学校行事 5

かっこつけてはみたものの、カインはあまり手ごたえを感じていなかった。

カインに切り付けられた狼は、黒い血をぼたぼたと垂らしているがしっかりと四つ足で立っている。カインが剣を抜いた時に、空中でとっさに身をひねって傷を浅くしたようだった。


「バカバカバカーっ! カイン様のバカーっ! 前衛できるんじゃん! 僕怖かったのに! 怖かったのに!」


ジェラトーニが振り向かずに声だけでカインに抗議してきた。ここまで、ジュリアンと並んで立派に魔獣退治をやってきていたジェラトーニだが、自己申告の通り得意ではなかったようだ。


カインは、事前の情報収集で『出てくる魔獣が角ウサギや牙タヌキぐらい』という話を聞いてからすっかり引率気分になっていた。遷都予定地視察の時は魔法だったとはいえ九歳のジャンルーカでも倒せる程度の魔獣なのだ。

ティルノーア先生の『切り札として隠せ』という教えを守ったというのもあるが、中身がアラサーのカインはすっかり親目線で友人たちが頑張る姿を生暖かく見守る立場をとっていた。


「ちゃんと戦えていたよ! ジェラトーニ立派だった!」

「カイン様のバカー!」

「お母様かよ」

「君たち! 集中しないか!」


事態は何も好転していないとはいえ、戦力が増えたからか気安く声を掛け合うカインとジェラトーニだったが、騎士に怒られた。

カインは傷ついた狼から視線を外さないまま、ジェラトーニに改めて声をかけた。


「ジェラトーニ、場所を変わって」

「うん」

「アルゥ、ディン。カインが移動する間弓でそちらの狼をけん制せよ」


カインの意図に気が付いたジュリアンが振り向かずに最後方の二人に声をかけ、カインも狼から目を離さないようにしながらずりずりと移動して行く。

騎士の後ろ、ジュリアンの横まで移動したところで左腕を突き出せば、ジュリアンも無言でその腕にしゃらしゃらとついている魔封じのブレスレットを外した。


「風よ! 我が指先より出でて、皆をまもる壁となれ!」


腕からブレスレットが外れた瞬間に、カインは呪文を唱えて風の壁をつくりだした。

半球状の透明な風の壁が、カインの前に立つ騎士から一番後ろにいるアルゥアラットまでを包み込んだ。


「ひとまず、これで狼には襲われません。たぶん」


狼の強さが未知数の為、思いきり体当たりでもされたらわからないがここまでも狼は笛を吹いたシルリィレーアに襲いかかる以外はじりじりと近づきつつも様子をみているようだったので、風が膜を張っている状態であれば警戒してそうそう近づいては来ないだろうとカインは見ていた。


「……魔法?」

「これが……なんか、うっすら膜が張っているような? これって触っても大丈夫?」


後ろの方でアルゥアラットとディンディラナが感心したような声をあげている。

カインは自分の作り出した風の壁が満遍なく皆をかこっているのかを念のためぐるりと見渡して確認すると、ふぅと息をはいて剣を下ろした。


「風で壁を作っただけなので、魔獣を倒すことはできません。けど、襲われる心配はなくなったので時間稼ぎにはなりますかね」

「助かる。カイン、礼を言う」


皆も、ホッとしたように構えていた武器を下ろすとなんとなくドーム状の風の魔法の真ン中へと集まった。

騎士もぐるりと周りを見渡しつつも一緒に中ほどへと移動してきた。剣は下げているものの握ったままだ。


「私は、王国騎士団王都警備隊第三部隊のアドレイニアです。ジュリアン殿下、ご学友の皆さまお怪我はございませんでしたか」

「私は問題ない。皆はどうだ?」


ジュリアンの声に、皆が大丈夫だとそれぞれに首をふる。

シルリィレーアも口から笛を離し、ゆっくりと頷いていた。お互いの無事を確認すると、騎士が状況について簡単に説明してくれた。


離れた場所からカイン達のグループを見守りつつ歩いていたところに、別のグループに随行していたはずの騎士が狼から逃げて走ってきたという。その騎士も、一緒にいた医師に生徒たちの先導をまかせて狼を引き離すべく駆けていたそうなのだが、途中で追いつかれて負傷。

アドレイニアが引き継いで狼をひきつけ、湖を目指して走ってきたのだがそこにジュリアン達のグループが居たので合流してしまったのだという。

もともと狼に襲われたグループよりもカイン達のグループの方が先行していたため、追い付いてしまった形だ。


「ジュリアン殿下のグループに私と一緒に随行していた医師は、怪我をした騎士を見ております。湖まで行けば、教師たちと一緒にいざという時の為の騎士が何名かいるはずでしたので、そこで迎え撃つ予定でした」

「逃げろと忠告してもらったのに、悪かった。ただ、森の木々が邪魔をして声の出所がわからず逃げる方向に迷ったのだ」

「私も、湖に向って逃げろと明確に指示すべきでした。コダマとなって声が反射する事を想定しておりませんでした」


状況は分かったが、事態は全く変わっていない。

カインが風の魔法で壁を作ったが、狼は相変わらず近くをうろうろしつつこちらの様子をうかがっている。すぐに襲われることはなくなったが、このままでは湖まで逃げることもできない。


