入り口の前に立っているだけでノックすらしていない

朝食が終わり、テーブルの上が片付けられた頃合いになってティルノーア先生が食堂にやって来た。

綺麗に片付けられているテーブルの上にガラスのコップを三つ置いて、水差しから水を注いでいく。なみなみと注がれた水は表面張力ですこし盛り上がっていた。


「さぁ、魔法の勉強の時間だよー!」


水差しをドンと雑に置いて、空いていた椅子にくるりと回りながら座る。テーブルに肘をついて手を組むと、そこにいる一同を見渡した。


「ソコのメガネ君。君はどれだけ魔法ができるのか言ってみたまえよ」


ティルノーアはマクシミリアンに顔を向けた。半笑いの表情で若干バカにしているのを感じる。

マクシミリアンもその言い方と表情にカチンと来たのか、憮然とした顔でメガネを押し上げつつ口を開いた。


「私は、持っている属性は火と水と風と土。ぞれぞれ最上位魔法まで使えるし、それぞれの複合魔法の上位呪文まで詠唱可能だ。持っている属性の魔法は極めているよ」


マクシミリアンは自信ありげにそう言って、顎を上げてティルノーアを下目遣いで見返した。


「あーそう。はいはい。だいたいわかりまーしーたー」


自分で聞いておいて、ティルノーア先生は投げやりに興味なさげだ。その態度に、マクシミリアンはまた憮然とした顔でティルノーアを睨みつけている。


「じゃあ、まずは魔法の可能性ってやつを考えよう。目の前にあるコップの水を魔法でお湯に変えてみよぅね。はい、じゃあソコのサッシャさん」

「は、はい」


マクシミリアンの視線を無視して、ティルノーアはディアーナの後ろに控えていたサッシャをビシリと指差した。

壁と一体化していたサッシャはいきなり名指しで呼ばれて驚いたのか、珍しく肩を揺らして動揺を顔にだしてしまっている。


「アナタなら、コップの水を魔法でお湯にするのにどうしますー? なんの魔法を使いますか!?」

「え、え?」


サッシャもアンリミテッド魔法学園を卒業しているので、魔法は使えるはずである。湯沸かしポットやランタンに魔力を充填しているのを見かけた事もあるが、普段侍女としてディアーナに侍っている分には魔法を使ったりはしないので、彼女も魔法が使えるのだということをカインやディアーナは意識からこぼしてしまっていた。


「そういえば、サッシャって何属性の魔法がつかえるの?」

「火と風と光です。……水をお湯にするのは火でしょうか?」


カインの質問に答えつつ、後半をティルノーア先生に向けて発言していた。

ティルノーア先生は、嬉しそうにウンウンと頷くと、両手でコップを一つ押し出すと、さあどうぞというように手を広げた。


「火の魔法が使えて、お湯にするのは火魔法だと思うのなら、できるよネ! さ、やってみよー!」


ティルノーア先生の言葉に、サッシャは一歩前に出てディアーナの隣に立つと片手を前に出して手のひらをコップにかざした。


「火よ……」


呪文を詠唱しようとして、ピタリと止まってしまった。サッシャは小さく首をかしげると、珍しく困った表情を浮かべて目を泳がせてカインやディアーナの顔を見て、最後にティルノーア先生の顔を見た。


「どうしました?」


ティルノーア先生がサッシャと鏡写しの様に首を小さくかしげてニヤリと笑う。サッシャが何に困っているのかの予想がついているようだ。


「火でコップを包み、水を沸かそうと思いました。しかし、それではガラスが熱で割れてしまったりテーブルクロスが燃えてしまう事に気が付きまして」

「うん。そうだね」


サッシャの言葉にティルノーア先生はゆっくりとまばたきを一つして、優しい声で肯定した。


「ありがとう、サッシャさん。さすが有能な侍女さんです。そこに気がついて手を止めてくれて嬉しいです」


ティルノーア先生が丁寧にお辞儀をすると、サッシャは困惑した顔のまま一歩下がってディアーナの後ろに控えた。


「さて、じゃあカイン様だ! カイン様は出来るよね? 水をお湯に変えてくーださい!」

「無茶振り!」


ガバリと身を起こしたティルノーアは、今度はコップをカインの前にズズイっと押し出してきた。カインはいつも、水魔法で空中に水を出現させてそれを温めてからコップに入れている。

カインのやり方は水の周りが高温になるのでガラスのコップに入ったままやるとやはりガラスを割りかねない。


「うーん」


カインは少し悩んだあと、コップに入っている水を風魔法を使って空気の層で包んで持ち上げ、ガラスのコップから水を出した。

その後、水を包んでいる空気を強く圧縮して熱を発生させ、中の水を沸騰させた。

グラスを持ち上げて浮いているお湯の玉を下から掬うようにして入れると、そっとテーブルの上に戻した。


「ハァハァ。出来ました。いつもより集中して疲れました」

「お疲れ様〜。これは、何魔法を使ったのかな? ハイ、カイン様解説、解説!」


ガラスのコップに入っている水から湯気が出ている。コップを順番に隣の席に回していき、みんながお湯になっていることを確認した。


「風魔法です。水を空気で包んで、その空気を圧縮しました。空気は圧縮させると熱を発するのでそれを利用しています」

「はい、さすがカイン様!」


ティルノーア先生がパチパチと拍手をしながらカインを褒めた。圧縮熱という知識は、おそらくこちらの世界にはまだない。水をお湯にするほどの熱エネルギーを取り出すにはだいぶ圧縮しなくてはならないので、カインはこれをやると少し疲れる。魔力消費量は大したことが無いのだが、集中力が必要なのだ。


