無駄な字数稼ぎ(2)

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サイラスはディアーナとイルヴァレーノをソファに座らせると、自分は向かいのソファに座って向き合った。


「丁度いいので、無駄なお話をしましょう」


背筋を伸ばしたまま、サイラスがそう言ってディアーナとイルヴァレーノの顔を順に見た。二人の子どもが背筋を伸ばして座り直すのを見て、一つ頷くと講義を始めた。


「貴族にとって、無駄というのは余裕です。先程も言いましたが、挨拶は『おはようございます』『こんにちは』『こんばんは』『おやすみなさい』で用事は足りるのです。でも、貴族同士の場合は『おはようございます。こんな気持の良い朝に、あなたに会えたことを嬉しく思います』『こんにちは。とても良いお天気ですね、あなたの髪の毛も太陽の光をうけて輝いていてとても美しいですね』『こんばんは。こんな月の美しい夜にお会いできるなんて運命を感じますね』『おやすみなさい。どうぞ、良い夢をみられますように祈っております』といった感じで一言そえます。気障な人はさらに相手の容姿を褒め、髪型を褒め、服装を褒めます」


サイラスの説明を聞いて、ディアーナが手をあげた。


「ディアーナ様、どうぞ」

「お父様やお母様、お兄様やイル君やサッシャには『おはようございます』『こんにちは』『こんばんは』『おやすみなさい』と挨拶をしています。私ももっと言葉を尽くす必要がありますか」


ディアーナの質問に、サイラスは良い質問ですと表情を変えずに頷いた。


「洋服の話をしましょう。体の、羞恥を感じるところを隠すだけならば下着だけで用事は足りますね。寒さをしのいだり、転んだ時に怪我をしない為ならば平民が着ているような体の形に合わせて作られた綿の服一枚着ているだけで用事は足ります。二枚も三枚も重ねて着たり、スカートにボリュームを出すための下着を着たり、レースやフリルを二重にも三重にも重ねたりする必要はないのです。それでも、貴族はそういった服を着ます」

「それも、無駄ですか?」

「そうですね。ディアーナ様、夜寝るときはどんな服装で寝ていますか?」

「頭からかぶるながそでのシャツと、足を通すつつだけのズボンです。あ、胸にちいさなおリボンついてます!」

「家族への挨拶、夜寝るだけの服。そういったプライベートな所では貴族も無駄は省きます。必要無いからです。小さなおリボンは、着る人の心を楽しませるものなので無駄とはちょっとちがいますね」


サイラスは、自分のレースの付いた襟を指先でピッと引いて伸ばした。


「無駄な言葉を費やすことで、無駄に豪華な服を着ることで、無駄に手の込んだ髪型にすることで、相手に自分は余裕があるということを見せます。そうすることで、自分の自尊心を守り、権利を守り、そして相手を守ります」

「…ちょっと、むずかしいです」


ディアーナが眉毛を下げて困った顔をしている。イルヴァレーノも分かったようなわからないような微妙な顔をしていた。


「そうですね…。大好きな人に会うときにはオシャレをして、きれいな格好をして会いたいと思いませんか?」

「はい!お兄様にディアーナ可愛いって言ってもらえる服を着ます!」

「では逆に、カイン様がディアーナ様に会うためにお洒落をしていたらどう思いますか?」

「お兄様がディに会うの楽しみにしてたんだなって嬉しく思います!」

「ディアーナ様、自分を呼ぶときは『私』です。お気をつけなさい」

「…はい」


カインの話になってテンションが上がったディアーナは、ついしつけ担当のサイラスの前で自分をディと呼んでしまった。一応注意したものの、サイラスは深追いして叱らない。


「私はこんなに豪華な服を着ることが出来る、私はこんなに言葉を尽くすことができる。そうやって、相手に対して気を使っていますよという気持ちを表すことができるということです。転じて、適当な服を着て、要件だけの言葉を伝えることは相手を軽んじているのだと受け取られかねないのです」


