無駄な字数稼ぎ(1)

いつも読んでくださってありがとうございます。

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優雅なる貴婦人のゆうべを読んだ後、イルヴァレーノは庭の餌台まで行き、抜けたばかりの小鳥の羽を一枚拾った。

腰のベルトから小さな隠しナイフを取り出すと、羽枝の部分を削いでいく。

パラパラと色の付いた羽が落ちていき、イルヴァレーノの手の中には白くて細い軸だけが残った。

それを日にかざしてクルクルと回しては、削り残しの部分を削っていく。

最後には、軸はきれいにツルツルになった。そのできに満足そうに頷くと、イルヴァレーノは手の中でころころともてあそびながら邸の中へと戻っていった。


ディアーナの部屋へ戻ると、部屋の主は手紙を書くところだった。

留学中の兄、カインに向けた手紙である。


「親しき仲にも礼儀あり。身内に向けた手紙であろうとも、手順を守って書きましょう」


そう言って、しつけ担当の家庭教師であるサイラスに見守られながら書いている。


「サイラス先生。お兄様はきっと、早くわたくしの近況を知りたいと思ってお手紙を読みますわ。こうやって時候の挨拶を長々と書いていたら、じれてしまわないかしら?相手に不快な思いをさせてしまう挨拶なんて、おかしくないかしら?」


ディアーナがお澄まし顔でサイラスに質問をしている。

もっともらしく質問しているが、単に決まり事の多い時候の挨拶を書くのが面倒なだけだろうと思いながらイルヴァレーノは聞いていた。


「カイン様はディアーナ様の書かれた文字をご覧になっただけでお喜びになるでしょう。文字数が多い方がより喜びは多くなります。無駄に長い挨拶文は文字数稼ぎに最適なのですから、面倒がらずにお書きなさい」

「そっか」


ディアーナが納得して『手紙の挨拶集』の本を見ながら手紙を書く作業に戻った。


ディアーナは納得したが、イルヴァレーノはサイラスの説明に対して心の中でえぇー。と思うところが何カ所もあった。

ドアの脇に控えていたイルヴァレーノに向かってサイラスが視線を投げた。


「何か質問があれば受け付けます」

「よろしいのですか?」


いくつかディアーナと一緒に受けさせて貰っている授業はあるが、しつけの授業はそうではない。生徒でもないイルヴァレーノの疑問に答えてくれるという。


「使用人の中でも主の近くで働く者は、手紙の代筆をすることもあります。手紙の書き方は覚えておいて損はありません。せっかく『マナーのなっていない無礼な手紙でも怒らない』相手に手紙が書けるチャンスなのです。よろしければ君も手紙を書くと良い」


そう言ってサイラスは手元から白い便せんを二枚取るとローテーブルの上に置いた。そして、ソファへ手を向けてイルヴァレーノに座るように促した。


「先生は無駄に長い挨拶文とか、文字数稼ぎとか仰いましたが……」

「ええ。手紙の時候の挨拶は無駄に長い字数稼ぎです。長ければ長いほど貴族らしいと褒められます」

「それはどうしてなんでしょうか」


イルヴァレーノは座って目の前の便箋二枚を手に取りながらサイラスの顔を見る。

サイラスは顎に手を添えながら、ふむとかるく頷いた。


「まず、便箋一枚で手紙を終わらせてしまうのが失礼ということになっています。要件を一枚で済ませて白紙一枚を余分に入れておくという手もあるのですが、それは最終手段であり、スマートではないと言われてしまいます」

「一枚で済ませるのが失礼…」

「貴族はプライドが高いので、紙一枚しか送ってこないケチだと思われたく無いのです」

「そんな理由なんですか」

「そんな理由なんですよ」


サイラスはディアーナの後ろに立って、挨拶文集をめくる様子を見た。真剣に選んでいるディアーナに一つ頷き、またイルヴァレーノの方を見た。


「挨拶など、朝はおはようございます。昼はこんにちは。夜はこんばんは、おやすみなさい。で良いんですよ、本来は。でも、それでは『語彙が少なくて挨拶ができないのでは?』『教養が足りないのでは?』『挨拶する価値がないと下に見たと思われるのでは?』と相手に侮られるので、言葉で飾りたてて挨拶をします」

