ジャンルーカとお手紙

討伐訓練中に起きた事件に対する聞き取り調査も終わり、日常が戻ってきて初めての休息日。

カインはサイリユウムの王宮へとやってきていた。

ジャンルーカの家庭教師の為である。


「《こんにちは、カイン。今日もよろしくおねがいします》」

「《こんにちは、ジャンルーカ様。こちらこそよろしくおねがいします》」


図書室で、向かい合わせに座ってお互いに挨拶をする。頭を上げて目が合ったことで、お互いにふふっと声を上げて小さく笑った。


「ジャンルーカ様、とても綺麗なリムートブレイク語ですね」

「はいっ。がんばって練習しました」


カインに褒められて、ジャンルーカはニッコニコである。

カインの家庭教師は、夏休み明けから始めたばかりなのでまだ放課後に数回ほどしかやっていない。前回の休息日は討伐訓練の準備に充てられたので家庭教師はお休みになっていた。


リムートブレイク語で書かれた絵本も、キールズから『吟味中』との返事がきたばかりで物は届いていない。

一番最初に用意した教科書で勉強しているので、今のところは単語を覚える事と簡単な挨拶を繰り返し発話練習するといった学習をしている。


「絵本がまだ届かないのですが、教科書の例文は味気ないものが多いですからね。今日は秘密兵器を持ってきました」

「え!? なんだろう?」


カインはカバンから革でできた書類入れを取り出すと、中から4通の封筒を取り出した。


「私の家族から、ジャンルーカ様あてのお手紙です!」

「えぇ!?」


カインは手紙を机の上に置くと、向かいに座るジャンルーカへとスッと押し出した。

恐る恐る手にとって、封筒の表と裏をくるくると回しながらリムートブレイク語で書かれた自分の名前と、差出人の名前をじっくりと見ている。


「えぇと、え・る・ぜ」

「それは、エリゼですね。母ですよ」

「エリゼ様。お美しい字ですね」

「実は、母はサイリユウム語もできるらしいんです。今回は勉強の為なのでリムートブレイク語で書いてもらいました」

「さすがカインのお母上だね」


ジャンルーカがふふふと笑って、次の封筒を手に取る。元気よくのびのびとした字でジャンルーカ様と書いてある。


「ディアン……あぁ、ディアーナ。ディアーナ嬢。あれ?カイン、いいの?」


差出人にディアーナと書いてあるのをみて、ジャンルーカが恐る恐るという顔でカインを見上げてきた。カインは片方の眉をくいっと上げて首を傾げた。


「いいの? とは?」

「兄上に聞きましたよ。ディアーナ嬢に婚約を申し込んだのがバレて、カインが激怒して首を絞められて放り投げられたって。ディアーナ嬢はカインの秘蔵っ子なのでしょう? 僕がお手紙を貰ってもいいの?」

「ああ」


襟首をつかんで持ち上げはしたが首を絞めた覚えはないなと思いつつ、カインは納得したように一つ頷いた。手元の書類入れをとじて隣の開いている椅子の上によけると、肘をついて手を組みその上にあごをのせた。


「かわいいかわいい妹なので、隠しておきたかったのは本当です。でも、バレたからには仕方がないので、可愛らしくて愛らしくて可愛らしいディアーナを自慢することにしたんです。ジャンルーカ様とは同じ歳ですし、言葉の使い方やよく使う単語が近いのではないかと思うんですよ」

「可愛らしくて愛らしくて可愛らしい……」


カインが望むのは、ディアーナが悪役令嬢として破滅する未来を回避することだ。

ジャンルーカが事前にディアーナと仲良くなっておく事で、リムートブレイク留学後の婚約の打診を問答無用でジュリアンにスルーパスするような事がなくなれば良いと考えたのだ。

今のところ、カインとかかわっている範囲ではジャンルーカは素直で良い子だと思う。少し控えめというよりは自信のなさが気になるが、普段から尊大な態度の兄を見ていればそうなっても仕方がないのかとも納得してしまう。

人間、恋愛感情としての愛がなかったとしても友情などの情がある相手にはそうそう非情になれないものである。という考えにより、カインはディアーナとジャンルーカに手紙のやり取りをさせようと考えたのだ。もちろん、ディアーナだけでなく他の人とも文通させることでディアーナ分を薄めようという魂胆はある。


「こちらは、私の侍従からです。リムートブレイクの街の様子や市井の人々の暮らしなどを知るのにちょうど良いと思いますから、気になることがあったらお返事で質問してみてください」

「え!? お返事を書いていいの?」

「もちろん。リムートブレイク語の勉強なのですから、ジャンルーカ様も書かないと意味がありませんよ」

「えっと、イラヴェ……イルヴァルエノ」

「イルヴァレーノ、です。第二王子であるジャンルーカ様とは身分差があるんですが、勉強の一環ということでお許しくださいね」

「もちろん! 僕も、がんばってお返事書くね」


カインの前世の知識として、外国語の勉強の一環として外国人と文通をするという手段がある。一時期流行にもなっていて、中高生の頃に雑誌の海外ペンパル募集コーナーを利用して文通を始めた友人が何人かいた。手紙の他にもお互いの国のお菓子を送りあったり、いつかお互い遊びに行きたいねといったやり取りをしていると楽しそうにしていたが、相手が彼氏ができたので文通をやめたいと言われて終わったと泣いていたのもついでに思い出してしまった。