「嫌われないために、お洒落するの?」

「端的に言えば、そうです。他にも理由はありますがそれはもう少し複雑なのでまた今度にしましょう。お手紙の話に戻ります」


サイラスは立ち上がるとディアーナの学習机まで行き、挨拶文集の本を手に取ってソファに戻ってきた。

適当にパラパラとめくりながら、挨拶文を一通り眺める。


「ココに載っている挨拶文は、過去の著名人の書いた手紙から抜粋されています。ですので、お手紙を書く時にどの挨拶文を使うかは慎重にならなければいけません」

「季節や相手と自分の立場があっていれば良いのですよね!」


ディアーナがまた手をあげて発言をする。季節にあった挨拶を書きましょうというのは前回のお手紙の書き方で習っていたからだ。覚えていることをアピールする。

サイラスはかすかに口角をあげると、ゆっくりと頷いて「よろしい」とディアーナを褒めた。


「さらに一歩踏み込みましょう。この挨拶文を使うときは、参考にされた著名人が何者だったかも気にすべきです。音楽やダンスの話題であれば、音楽家やダンスの名手として有名だった人の挨拶文を使う事で、相手も挨拶を読んでいる段階でお手紙の話題を予測することが出来ます。逆に、有名な建築家や貿易で財を成した人の挨拶文を利用しているのに、本文はダンスパーティのお誘いでした、なんてことになるとちぐはぐな手紙になってしまいます。教養を疑われかねないので注意が必要です」

「……むずかしいです。どの挨拶文がどの人の書いたものかはわかるのですか?」


ディアーナの質問は想定していたようで、サイラスは挨拶文集を開いたまま二人に見せるようにテーブルの上に置き、一つの挨拶文の最後に描かれた単語を指差した。


「ここに書かれているのが、この挨拶文の手紙を書いた人物の名前です。どの挨拶文にも最後に書いた人の名前が書いてあります」

「その人が何者なのかまでは、書いてないのですね」


イルヴァレーノが目を細めて本を眺めている。目が悪いわけではないが、綺羅びやかな言葉が羅列されているのであまり目に入れたくないのだった。


「それについては、次回までの宿題にしておきましょう。挨拶文集に載っている人物が何者なのかを調べておいてください」

「はぁい」


「挨拶文は、洋服におけるレースやフリルやリボン、刺繍衿みたいなものです。あなたに心を砕いていますという意思表示になります。また、先程説明したように適切な挨拶文を選んで書くには教養が必要です。完全にオリジナルの挨拶文を書くことも出来ますが、それにはやはり語彙やセンスが必要になってくるので教養が必要です。もちろん、文字数の多い挨拶文を書くには時間も必要です。これだけあなたに時間を掛けていますよという相手への思いの大きさを表しますし、これだけの文字数を書ける時間的余裕が私にはありますよと自分を大きく見せる事もできます」


「……転じて、挨拶文が無いと侮られたと怒る人がいるかも知れない…ですか?」

「そうですね。文化として根付いてしまったものは、由来や意味など関係なく『そういうものだ』と受け入れる人もいます。そういった人は『そうではなかった』時に理由や意味を考えること無く憤りを感じる事が多いのですよ」


イルヴァレーノとサイラスが問答をしている間に、ディアーナは、挨拶文集をずるずると自分の方に引き寄せて覗き込んでいる。


「あと、もう一つ。それぞれの挨拶文が何の手紙の挨拶だったかも、知っていないとまずいことになる場合があります」

「……まずいこと?」

「その気もないのに、結婚する羽目になります」


イルヴァレーノとディアーナは、何処かで聞いた話だと思った。


「あの、もしかして。『挨拶文ことば』みたいなのがあるとかですか」

「挨拶文言葉?そのようなものは無いけれど、近いかもしれませんね」


イルヴァレーノの質問に、サイラスはすこし首をかしげつつ答えた。


「その挨拶文が何の手紙で使われていたか、が重要になります。挨拶文だけなら普通の時候の挨拶ですが、それが恋文に使われた挨拶となると、意味が違ってきます」


ディアーナとイルヴァレーノは揃ってやっぱりねという顔をした。二人の頭の上には今、イアニスの顔が浮かんでいた。


「つまり、誰が書いたかだけではなくてどの手紙に書かれていたかまで勉強する必要があるってことですか」

「そういう事になりますね」


イルヴァレーノの言葉と、それに対するサイラスの答えにディアーナとイルヴァレーノはうへぇという顔を隠せなかった。

二人揃って眉を寄せてへの字口の顔を作った様子に、サイラスがふふっと小さく笑うとかばんからもう一冊本を取り出してテーブルに置いた。


「恋文に使われていた挨拶文集です。初心者向けに、ちゃんと元の手紙の種類別の挨拶文集があるんです。公爵家の図書室であれば、一揃いあると思います」

「よかったあ」


ディアーナがほっとして胸をなでおろしていると、サイラスがパンっと手を叩いた。


「さぁ、カイン様宛の手紙を書きましょう。今日はこちらの一般的な手紙向けの挨拶文集から挨拶を選んで書いてください。中身はチェックしませんが、挨拶文と締めの文は私が見ますから、そのつもりで書いてください」

「はい」

「はい」


サイラスが見守るなかで、ディアーナとイルヴァレーノはカイン宛の手紙を書いた。

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いつも読んで頂きありがとうござます。

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