執事のウェインズ・パレパントル
留学先のサイリユウム王立貴族学校の寮は、あまり部屋が広くはないらしく、持ち込める荷物は少ない。
生活必需品と言われるものは寮で用意されているので、個人的な物ばかりを少しだけ持っていく事になる。
カインの制服と私服、趣味の道具や勉強道具を積んだ馬車が、エルグランダーク家の玄関前に停まっていた。
玄関前にはディスマイヤとエリゼとディアーナ、イルヴァレーノをはじめとする使用人一同が揃っていた。カインの見送りのためだ。
「リムートブレイク王国の代表だと思って振る舞いには気を使いなさい。友人をたくさん作り、将来国交の架け橋となれるよう努めなさい」
「あちらの国のほうが冬は寒いそうです。体調に気をつけて励むのですよ」
ディスマイヤとエリゼは、カインに激励の言葉をかけると順番にギュッとハグをした。カインもその腰に手をまわして抱き返す。
「ディアーナ。手紙を書くからね。休みの度に帰ってくるからね。どうか健やかに、朗らかでいてね」
「お兄様。お返事書きます。お手紙遅かったら私からもお手紙を出しますね。お土産沢山持って帰ってきてくださいね」
言葉を交わして、カインはディアーナをぎゅぅと抱きしめると髪を撫でながら鼻を脳天に突っ込んでクンクンと匂いをかいでいた。
ディアーナから腕を離すと、カインはイルヴァレーノを目で探す。視線があうと、イルヴァレーノはゆっくりと頷いた。カインも小さく頷くと、一歩さがって馬車の前に立った。
「では、お父様、お母様、ディアーナ。行ってまいります。みんな、家族をよろしくおねがいします」
カインは紳士の礼をすると馬車へと乗り込んだ。
後からパレパントルが乗り込んできて、扉が閉まるとゆっくりと馬車は動き出した。
カインは窓に張り付いて、大きく手を振って見送っているディアーナへ手を振り返している。門を出るときに警護に付いている騎士たちが手を振ってくれる。
領地の騎士はすっかり入れ替わり、カインとディアーナが紳士淑女として振る舞うようになってからやってきた騎士たちだ。毎日朝と夕方のランニングを見守ってくれていたが彼らとはハイタッチをしたことはない。
王都の街道を走り始めると、カインは窓から離れて椅子に深く座った。斜め向かいの椅子にはパレパントルが座っている。
いくらしっかりしているとはいえ、カインはまだ12歳だ。ここから国境まで3日、国境からサイリユウムの王都まで4日の旅である。保護者としてパレパントルが付きそう事になっていた。
「合わせて7日か。隣の国だもんね、遠いよね」
家から隣国の王都まで7日。往復で14日。週末に2日しかない休息日には帰ってくる事はできない。転移魔法がもっと気軽に遠くまで使える様になれば良いのにと思いながらカインがつぶやいた。
「馬車を使い、安全な宿場町での宿泊を入れながらの日数でございます。例えば、足の早い馬を乗り換えながら昼夜を問わずに走り続ければ片道3日ほどまで短縮することが可能です」
カインのつぶやきを拾って、パレパントルがそんな事を言い出した。片道3日。昼夜を問わずということであれば2日間徹夜で馬に乗り続ければ、ということである。なかなかのハードな道行きだ。
「それでも、往復で6日だね」
「一週間のお休みがあれば、1日はエルグランダークのお屋敷で過ごすことが出来ますよ」
「あちらに着いたら、祝日などの配置をカレンダーで確認してみるよ」
「それがよろしゅうございます」
パレパントルがゆっくりと頷いた。
国境につくと、パレパントルがディスマイヤから預かっていた家章とカインの留学証明書を提示し、必要書類などを記載していく。そばでカインは、国境での取次官に国の出入りに必要な事などを聞いていた。留学中の一時帰国時の手続きや必要な書類、国境を越える手紙の送り方やかかる時間などだ。
カインが丁寧に挨拶をし、首をかしげながらニコリと笑えば取次官は目尻を下げながら親切に何でも教えてくれた。
国境を越えると、宿場町ではもう使っている言葉が違っていた。パレパントルは問題なくリウム語を使いこなして宿も食事も問題なく手配していた。
「パレパントルは何ヶ国語できるの」
「リムートブレイク王国と隣接している国の言葉はすべて使うことが出来ますよ」
「すごいね。貴族家の執事なんかやってないで、王城で外交省とかで働いた方が良いんじゃないの?」
「王城には貴族しか就職できませんからね。今でこそパレパントル家の名を頂いておりますが、私はもともと平民ですから」
パレパントルの告白に、カインは目を丸くした。初めて聞く話だった。パレパントル家は侯爵家だ。領地は持っていないが、王都内でなん店舗か展開している宝飾商店を取り仕切っており裕福な家だったとカインは記憶していた。セレノスタが住み込みで働いているアクセサリー工房もパレパントル家の運営する宝飾商店の下請けだったはずだ。
「パレパントルの礼儀作法は完璧じゃないか。仕事ぶりだっていつも先回りして何でもやってくれているし、お父様はもうパレパントルが居ないと仕事出来ないんじゃないか?」
半月もパレパントルをカインに貸し出して、ディスマイヤは困らないのだろうかとカインは思っていた。
「ああ見えて、旦那様はちゃんとお仕事の出来る方ですよ。頭の固いところはございますがね」
ふふふっと笑って口元を手で隠すパレパントル。何か思い出し笑いをしているようだった。