カインも、サッシャと同じく最初のうちは火で水を温める事を考えていた。しかし、やはりサッシャと同じ様な問題点にぶつかってしまい、結局今の方法を取っている。


「風魔法で、水をお湯に…? 圧縮すると熱がでるなんて聞いたこと無いぞ……いやでも…」


マクシミリアンが、隣の席から回ってきたグラスをそっと触り、水がお湯になっているのを確かめている。信じられないというような顔をしながら、ブツブツとつぶやいている。


「さて、ンッフー! 次はディアーナ様やってみようか。ンフッ。ふふふっ。ディアーナ様、この前やってみた事をまたやってくださいな〜」


カインがお湯にしたコップとは別のコップを、ティルノーア先生がディアーナの前に押し出した。なぜか、こみ上げる笑いをこらえている。

そのセリフから、ティルノーア先生はディアーナがどうやって水をお湯にするのかわかっているだろうことが伺える。

カインはディアーナが水をお湯にする魔法を使っているのを見たことがないので、留学後の家庭教師時に開発したやり方なのだろう。


「はい! じゃあ私もやってみせますわね!」


マクシミリアンが居るので、淑女っぽい言葉を使っているが元気よく発言しているので年相応に感じる。ディアーナは元気よく立ち上がると、コップの中の水をぐいっと一気に飲み干した。


「えぇ?」


カインが目を丸くしてその様子に驚くと、ディアーナは嬉しそうな顔でカインを一瞥した。何でもできるカインを驚かせたのが嬉しいようだ。

ディアーナは空になったコップを目の前に置くと、そこに手をかざして呪文を唱え始めた。


「熱き水よ、我が手より出てコップを満たせ!」

「あ!」


ディアーナの呪文を聞いて、カインとキールズ、そしてマクシミリアンが声を上げた。皆が見ている目の前で、ディアーナの手の先、つまりコップのすぐ上に水が現れるとコップへと静かに落ちていき、そして一杯になったところで水は止まった。

コップからは、湯気が立ち上っている。


皆がコップの水をお湯に変える事を考えていたのに、ディアーナは最初からお湯を出したのだ。


「アッハッハッハ! 驚いた? みんな驚いたねぇ〜。ボクも最初にこれをやられた時はびっくりしちゃったもんね! わはははは〜」


カインも、驚いた。声を上げたのでキールズとマクシミリアンも驚いたんだろう。

驚いたと言うよりは、目からウロコが落ちたという方が近い。


「いきなりお湯を出す……そんなことが」


マクシミリアンが呆然としながらそんな事をつぶやくが、よく考えてみれば不可能なはずはないのだ。水もお湯も温度が違うだけの同じものだ。普段は『どんな温度の水を出そう』なんて意識しないで魔法を使っているから、いわゆる常温と呼ばれる温度の水が出てきているが、指定すれば冷たい水や温かい水が出せたって不思議ではない。

そもそも、現代日本人という前世の記憶があるカインからして見れば、魔法が使えるというだけで十分に不思議なのだ。今更不思議が増えたところでどうということもない。

そもそも、魔法でお湯が出せるなんていうのは思いつかなかっただけで考えてみれば不思議でもなんでもない。


「あれ? そうすると、実は氷も水と風の複合魔法じゃなくても水魔法だけで出せたりしますか?」


カインが思いついてティルノーア先生の顔を見た。

氷魔法は水魔法と風魔法を極めた先、水と風の複合魔法という事になっている。実際に、水と風の適性を持っていないと使えない。

しかし、水を出す魔法でお湯をだせるのなら、水を零度より冷たくしたら出来る氷も出せるのではないか? とカインは思ったのだ。


「カイン様、良い質問ですね。ですがそれは、今後の研究課題ってことにしまショー。発想の転換と工夫によっては水魔法だけで氷魔法まで行けるかもねぇ」


カインに向かってそう言いながら、ティルノーアがニコッと笑った。そして、そのままマクシミリアンへと体ごと方向転換し、ズビシっと指を指した。ティルノーア先生の指先がマクシミリアンの鼻先にくっつきそうである。


「魔術書を読んで身につけられる魔法、各属性の最上位魔法とそれらの先にある複合魔法。そのへんを使えるようになった所で、それは魔法を極めたという事にはならないんだよね。真面目に魔術書を読むことが出来て、魔力がそこそこあって、真面目に練習することが出来る人ならいつかたどり着ける場所だからねぇ」


