第七話

「──🎶♬♩♫♪♪……」

 ブラウン・カンパニーのカルテットが背後で音合わせを続ける中、リリィは騎士団が力を合わせて作った即席のステージの上に立った。

 いつもは怖いステージだったが、不思議と今日は怖くない。

 サンドリヨンが全身でハンドポンプを使い、周囲の客にビールを配る。誰もが笑顔で、誰もがとても幸せそう。

(それに何より、正面には旦那様がいる)

 誰が持ってきたのか、ダベンポートはアームのついた大きな椅子に心地良さそうに収まっていた。左肘をアームについて頬杖を突き、長い脚を組んで優しくリリィを見つめている。

 やがて音合わせが終わったのか、カルテットが楽器の演奏をやめた。

「さてリリィさんや、始めようか」

 カルテットの指揮をするブラウン老人がリリィに合図を送る。

 リリィは黙ってブラウン老人に軽く頭を下げると、まっすぐ正面を向いた。

「こんばんは皆さん。今日はカフェ・シンデレラの開店記念パーティにおいでいただいて本当にありがとうございます」

 リリィの涼やかに通る声にそれまでハンドポンプを使っていたサンドリヨンが手を止める。

 店内のお客も一斉に黙ると、それぞれ椅子を動かしたり身体を回したりしてリリィに注目した。

「今日はとっても素敵な日です。わたしが大好きなサンドリヨンさんが王国に定住することを決めて、そしてこんな素敵なお店ができて、わたし本当に嬉しいんです」

 感情が高まり、思わず涙が滲む。

 リリィは涙を手の甲で拭うと、周囲を見回した。

「だから今日は一生懸命歌います。みなさんと楽しめれば嬉しいです。では最初の歌はハウスメイドだったら誰でも知っている歌、『箒は丸く掃け!』です」

 リリィは深呼吸するとゆっくりと歌い始めた……


『箒は丸く掃け!』は少しコミカルな、メイドがお部屋を掃除する時に口ずさむ歌だった。自然と店内の空気がほぐれ、周囲には暖かな雰囲気が満ちる。

 それに励まされるように、リリィは次々と歌を披露していった。

 『ルンラルンラリン♪』

 『バーバラの釣鐘草』

 今日はキキはいない。キキは今頃リビングのソファの上で丸くなって眠っていることだろう。

 でも不思議と寂しくはなかった。

 不安感も感じない。まるでキッチンで鼻歌を歌うようなリラックスした気持ちでリリィは歌をうたうことを楽しんでいた。

 リリィがちらりとダベンポートを見る。

 ダベンポートが笑顔を浮かべ、目を閉じて静かに身体を揺すっている。

(旦那様のお歌は少しアレだけど、でもとっても楽しんでいるみたい)

 ますます嬉しくなって、リリィは次の歌、『最後にひとつまみ』を歌った。

 そこで一度頭をさげ、少し休むことにする。

「この歌はお料理をするときの歌なんです。お料理ができあがった時に最後の仕上げに塩をひとつまみいれるともっと美味しくなりますよってお歌なんです。でもこれは本当なの。みなさんも一度試してみてくださいね」

 聴衆からまばらな拍手が上がる。

「では次の歌、『港町のトッカータ』を歌います。この歌は港町の恋の歌なんです。船員さんとパブの女給さんの恋の歌。本当は即興で曲や歌詞を変えたりするんですけど、今日は普通に歌いますね」

 少ししっとりした、でもテンポの速い不思議な歌。ともすれば暗い雰囲気になるトッカータだが、『港町のトッカータ』は明るい雰囲気の楽しい歌だ。

 港湾部での警備任務が多い騎士団の何人かが自然と歌に合流する。

 いい感じだ。

「では最後の曲です。『一杯、二杯じゃ物足りない!』、これはお酒を飲む歌です。ビールのない人はサンドリヨンさんからもらってください。一緒に歌いましょ?」

「おーッ」

 観衆から歓声が上がる。

 リリィは少し待って全員にビールが行き渡るのを見届けると、騎士団で教わった通りに最後の歌を歌い始めた……


 と、その時。

 再び聴衆が騒然とし始めた。

 見れば片隅で騎士団の若手と銃士隊のベテランが口論を始めている。

「いや、リリィちゃんはうちのアイドルなんだって」

「そういう独り占めは良くないだろう? 俺たちもリリィちゃんには恋しているんだ」

「恋ってなんだよ?」

 口論はすぐに殴り合いに発展した。

「おいおい、お前ら、何をしてるんだ」

 すぐにグラムが割って入る。

 だが、グラムも銃士隊に殴られるとすごすごと引き上げた。

「ありゃ、手に負えねえ。疲れるまでやらせておこう」

「そ、そんな……」

 リリィの目が大きく見開かれる。

「まあ待て、諸君」

 その時、ダベンポートが突然立ち上がった。

「見たまえ、今カレーが出来上がったようだぞ」

 言うそばからキッチンのオーブンから大きな四角いコンテナーをサンドリヨンが引きずりだす。

「さあ、できましたよ。カフェ・シンデレラ特製の東の海風カレーライスです。ごはんかクスクスにかけて召し上がれ」

 それは、少し緑がかった不思議な色合いのカレーだった。

 王国のカレーは一様に黄色い。緑色のカレーなんて見たことがない。

 だが、ジンジャーの芳るそのカレーは抗いようのない魔力に満ちていた。

「ま、食うか」

 それまで襟首を掴み合っていた銃士隊と騎士団の若手が両手を離す。二人はカウンターの大きな皿をつかむと、ライスを大盛りに皿に盛り付けた。

「美味しいのよー」

 すぐにサンドリヨンがその上にカレーを注ぐ。

 すぐに列になった銃士隊と騎士団の若手は我先にとカレーを掻き込み始めた。

「うん、これはうまいよ! サンドリヨンさん」

「生姜が芳るカレーなんて初めて食べたけど、これは美味いな」

「ああ、美味い。最高だ!」

 各々椅子を見つけると、それぞれがフォークでカレーを貪り食べ始める。

「……よかった」

 リリィが胸を撫で下ろす。

「じゃあ、みんなで歌いましょう? 『一杯、二杯じゃ物足りない!』です!」

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