「私は、旦那様に拾っていただきました。色々な事を学ばせていただき、今の私があるのは旦那様のおかげなのです。平民の身分ではお手伝い出来ない事が多くある事に気が付かれた旦那様が、パレパントル家との養子縁組を手配してくださいました」
私自身はパレパントル家の方とはお会いしたことはないのですけどね。とパレパントルは続けた。平民は王城に出仕する仕事に就けないというのであれば、王城に出向くディスマイヤを補佐するのにも制限がかかっていたのだろう。パレパントルを王城へ連れていくために、ディスマイヤはパレパントルに侯爵家出身という身分を取り付けたということだ。
「悪法も法なりって言葉があるんだ」
「カイン様?」
カインはパレパントルの顔を真っ直ぐに見て言葉を紡ぐ。
「意味がなかったり、一部の人間にのみ有益だったり、穴だらけだったり…たとえその法律が悪法であったとしても、法律である限り守らなければならない。お父様は、平民は王城で仕事が出来ないのなら、貴族にしてしまえばいいって考えたわけだよね。これも、法律を守るための一つの方法ではある」
「はい。そのとおりでございます」
「身分が整えば、その当人は全く変わっていなくても大丈夫というのはおかしいだろう」
「身分を整えられるということは、後ろ盾があるということでございますから。人柄が保証されているという証にはなりましょう?」
「本人の優秀さには全く関係がないことだよ。でも、意味がない法律だからって守らなくていいわけじゃない。意味があるかないかなんて立場や時や、その人そのものの感性によってしまうものだから。今の僕とパレパントルのようにね」
「さようでございますね」
「それが、悪法も法なりって意味。……でも、僕はイルヴァレーノをイルヴァレーノとして連れ歩きたい。孤児だけど、平民だけど、僕のイルヴァレーノはこんなに優秀なんだぞ!って見せびらかせながら僕の仕事の手伝いをさせたいんだ」
カインが、剣の腕を褒められても魔法の威力を褒められても、騎士団にも魔法師団にも入らないと言っていたのをパレパントルは思い出した。
「それで、法務省の役人になるとおっしゃっていたのですか」
「そうだよ。嫌々だけど隣国に行くことになったからには隣国の法律も勉強してくるよ」
カインは、法律から変えると言っていたのだ。カインが、法務省に就職すると言っていたのは何歳からだったか?ディスマイヤもエリゼも、パレパントルさえも「お父様のあとを継ぎたいのね」としか思っていなかった。現在の仕組みでは貴族でないと王城勤務である法務省の役人にはなれない。その上、元老院のメンバーになるにはエルグランダーク家を継がなくてはならない。
有能なカインなら、自ら家出をしたとしても、ディスマイヤから勘当を言い渡されたとしても、なんとでもできるだろうと思っていたし、それで平民としてディアーナを見守る事だって出来ただろう。
でも、それではカインの本当の願いは叶わなかった。6年間もディアーナから離されるとしても、それを成すまでは貴族でいないとならなかったのだ。
「カイン様。サイリユウム貴族学校には飛び級制度があるそうです。時間がなく申請方法や条件まではお調べできませんでしたが、相応の知識を履修済みであると証明すれば良いのでしたら、カイン様なら容易いことでしょう」
「パレパントル?」
「それと、高額になりますが隣国には飛竜を使った移動手段もあるそうです。空から国境を越えられるのかはわかりませんが、馬車で10日の距離を半日で移動できるそうです。落ち着いたら調べてみたらいかがでしょうか」
パレパントルが6年もかけずに帰れるかもしれない方法を提示してくれた。もしかしたら2日しかない週末の休息日に帰省が出来るかもしれない希望を与えてくれた。
カインは、父ディスマイヤの味方であるはずのパレパントルがなぜ?と喜んで良いのか疑ってかかるべきなのか複雑な顔で向かいに座る壮年の男性を見つめる。
「ディスマイヤ様は、実直で素直で頑固な方です。お父上がご存命の時には厳格であれと厳しく育てられておいででした。ルールの方を変えるなど……考えもしないお方です。私に養子縁組で侯爵家子息の肩書をつけるのですら、裏技だからと胃を悪くしながら手配なさったくらいです。カイン様のお若い感性とは合わないところもございましょうが……。今回の件は、けしてカイン様を疎んじての事ではないのです」
「わかっているよ、パレパントル」
「しかしながら、私には6年は長過ぎるのではないかと感じます。少し距離を置くのは有効でしょうが、時間を置き過ぎればすれ違っている距離も開いてしまうでしょう」
お早いお戻りをおまちしておりますよ、とパレパントルは言って微笑んだ。
その後、サイリユウム王国の王都へと到着すると入学手続きや入寮手続きを手早く済ませ、現地での人足を雇って荷物の運び込みもあっという間に終わらせてしまった。パレパントルは有能である。
「では、私はこれで戻ります。お体にお気をつけて」
「ありがとう、パレパントル」
馬車に乗り込むパレパントルを見送るカインは、ドアを閉めようとして一度手を止めた。一足だけ馬車に乗り込んで、パレパントルを見上げた。
「イルヴァレーノを頼む」
パレパントルは優しく笑うと、ゆっくりと頷いた。
「最強の執事に育ててお見せしましょう」
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