ティルノーア先生の指先を見るせいで、マクシミリアンの目が寄り目になっている。ティルノーア先生は突きつけていた指を引っ込めて、自分の顔の横まで持ってくると「チッチッチ」と言いながら指を横に振った。


「むしろ、魔法使いの入り口のドアの前に立ったぐらいのモンだよ。これで極めたなんて言っちゃうのはとっても恥ずかしいんだからネー」


そう言うと、ティルノーア先生は水の入ったガラスのコップ。その最後の一個に手を向けた。


「炎よ。ボクの手から現れてコップをつつみ、あたためよ」


呪文を唱えると、ボッという音がしてコップの周りが燃えだした。赤とオレンジ色が入り交じる炎がコップを包んでかなり激しく燃えているが、テーブルクロスが焦げる様子がまったくなかった。

やがて、コップの中の水がコポコポと気泡を出し始めたところで炎が静かにちいさくなり、やがて消えた。


「コップは熱くなっているだろうからねぇ。触るなら気をつけてね」

「すごーい! ティルノーア先生、どうやったの!?」

「テーブルクロスが焦げてない! あ、ガラスは熱いのにテーブルはあっつくない!」


ティルノーア先生の言葉を受けて、ディアーナとアルンディラーノが身を乗り出してコップの周辺を撫でたり水に指を入れてみたりして驚いている。

サッシャも、驚きを顔に出さないようにこらえているが目がいつもより大きくなっていた。


「これは、どういうことなのですか? 燃やしたのに、燃えない?」


マクシミリアンが、横に立つティルノーア先生を見上げて素直に聞いた。もうその顔に苛つきやバカにされた怒りなどは無く、単純な好奇心が浮き出ていた。


「どういうことだと思うぅ? ねぇ、魔法って面白いでしょう? 学校の魔術書で学べるのは完成された魔法ばかりだからね、真面目に勉強してればできるんだよ。ソコから先、もっとこんな事できないかな? あんなことやってみたいな。って魔法に向き合って行くのが魔法使いってもんなんだよ」


ティルノーアは炎の秘密についてははぐらかし、マクシミリアンの思い上がりを指摘する。


「だから、ボクは君にはセンスが無いって言ったのさ」

「あ……」


ティルノーアに言われて、マクシミリアンはがっくりと肩を落とした。

魔法学園首席で卒業し、自分のもつ魔法属性の最上位魔法はすべて極めた。それで、魔導士団に入団出来ないのはおかしいと、自分には魔法の才能があるのだと思っていた。センスがないと言われて落とされて、納得行かなかった。

しかし、九歳の女の子が「最初からお湯だせばいーじゃん!」という柔軟な発想で「水を魔法でお湯に変える」という課題をひっくり返してみせるのを見せられてはどうしようもない。

自分は、ただの優等生なだけだったのだ。


「でも、今日こんなにヒントを出したんだから、なんとか出来るでしょぅ? カイン様みたいに『空気を圧縮して熱を作り出す』とかディアーナ様みたいに『そもそも最初っからお湯出せばいいじゃん』って考えるとか。そういう、今ある魔法からさらに魔法を発展させる、今ある魔法に対して疑問を持つ。そうして、魔法の研究をする。魔導士団っていうのはそういう所なんだからねぇ。こんな事言われなくても出来る『センスある人』が来てくれるのが一番なんだけど、頼まれちゃったしねぇ」


困ったねぇ、という顔をして腕を組んでその場でくるりと一回転したティルノーア先生は、マクシミリアンの背中に回るとバシンバシンと強く背中を叩いた。


「じゃあ、ヒントも貰ったところで魔導士団の入団試験だよ! 今日を入れて三日のうちに、新しい魔法五個開発してね! はい、ヨーイドン!」

「え? はぁ? え?」


マクシミリアンは混乱して目玉ぐるぐるになっていた。

魔法のセンスが無いというのが悪口ではなく真実だったことにショックを受けていたところからの急展開だ。

混乱もするだろう。

カインも、ずっとティルノーア先生が言っていた「センスがない」の意味を昨日の夜に聞いてからこの展開は聞いていたものの、ディアーナのお湯や先生のテンションの高さにちょっとついていけてなかった。

というか、昨日打ち合わせしたときには「三日で三つの新しい魔法」と言っていた気がするが、二個増えている。だいぶ意地悪だと思った。


「ほら、出来たら魔導士団に入団出来るし、出来なかったら牢屋に逆戻りだよ! 時間は有限! レッツゴー!」

「あわ、あわわわわ」


ティルノーアに急き立てられて、マクシミリアンは立ち上がると食堂から追い立てられる様にでていった。ティルノーアが背中を突きながらどんどん前に押し出していっている。

おそらく、城の図書室へと向かっているのだと思われるのだが。


「面白そうだから見に行こうぜ!」


キールズがそう言って立ち上がると、食堂にいた一同はニヤッと笑って早足で食堂を飛び出したのだった。

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