そばにいるって言ったのに
カインの髪の毛は腰まで伸びました
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表面だけは貴族として取り繕いつつも、冷め切った空気の中での夕食が終わり、私室に戻ったカインはソファに音を立てて腰を下ろした。
ローテーブルの上には、サイリユウム王立貴族学校の入学案内が置かれていた。
夕食中に届くように手配されていたのだろう。
忌々しそうに眉を寄せた顔で書類を睨みつつも、視線で書類を消し去ることはできないのであきらめて書類を手に取った。
「聞いた?」
「ウェインズさんから聞きました」
何を、とは聞かないイルヴァレーノ。
執事から留学について聞いたらしい。お茶を入れて書類の邪魔にならない位置にカップをおいた。
そのままカインの後ろに立とうとしたのをカインが手を振ったので、イルヴァレーノは向かいのソファに腰を下ろした。
しばらく無言で書類を読んでいたカインは、深く息を吐き出すとバサリと書類をローテーブルの上に放り投げた。
両手で顔を覆うと肘を膝の上に乗せて頭を支えるようにうなだれた。
「イルヴァレーノ、頼む。俺の居ない間はディアーナについてやってくれ」
吐き出すようにつぶやいたカインの言葉に、イルヴァレーノがソファから立ち上がった。
「何を言っているんですか、僕もついて行くに決まっているじゃないですか」
「イルヴァレーノは留守番だ。ディアーナを頼む」
「嫌です。側にいるって言ったじゃないですか。カイン様の手が足りなければ手を貸すって言いました。怖いことにも一緒に立ち向かうって言いました。一緒に行きます」
ローテーブルを回り込み、カインのソファのそばまで来るとしゃがんでカインの顔を覗き込むイルヴァレーノ。手のひらで覆われた顔から表情は読み取れなかった。
「できないんだよ、イルヴァレーノ。サイリユウム王立貴族学校は全寮制で2人部屋の相部屋だ。侍従の連れ込みも許可されていないんだ」
「貴族学校なのにですか?そんなバカな」
学校の方針だと学校案内には書いてあった。
最低限の使用人は寮内に設置されており、用事があれば申し付けることはできると記載されているが専任ではないので本当に必要最低限の使用に留めるようにと注意書きが書かれている。
学校を卒業し、成人して貴族として働き出す前に「自分のことは自分で出来るようになろう」という趣旨があるようだ。
自分でも出来ることを、人を使ってやるということに意味があると書かれている。
カインとしてはそんなの家庭でしつけておけよという所ではあるが、侍従禁止の全寮制にぶっこまない限り性根は正せないヤツもいるということなんだろう。
「頼む。頼むよ、イルヴァレーノ。頼れるのはお前しかいないんだよ。ディアーナを頼む。俺はどうにだってなるんだよ」
「心折れて泣いていたくせに」
イルヴァレーノの言葉にカインは顔をあげて、眉毛をハの字にして笑った。
「いつの話をしているんだよ」
「ほんの少し前の話だよ…」
しゃがんで下から見上げてくるイルヴァレーノの頭を両手で挟んでワシャワシャと赤い髪の毛をかき混ぜる。
手を下げて頬を挟むとぐいっと耳の方へ押し上げて無理やり口角を上げさせてみる。
そしてそのまま、頭を下げてイルヴァレーノのおでこに自分のおでこをくっつけた。
「ディアーナが淑女として過ごす日々の、息抜きが出来る場所になってやってくれ」
「カイン様みたいに背伸びの運動やぐるぐるマシンはできませんよ」
「ディアーナが見つけた
「カイン様へ手紙を書くようにおすすめしますから、お返事を書いてあげてください」
「ディアーナが何かに成功したとき、困難を乗り越えたときには褒めてやってくれ」
「お手紙で報告しますから、お褒めのお手紙を書いてあげてください」
「ディアーナもだいぶ強くなったけど腕力でぶつかって来られれば女の子のちからではかなわない。ディアーナを守ってやってくれ」
「それなら、僕でもできそうです」
おでこをつけたまま、カインがふふふと静かに笑った。
「ディアーナの様子を手紙にして送ってくれ」
「毎日は無理ですからね」
「ディアーナに婚約話が持ち上がったら阻止してくれ」
「王太子殿下ですか?」
「アルンディラーノ以外でもだ。俺が帰ってくるまでディアーナに婚約者を作らせるな」
「…努力はしますが、期待しないでください。そのような話がでたら手紙を書きますから、飛んで帰ってきてください」
カインは、イルヴァレーノの頬を包んでいた手を放すとソファに背を預けた。
イルヴァレーノはそっと自分のおでこを撫でると立ち上がり、テーブルを回り込んで向かいのソファに座りなおした。
「お父様にも、ディアーナにイルヴァレーノをつけるように頼んでおく。お父様がだめでも、パレパントルに頼んでおく。くれぐれもディアーナを頼むよ。お前だけが頼りなんだ」
「ディアーナ様ばかりですね。カイン様はどうなんですか」
ローテーブルを挟んで、まっすぐにカインを見つめるイルヴァレーノの瞳は真剣だ。
ソファの背もたれに背を預けたまま、ずるずると体勢を崩して半ばソファからずり落ちた姿勢になったカインは弱々しく笑って手を振った。
「俺は大丈夫だよ。イルヴァレーノに何でもやってもらっていたけど、もともと自分で何でもできるんだから」
前世でアラサーまで生きたカイン。前世では自炊もしていたし洗濯も掃除も着替えも全部自分でやっていた。今の服は着るのに工夫が必要だったりする部分もあるが、一人で着れないということもない。
女性のかしこまった夜会用のドレスなどは一人で着られない作りのものもあるようだが、カインは幸い男だった。
「一人でだってやっていけるさ」
そういうカインを困ったような顔をして見つめるイルヴァレーノ。ゆるく頭を左右に振って肩をすくめてつぶやいた。
「僕がいなければ髪の毛だって結べないくせに」
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