出来ない事は、できるようになるまで頑張るだけさ

ディアーナの騎士行列用の制服を手に入れたカインは、その夜から寮の部屋にこもった。ディアーナが騎士行列に参加する事は母エリゼにバレるわけにはいかないので、家に帰らず寮で作業をする事にしたのだ。

建国祭まであと一週間もない。

カインと同室のジュリアンは、建国祭の準備や打ち合わせがあるため、授業には出るものの寮には帰らず城へと帰る日が増えていた。二人部屋の相方が帰ってこないのをいいことに、カインはイルヴァレーノを部屋に引き込んで作業を手伝わせていた。


「右袖は俺が刺繍するから、イルヴァレーノは左袖やって」

「いや、左右で刺繍の実力差が出るのはまずいんじゃないか?」

「図案はコレ。書いたとおりにやってくれればいいから」

「カイン様? 話を聞いてください?」

「袖の返し部分の金モールは外して付け直したいところだけど、残念ながら時間が無いからそのままにする。けど、カフスボタンにいいやつつけて差をつける。刺繍がおわったらボタン付けてくれ」

「いや、聞けって」

「イルヴァレーノの実力知らないとでも思ってんのか。毎週孤児院に行ってはみんなに刺繍教えてるだろ」

「あんなのは、やり方を教えているだけだ。実力なんて関係ない」

「孤児院の成果物バザーの時にイルヴァレーノの刺繍ハンカチが一番人気だって知ってるんだからな。大丈夫だからやれって」

「……」


カインとイルヴァレーノで手分けしてディアーナの衣装に刺繍を施していく。時々壁にかけては一歩引いて全体を眺め、刺繍のバランスを確認していく。

イルヴァレーノは昼になると寮の部屋からこっそりと抜け出し、エルグランダーク家サディス邸へと帰っていく。母エリゼに内緒の取り組みなので、丸一日イルヴァレーノが姿を見せないわけにはいかないからだ。朝の身支度や夜の就寝準備は同性であるサッシャの仕事なので、イルヴァレーノが居なくても問題ないので、サッシャとディアーナでイルヴァレーノの不在をごまかしている状態だ。


二日目の夕方、イルヴァレーノが邸を抜け出してカインの寮室へと侵入すると、カインは椅子に座って衣装への刺繍を続けていた。

イルヴァレーノが朝方に寮室を抜け出して邸に帰る際にカインに挨拶をした時と、全く同じ位置、同じ姿勢で刺繍を続けている。


「カイン様。まさか、朝からずっと続けてるわけじゃないですよね?」

「……。ん? ああ、イルヴァレーノ? もうそんな時間なのか」


心配になってイルヴァレーノが声を掛ければ、時間の経過を今気が付いたかのようにカインが返事をして振り向いた。

目の下にクマができている。綺麗な、いつも余裕の表情を浮かべているカインが、疲れた表情をみせて力なく笑っていた。

イルヴァレーノは眉間にしわを寄せると、カインの手から騎士制服を取り上げ、刺繍針を針山にさして机に置いた。

不思議そうな顔でイルヴァレーノの顔を見上げているカインのわきの下に頭を入れると、手首と腰を掴んでえいやっと持ち上げてそのままベッドに放り投げた。


「なな。なんだ? なにしてんだ、イルヴァレーノ!」

「いいから寝ろ。睡眠不足はいい仕事の敵だって言ったのはカイン様だっただろう」

「そんなこと言ったっけ? でも、時間が無いんだ。建国祭はもうすぐだろ? ディアーナが……」

「三時間ぐらい寝ても、取り戻せる。その間に俺が進めておくから、カイン様はひとまず休め」


そう言って、イルヴァレーノは片手でカインの目をふさいだ。目の前が暗くなったカインは、でもとかだってなどとしばらくは言っていたものの、やがてすぅすぅと寝息を立てて寝始めた。


「おやすみ、カイン様。起きたら一緒にご飯をたべましょう」


そう言って手を引っ込めたイルヴァレーノは、制服と刺繍針を手に取って椅子に座ると、図面と向き合いながらカインの続きで刺繍を刺し始めた。


朝方、イルヴァレーノはぐっすり寝ていたカインを起こし、自分の刺した分の刺繍のチェックが終わると窓から邸へと帰っていった。

両袖と上着のすそはほぼ終わり、詰襟の部分に細かい刺繍を施していく。

カインには詰襟には学生服のイメージがあったので、校章と学年章があるあたりに大き目の青い石を縫い付けた。宝石というほど高価なものでもないが、カットが美しく色がきれいな石だった。

