急がば回れ。千里の道も一歩から。

話の区切りの関係で短めです

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夕飯後の自由時間にチクチクと刺繍の練習をする男子二人。


「ここまで縫って思ったんだけど」

「なんだよ」


刺繍枠いっぱいに糸が縫われている布を眺めながらカインがボソリつぶやく。

布には、5ミリの縫い目が同じ幅ずつの間をあけて縫われている。


「ランニングステッチって、普通の並縫いと何が違うの?」

「なにがだよ……これは、並縫いじゃないか?」


刺繍はしたことが無くても、孤児院で繕いもの等をやっていたイルヴァレーノ。カインの刺繍練習の刺し跡を見て並縫いだと判断した。


「『布の下から針をだし、5ミリ隣に布の上から針を刺す。次は5ミリ隣に布の下から針を刺す。これをなるべくまっすぐに繰り返します』これを言われたとおりにやってみたんだけど」

「それはなみ縫いだな」

「読み方が悪いんだろうか…?」

「糸が太くて模様に見えれば普通に縫っていても刺繍ってことになるんじゃないか?」

「それだ!」


納得したカインはページをめくってまた新しいステッチに挑戦しようとしている。イルヴァレーノは図案を布に写してとりあえずチェーンステッチで縁取りを縫い始めた。


「バックステッチって、本返し縫いとは何が違うんだ?」

「またかよ。……これは、本返し縫いだなぁ…」

「刺繍界ではこれをバックステッチって呼んでるって事にする」

「それがいいな」


カインは、布の端から端までバックステッチで縫っては折り返し、また布のみ端までバックステッチで縫う。ということを繰り返している。縫い目が布いっぱいになると、最後の方は目も均等でまっすぐに縫えるようになっていた。

自分の刺繍枠を改めて眺めたカインは「よし」とつぶやくと布を枠から外して新しい布をはめ込んだ。


「地道だな、そのやり方で次の会までに間に合うのか?」


イルヴァレーノがカインの外した布を拾って眺めながら聞く。自分の手元の刺繍枠には、図案の下書き線と三分の一ほどが糸で埋められている布がはめられている。とりあえず幅の稼げるチェーンステッチで図案を埋めていこうという作戦らしい。


「急がば回れだ。基本をはじめにしっかり身につけておいた方が後々楽なんだよ」

「お前のそういうところ凄いと思うけどな…」

「思うけどなんだよ」

「ディアーナ様と王太子殿下の婚約阻止とかいう妄想の為にやってるかと思うと素直に尊敬できないなと」


そもそも、本当に王太子と貴族令嬢の顔合わせの意図があるのかも怪しいし、そうだとしてもおそらくディアーナ以外の令嬢も呼ばれてるんじゃないかとイルヴァレーノは考えていた。その場合、必ずしもディアーナが選ばれるとは限らない訳だし、こんなやったこともやる必要もない刺繍なんかをしてまでついて行く必要ないんじゃないかと思っている。

その事を素直に口にしても「ディアーナ以上に可愛い女の子なんて居ないんだから選ばれてしまうに決まってる!」とか言い出して受け入れてくれないのは想像に容易いので口に出しては言わないが。


「まぁ、切っ掛けのひとつだよ。どんな事だって出来ないよりはできた方が良い。イルヴァレーノだって、刺繍が出来るようになったら孤児院の女の子たちに刺繍を教えてやれるじゃないか」

「……」

「刺繍が出来れば、奉公先の選択肢も増えるんじゃないか。雑用として雇われるのではなく、お針子として雇われれば出世だって出来るかもしれないよ」

「……カイン様」

「給金を孤児院に入れるなら、一部は布と刺繍糸の現物で差し入れすれば良い。神殿の大人たちに無くされる事もないだろうよ」


先日、孤児院に慰問に行った際に本の読み聞かせをしようと思ったら、カインの差し入れた『文字を覚える絵本』が無くなっていたのだ。

比較的流通しているとは言え、庶民からしたら本は高価なものなのだ。中古でも売ればまとまった収入になる。

子どもたちは何も言わなかったが、孤児院の大人に売られてしまったんだろうとカインは思っている。


イルヴァレーノはやりかけの布を枠からはずし、新しい布をはめ込んだ。


「俺も基本からやっていく事にする」

「そうかい」


2人でチクチクと布を針で刺していく。

端まで縫って裏側で糸をくぐらせて、ハサミで糸を切るパチンという音が響く。


「カイン様、ありがとう」


布から目を離さず、うつむいたままでイルヴァレーノがつぶやいた。


「どういたしまして」


うつむいたままのイルヴァレーノは、カインが嬉しそうな笑顔で答えた事に気が付かなかった。

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