遅れてやってくるのはヒーロー?

呪文完成直前に、カインは風の結界から飛び出す。


「氷縛!」


呪文完成と同時に思い切り手を振り抜き、魔力の冷気を狼に投げつけた。カインは狼が凍る様子を見守ることなく体を捻ると横方向へと全力で駆ける。

背後でピキピキと氷が出来上がっていく音を聞きながら、もう一度手を前に出して呪文を唱え始める。


「風と水よ、わが手の前に合わさり氷となれ……」

「うらぁっ!」

「やぁっ!」


バキンっガキンっと、アドレイニアとジュリアンが凍った狼に切りかかっている音が聞こえる。

カインはかたまって立っている狼の視界から一度消えるように、大きめの木の裏をぐるりと回り、横手に出ると大きく腕を振った。


「氷縛!」


ジュリアンたちに襲われている仲間に気を取られていた狼は避けられずにカインの魔法を浴び、足元からパキパキと凍っていく。

そこで、カインの存在に気がついた他の狼が体の向きを変え唸りをあげた。


「やべっ」


全力疾走していたカインは急に止まれず、凍りかけの狼の目の前で一瞬踏鞴を踏む。足と腹まで凍っていた狼だが、首と口はまだ自由である。カインに向かって大きく首を振るとその大きな口で噛みつこうとしてきた。カインは横方向へ転がってギリギリで牙をかわすと、手を突いて立ち上がりまた走り出す。


アドレイニアとジュリアンは、まだ一匹目の狼にかかりきりだ。

狼の毛が堅くて剣が通りにくい上、足止めと魔力節約のために動きを止められる程に凍らせているため、自由にうごく首を振り牙で噛みついてくるのを避けながらの攻撃になっているためだ。


一旦距離をとるためにカインは全力で逃げる。

凍って動けない狼の体を飛び越えて残り二匹がカインを追いかけてきた。

いくらカインが攻略対象者で有能、その上毎日のランニングを怠らない努力家だったところで、二本足で走る動物は四本足で走る動物にはかなわない。

森の中であることを利用して、カインはジグザグに走った。

細い木、太い木を腕や手でつかんで遠心力で方向転換をしながら走っていく。シルリィレーア達が残っている風の結界から離れすぎないように、しかしジュリアンとアドレイニアの邪魔にならないように。


「風とみずぶべっ」


呪文を唱えようとして、舌をかんだ。ひりひりと痛む舌を「べっ」と口からだしながら、走る。


(頑張れ俺! 頑張れ! ゲームだと水系魔法使いのクールお兄さんキャラだっただろ! 現実の俺は火系が得意だけど!! 根性で凍らせろ!)


「風と水よ、わが手の前に合わさり氷となれ……氷縛!」


痛む舌を根性で無視しつつ早口で呪文を唱え、振り向きざまに手を振りぬいた。完全に勘である。

迫っていた二匹の狼、両方に満遍なく魔法がかかったが集中しきれていなかったせいか氷が薄い。

一瞬立ち止まった物の、首をぶんぶんと振り、体をゆすっている狼は体が動くところから順次ぱりぱりと氷がはげ落ちて行ってしまう。

それでもその間にカインは走り、距離を取りつつ次こそしっかり当てるぞとぐっとこぶしを握りながら手を前に出す。


「カイン様~! こっち!」


呼ばれた声にふと前をみると、風の結界のなかでジェラトーニとシルリィレーア、ユールフィリスが大きく手を振っている。こっちにこいと手招きをしているように見える。

一度外に出たカインは、結界の中には入れない。それは狼も同じで、ぶつかれば弾かれるし下手すれば鋭い風に皮膚を削られる。

直前で方向転換をしてあえて結界にぶつける作戦かと思いつき、カインは結界に向ってまっすぐに走った。

後ろからは、身にまとわりついた氷をはがした狼がまた追いかけてきていた。

あと少しで風の結界というところで、ジェラトーニと少女二人が大きく左方向に腕を向けながらしゃがみこんだ。

しゃがんだ三人の後ろには、限界まで弓を引き絞ったアルゥアラットとディンディラナが立っていた。意図を理解したカインは、三人が腕を向けている左方向へと思いきり飛びのいた。


目の前のカインをまっすぐに追いかけていた狼には、アルゥアラットやディンディラナはカインの影となって見えていなかった。カインが飛びのき、立って手を振っていた三人が小さくしゃがんだ事で二人の射線はクリアになった。


