真実の愛だったかもしれない
ゆりかごの部屋があった離れは、ティルノーアの爆発魔法で窓がふっとんでおり使用不可能になっている。
あの日に避難した、王妃殿下の部屋の近くの部屋にそのまま暮らすことになっていた。
まず、アルンディラーノが小さくドアをノックした。中から「どうぞ」という声が聞こえたので音がしないようにそっとドアを開けて中を覗き込んだ。ドアから首だけを中に入れたアルンディラーノがしばらくキョロキョロと首だけを左右に振っていたが、やがて姿勢を直して皆を振り向いた。
「大丈夫! ティアもサニティも起きてるから入っていいよ!」
にっこりと笑いながらそう言うと、ドアを大きく開いて中へと入っていった。
頭だけを部屋につっこんで、赤ちゃんが起きているかを確認していたようだった。襲撃事件から数日経っているわけだが、部屋が近くなったことでアルンディラーノはちょくちょく赤ん坊部屋を訪ねていたらしい。
カインたちもアルンディラーノに続いて部屋へと入っていく。うっすらと甘いミルクのような香りが部屋に漂っていた。
「ティアー。お兄様だよー」
ゆりかごを一つ覗き込んで、アルンディラーノがニコニコと話しかけていた。もう、赤ん坊の事は怖くないようだ。
ノールデン夫人とリベルティが側で椅子に座ってお茶を飲んでいた。
「あら、お兄ちゃんお姉ちゃんが沢山来たわね。おっぱいも飲み終わったところだから沢山遊んであげてね」
「ふぁ……。キールズ様、コーディリア様。お昼寝してもいいですか」
ノールデン夫人がにこやかに、リベルティは眠そうにそれぞれ入室者達に声をかけた。離れから城へと移ってきて、しかも王妃殿下の部屋も近いということもあって使用人の手が入りやすくなっているらしく、以前よりは楽ができている、とノールデン夫人は言っていた。しかしそれはそれとしてやはりいちばん身近で子どもの面倒を見ている二人はなかなかに睡眠時間が取れていないようで、リベルティはスキあらば寝ようとする。
「あぁ〜。カイン様ぁ〜。お昼寝してもいいですかぁ〜」
睡眠時間が足りていないのはもうひとり居た。防音魔法を部屋にかけ続けているティルノーア先生である。
そうは言っても、赤ん坊二人が寝ている間や機嫌よく乳母と母親に抱っこされている間などに食事をしたり休憩したりはしているのだ。ただ、魔法を生業にしている魔導士団員が辺境の地に来ることもあまりなく、領騎士団にも魔法で戦う魔法使いはいるものの、城の中の些事色々を魔法で解決したりはしてくれないので色々と便利に使われているようだった。
今朝も、魔導士団の入団について説明するために部屋を抜けて食堂にやって来ていた。おそらく授乳時間に抜け出したとかだったのだろう。
「防音ですよね。代わります、代わります。でも、部屋の中にいてくださいね先生」
「ふぃ〜」
カインが引き受ければ、ティルノーア先生はくるくると回ってローブの裾を広げながら部屋の隅に置かれているソファーへと移動して倒れ込んでいた。
「防音? 赤子が健やかに寝るために、静かな環境をつくるためか?」
「赤ん坊の泣き声や笑い声を外に漏らさないためですよ」
マクシミリアンがカインの隣に立ち、ソファーの上でもぞもぞと昼寝をするのに最適な体勢を整えているティルノーア先生を一緒になって眺めていた。
「執務室などは、別棟だろう? 赤子の声が漏れてまずいことがあるのか?」
「今、この城に赤ん坊が居るということそのものを隠しているんですよ。城に居る者たちには既に知られていることですが、出入りの商人や用事でやってくる領民に知られないためです。赤ん坊の声って結構遠くまで聞こえるものですよ」
「なるほど……? なぜ、赤子が居ることを隠しているのだ」
マクシミリアンがカインに次々に質問をしてくる。カインはジト目で隣に立つマクシミリアンを見上げつつ、口をへの字に曲げた。
「赤ん坊がココに居ることが漏れたせいで、誰かさんに襲撃されてしまいました。そういう事がこれ以上無いように、ですよ」
カインの刺々しい言葉に、さすがにマクシミリアンも眉を下げて困った顔をした。ポリポリと頭を掻いたり、ズレてもいないメガネのブリッジを持ち上げて直したりして、動揺が表にでてきていた。
「あれは……。兄上の恋人とその子を連れ帰ろうとしただけで、襲撃したわけでは」
「その兄君にはもう婚約者がいらっしゃるのでしょう? ……もう、奥様なのでしたか」
カインの言葉に、マクシミリアンは俯いた。
「……兄上の幸せを邪魔したいわけではなかったんだ」
ぼそりと小さく呟いた。マクシミリアンは俯いたまま、ちらりと壁の方へと視線を動かした。そこには、ティルノーアが倒れ込んだのとは別のソファーへリベルティが横になり、コーディリアが上からタオルケットを掛けてあげているところだった。
つられてカインもリベルティの昼寝準備を眺めた。
