今出来ないなら、出来るようになれば良いだけだ

誤字脱字報告ありがとうございます。助かります。

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母エリゼが、王宮から帰ってくるなり「次回はディアーナも連れて行きますよ」と言った。


エリゼは今日『王妃主催の刺繍の会』に参加していた。

王妃主催の刺繍の会とは、王妃様と一緒に刺繍をしましょうという会で隔月で開催されており、基本的には侯爵以上の上級貴族しか参加できない。その上「刺繍には興味ないけど王妃様とお近づきになりたいわ!」という下心で参加するとすぐに見抜かれ逆に嫌われるという、結構ガチな会らしい。


各々自分で目標をたて、そこに向かって努力し、わからないところをお互いに教え合って皆で技術を研鑽していこうという趣旨らしく、エリゼも毎度宿題を持ち帰っていたりする。


ちなみに『王妃主催の詩集の会』という、詩歌を楽しみ、季節ごとに詩集を出す会もあるらしい。母はそちらには興味が無いらしく参加していない。


「ディアーナを連れて行くんですか?ディアーナはまだ刺繍をしたこともないのに?」


ディアーナではなく兄であるカインが聞き返す。

話題の本人はきょとんとして母を見上げていた。


「誰にでも初めてというものはあるものです。初めから高い技術に触れるのは良い事だと思いませんか?カイン」


「お母さまの言うとおりです。ですが、それならお母さまの手引きでも良いでしょう。お母さまの刺繍はとても美しいし、手も早いではないですか」


刺繍はあまり師事して習うというものではない。母から娘へ、その技術や図案、ちょっとしたコツなどを伝えて行くものだとされている。

だから、カインの言うことは至極まっとうな意見ではある。


「もちろん、次の会までに基本はわたくしが教えます。ディはきっと優秀ですからね。刺繍仲間に自慢したいのですよ」


「その会に、王太子殿下は参加されますか?」


カインの心配事は、これだ。


ディアーナが刺繍のつたなさで恥をかくとか、大人の集まりに参加してもつまらないのではないかとか、そんな心配はしていなかった。

ディアーナは存在自体が奇跡のような尊い可愛らしさなのだから、全人類から愛されるべき存在であり、ぞんざいに扱われることなど杞憂だと、カインは真面目に思っている。


カインの心配事は、ディアーナが王宮へ行くことそのもの。王太子と会い、婚約を結ばれてしまうことだ。

ド魔学の王太子ルートでは、ディアーナは形だけ結婚した後地方のおっさん貴族に下賜されてしまう。そんな不幸な目にディアーナを合わせるわけには行かない。王太子との婚約は何としてでも阻止しなければならないのだ。


「カイン。あなたは何を考えているのですか……」

「お母さま。王太子殿下は、刺繍の会に参加されるのですか?」

「わかりません。王妃様のお心次第ですね」


カインの重ねての質問にエリゼはそう答えたが、エリゼの目が一瞬泳いだのを見逃さなかった。誤魔化されたが、来るのだ。王太子が。

お見合いまで行かなくても、顔見せの意味合いがあるのだ。


「お母さま。次回の刺繍の会、僕も連れて行ってください」

「……え?」

「ディアーナだけでなく、僕も刺繍の会に連れて行ってください」

「刺繍に興味もないのに行っては、王妃様から不興をかいますよ?」

「あります!刺繍にめっちゃ興味あります!」


「カイン様、言葉使い」

「あります!刺繍にとても興味あります!」


じっとりとした目でカインを見つめるエリゼ。

真剣な眼差しでエリゼを見返すカイン。

根負けしたのは、エリゼだった。ため息を付くと、侍従に持たせていたカバンから一枚の紙を取り出してカインに差し出した。


「次回の刺繍の会で御披露目する事になっている図案です。写しをあげますから、次回の会までに完成することが出来たらあなたも連れて行きましょう」


覚悟を見せろ。エリゼはカインにそう言っているのだ。


「機会をくださり、感謝いたします。お母さま」


うやうやしく図案を受け取ると、深く頭を下げた。




その日の夕食後、カインの私室にて。


「おまえ、刺繍なんか出来るの?」


イルヴァレーノが、どさりと大量の布の切れ端をローテーブルに載せながら聞いてくる。

カインに言われて洗濯担当のメイドから貰ってきた廃棄前の布などだ。もちろん、刺繍の練習用である。

使い古して生地が薄くなっているものは刺繍には向かないからと、落ちない汚れが端に付いてしまったテーブルクロスやシーツ等をハンカチ程の大きさに切り分けてくれた物だ。


「出来ないから練習するんだろ」


そう言ってハンカチ大の布切れを一枚手に取り、母から借り受けた刺繍枠にはめこむ。


「嫌な予感がするが、聞いても良いか」

「なんだい?イルヴァレーノ」


イルヴァレーノがカインの手元を指差ゆびさす。カインは2つ目の刺繍枠に布をはめこんでいた。

何故か刺繍枠が2つあるのだ。


「なんで、刺繍する道具が2つあるんだ?」

「おまえもやるからに決まってるだろ」

「なんでだよ」


カインは刺繍枠をひとつイルヴァレーノに押しつけると、図書室から借りてきた刺繍の本を開いた。


「糸を引くって何……え?糸ほぐすの……なんでほぐすの……」


カインは二人掛けソファに斜めに座りながら片膝を立て、靴を脱いだ足先で本が閉じないように押さえている。

質問に返事もしないで本に集中しているカインに向かってため息を付くと、学習用に使っている机からブックスタンドを持ってきた。


「行儀が悪い。ある道具は使え」

「サンキュー」

「さ?何?」

いにしえの遠い国の言葉でありがとうって意味だよ」


そう言ってブックスタンドに開いた本を立てかけてクリップで閉じないように固定する。もう一冊借りてきた別の初心者向けの本を向かいに座るイルヴァレーノに押しつけた。

仕方なくパラパラとめくるが、全くの未知の世界だった。図解されていたりもするが、その図の見方さえわからない。


「それこそ、奥様に教えを乞えば良いじゃないか」

「それはなんか負けた気がするからヤダ」

「負けず嫌いめ」


イルヴァレーノは手に持っていた刺繍枠をテーブルに置くと、1人用のソファに座って刺繍の本を読み始めた。

カインは読みながら実践していくタイプで、イルヴァレーノはじっくり読み込んで理解してから実践に入るタイプだった。

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