「まっすぐこっちに向ってくるヤツだったら、狙いやすいって思ったぜ」

「こんだけ近けりゃ的もでかいんだ、外した方がはずかしいよ」


二人同時に勝手を離す。結界の中から外に出るのには何の制限もない。

勢いよく飛び出した矢は、前を走っていた狼の左目と喉に深々と刺さったのだった。狼は、カインが最初に首を切りつけた狼だった。

矢を撃ち込まれた狼はその場でもんどりうって前足で顔を掻き、矢を抜こうとするが引っかかるばかりで余計に矢が刺さっていく。

自分の痛みに夢中で、カインを追いかける余裕はもうなかった。


最後の一匹が、一度立ち止まり倒れてもがいている仲間を一瞥する。しかしそれも一瞬ですぐに風の結界へと突進し、はじかれた。

その場にいる五人にはなぜか近づけないのだと理解した狼は、周りを見回し、そしてカインを見つけてまた追いかけだした。


カインは風の結界の直前で横っ飛びし、着地の衝撃を減らすためにゴロゴロと前転して勢いのまま立ち上がっていた。服はもう土と草だらけになっている。

何度かの全力疾走からの急な方向転換のせいで足首が痛い。自分が中心になっていない風の結界を維持しつつの氷魔法の上位呪文を連発してだいぶ疲れてきていた。


「くそーっ! ディアーナを幸せにするまで死ぬもんか! 爆ぜろ! 爆裂!」


ジグザグに、距離を稼ぎつつ走ったつもりで、風の結界の周りをぐるりと回ってきたようで視界にジュリアンとアドレイニアが見えた。

一匹目の狼の首はすでに落とされており、二匹目もすでにぐったりとしている。

しかし、後ろから最後の一匹がやってきてしまえば挟み撃ちだ。 体当たりでもされて狼の氷を割られて自由にされても困る。

爆裂魔法なら、カインは短縮詠唱で発動できる。爆風だし木も燃えないでしょ! という疲れた頭で出した結論で、振り向きざまに狼に向けて魔法を放った。


旧魔女の村で放った全力爆裂よりはずっと威力も小さい。カインなりに環境に配慮しつつ密度を上げた魔法だった。

狼はキャインと一声鳴きながら爆風とともに吹き飛ばされたが、中心を外したせいか火事に遠慮して炎成分を少なめにしたせいか、少しの間じたばたしていたもののすぐに立ち上がってきた。

カインが座り込んでいる姿に、もう走れないと思ったのか狼はゆっくりと近づいてくる。


ジュリアンとアドレイニアがもうすぐ二匹目に片を付ける。そうすればこちらの狼に取り掛かってくれるのだから、なんとか足止めをしなければならない。

油断してゆっくりとこちらに向かってくるのだから、魔法を撃つにはちょうど良い。カインは腕を出し、魔法を唱えようとする。

思いきりかんだ舌が痛い。

方向転換するために木をつかんで回転の軸にした時に手のひらに刺さった棘や摩擦で擦りむいた手のひらが痛い。

ひねった足首もずきずきする。


「風と水よ……」

「ジュリアンさまぁああああああああ」


カインが呪文を唱えようとしたとき、遠くからジュリアンを呼ぶ声がした。驚いて思わず呪文を中断し、それでも狼から視線をそらさないように振り向くのを我慢した。


ふっとカインの顔に影が差す。思わずあごを上げて上をみあげると、一人の少年が自分を飛び越えていく姿が目に入った。


「げっ。ハッセ」


誰かの言葉が耳をかすめるが、カインの頭上を飛ぶ少年はそのまま木の枝をつかみ、くるりとその上に身を乗せるとぐっと膝に力を入れて枝を蹴った。


「うおおおおおおお」


雄たけびを上げ、こぶしを握り締める少年。木の枝を蹴った勢いのまま狼に飛んでいき、その鼻っ面を拳でぶん殴った。

狼がマズルを大きく振って少年を振り払おうとするが、その勢いでさらに空中に飛び上がった少年は狼の耳をつかんでひねり上げ、そのままマズルを両腕で抱きしめるように締め上げた。

少年にぐるりと腕で口をつかまれている狼は口があけられず、振り落とそうとブンブンと頭を振るが、少年も振られる勢いを利用して下半身を振り子のように振り、勢いをつけた所で自分の体ごと狼をねじり上げ、投げ飛ばした。



「……うそでしょ」


カインは魔法を唱えるために腕を前に出した体勢のまま、あまりの出来事にぽかんと口をあけて呆気にとられてしまったのだった。

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