乱暴。怒りのカイン

カインのやってきた課題の刺繍は、参加している夫人や令嬢達から大変褒められた。

カイン自身もとても上手く出来たと自負していたし自信もあった。しかし、その後に発表された参加者達の成果物をみて「は上手ですね」という、初心者に対する褒め言葉でしかなかった事を知る。

丁寧さが全然違った。すべてチェーンステッチで刺繍されているが糸の色換えで躍動感を表現していたり、立体感を出すのに何重にも糸を重ねて刺繍していたり、瞳にビーズを使っていたり。

その上、彼女たちは課題の他に自分たちそれぞれの作品も同時進行で刺繍をしているのだ。

自分は攻略対象キャラクターだし、何だってやればやるだけ上達すると自惚れていたことにカインは反省した。


母と反対どなりに座ったのはスワンティル侯爵夫人で、今は娘の結婚式のベールに刺繍をしているのだと言った。

ディアーナの婚礼衣装に刺繍をするのが目標のカインと話があった。結婚でよく使われる意匠やおめでたいとされる花や動物などを教えて貰ったり、結婚相手の髪や瞳の色を盛り込むと喜ばれるといった話で盛り上がっていた。

ディアーナの幸せな結婚ドレス姿を想像し、ご機嫌でスワンティル侯爵夫人の刺繍の手捌きを見学させて貰っていたその時。

子どもたちの遊んでいるガラス壁のテラスの方からガラガラと大きな音が聞こえてきた。


積み木が崩れてラグの外の硬質な床の上に大量に転がった音だった。

音に驚いてからそちらを見ても、まだ円柱や球型の積み木がコロコロと転がっていてその崩壊の勢いが伺えた。

崩れた積み木の前にはディアーナが立っていて、その腕が前に立つ男の子に強く引かれていた。

ディアーナがイヤイヤと首を振り腕を離そうと肩を揺するのにカッとした男の子は、腕を放してディアーナの肩をつきとばした。

ディアーナは、引かれていた腕を急に離されたのと突き飛ばされたのとで、バランスを崩して尻餅をついてしまう。


その、一部始終をカインが見ていた。


「カイン!」


母エリゼが声をかけ隣の席のカインの体をつかもうとしたが、間に合わなかった。カインの動きはそれほど速かった。

椅子から飛び降りてディアーナの前に駆け込んでしゃがみ込むと、顔を覗き込んで「大丈夫?」と声をかける。

尻餅をついてビックリしていたディアーナは「うん」と頷くが、カインがその手を取って手のひらを広げさせると、擦り切れて血がにじんでいた。

遅れてディアーナの側にやってきたエリゼは、ブチンと何かが切れる音を聞いた。


立ち上がったカインは、目の前でおろおろと立ち尽くしていた男の子の前に立つ。目をつり上げてキツく睨みつけている。

男の子は、オドオドしながらも「な、なんだよ」と強気にカインを見上げて威嚇している。


「カイン、ディの怪我はかすり傷だし控えの間に治癒魔法士も待機しているからすぐに治るわ。落ち着いて」


母の声を無視してカインは、一歩前にでるとガッと両手で男の子の顔を掴む。本当は片手でがっちりとアイアンクローをかまして持ち上げるぐらいしたかったが、7歳の手では無理だった。

逃がさないために両手で挟み込むようにこめかみを押さえ込むカイン。ゆらりとカインの髪が持ち上がる。青い瞳が紫色にゆらゆらと変わっていくのを見て男の子はブルブルと体を震わせる。


「控えの治癒魔法士が怪我を治せば不問となるのであれば。僕が彼を怪我させても不問になりますね!?」


そう言ってカッと目を見開き、手の先にゆらりと陽炎が立ち上った瞬間にカインの体は勢いよく後ろに引き上げられた。

男の子の頭を掴んだまま引き倒せるほどの握力は無いためカインの手は体と一緒に宙に浮いた。

その瞬間、空中にごうっと炎の塊が現れた。カインの両手の間に現れたその炎の塊は近くにいた者に熱い風を叩きつけて、やがて消えた。


カインは、母エリゼに襟首を掴まれてぶら下げられていた。襟が喉をしめて息苦しいはずだが、歯を食いしばって怒りの形相で男の子を睨みつけ続けていた。


「バカカイン!何てことをするのですか!大怪我させる所でしたよ!」

「先にディアーナに怪我をさせたのは彼です!許せません!」

「やり過ぎだと言っているのです!魔法を使うバカがどこにいますか!」

「許せません!許せません!彼は許されざる悪行を行いました!」


エリゼからぶら下げられている状態でじたばたと手足をバタつかせるカイン。エリゼが襟を離すと綺麗に着地して母エリゼを睨みつける。


「嫌がる女性の手を強く引き、思うとおりに行かないからと突き放しました!こんな乱暴なことは許されません!」


カインは悔しそうに叫ぶ。


「男子たるもの女性は敬わなければなりません。女性は大切にしなければなりません!女性は、女の子はか弱いのです。繊細なのです。薄張りガラスで作られた薔薇細工のように、手のひらで受けた雪の結晶のように、洗濯桶から浮かんだシャボンのように、どれだけ優しく触れても壊れる儚い存在なのです!それなのに強く腕を引くなんて!握ったところに痣が残ったらどうするのです!関節が抜けたらどうするのです!」


カインは涙を浮かべて叫ぶ。


「女性は人類の宝です!子を産むことが出来るのは女性だけです!乳をやって育むことが出来るのは女性だけです!女性が居なければ人類は子孫も残せないのです。突き飛ばして尻餅などつかせて、腰を悪くしたらどうするのです!子を成せなくなったらどうするのです!女性は尊い存在です。人を産み育て人類を繁栄に導ける女性という存在は敬うべき女神です。それを突き飛ばした!これは神に弓引く行為です!背信行為です!神への冒涜です!」


カインはうつむいてつぶやく。


「治癒魔法士で治せる怪我なのだから許せというのであれば、相手もそうであるべきです。身分差で罪の重さが変わる事があってはなりません……」


母エリゼは大きなため息をついた。


「だからと言ってさせなくて良い怪我をさせるのはいけませんよ。謝りなさい」

「彼がディアーナに謝るのが先です」

「彼は、人に頭を下げません」


母の言葉に確信する。そうではないかと思っていた。

人前で人に頭を下げられない人物とは、すなわち王族である。ディアーナを突き飛ばした彼は王太子だったのだ。

カインは、王族に怪我をさせようとして魔法を使った大罪人だ。


パンパンと手を打つ音が室内に響いた。


「今日はお開きに致しましょう。刺繍は心落ち着けてするものです。今日は心騒いで仕方がありませんからね」


王妃が部屋を見渡しながら声を張る。


「今日の埋め合わせに、皆様には後日お茶会へご招待いたします。来たばかりなのにごめんなさいね」


母エリゼが、王妃に向かって深く頭を下げる。


「連れてくるべきではありませんでした。危うく大怪我させてしまうところでした。申し訳ございません。沙汰は如何様にもお受けいたします」


カインも隣にたって頭を下げる。


「刺繍の会を台無しにしてしまい、申し訳ございませんでした」


カインは、決して王太子に怪我させようとした事については謝らなかった。

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