全体のバランスを見ようと、騎士服を壁にかけて距離を開けて全体を眺める。急いでいるが、丁寧な仕事を心掛けていたので出来はまずまずと言ってよいだろう。

一晩徹夜したが、翌晩はイルヴァレーノのおかげでしっかり寝たので今のところ体調は良い。この調子でいけば、明日の朝までには完成しそうだとカインは満足げに一人で頷いていた。


「はげんでおるか?」


建国祭が終わるまでは寮に帰ってこないと思っていたジュリアンが部屋に顔を出してきた。手には大きな塊肉をはさんだ丸パンのサンドイッチの載った皿を持っている。


「まったく部屋から出てこぬと、皆が心配しておったぞ。やりたいことがあって授業を休むのは構わぬが、食堂にぐらい顔をだすようにせよ。腹が減っては何とやらというではないか」

「お気遣い痛み入ります。あとちょっとなので、終われば顔をだしますよ」


ジュリアンはカインの机の上に作業中の物が置いていないのを確認すると、パンの載った皿をその上に置いた。続いて部屋に入ってきたハッセがお茶の入った水差しをパンの隣に置いてくれる。


「この後、城に行くから今夜も部屋には戻らぬ。無理せぬようにな、カイン」

「ありがとうございます。大丈夫ですよ、若いですから」


カインの言葉に、ジュリアンとハッセは眉尻を下げて複雑な顔をした。アラサーの記憶が残るカインにとっては、まだまだ全然元気だと本気で思っている。一徹ぐらいだと全然元気いっぱいだし、細かい刺繍をするのにずっと手元を見ているのに目がかすまない。やったぜ十代! ぐらい思っているのだが、傍から見るとクマができたりぼんやりしていたりと、心配になるらしい。


「おお。これが、あの時のディアーナ嬢の騎士制服か? だいぶ印象が変わっているではないか」

「ふごごひょー?」

「いや……。え? これ、カインが刺繍したのか?」

「ふごへふへほ」

「カイン様、無理にお返事なさらなくてもけっこうですよ?」


カインがちゃんと食事をするのを見届けてから城へと帰るつもりなのか、ジュリアンはカインが肉が挟まっているパンを手に取るまで部屋に居座って周りを見渡していた。そして、バランスチェックの為に壁にかけて置いた制服を見つけたのだ。

上着の袖から肘へと上がっていく細やかな蔦模様とつぼみ、合間合間に入れられているビーズと流水紋のような波の意匠。途中途中で糸の色を変えてグラデーションになっている。

すそから腰に掛けても同じような意匠で統一感を出しつつ、星や月やウサギなどがところどころ見え隠れしていて遊び心あるデザインになっている。

プロのお針子職人としっかり見比べてしまえばやはり粗は見つかるかもしれないが、それでも立派な出来だった。


「すごいな……。いや、というか、カインは公爵家の嫡男であったよな」

「へぇ」

「なんで、刺繍などできるのだ。魔法ができて剣技もできて料理もできて刺繍もできるとか、もはや貴族令息ではないだろう」


もぐもぐと、パンと肉を食べながらジュリアンの感嘆に適当な返事をするカイン。先ほどハッセから返事をしなくてもいいと言われたので相槌だけ打っている。

カインがサンドイッチを食べ終わり、お茶を飲んで一息ついたところでハッセが空いた皿を重ねて持ち上げた。

一階にある食堂に片づけつつ、そのまま城に帰るようだった。ドアからでる前で立ち止まり、振り向いたジュリアンがカインの顔をまっすぐに見つめてきた。


「なぜ、そこまで色々できる? 公爵家の嫡男であれば、やらなくても良い事ばかりだろう」


苦笑いのような顔で、ジュリアンがそんな言葉を投げてきた。タオルで手を拭っていたカインは、いったん壁にかかった騎士制服を見て、それからジュリアンに顔を向けて破顔した。


「ディアーナを幸せにするためなら、私はなんだってやりますよ」


自信満々に、そして幸せそうに笑ってそういうカインに対して、ジュリアンは肩をすくめると片手を振って部屋から出て行ったのだった。

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