とにかく、教科書にある「これはペンです」「あれは山です」といった文字をなぞったり発音したりするよりは、日常会話に近い手紙のやり取りをする方が上達が早いのは確かだろう。

最初はカイン宛に届いた手紙を参考資料として見せる事も考えたが、ディアーナが自分あてに送った手紙を勝手に人に見せるのは失礼であるし、何より自分あてのディアーナの言葉を他人に見せるのは嫌だった。

ディアーナがカインに向けて送った言葉は、カインだけの宝物だ。


「えっと、最後の一通は……カインだ!」


四通のウチ、最後の一通を手に取って差出人を見たジャンルーカはニパーっと顔を明るくした。カインの名前は三文字しかなく単純で覚えやすいので、ジャンルーカは最初の授業で覚えてしまっていた。


「リムートブレイクとの手紙のやり取りは時間がかかりますからね。私とのお手紙のやりとりなら回数もこなせます。ジュリアン様の弱点などを書いてくれると嬉しいです」

「うふふっ。兄上の弱点など書いたら怒られてしまいます」

「内緒にしますから」

「ふふふふー」


手紙のやり取りができる、という事がどうもうれしいらしいジャンルーカはとてもご機嫌だった。いつにもましてニコニコとしている。まだ封を開けていない手紙を四つ並べて、どれから開けようかなとワクワクしながら順番に指をさしている。



「申し訳ないのですが、勉強の一環なので貰う手紙も差し出す手紙も一度私にチェックさせてください。もらった手紙をちゃんと正しく読めているか、差し出す手紙が問題ない内容になっているかを確認しますから」

「それは、仕方がないね。でもそうすると、ディアーナ嬢やイルヴァレーノにカインの弱点を聞くことができないね」


えへへ、と笑いながらジャンルーカがカインの冗談を冗談で返してきた。

出会ったばかりの、遷都予定地視察の頃のジャンルーカに比べたらだいぶ打ち解けてきたものだとカインも嬉しくなってきた。

アルンディラーノとディアーナは、今は良好な友人関係になっている。刺繍の会で顔を合わせるたびに、カインをはさんで喧嘩をすることもあったが他の刺繍の会参加者の子ども達と仲良くしている姿はほほえましかった。

夏休みの領地でも、一緒に子守をしたり遊んだりしていたので仲は悪くない。

ジャンルーカも、ディアーナと良好な関係を築くことができれば好色な兄への第二夫人に推薦という無体を働かない可能性は高くなりそうだ。


(まぁ、そもそもジュリアンを絞めておいたので、そうそうディアーナを嫁に取ろうとは思わないだろうけど)


ジャンルーカは、まずは母エリゼの手紙から開くことにしたようだ。辞書を手元に置き、丁寧に封蝋をナイフではがしていく。


「ではジャンルーカ様、私は少し自分の勉強をさせていただきますね。手紙を読んでわからない言葉や言い回しがあればメモに書いておいてください。後でまとめて解説します。でも、前後を読むとなんとなくわかる事もあると思いますから、まずは通して読んでみてくださいね」

「わかった!」


カインは、ジャンルーカのリムートブレイク語の家庭教師を引き受けるときに、図書室の本の閲覧許可も得ている。空き時間にスキップの為の自分の勉強をしても良いとも言われているのだ。

ジャンルーカが手紙を読むのに集中できるように、本棚をはさんだ別の机に移動するとカインはカバンから自分の勉強道具を取り出した。

三年生の歴史の教科書である。花祭り休暇でご飯を作った関係で貰ったお古の教科書である。年号を覚えるためのごろ合わせや、記載内容に関連する別地域の事件についてのメモなどが書き込まれていた。


家庭教師を始めたばかりの時に目をつけていた『サイリユウム王国遷都の歴史』という本を手にとり、教科書と並べて開く。

サイリユウムは、百年ごとに王都を遷都するという特殊な風習があるためにその歴史も特殊である。

例えば、花祭りという農地の種まきを支援するための休日も、王都のある場所によってその期間や内容が異なっているらしい。北の方に王都がある場合は花祭りが早く、南の方に王都がある場合は花祭りが遅い。農業が主要産業の領地が遠い時は花祭り休暇は長くなり、農業地域に近い場合は休暇は短い、などである。

王都に残る貴族が少なかった時代は貴族による市民への振る舞いイベントはなくなっていたり、食事を振舞うのではなく花を配っていた時代もある。

それらの歴史について『その時王都がどこにあったのか』も考慮して覚えないと意味がないのだ。


先輩のありがたい書き込みを追いかけながら、別の資料なども見つつ歴史の流れを頭に叩き込んでいたカイン。

不意に、図書館に「パシン」と乾いた音が響いて顔を上げた。


この図書室には、カインとジャンルーカ以外いないはずである。勉強中はなるべく人を通さないとジュリアンも言っていたし、入り口の外には騎士も一人立っていた。

何かあったのかと席を立ち本棚を回り込んで元のテーブルを覗き込むと、ジャンルーカの前に二人の女の子が立っていた。

ジャンルーカがほっぺたを手で押さえ、おびえたような抗議するような顔で背の高い方の女の子をにらみつけているところだった。

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