アイスティア領

ネルグランディ領からアイスティア領は、本来なら馬車で二日の距離がある。


午前中ゆっくり目に出発し、日が暮れる前に宿場町に到着して一泊、翌日ゆったりと朝食を取ってから出発し、日が暮れる前に到着する。という貴族的な日程で二日の距離なので、早朝に出て馬車の中で朝食を食べ、宿場町で昼食取りつつ休憩し、日が暮れて深夜近くになってから到着する、という事であれば当日到着は十分に可能なのである。


「とはいえ、ネルグランディ領とアイスティア領の間にある領地は、今は治安が悪い」


ディスマイヤはそう言って、ネルグランディ領騎士団から二名護衛としてついていくように命じた。アルノルディアとヴィヴィラディアである。


「いやぁ。もともと、王妃殿下がお連れになった近衛騎士がいますしねぇ。隣の土地出身ってことで、土地勘がちょっとだけあるってだけなんで、お役に立てるかわかりませんがよろしくおねがいします」

「ご期待に添えるよう、精一杯がんばります」


王妃殿下の前に跪き、アルノルディアとヴィヴィラディアがそう挨拶をして


「期待していますよ。励みなさい」


と王妃殿下が激励をするという簡単なやり取りで叙任式を済ませると早速出発することになった。最新式のディアーナの白い馬車の下に潜り込んで興奮していたアルンディラーノを引っ張り出し、馬車へ突っ込むと朝日がようやく昇り始めた道を進んでいった。


馬車の中では、ティルノーアに叩き込まれた「馬車の振動を赤ん坊の籠ベッドに伝えない魔法」や「人の会話などのさざめきは適度に通しつつ馬のいななきなどは通さない絶妙な防音魔法」「馬車内を適度な温度に保つ魔法」などをカインとマクシミリアンで手分けして展開していた。


ネルグランディ領を抜け、隣領へと入ると途端に道が悪くなった。カインやディアーナ、アルンディラーノが尻が痛いと顔をしかめる中、王妃殿下は顔色一つ変えずにゆったりと座っていた。

貴族淑女の鑑である。

魔法に守られたティアニアは、早朝出発ということもあってすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。


普段は金持ちそうな馬車に乗っていれば盗賊に襲われることもあるということであったが、ディアーナの馬車と王妃殿下の馬車が連なって走る割には周りを騎士が固めていたせいか、領を抜けるまで襲われることはなかった。


アイスティア領に入ると、紫色の騎士服を着た騎士二人が待っていた。


「お迎えに上がりました。アイスティアは隣領より治安は良いですが、もう日が暮れています。道案内もかねて護衛を仰せつかっております」

「王国の近衛騎士とご一緒できて感激です。よろしくお願いします」


すでに日が暮れ、夏とはいえ気温が下がってきている事もあり窓越しでの簡単な挨拶だけすませて、馬車は再出発した。

迎えの騎士のうちひとりが、ニヤリと笑いながら馬車の中へと手を振ってから踵を返し、一行の先頭へと去っていった。


カインは「ディアーナが可愛いから手を振ったんだろう」と思ったのだが、視線を馬車の中に戻すとマクシミリアンが憮然とした顔をしていた。


「もしかして、今の騎士がサージェスタ次期侯爵?」


サージェスタ侯爵家の長兄は、王兄が治めるアイスティアの領主代理をしているという話だったはずだ。この土地に居ることはまちがいないが、騎士服をきて迎えに来るという行動は意外だった。

マクシミリアンは特に答えず、プイッと反対側の窓の外へ顔をむけてしまった。


アイスティアの領主の舘はネルグランディの城に比べると小さいが、貴族の邸だと思えば大きい建物だった。王妃殿下とアルンディラーノという王族の来訪ではあったが、深夜の到着であるために事前に通達されていたのか、邸の前での出迎えはなかった。

騎士二人が玄関を開け、一行を屋内へと案内するとそこに領主である王兄が待っていた。王兄の姿をみて、カインは「あっ」と思った。


ティアニアを王女として育てる時に、リベルティを乳母として側に置いてはどうか、と提案した時に「似すぎているからだめだ」と言われた理由がわかった。

皆を迎えに出てきた王兄殿下が、リベルティにそっくりなのだ。


銀色の真っ直ぐな髪に、アメジストの様な澄んだ紫色の瞳。顔色は青白く不健康そうではあったが、表情は柔らかく穏やかに微笑んでいた。

すでに老域に達している王兄殿下は、顔の作りそのものはリベルティと似ているわけではなかったが、その髪の色と瞳の色はどうしたって血筋が近いことを彷彿とさせてしまうだろう。


「やあ、いらっしゃい。待っていたよ」


王兄殿下は両腕を広げて歓迎の意を表した。王妃殿下が淑女の礼をとり、ニコリとわらって挨拶をした。


「お久しぶりです、お義兄さま。また少し痩せたのではございませんか? 歓迎していただきとても嬉しく思いますが、はやく部屋にもどり体を休めてくださいませ」

「サンディアナ。そうは言うけれど、今日はとても調子が良いのだよ。……そちらの子は、アルンディラーノかい? 大きくなったね。そら、こちらへおいで。顔をよく見せておくれ」

「伯父様?」

「そうだよ、君のお父様の兄だ。生まれてすぐに顔を見せてもらっただけだからね、アルンディラーノからしたらはじめましての気持ちかもしれないね」


アルンディラーノは王兄殿下の前までおずおずと進むと、紳士の礼をとってからシャキッと背筋を伸ばした。

王兄殿下に、節が固くなりシワの深い手でやさしくゆっくりと頭を撫でられて、アルンディラーノは目を細めた。嬉しそうに、大人しく頭を撫でられているアルンディラーノに気を良くした王兄はさらに頭を撫で続けた。


「ごほん。おほん。そろそろ、室内へ案内してくださいませ。お義兄さま。もう、夜も遅いのでお話は明日にいたしましょう」


強行軍でやって来たので、領主邸に到着した今は深夜だ。ディアーナはカインの腕に凭れながらすでにウトウトしているし、リベルティもティアニアを抱きつつも眠そうだ。


「そうだね。連絡を貰っていたから部屋はもう用意されているよ。使用人に案内させるから、今日はもう休みなさい。明日、あらためて色々と話をしよう。……そちらの子や、その腕の赤子についてもね」


王兄殿下の、リベルティを見る目は優しい。

カインの知る王家の歴史でいえば、王兄殿下に子どもはいないはずである。結婚もしていない。そもそもその存在が忘れ去られがちな人物だ。

リベルティかティアニア、どちらかが国王陛下と何らかの血縁関係だと思ってはいたが王兄殿下との血の繋がりが強そうだとカインは思った。


二人のアイスティアの騎士や執事によって手分けして客室へと案内されたカインたちは、強行軍の旅に疲れていたせいか、布団に入った途端にぐっすりと寝てしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る