王兄殿下
アイスティアの領主邸へと到着したその翌朝。
布団に入って寝た時間は遅かったものの、カインはいつもどおりの時間に目が覚めた。
「習慣って怖ぁ……。早く起きすぎだよなぁ」
流石に、客人として滞在している邸で早朝ランニングをするほど図々しくもないカインは、客室の中でストレッチをする程度にしておいた。
文机の縁に手を付いて斜め腕立て伏せをしたり、靴を履くための足置き台で階段昇降運動をしてみたりして軽めに汗をかいた。
窓の外、日の高さを確認してそろそろ朝食の呼び出しがある頃かなと思ったカインは隣接する浴室で簡単に体を拭いて着替えようとした。
「おはようございますお客様! 朝のお支度をさせていただきに参りました!」
カインが浴室のドアを開けようとしたところで、メイドが三人ぞろぞろと部屋の中へと入ってきた。驚いて目を丸くしているカインに構わず、どんどんと近づいてくるとにこやかな笑顔でカインの服を脱がしにかかってきた。
カインは、忘れていた。自分がこの国の筆頭公爵家の跡取り息子だということを。
ずっと自分の身の回りの世話をしていたイルヴァレーノに対しては、必要最低限の世話だけをさせていた。貴族の世話の練習だからといって洗顔の用意や下着を含めた着替えの手伝いまでを一度だけやらせたが、その後は最後に上着を着せてもらうのと髪の毛を整えるぐらいしかイルヴァレーノにはさせていない。
カイン自身が他人に着替えの手伝いをしてもらうのが恥ずかしいというのもあったし、魔法が使えるようになってからは、魔法で水を出したり湯を沸かしたり、色々と自分でやったほうが早いからだ。
今年に入って留学してからは、寮暮らしなので全部自分でやっている。同室であるジュリアンもそうなので、すっかり忘れていたのだ。
高位貴族というものが、どれだけ身支度を人にさせる生き物であったのかを。そして、無理やり思い出させられてしまったのだ。
メイドのおばちゃんたちに、パンツまで脱がされて汗を拭かれ、顔を洗われ、靴下からアスコットタイまで全部を着付けされてしまった。
「はい、腕をあげてください」
「座ってください、足をお預かりしますね」
「今度はお立ちください。手を横に開いてくださいますか」
などなど、言われるがままに動いて居るうちにきっちりと貴族少年らしい姿に仕上がっていた。髪は三つ編みにせずにゆったりと一つに結ばれ、大きなレースのリボンを付けられた。
移動は最低限で、と言われてイルヴァレーノとサッシャは今回お留守番となっているのだが、こんなことなら無理を言って連れてくればよかったと思った。
カインは、ひさびさの貴族らしいおまかせ着替えを体験し、朝からぐったりと疲れてしまったのだった。
食堂へご案内しますと言うメイドについて廊下へ出れば、隣の部屋で休んでいたディアーナもちょうど部屋から出てくるところだった。
「お兄様! おはようございます」
「ディアーナ、おはよう。今日も可愛いね」
二人で手をつなぎ、メイドに続いて食堂へと行けば、王妃殿下や王兄殿下、アルンディラーノと言った王族以外のメンバーは既に席に着いていた。
と言っても、昨日迎えにきていた騎士のウチの一人でマクシミリアンの兄|(らしい)人物とマクシミリアン、リベルティとおくるみに包まれたティアニアが居るだけである。
「おはよう、リベルティ嬢。よく眠れましたか?」
「おはようございます、カイン様。ええ、昨日はティアも夜泣きせず寝てくれましたので、ぐっすり寝ることができました」
「おはよう、ティアニア様〜」
カインとリベルティが挨拶をしている間に、ディアーナがティアニアのほっぺをツンツンしながらおくるみの中へと語りかけていた。
カインは騎士の方へと顔をむけると、そちらにも朝の挨拶をした。
「おはようございます。昨日はありがとうございました」
「おはようございます。昨日は簡単なご挨拶のみで失礼いたしました。私はサージェスタ侯爵家のビリアニアと申します。そこにいる、マクシミリアンの上の兄に当たります。この度は愚弟がご迷惑をおかけした上、寛大なご処置を頂いたとか。謝罪をするとともに、感謝いたします。本当に申し訳ございませんでした。ありがとうございます」