「挨拶が簡単だと侮られてしまうのですか?」

「実際にはそんな風に感じる人はほとんどいないはずです。ですので『思われるかもしれない』という、挨拶する側の問題です」

「言葉を尽くして挨拶をしておいた方が安心だからそうすると言うことですか?」

「その通りです。君は理解が早いですね」


サイラスがまたディアーナに視線を戻す。つられてイルヴァレーノもディアーナをみた。

凄い集中力を発揮して、真剣に挨拶文集を読んでいる。よく見ると、内容を読んでいるのではなく、文字数を数えている様だった。

うつむいて本をみているディアーナの目許には、まつげの影が落ちていた。


それをみて、イルヴァレーノは自分のやろうとしていたことを思い出した。

イルヴァレーノは音もなく立ち上がると、気配を消してディアーナのそばまで歩いていった。

手にしていた羽の軸を指に摘まむと、そっとディアーナのまつげの上に乗せた。


「乗った……」

「んっふぅっ……ごほん」


イルヴァレーノが思わずつぶやいた後、後ろから噴き出した声が聞こえた。振り返ると、イルヴァレーノ越しにディアーナをのぞき込んでいたサイラスが握り拳を口元に当てて片眉を上げていた。


声に気がついて顔を上げたディアーナのまつげから、羽の軸がコロンと落ちて机の上を転がっていく。


「何をやっているの?二人して」


怪訝そうな顔をして軽く睨んでくるディアーナ。イルヴァレーノは転がる羽の軸をつまみ上げるとニコリと笑ってディアーナの瞳を覗き込んだ。


「ディアーナ様は、貴婦人の資格がありますね」

「きふじん…なぁに?」

「んふふっふぅ」


後ろでサイラスが笑うのをこらえている。

いつも真顔で表情を崩すことのない厳しいサイラスが、口元に手を添えて肩を震わせている。

普段あまり笑わないイルヴァレーノとサイラスが笑っているのをみて、ディアーナがプゥとほっぺたをふくらませる。


「もう!なぁに!?ふたりして笑ってずるい!ずーるーい!ディにもおしえてよー!」


イルヴァレーノがディアーナに言われて読んだ「優雅なる貴婦人のゆうべ」の中で、完璧侍女が王女のまつげを整えるというシーンがある。

そこで、王女のまつげは瞳に影が落ちるほどに長く、さほど手を入れなくても自然にカールして瞳を彩っているという記述があるのだが、そこで「羽を乗せてもマカロニを乗せても負けない力強いまつげは貴婦人の証」と書いてあるのだ。


「妻と娘が、貴婦人のゆうべを読んでおりまして。君も読んだんですね」

「はい。途中までですけど、読みました。形容詞というか装飾語というか…そういうのが多くてずっと読んでいると疲れてしまうんです」


サイラスは、イルヴァレーノの言葉に優しく頷いた後にディアーナに向き直って真面目な顔をした。


「ディアーナ様は本を読むのがお好きでしたね。『優雅なる貴婦人のゆうべ』を半分でいいので…いえ、最初の三話で良いので読んでみてください。実に貴族らしい無駄な字数稼ぎが沢山盛り込まれています。我慢して一冊読み終わる頃には、無駄な字数稼ぎになれて手紙を書くのに役立つかもしれません」


「イル君も先生も面白いって言ってるから、読んでみます。イル君、あとで貸して」

「はい、お部屋にお持ちします」


ディアーナに一礼しながら、イルヴァレーノは「やっぱり無駄な字数稼ぎなのか」と読みにくかった本の内容に妙に納得したのだった。

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