「ひとつ、問題があります」


小さく手を挙げて、カインが発言した。

ジュリアンが鷹揚に頷いて続きをうながすと、カインは肩をすくめながら軽い調子でつづけた。


「この風の魔法でできた壁なんですが、とても薄くて内側は穏やかですが外側はすごい勢いで渦巻いています。うすーい竜巻みたいなものだと思ってください。勢いよく風が回っているので魔獣が襲ってきても跳ね返されるか削れます。……ただ、そういった仕組みなので笛の音が遠くまで響きません」

「……つまり、助けを呼ぶ笛の音が湖の教師たちや救出に向かっているであろう騎士たちに届かぬということであるか?」

「そういう事ですね。すでに吹いていた音が聞こえていれば、こちらには向かっているかもしれませんが、笛の音が途切れればこの場所を特定するのが難しい可能性はあります」


防音魔法ほどではないが、風で壁を作っているのだから音も外へは伝わりにくくなる。壁のすぐ外側にいる人との会話には問題ないが、遠くまで音を響かせるのは難しいと思われた。

とにかく笛を鳴らし続け、ここにいるよと訴え続ける事で助けが来るから時間稼ぎをしようとしていたわけで、結界を張ったことで楽に時間を稼げるようになったところで救援要請ができないのであればあまり意味はない。


「しかし。もともと襲われていたグループの生徒と引きつれていた医師、もしくは怪我をした騎士とそれを連れて行った医師が湖に到着できれば救援が来る可能性はあります」

「でも、アドレイニア殿が私たちと合流したということは先生たちには伝わらないのですよね。非常事態の笛の音が聞こえなければ、アドレイニア殿が狼を連れてくるのを湖で待つのではないでしょうか」


別グループの騎士が生徒たちから引き離すために引き付けていた狼たちを、アドレイニアが引き受けたのは一人では対処できない数を湖で待機している騎士たちと合流して倒すためだ。

そのつもりで逃げた生徒と医師、そして怪我をした騎士は準備万端で狼が来るのを待ち構えている可能性は高い。

逃げそびれた生徒と合流して足止めを食らっていると気づいてもらうには、やはり笛を吹き続けるしかないが、それをするためには風の結界を解かなければならない。


「この風の壁の天井に、わずかばかり穴を開けるということはできぬのか?」

「一週間ぐらい練習させてもらえれば、できるかもしれませんが……」

「お腹空いて死んでしまうよ……」


カインとしても、じっとここで待つのは良い案だとは思っていない。昨日の夜と違ってテントを張って肉を焼いてワイワイと楽しく過ごせるわけではなく、この広くもない風の壁の中でじっと待つというのはどう考えたってつらい。

湖で待つ教師と騎士も、アドレイニアがなかなか来なければ何かあったかと森への探索に方針を切り替えるかもしれないし、ジュリアングループが戻ってこなければルートを逆にたどってきてくれるかもしれない。

なにせ、第一王子であるジュリアンがいるグループなのだから、威信をかけて救出にやってきてくれるだろう。しかし、それがいつになるのかわからない。


一度作り上げた風の結界を維持するだけならさほど魔力は消費しないが、無限に湧き出るものでもない。魔力切れをおこせば意識が飛んでしまうし、その間に騎士やジュリアン達がやられてしまえばカインだってなすすべもなく魔獣のごはんになってしまう。

二泊三日の魔獣討伐訓練キャンプ、林間学校だやったーと気軽に引率気分で参加し、ディアーナへの手紙に書くことが沢山あるなとウキウキしていたのがウソのようだ。

このまま魔力切れまで待ち続け、ディアーナに会えないまま死んでしまうなんて考えられない!


「倒しましょう」

「は?」

「もう、私たちで魔獣倒しましょう」


カインは真顔で言い放った。

四つ足状態で自分の背丈ほどもある大きな狼の魔獣。ほぼ不意打ちで切りかかったのに空中で体をねじり致命傷を避ける程度に知能のある獣。それが複数いるが、そんなのは関係ない。


「まてまてまて。カイン。魔女の森の時とは状況が違うのだぞ? あの時は背後に騎士が一部隊いたのだ。実際、カインの魔法で打ち漏らしがあったものを騎士らが倒しておるのだ。あの時よりは数が少ないとはいえ、戦力が足りておらぬ。カインが魔法を撃ち、気絶してしまえば風の壁がなくなるであろう? 危険なかけには出られぬ。シルリィレーアもユールフィリスもここにはおるのだ。無茶はするでない」


ジュリアンが慌ててカインの袖をつかむが、カインはつかまれたまま振りほどかない。まっすぐに、狼が居るあたりをにらみつけ、口角をあげてにやりとわらう。


「あの時は、思いっきり魔法を撃ってみたくて撃ったから気絶したんです。私はちゃんと加減できますし、魔法だけで倒そうとは考えていません」

「しかし」

「何か手があるのか? 君は何者なのだ?」

「私は、隣国リムートブレイクからの留学生です。……魔法使いがどれだけ便利かって事をみせてやりますよ」


アドレイニアに聞かれ、カインは自分の出自を答えた。サイリユウムでは魔力を持って生まれてもずっと魔封じのブレスレットをつけて生きていく。魔力を持っていても使い方を学ばなければちゃんとした魔法は使えるものではない。

リムートブレイクから来た、それだけで説明は十分だった。

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