に入り込んでくる。


「サッシャには言ってきた?」

「ううん。ちゃんと寝ようと思っていたのだけど、気がついたらお兄様の部屋の前にいたの」


 そっか、とディアーナの言葉に頷きながら布団を掛けてやると、カインは枕元に置いてあったベルを鳴らした。

 眠そうな顔をしたイルヴァレーノが隠し扉の方からやってきた。


「ディアーナお嬢様?」

「サッシャに黙って来ちゃったみたいなんだ。今夜はここで寝るからって伝えてきてもらえる?」


 夜の見回りや朝起こしに来た時にベッドの中にディアーナがいないことでまた大騒ぎになってしまうかもしれない。

 兄弟といえども年頃の男女が同衾するなど! と厳格なサッシャは怒るかもしれないが、一週間もバラバラに過ごしていた兄が帰ってきた所なのだ、見逃してくれるかもしれないよね! という希望的観測でカインはイルヴァレーノに伝言を頼んだ。

 サッシャが怒ったところで、イルヴァレーノがなんとかなだめてくれるだろうし、サッシャとイルヴァレーノの間で話が付く頃にはカインとディアーナは夢の中である。


「頼りにしてるよ!」

「はいはい……」


 イルヴァレーノは廊下へと続く正しい扉から出て行き、静かに扉を閉めていった。

 枕に片肘をつき、ディアーナの肩を布団越しにトントンと優しくたたいてやる。カインの体温で温まっている布団に、ディアーナは早速うとうととし始めた。


「今日は助けに来てくれてありがとう、ディアーナ」


 天蓋の降りたベッドの中だけに響くような、静かな声でカインがお礼の言葉を告げると、ディアーナもうとうとしながらニコッと笑って見せた。


「お兄様を森において行ってしまった日から、夜中に起きてしまうことがあってね」

「うん」

「もしかしてお兄様はちゃんとお家にいて、お布団で寝ているんじゃ無いかって思ってこうして見に来ていたの」

「そうなんだ」

「でも、お兄様はいなくって」

「うん」

「もしかして、お布団の中に隠れているのかもしれないと思って、お布団の上から叩いて確かめてみたりしていたの」


 それで、先ほどディアーナは布団の上からカインのことを叩いていたのか、と納得する。


「寂しい思いをさせてごめんね。もっと早く、自力で帰ってこられれば良かったんだけど」


 そう言いながらディアーナのおでこの髪をそっと分けてやる。

 半分閉じた目が前髪の間から現れた。

 カイン自身、転移魔法で自分と魔王を分離出来るのでは無いかと考え無かったわけではない。しかし、別れた後に転移元の体が消えなかった場合。自分の古い肉体が魔王の魂の入れ物になってしまったときに、カイン一人で対処できるのか、逃げ切れるのかを考えると踏み切ることができなかったのだ。

 こうしてディアーナ達の手助けによって転移魔法での分離が成功してみれば、早くやっておけば良かったという思いも少しだけ浮かんでくる。


「昼間はね、サッシャが見張っていたし、皆でお兄様を救出するためにどうしたら良いかを相談したりしていたから平気だったのだけど、夜になってお布団の中で一人でいると、色々な事を考えてしまうの」

「うん」

「慌てて功績を得ようとせず、お兄様の言う通りにいつか遠い未来に叶うと信じてコツコツと努力し続ければ良かった……とか、もしかしたら他の令嬢みたいに『普通の夢』を追いかけていればお兄様がこんなことにはならなかったんじゃ無いか、とか」


 女だてらに騎士になりたい、冒険者になりたい、正義の味方になりたい。そんな夢を持って、そして叶える為の苦労は全部カインに押しつけてしまっていたのではないか。

 色々な事を考えてしまい、最後は『自分のせいでカインはあんなことになってしまったのでは無いか』という結論にたどり着いてしまい、朝まで眠れなくなってしまっていたと、ディアーナがポツポツと話していく。


「僕も、ディアーナなら出来る、やれるよ。って事ばかり言って、具体的にどうしたら良いのかを示せていなかったね」


 ゲームのシナリオ通りにディアーナが魔王になってしまうのを防げた。結果論だが、転移魔法の使えるカインが魔王化することで、ピンチを脱することができたのだから、結果オーライと言えるのだが、自分の体を取り戻すまでの一週間、ディアーナをこんなにも悩ませてしまっていたのであればのんきに結果オーライとか言っている場合ではない。


「羽ペンを一緒に作るとか、コッソリ剣術訓練をするとか。そういった些細な願い事なら僕一人でも叶えてあげられていたけれど、ディアーナをこの国初の女性騎士に叙任させるとなればなかなか難しい……。法律も変えなくちゃいけないし、貴族皆の常識も変えていかなくちゃいけない。まだ学生の身分である僕一人の力では、事をなすのは難しいってことはわかっていたのに」


 もぞもぞとうごくディアーナの肩から落ちた布団を、引き上げてやる。布団の上から優しく肩を叩くように、トントンと柔らかい振動を与えていく。

 前世で知育玩具の営業をしていた頃に、小さい子の背中や肩をトントンと叩いてやるのは、胎内にいた頃に聞いていた母親の心音を思い出させて安心させるためだと聞かされていた。それを利用した心音が響く抱っこひもなんていう物も開発して売っていた。売れなかったが。

 それが、十二歳にもなった今のディアーナに効くのかどうかはわからないが、それでも安心させるようにとカインはディアーナの肩を優しく叩く。


「ディアーナに、格好良くて頼れるお兄様だと思われたくて、出来る出来るって言ってしまっていたんだね、きっと」

「ディもね。お兄様に任せっきりだったかなって思ったよ」

「うん」

「お兄様を助けるのに、ティルノーア先生が協力してくれて、バッティも助けてくれたよ」

「うん。同じように、ディアーナがなりたい大人になるために、色んな人に助けて貰おう。僕とディアーナも、もっと話し合おう」

「うん。ディね、ディもね……」


 トントンと優しく叩く手が効果あったのか、二人分の体温で暖まった布団が効いているのか、ディアーナのろれつが怪しくなってきた。カインのまぶたもだいぶ重くなってきている。


「ディばっかりじゃなくて……お兄様の、夢も……ちゃんと……」


 言葉が途切れたと思えば、すぅすぅと静かな寝息が聞こえてきた。トントンと一定のリズムで叩いていたはずのカインの手も、だんだんとゆっくりになっていき、やがて自分の胸の上へと落ちていく。

 


 翌朝、サッシャにたたき起こされるまでの間、二人はぐっすりと、夢も見ないぐらいに深く眠っていたのだった。久しぶりに安心して眠れたせいか、サッシャの怒った顔で目が覚めたというのに、頭はスッキリとしていて気持ちの良い目覚めだった。


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