しあわせですか?
その後、カインはスティリッツに謝罪した。
結果無事だったのだからと許しを得たが、皆から一歩距離を取られているのを感じた。
夕飯時にはアルディも帰宅して、改めてキールズとスティリッツの話で盛り上がった。アルディは良く領民に混じって農作業の手伝いをしていたり領民の子守をしていたりとするのでスティリッツとも仲が良い。
スティリッツがキールズの嫁に来るということで大変に喜んでいた。
なんとなく氷魔法を使ったカインについては話題が避けられていて、カインとしてはちょっと居心地が悪かったが、わざわざ話題をひっくり返して楽しい食事の時間を壊すのも本意ではないので黙って一緒に笑っておいた。
食堂を辞し、部屋に戻るとイルヴァレーノが腕まくりをしてカインに向き合った。
「風呂に入るぞ」
「あ、ああ。うん?」
イルヴァレーノの勢いにカインは押されて一歩ひいてしまった。部屋に備え付けてある浴室に行くと、イルヴァレーノが浴槽を指差した。
「お湯を張ってください」
「あ、それは俺がするのね」
カインが魔法で水を出し、熱をかけて浴槽に湯を満たす。
普通に風呂に入ろうとして、カインは服を脱ごうとするが、イルヴァレーノが浴室から出ていかない。
「……なに?」
カインは貴族の子だが、かなりのことが自分ひとりで出来る。イルヴァレーノが侍従になってからは特に身の回りの世話のうち、水回りは自分でやるようにしていた。恥ずかしいからね。
留学してしばらく離れていたが、その前からも風呂には自分で入っていた。風呂上がりの髪の手入れだけはイルヴァレーノにやってもらっていたが、服を脱ぐのも体を洗うのも自分でやっていた。恥ずかしいからね。
なのに、今日はイルヴァレーノが風呂場から出ていかない。
「カイン様、使用人には使用人の負けられない戦いというものがあるのです」
「え。何の話?」
カインがぼやっとしているうちに、イルヴァレーノに手早く服を脱がされ、足を引っ掛けられてドボンと湯船に落とされた。
アワアワと慌てているうちに、髪を丁寧に洗われ、髪用の保湿クリームを揉み込まれ、体も隅々まで洗われた。
「なんなの!?イルヴァレーノなんなのさ!?」
「良いから、ほらそっちの手を出せ。爪も一緒にみがいちまうから」
「なんなのー!?」
泡まみれにされ、爪の間までゴシゴシと磨かれ、カインは風呂から上がる頃にはぐったりとしていた。
何時も自分で入るときもカラスの行水とはいわない程度にはゆっくり入っている方だが、今日のイルヴァレーノに入れられた風呂は長かった。
風呂に入っては体を洗われ、冷めないようにもう一度湯船に浸けられてはふやけた体をもう一度こすられた。
風呂から上がってからは化粧水だのクリームだのを執拗に塗り込められた。おかげでお肌がぷるっぷるになってしまった。
「令嬢じゃ無いんだから……いつもこんな事しないじゃん」
「明日は、歓迎会があるんだろ。簡易的だがパーティなんだろ」
半乾きになった髪をゆっくりとイルヴァレーノに梳かされながら、カインが文句を言えばイルヴァレーノが言い返す。
「公爵家の嫡男らしくしないとならないじゃないか。カイン様がどれだけ綺麗なのか見せつけてやらないと」
「イルヴァレーノは俺のこと綺麗だって思ってんのね」
「……。舐められないように、威厳あるようにしないといけない」
くせがつかない程度にゆるく編まれた髪をナイトキャップの中にしまって終わり。イルヴァレーノはカインの肩を軽く叩いた。
「今夜はあんまり寝返りを打たないでくれよ」
「そんな約束はできないけどさ」
カインが苦笑しながら椅子の上をくるりと振り返る。両手のひらを上にして差し出せば、怪訝な顔をしながらもイルヴァレーノがその上に自分の手を乗せた。
「イルヴァレーノは、今幸せかい?」
イルヴァレーノの手をニギニギしながら、カインがそう問いかけた。イルヴァレーノはうんざりしたような顔をして、ためいきをつきながらも答えた。
「お前は、前にも何度かそんな事を聞いてきたな。俺が幸せだと何かあるのか」
イルヴァレーノはゲームのド魔学の暗殺者ルートの攻略対象者だ。人殺しを仕事にして闇に沈んでいく心の中に、ヒロインとの接触という幼少期のたった一つの温かい思い出を抱え続けていた。その、闇に染まった心とその中の温かい思い出の齟齬から心を病み、ヒロイン以外皆殺しという行動に出てしまう。
カインは、イルヴァレーノの心に幸せな思い出が沢山あれば良いと思っている。イルヴァレーノの心が救われていれば、自分の行動は間違えていないのだと安心できるのだ。
だから、不安があるとイルヴァレーノに尋ねるのだ。
「イルヴァレーノは楽しい思い出沢山できてるかい?」
イルヴァレーノを裏仕事から引き離した。
アルンディラーノと両親の距離を少しだけ近づけた。
ジュリアンとシルリィレーアの仲を取り持ったり、第二第三夫人は国内から取ったほうが良いと提案した。
キールズに恋人が居ることを周囲に知らしめた。
カインはディアーナの不幸フラグをコツコツと潰すよう努力をしている。していると自分では思っている。
しかし、今日のディアーナはゲームパッケージと同じ髪型になって登場した。
ディアーナは今九歳。ゲームが始まるまでは後三年しかない。
カインはこのまま逃げ切れるのか不安で仕方がない。逃げても逃げても、ゲームが追いかけてくる気がしてならない。
「何を不安になっているのか知らないけど。カイン様に拾われてから僕が不幸だと思ったことはないよ。カイン様は意地悪だし悪趣味だし気持ち悪いぐらいディアーナ様ばっかりだけど、僕や孤児院のことを気にかけてくれているし。ウェインズさんも親切に仕事を教えてくださるし。刺繍をしたことも、三人で一緒に年越しの鐘を鳴らしたことも、ディアーナ様と一緒に本を書いた事も、茶番を演じた事も、その時はめんどくさいと思ったけど、今振り返れば楽しかったんじゃないかなって思えるよ」
イルヴァレーノはニギニギされていた自分の手に力を入れてギュッとカインの手を握り返した。
「なかなか、こういうのは恥ずかしいな……。でも、それでお前の不安がなくなるのなら何度だって言ってやる。僕はお前に拾われたことで幸せになった。というか、ソレまで自分が不幸だったことにすら気がついてなかったんだ。お前とディアーナ様に救われたんだよ。僕は今ちゃんと幸せだ。……これで安心できるか?」
立っていたイルヴァレーノがいつの間にかしゃがんでカインの顔を見上げていた。椅子に座るカインはそのまま頭をさげて、握っていたイルヴァレーノの手の甲を額にくっつけた。
「ありがとう、イルヴァレーノ。お前が幸せで、俺は嬉しい」
顔は見えないが、震えているカインの声を聞いてイルヴァレーノは苦笑した。
「カイン様は泣き虫だな」
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