「兄上と彼女は、身分違い故に家族に引き裂かれた。きちんと別れ話をする間もなかったと言っていた」
「そうらしいね」
リベルティはその後公爵家へ使用人として引き取られた。
「……身分違いだから、別れてしまう事は仕方がない。しかし、きちんとけじめを付けられないままでは、昔の恋人に思いが残ってしまうかもしれない。それでは、義姉になる人が可愛そうだ……」
「兄君の醜聞を暴いて、せっかく整った婚姻を壊すために彼女と彼女の子を連れ戻そうとしたのではない、と言いたいんですか」
リベルティがソファーの上で昼寝を始めたのを眺めながら、マクシミリアンの言葉にカインは口をはさむ。
「……その気持も、あった。貴族でなくなることが怖かった。せめて次男であれば、兄の仕事を手伝うという名分で家に残ることも出来ただろうが、三男ではそうも行かないからな。あわよくば、兄が失脚して私に順番が回ってこないだろうか、という期待は無いわけではなかったよ」
マクシミリアンが視線を隣に立つカインに戻した。視線を感じたカインもリベルティから視線をはずして隣に立つ男の顔を見上げた。
「身内の恥を晒すようで申し訳ないけれど、私の二番目の兄はクズなんだ。頭も良いし仕事も優秀だが女性にだらしがない。自分では恋心が多いと言っているし、毎回本気の恋だと言っていたけれど。駆け落ちだって彼女との物が初めてじゃない。身分の低い女性と恋に落ちては駆け落ちし、平民の暮らしが辛いと言っては女性と別れて帰ってくるというのを繰り返していたんだ。なぜだか毎回円満に別れているらしくて『美しい思い出になった』と言って、引きずらない」
マクシミリアンは困ったような顔をして、弱々しい笑顔を無理やり作っていた。
「今回は、違う。円満に別れる前に家のものによって駆け落ちから連れ戻されている。駆け落ちが失敗しているんだよ。このままでは、兄は義姉と結婚しても『駆け落ちが成功していればもっと幸せだったかもしれない』『あちらの方が真実の愛だったかもしれない』と心を残しかねないんだ」
「それで、彼女を連れ戻してちゃんと別れて貰って、『美しい思い出』にしようと?」
「そもそも、醜聞や兄上に瑕疵がある理由での離縁などということになれば、侯爵家の信用や権威は失墜してしまうだろう? 私は貴族でなくなるのが怖いと言ったけれどもね、貴族であれば没落貴族でも良いというわけでもないんだよ。実家が没落するのを良しとするわけないじゃないか」
マクシミリアンが、細く息を吐く。カインはマクシミリアンの話を聞きながらも、納得はできないでいた。
「まぁ、そうは言っても兄上の元恋人の居場所を知らなければ出来ない事だよ。実家に残ることは元々半分諦めていたんだ。魔導士団に入れば、王宮務めになるし給料も良いから生活レベルを落とさずに済む。手柄を立てれば叙爵のチャンスだってある。一度落ちたくらいで諦める気はなかったし、また受けるつもりではあったんだ。魔法学園からも、合格までの間は教師として務めないかと言われていた。……無職ではかっこ悪いからね」
「でも、元恋人の所在を知ってしまった。だから、こんな事をしでかした?」
カインの言葉に、マクシミリアンは小さく頷いた。
「黒髪黒目で、黒いドレスを着た女性が教えてくれた。兄上の悲恋を応援したいといえば低位の貴族子息が集まってくれるという助言も、その女性からされたんだった……。あと……何か言われたような気がするが、なんだったか……。ただ、言われたとおりにすれば、たしかにできそうだと思ったんだ。今考えれば、国境を守るエルグランダーク領の城に侵入なんて、うまくいくわけないってすぐにわかるのに。……その時は、なぜか……」
「マクシミリアン?」
マクシミリアンは俯いてブツブツと自分の思考に集中してしまった。カインの呼びかけも聞こえていないようだった。
「黒髪黒目で黒いドレスの女性? どこかで見たような気もするけど、どこだっけ?」
「お兄様〜。ティアニア様のご機嫌が下がってきましたわ! 防音魔法を早めになさってくださいな!」
カインも何か思い出しそうな気がしていたが、ディアーナから声を掛けられたことで意識が切り替わった。ぱっと振り向いてスキップするように赤ん坊のいるゆりかごの近くまで移動すると、ディアーナと並んで赤ん坊を覗き込んだ。
「おや、本当だ。口がへの字になってきてるね〜。どうしたのかな〜? アル殿下に構われ過ぎちゃったかな〜?」
「な!? カイン、そんな訳ないよ! ちゃんと丁寧に接していたよ!」
「いいから、防音魔法早くしたほうが良いぞ」
「はいはい。っと、風よ!……」
皆で赤ん坊を覗き込んで、ワイワイとしているうちにあっという間にお昼になってしまっていた。
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