ビリアニアは椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。腰からまっすぐ九十度、額がテーブルに付きそうになっている。
「判断したのは、王妃殿下と父であるエルグランダーク公爵です。ビリアニア殿の謝罪は父に伝えておきます。どうか、頭をお上げください」
カインの言葉をもって、ビリアニアは頭をあげて困ったような顔をした。カインとしても、マクシミリアンのやらかしをカインに謝られても許すも許さないも出来るわけではない。マクシミリアンのしでかしたことは城への不法侵入とリベルティの誘拐未遂であり、カインが害されたわけではないのだから。
カインがちらりとリベルティの方へと視線をなげれば、リベルティはニコリと笑って一つうなずいた。ビリアニアは既にリベルティには謝罪を済ませているようだった。
お互いに、若干の気まずさを残しつつも椅子に座ってまっていると、やがて王妃殿下をエスコートした王兄殿下が食堂へとやってきた。その後ろからアルンディラーノもぴょこりと顔をだしている。
円卓なので、どこが上座ということもないのだが王妃殿下と王兄殿下は窓とドアから一番遠い椅子へと案内されていた。警備上の問題だろうかとカインはその様子を黙ってみていたのだが、小さくスキップしながらやってきたアルンディラーノは母である王妃殿下から離れてカインの隣の席へと自分で座っていた。
「おはようございます、アル殿下」
「おはよう、カイン。おはよう、ディアーナ」
「おはようございます。アル殿下」
挨拶を交わし終わる頃には各人の前にスープ皿が置かれ、パンとサラダも並べられていた。
「昨夜は遅い到着ではあったが、ゆっくり休めただろうか?」
王兄殿下が、ゆっくりと一同を見渡してそう口を開いた。
昨夜は夜遅くに到着し、玄関の明かりも落とされた後の到着だった。そのためあまりはっきりとは見えなかったのだが、王兄殿下の髪は朝日にキラキラと輝く銀色で、瞳は透き通るような紫色だった。
目尻に鳥の足跡のようなシワと、頬には笑いジワ、眉毛は目尻側が伸びて目に掛かりそうになっている。目は、少しまぶたが重そうにかかっている。見た目は孫でもいそうな老人のようにみえた。
アルンディラーノの父親である国王陛下の兄というには、歳を取りすぎているのではないかとカインは感じたのだった。
(年齢差、男女差はあるものの、やはり明るいところで見るとますます色合いはリベルティにそっくりだ)
王兄は優しくゆったりとした笑顔を作るとゆったりと順番に一人ずつの顔を見ていった。カインも、ディアーナも、目が合うと座ったままに頭を下げて自己紹介をした。
「おはようございます。エルグランダーク公爵家長男の、カイン・エルグランダークです。お目にかかれて光栄でございます。昨晩は簡単な挨拶で失礼をいたしました」
「おはようございます。エルグランダーク公爵家長女、ディアーナ・エルグランダークです。おめもじ叶いまして恐悦至極でございます」
「ディスマイヤとエリゼの子だね、とても良く似ている。二人の良いとこどりをしたのだね、とてもかわいらしい顔をしているね」
続けて、マクシミリアンとリベルティも挨拶と自己紹介をし、それぞれに王兄殿下が声を掛けたところでまずは食事を始めようということになった。
テーブルの上に並べられていた朝食たちがなくなり、食器が片付けられていくと、入れ替わりでティーカップがそれぞれの前に置かれ、お茶が注がれていく。
お茶が行き渡ったところで王兄殿下が片手をあげれば、給仕をしていた使用人たちがすべて食堂から出ていった。
改めて背筋を伸ばした王兄殿下は、この場で一番小さな二人。ディアーナとアルンディラーノを優しげに見つめた。
「これから話すことは、王家の恥とも言える話なのだ。ここだけの話、他言無用、口外法度だよ。大丈夫かな?」
優しく、しかし力強く低い声でそう語りかけられた二人は、精一杯の真面目な顔を作ってゆっくりと頷いた。
「いい子だね。少し長い話になる。楽な姿勢で座っておいで」
そういって王兄殿下はティーカップをゆっくりと持ち上げ、一口含んでゆっくりと飲み込んだ。
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