第4話

 母は立ち上がり、ノートをデスクに無造作むぞうさに放った。

 あずさのスクラップした記事がちらりと見えた。母は梓に近づきそっと体を押しつけた。母の首に噛みつく蛇が、さっきのコンクリートよりも冷たく感じられた。

「どうしてお母さんがいるの?亜紀あきちゃんは安西先生あんざいせんせいの仲間の人がいるって」

 あずさびんそでに隠し震えていると、母は笑いながら部屋を歩き回る。さっき入ってきたはずのドアはなくなっていた。

「ふふふ。馬鹿ね。直接会ったわけでもないのにどうして安西あんざいの仲間だと確証が持てるの?危険だわ」

「でも解毒剤の作り方も教えてくれて」

「そんなのあなたたちを信用させるために決まってるじゃない。これだから子供は目が離せないのよ」

 母は石の箱の間を歩きながら、壁画の描かれた壁をなぞった。牙に血のついた蛇はちろちろと舌を出す。

「ねぇお母さん、その蛇なんなの。その蛇がついてからお母さんおかしいよ」

 母がぴたりと動きを止め、険しい目で梓をにらんだ。

 梓はすくんだ。母のそんな目は一度も見たことがなかった。

「おかしくないわ。お母さんはいつでも梓とけんちゃんのために生きてる、梓とけんちゃんのお母さんよ。世の中の大勢の母親と何も変わらないわ」

 梓は母の剣幕けんまくに膝を震わせる。母はまた笑い始めた。

「お母さんずっと不安だったの。だってお母さんシングルマザーでしょ。梓たちをちゃんと普通の子と同じように育てなきゃといつも思ってきたわ。なのに二人とも普通の子よりもできないじゃない。いつまでも小さな子供よ。お母さん頑張ってきたわ。毎日泣きそうになりながら、私がやらなきゃって思ってた」

 梓はがくぜんとする。梓も私がやらなきゃと思ってきた。

 私、お母さんとそっくりなんだ。

「でも悪い子の面倒を見るのはそろそろ疲れちゃった。だからもっと楽に面倒がみられるようにネットで知り合ったこの方にご相談したの」

 母は部屋の中央の箱のふたを開けた。

 箱の中では赤黒い巨大なかたまりがもぞもぞ動いている。塊には縦に黒い線が入った金色の目のようなものが十数個ついていた。

 梓は気持ちが悪くて口をおおった。

 クスクス笑う母が梓の肩に手をかける。

「怖がらないで。私たちはみんなあの方の一部なんですから。それにほら、よく見てみて。梓が会いたがっていた安西あんざいも安西の仲間も、亜紀あきちゃんも、みーんなあそこにいるわ」

 梓は目を凝らして肉塊にくかいを見た。肉塊の間から、ちらほらと紫色の人の顔が見えた。

 ネット記事で見た安西教授あんざいきょうじゅの顔、大学生くらいの若い男や女の顔、親友の亜紀あきの顔。

「なに、あれ」

「この国の昔の王様おうさまよ。元は八つの頭を持つ大きな蛇だったんだけど、『タンパク質』が足りないみたいで今はちょっとカッコ悪いの」

「王様?」

「そうよ。あそこに描かれているでしょ」

 母は梓の顔をかさついた両手で上向け、自分もうっとりと天井の画を見上げた。

 天井には太く長い八本の線がどす黒い色で描かれていた。線は途中で何本にも別れ、周囲に描かれた人間たちに巻きついている。

「元々この国は言うことを聞かない悪い人間たちを王様が毒で麻痺させ従わせていたの。王様と特に相性のいい者は王様の分身と同化して全員に毒が行き渡るようにしたわ。なのにある時とってもひどい奴が王様の八つの頭をバラバラにして、棺に入れて、墓に閉じ込めたの。王様は長い間眠っていたのよ。安西のお陰でやっと目覚められたけど。分身を放った王様はこの時代は相性がいい者が多いと大喜びしてたわ」

 母は梓の二の腕をさする。

「でも時々毒の効かない悪い人間もいるのよ。そういう人はああやって『タンパク質』にするしかないの」

 母は梓の首をデスクの上のオムライスに向けさせる。

「せっかく子育てが楽になると思っていたのに梓が悪い人間だったことがわかってしまったわ。これじゃ本末転倒。梓はお母さんの可愛い娘なんだから悪い人間でいられたら困るの。それで王様に頼み込んだら梓にチャンスを与えることが許されたわ。あそこのオムライスを食べて。梓の大好物でしょ」

「何が入っているの?」

「別に。普通のオムライスよ。いつもよりちょっとだけ『調味料』が多めだけど。飲んできた薬のおかげで食べても気持ち悪くならないわ。食べたらすぐにみんなと同じようになれるからね」

 なんてことだ。最初からそのつもりで亜紀に解毒剤の作り方を教えたのだ。

「断ったら?」

「王様の『タンパク質』になってもらうわ。さすがのお母さんももうお手上げ。あ、ちなみにそれだと梓の『お母さん』も『タンパク質』になっちゃう約束だから。全ては梓のためよ」

 母の肩に乗る蛇がチロリと舌を出す。

 梓は喉がカラカラと焼けつくように乾いた。怒りと悲しみが胸にもやもやとした炎を燃え盛らせた。だがそれを全く悟られないように、梓 はつとめてにっこりと笑い明るく答えた。

「わかった、食べる」

 いつもそうして来たもん。きっと今だって乗り切れる。ううん、乗り切らなくちゃ。

「ふ。よかった。これで梓も普通になれるわね」

 母は手を合わせて満面の笑みになった。

「でもその前に亜紀ちゃんに挨拶させて」

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