幼年期の終わり

「え、えぇーと。イルヴァレーノ?」

「僕も、ニンジャというのを知らないのですが?」

「イルヴァレーノ!?」

「お兄様?」


イルヴァレーノとディアーナの両方から疑いの目で見つめられている。

カインは、前世で有名だった『世直し偉い人物語』を語って聞かせた勢いでニンジャと言ってしまったが、この世界には確かにニンジャはいない。

侍も浪人も殿様もいないのについてはこちらの世界にあう役職に置き換えて語れたというのに、最後の最後で大失敗だった。


「ニンジャというのは、遠い国に伝わる幻の職業で…えぇと。偉い人に仕えているんだけどその存在は秘匿されてい…」

「ひとくってなに?お兄様」

「内緒って事だよ。みんなに内緒で偉い人が雇っている人で、天井裏や床下に潜んで人の内緒話を聴いてあるじに伝えたり、影から主の身を守ったり、…主の敵をこっそりやっつけたりするのがニンジャなんだ」

「ふぉおおお」


ディアーナはきらきらと光る眼でイルヴァレーノを見つめる。何かを期待している目だ。

イルヴァレーノは目を泳がせつつ、カインに救いの目を向けたがなぜかカインは良い顔をして大きくうなずいて親指を立てて見せただけだった。


仕方なく、イルヴァレーノは一つため息をつくとソファから立ち上がり、ソファの背を片手で握るとひらりと一回転して飛び越えた。

そのまま一回バク天を挟んでグッと体を沈めると体を伸ばす勢いで床をけり、カインのベッドの天蓋の上に飛び乗った。

ベッドの天井の影に隠れて一度見えなくなったイルヴァレーノだが、ひょこっと頭だけだして小さく手を振って見せた。


「普段は黙って僕の身の回りの世話をしてくれたり、ディアーナの本の読み聞かせを静かに聞いてくれる気のいいお兄さんのイルヴァレーノだが、それは世を忍ぶ仮の姿!実はああやって影から見守ってくれる護衛としてのニンジャなんだ!」

「カッコいい!!イル君カッコいいね!」

「……なんかヤなんですけど」


世を忍ぶ仮の姿というのが大層お気に入りになったディアーナは、張り切ってのフリをするための練習を始めた。




夕飯の席に、カインのエスコートで現れたディアーナに両親が驚いた。

今までの、仲の良い兄妹として手をつないで現れていたのとは明らかに違っていた。ドアを開けた時はディアーナがカインの腕に手をそえた状態で立っていた。

部屋へと入る段階で一度手をほどき、カインの差し出した手のひらの上に添えるように手を乗せると、カインに引かれるようにして静かに食堂へと入ってきたのだ。

今まではカインが椅子を引き、さっさと自分で椅子によじ登っていたりカインに抱っこされて椅子に座らされていたディアーナが、使用人が椅子を引くのを待ち、持ち上げて座らせてくれるのを待ったのだ。


「ディアーナ?」

「どうしたの?ディアーナ」


エリゼとディスマイヤが困惑した顔でディアーナに声をかけた。ディスマイヤは、ディアーナが騎士になりたいというのを安請け合いした事をエリゼに叱られた上で、今日の騎士団訓練の見学の時にあった出来事を聞かされていたのだ。

騎士にはなれない、剣の稽古もしてはならないと叱られたことにまだ拗ねて、ふくれっ面で現れると思っていたのだ。

もしくは、カインにうまい事なだめられてご機嫌になっているかもしれないという希望的観測も持っていたが、これはその予想とも違っていた。


「お父様、お母様。ご心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。公爵家の令嬢として、騎士団の訓練に混ざるなどとても恥ずかしい事だったとお兄様から注意されてしまいました…。反省しております。お許しください」

「ディアーナはとても可愛らしく愛らしく可愛らしいので、いざという時に身を守れるようにと護身術のつもりで剣を教えていたのです。浅慮だったと反省しております。けっしてディアーナの淑女らしさを損なおうと思っての事ではない事はご理解ください。お父様、お母様」


子ども二人はそろって頭を下げた。

その変貌ぶりに、ディスマイヤとエリゼは言葉を飲み込んでしまった。

エリゼはディスマイヤから、改めて剣の練習をあきらめ淑女として勉強を頑張る様にと注意してもらうつもりだった。

ディスマイヤも、エリゼから騎士団の訓練に突発で参加したこととアルンディラーノに一撃を入れようとしたことを聞いてなんとかディアーナを諫めなければならないと色々と言葉を考えていたのだが、それがすっぽりと抜けてしまった。


「いや…。理解してくれたのなら良い。頭を上げて食事にしなさい」


父ディスマイヤの言葉を受けて、頭を下げたままのカインとディアーナは目線だけ動かして目を合わせると、ニヤリと笑った。

――作戦通り。


2人は顔を上げる前にお澄まし顔に戻すと、姿勢を戻して静かに食事を始めた。

綺麗なマナーで食事を進めていく中で、ディアーナが豆を口に入れるときにウェッと言う顔をしたのを見て両親はホッとしたぐらいだった。




夕食後、カインの私室に再度集まった子ども3人はソファに座ってお互いの顔を見合わせていた。


「お父様とお母様、あんまり怒らなかったね」


口火を切ったのはディアーナである。

くりっと頭を傾げてほっぺたに手を添えたポーズのあまりの可愛さにカインは身もだえている。


「控えの間で聞いていましたけど、奥様と旦那様はすっかり二人が心を入れ替えたと思ってくれた様でしたね」

「イル君、天井裏じゃなかったの……?」

「……。控えの間に居る方が自然なのですよ、あの場合は」

「なるほど!」


ディアーナはすっかりイルヴァレーノをだと思いこんでいる。

ディアーナの質問に答えながらもイルヴァレーノは恨めしい目でカインを睨んでいる。今、カインの侍従なのは仮の姿でも何でもない。なだけで今はすっかり真っ当な公爵家の使用人である。

……カインに頼まれて時々薄暗い所で待機したり届け物をしたりする事はあるがそれだけだ。


「言葉で反省するだけでなく、態度で表したからだろうね」

「ディ、ちゃんとレディだった!?」

「立派な淑女だったよー!とても素敵だったよ!お澄まし顔のディアーナもとっても素敵だった!お父様もお母様も見とれてたでしょう?」


カインがディアーナを褒めて頭をなでて抱きしめて頭のてっぺんの匂いをクンクン嗅いでまた褒める。

ディアーナはされるがまま撫でられながら、気持ちよさそうに猫のように目を細めていた。


「明日からは、一緒に受ける授業と授業の隙間時間やお茶の時間の前と後の自由時間なんかに剣や体術を教えてあげるよ」

「イル君からもニンジャ習いたい!」

「……。午前中の家庭教師の合間で良ければ」

「やったね!ディアーナ。最強の淑女になれるね」

「ふおぉおぉぉ!最強!」




この日から、ディアーナは大人の前では大人しく礼儀正しい女の子として振る舞うようになった。

カインも人前ではディアーナを淑女として扱い、紳士としてエスコートした。

2人の変わりようにはじめは戸惑っていたエリゼとディスマイヤだが、やがて子どもの成長を喜んで受け入れた。


その裏で、カインとディアーナとイルヴァレーノはカインの私室では素の言葉で話し合い、ニーナごっこの延長として剣の練習をし、淑女のフリをするための練習もした。

カインは、子ども達だけで過ごす間は普通の態度で接することで、ディアーナのストレスを発散させるようにしていた。


この事について、パレパントルには筒抜けだったハズであるが特に両親から何かを言われることはなかった。

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