きみはボクの弟子だから
チョトナガイよ
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近衛騎士団の訓練場を後にしたカインは、別棟にある王宮魔道士団の詰め所へとやってきた。
ドアをノックしてしばらく待つが、誰何の声もかからずドアも開かなかったのでカインは自分でドアを開けてそっと中を覗いてみた。
灰色や臙脂色のローブを着た人々がテーブルで食事を取っていたり、壁際のソファに座って本を読んでいたり、天井の梁からぶら下がって懸垂したりしていた。…懸垂?
ぐるりと室内を見渡して、目的の人が見当たらなかったのでカインは一番身近に居た、食事中の男性に声をかけた。
「お食事中申し訳ありません。ティルノーア先生がどこにいらっしゃるかご存知ありませんか?」
「ティルノーア様?執務室じゃないかな」
執務室。それはどこかと聞いたら、食事中の男性はソファでぼんやりしていた男性に案内してやれよと声をかけてくれた。申し訳ないから場所を教えてくれれば自分で行くとカインは言ったのだが。
「君、カイン様でしょう?話は聞いていたからお会いできて感激です。ささ、お連れしますよ。ティルノーア様の執務室は入るの怖いですからね」
「…ありがとうございます?」
入るのが怖い執務室とはなんだろうか。
ティルノーアは家庭教師として魔法を教えてくれていたので、王城の魔導師団としての姿を見るのは初めてである。もちろん、魔導師団の本拠地である団棟に来るのも初めてだが。
「魔導師団はいつでも優秀な魔法使いの入団を歓迎しております。カイン様もよかったら学校卒業後は魔導師団への入団も検討してみてくださいね」
先導してくれる魔導師がそう言ってカインを勧誘してくる。ティルノーアも家庭教師中になにかといえば「魔導師団に来い」と誘ってきていた。
順調に成長しているディアーナにも、すこし治癒魔法ができるだけのイルヴァレーノにも声をかけていた。
そんなに王宮魔導師団は人手不足なのだろうか。
「神渡りの日の夜の明かりあるでしょう?あれね、王宮魔導師団が11月ぐらいから作ってるんだよ。透明度の高い
「…僕らも手伝いました」
「あ、そうなの?カイン様も?ありがとうございました。あれは前もって魔法入れておいてもだんだん光量落ちていっちゃうし、直前にやらなきゃいけなくて大変なのですよ」
「ほんの少しでしたが、お役に立てていればよかったです」
「神渡りの日にねぇ、街中の篝火に火を灯していくのも魔導師団の仕事なんだよ。学校の入学式と卒業式に花びらを降らせたり、王様の演説の拡声とか光源とかねぇ」
なかなかに、平和的な仕事内容である。
「平和だなぁって思ったでしょう、カイン様。国境あたりの小競り合いに騎士団と一緒に出向いたり、魔物退治に行ったりもしてますよ。お城に結界張ったり魔法を研究したり魔法を研究したり魔法を研究したり」
「主に、魔法の研究をしているんですね」
魔導師団の苦労話?を聞きながら廊下を歩いていたが、「ティルノーア」と書かれたプレートのハマったドアを素通りしそうになった。
「あの、ティルノーア先生の部屋はここではないのでしょうか?」
立ち止まって指をさせば、案内してくれていた魔導師がニヤリと笑った。
「さすがですね。魔力が薄い者や修練の足りない者にはドアがあることもわからないんですよ」
「隠されているんですか」
「魔法を使わない人に煩わされるのが嫌なんですよ、ティルノーア様は」
魔力が低い人には壁に見えるらしい。さらに、魔力があっても魔法を使うための訓練をしていない者には向こうに猛獣がいる鉄格子に見えたり血みどろでボロボロの木戸にみえたりするらしい。
なんとも意地が悪い。
「やーぁやーぁ、カイン様ぁ〜良く来たねぇ〜まってたよぉ」
「ティルノーア先生、ごあいさ…うぷっ」
部屋に入れてもらい、紳士の礼を取ろうとしたカインにティルノーアは飛びついて頭をなでくりまわしてきた。その後、腰を掴まれて持ち上げられるとぐるぐると回転させた後にソファに落っことされた。
「隣国に行くそうだねぇ。隣の国は魔法がないらしいから行ってもつまんないよねぇ。魔法のない国に行ったからって練習さぼっちゃだめだよぉ、カイン様」
「肝に銘じます」
向かいのソファに腰をおろしたティルノーアはテーブルの隅に置かれている箱を開けると中からカップを2つ取り出してテーブルに置いた。パチンと指を鳴らすとカップの上に水の塊が現れ、すぐに湯気を出し始めた。そしてそのままボチャンとカップの中へと落ちていった。
跳ねてテーブルの上はビチョビチョである。
同じく箱から瓶詰めを取り出すとスプーンでその中身をカップに入れてかき混ぜ、一つをカインの前に押し出した。
「セセラディの花の蜂蜜漬けだよ。お茶はめんどくさいからね、ボクはいつもこれなのさ。美味しいよ」
「いただきます。…あちっ」
