どちらに転んでも大丈夫。

誤字脱字報告ありがとうございます。助かります。

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ガタゴトと、馬車が石畳を行く振動に揺られてディアーナがカインの膝の上で寝ている。

カインと繋いでいる手のひらにはもう怪我の跡は無かった。カインは指先で手のひらをコショコショとくすぐると、ディアーナはぎゅっと手のひらを握ってムゥと唸った。

柔らかく微笑んだカインは「綺麗に治して貰って良かったね」と寝顔に向かって話しかけている。


「だから、ちゃんと治ると言ったでしょう。刺繍中に針を刺してしまう事もあるから、治癒魔法士が常に控えてくださっているのですよ」


ため息をつきながら、母エリゼが呆れたように言う。

カインはチラリと視線を母に向けて、すぐにディアーナの寝顔へと戻した。


「王家より何か言われたら、迷わず僕を廃嫡してください」


繋いでいない方の手でディアーナの髪を撫でるカインが、母に向かってそう呟いた。そこに、悲壮感は無かった。


「王妃様はお優しい方です。会に参加している気心のしれた人達しか居ない場での出来事ですし、結局は怪我もさせていません。そこまで厳しい処罰は求めてこないでしょう」


エリゼは気遣うようにカインの膝をさすりながら答える。さすがにカインが反省したのだと思ったのだ。


「僕が廃嫡となれば、エルグランダーク公爵家の跡取りはディアーナになります。そうすれば嫁に行くのではなく婿を取ることになります」


カインは反省していなかった。

穏やかな顔でディアーナの寝顔を見ながら、カインはふふふと含み笑いをする。

王太子とディアーナが婚約するにはディアーナが王家に嫁入りするしかない。婿取りが必要となれば王太子との婚約が結ばれることは無くなる。

カインが廃嫡されて家を追い出されればディアーナの兄として守ることは難しくなるが、少なくとも王太子の婚約者になることは阻止できる。


「あなたはどれだけ王太子殿下が嫌いなの……お会いするのは今日が初めてでしょうに」

「王太子殿下が嫌いなのではありません。ディアーナを愛しているだけです」

「はぁ…。帰ったらお父様に叱って頂きますからね…」

「すでにお母様にもげんこつ貰ってますが…」

「足りません。反省してないじゃないの。貴族の子なのだから、もう少し感情を抑える事を覚えなさい。このままだと、あなたの前でディアーナの頬をツネって見せて、無表情を維持させる訓練をしなければならなくなります」

「ディアーナが可哀想なのでやめてください!」

「ならば、感情を抑えられるようになりなさい。ディアーナが絡んだときのあなたは本当に酷い」

「……精進いたします」

「普段は出来過ぎな程に出来る子なのに、どうしてこうなってしまったのかしら」


公爵家に戻ったカインは、父が帰宅するまでの間、自室への謹慎を命じられた。

刺繍の会が早く終わってしまい、それに伴って帰宅も早くなってしまったためにイルヴァレーノはまだ戻ってきていない。

ディアーナも母に足止めされているのか遊びに来ない。


ソファにドサリと座って両手で顔を覆う。

「はぁー」

大きなため息をついて腰を折り、手で覆ったままの顔を膝にのせてうずくまった。


刺繍の会に行くからと、午前も午後も夕方も家庭教師は皆休みにして貰っている。謹慎だから邸の周りをランニングして発散する訳にも行かない。

イルヴァレーノもディアーナも居ない、ひさびさの完全な一人きりの時間だった。



「ゲームがしたい」



こぼしたつぶやきが柔らかい絨毯へと吸収されて消えていく。


実況用にプレイしていたアンリミテッド魔法学園は全ルートクリアして動画編集をしている所だった。

実況関係無く趣味でやっていたオンラインゲームや、通勤時間に電車の中でコツコツと微課金でやっていたスマホゲームは途中だった。

予約して届くのを待っていた数量限定特装版の新作ゲームも受け取れないままだ。


とにかくゲームがやりたくて、給料が安くても定時で上がれる会社に入った。大作ゲームの発売日には有給休暇を取って初日のうちに中盤程までやり込んだ。


ゲームが好きだった。


ゲームを作りたいとは思わなかったが、ゲームプレイでお金が稼げたら幸せだと思った。

e-スポーツという言葉が出来て、実際にゲームプレイでお金を稼ぐ手段は出来つつあったが、カインは前世で人と争うタイプのゲームはあまり得意ではなかった。

それで始めてみたのがゲーム実況動画の配信だった。

最新作のネタバレをしたくなくてストーリーの無いアクション系のゲームから始めた。ストーリーがあるものでも切り取り方で動画視聴後でもゲームをやりたいと思わせる編集を研究して、ようやく月に一本くらい新作ソフトを買えるぐらいの小遣いを稼げるようになって。

コメントなんかを貰うようになって、小学校の頃ゲームの進捗を競い合ったり攻略方法を教え合ったりしていた頃の楽しさを思い出したりして。

改めて、ゲームは楽しい!みんなとゲームの楽しさを共有したい!

そう思って張り切っていた。そして、張り切りすぎて今がある。


「ゲームがしたい」


俯いて、膝に乗せた手がコントローラーを握る形になる。ボタンを押そうとして、トリガーを引こうとして、指が空を切る。


本が好きで、転生先の異世界で本を作る物語があった。

食べるのが好きで、異世界で味噌や醤油を作る物語があった。


この世界で、トランプやリバーシや双六といったゲームを作ることは出来るだろう。カインは王家に次ぐ最上位貴族の息子として生を受けた。求めれば材料の調達も職人を雇っての量産も可能だろう。


でも、発電施設を建設する。テレビを開発する。基盤を開発する。プログラミング言語を開発する。

そんなのはカインには無理だった。金と権力でどうなるものでもない。


転生したからには、この世界でカインとしてちゃんと生きていこうと思ってる。

普段は鍛錬に勉強に打ち込んで、使用人や家族が常に側にいて話し相手になってくれて。

カインの体は、ゲームのレベル上げのようにやればやるほど能力が上がっていくので面白かった。だから、勉強にも鍛錬にも打ち込めた。

ディアーナは可愛いし素直に育っていて順調に悪役令嬢への成長というあらすじから外れて行っているし、イルヴァレーノがツンデレ気味だが今のところ心に闇を抱えてはいない。順調にゲームを攻略しているという実感はあった。


母から言いつかっているのか、廊下を行き来する使用人の気配もない。

転生して、カインとして産まれてから本当に1人きりになったのはもしかしたら初めてかもしれない。



「ゲームがしたいなぁ」



無責任に、失敗してもロードすればやり直せる、セーブデータをいくつも保存できる、人事ひとごととして感動して泣いたり笑ったりできるゲームがしたかった。



ある程度あらすじの解っている人生ゲームの、全く新しいエンディングを、しかもノーコンティニューで目指さなくてはならない攻略は孤独だしハードモードで辛かった。



ポッカリと何もない時間が出来たことで、カインの心は折れそうだった。

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