甘酸っぱい赤いお湯の中に小さな花がゆらゆらと浮いている。ふぅふぅと冷ましながらゆっくりと飲んでいるとティルノーアがあちこちのポケットから飴だのビスケットだのを出してテーブルの上に積んでいく。
「転移魔法は出来るようになったぁ?」
「…自分の視界の範囲内には転移出来るようにはなりました」
「おぉ〜すごいすごい」
パチパチとおざなりな拍手をカインに送ると、ティルノーアが身を乗り出して上目遣いでカインの顔を覗いてきた。
「転移魔法、怖いでしょぉ」
「怖いです」
「下手したら死ぬからねぇ」
土魔法と風魔法を修めると、複合魔法として転移魔法にチャレンジできる。ティルノーアは昔カインにそう言った。その後、土魔法を練習して最終魔法まで使えるようになったカインは転移魔法を覚えるために魔術理論の本を読んだが良くわからなかったのだ。著者の違ういろいろな魔術書を読み、転移魔法の理屈を理解した時、いつでも何処にでも一瞬で移動できる夢の魔法ではないことを理解したのだ。
転移魔法とは、移動先に自分の体をもう一つ作りそちらに魂を移動させた後に移動元の体を消滅させるという魔法だった。
自分の見えない場所に体を作り魂の移動を失敗したら。
良く知らない場所に転移しようとして体が岩の中や水の中に作られてしまったら。
失敗したら死ぬ魔法だ。
「隣国から一瞬で戻ってこられたら良かったんですけどね…」
「それでも、突然の不幸から身を守る事も、目の前の大切なものをかばう事もできる魔法だからねぇ」
カインは眉毛をハの字に下げて苦笑いをした。
転移魔法を覚えていたこと、そしてその怖さをちゃんと理解していた自分の弟子に満足したティルノーアは腕を組んで背もたれに体をあずけた。
「ディアーナ様のことは心配しなくていいよぉ。最強の魔法使いに育てつつ、ご両親には紅茶を美味しく入れられる魔法だのお花を長持ちさせる魔法だのを教えましたぐらいの事を言っとくから。世を忍ぶ仮の姿、いいよねぇ。良い案だ。面白いってのは重要だよねぇ。つまらないことには取り組むのにも力がいるからねぇ」
「ティルノーア先生…」
「さすがカイン様の妹ちゃんだよ。とても筋がいい。珍しい闇属性魔法を使えるのも良い。お嬢様なんだから嗜む程度〜なんてもったいないもんねぇ。イルビーノ君も強くはないけど治癒魔法使えるのはエクセレント。カイン様の隙間埋めてるよねぇ」
「僕は、ついに闇と聖と治癒魔法は使えませんでした」
「それ以外が使えるんだからたいしたもんだってぇ。ディアーナ様が闇魔法を使えるし、イルビーノ君が治癒魔法を使えるんだからぁ。聖魔法だぁってこの先使える子と友達になるかもしれないよぉ。一人で出来ることは意外と少ないよぉ。出来ないことは出来る人に任せればいいんだよ」
ティルノーアは立ち上がると、ソファの背にかけてあった藍色のローブを手にしてカインの横に立つ。
ニコニコ笑いながら頭をなでたかと思えば、そのままグイグイと押されてソファの端に追いやられた。
隙間のできたソファにティルノーアが座ると、手に持っていたローブを簡単に畳んでカインに差し出した。
「魔法使いのローブをあげよう。成長期だからちょっと大き目に作ってはあるけどね。小さくなったら新しいのをあげるから、きっと取りにくるんだよ」
ティルノーアがいつも着ているものとおそろいの、裾が花びらのようにギザギザしているローブだ。体に合ったローブを受け取るという、次に遊びに来る口実も一緒に贈られた。
「ティルノーア先生。僕は先生に魔法を教わることができて楽しかったです。途中からだいぶ手を抜かれていた気もしますが…」
「カイン様が優秀な弟子だからだよぉ」
ローブを着てみせろと言われたのでその場で羽織ってみた。裾がだいぶ広く作られているのかだいぶドレープができている。回ってみろと言われたので、その場でくるりと回れば軽い素材のそのローブは丸く広がり、おそらく上から見たら藍色の花のようにみえるだろう。
ティルノーアが立ち上がって、ローブを着たカインの脇に立つ。
ティルノーアは大人としては小柄だが、12歳のカインよりはまだ背が高い。上から顔を覗き込んで、ニカッと笑うとバンバンと腰を叩いた。
「ローブを着てれば、ここに剣を佩いていてもバレにくい。護身用に剣を佩くなら上からローブを着なよ。それで隣の国では魔法使いってことで通しなぁ。切り札は取っておくに限るよ。ファービーから剣もすごいって聞いてるよ」
「ファービーっていうのは…」
カインの脳裏に、もさもさの毛皮にギョロギョロの目玉のぬいぐるみ玩具がすり抜けていった。
ファビアン副団長の事らしい。魔法学園時代の友人だとティルノーアは言っているが、カインはファビアンからティルノーアの事を聞いたことはなかった。
「カイン様。君はボクの弟子だ。帰ってくるのを待っているよぉ。にょきにょき伸びて、おっきいローブをねだりに来るのを待っているからねぇ」
カインは今度こそ、紳士の礼をして師に感謝の意を伝えたのだった。
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