第六話

(うーん、でもどこで歌おう……)

 カフェ・シンデレラの店内は立錐の余地もない。しかし、店の外にでて歌うのも気が引ける。

(それに旦那様がまだ来ていない……)

 めずらしく怖くはなかった。これなら小池のほとりでいつも歌っているのと大して変わらない。なんかきている人もみんな一緒だし。

 と、その時。

 新たな客の一団が到着した。

「やあ、素敵な店ですなあ」

 なんと、来たのはブラウン・カンパニーのカルテットだった。

「ブラウンさん! どうして?」

 驚いたリリィがブラウン老人に声をかける。

「いや、少し前にダベンポートさんに依頼されていたんじゃよ。リリィさんが歌う時はテレグラムを打つから、そうしたらここに楽隊を送ってくれってね。で、今日テレグラムがきたと、そういう訳じゃ」

「どうぞ」

 すかさず騎士団の若手の一人が気を効かせて自分の椅子をブラウン老人に薦める。

「ああ、ありがとう」

 どっこらせっとっと掛け声をかけながらブラウン老人はその椅子に腰を下ろした。

「しかし、どこでやるかねえ……」

 その声をきいたグラムはすかさずヒューに目配せをした。

「はーい。ちょっとすみませーん」

 すぐにヒューが自分の小隊を使って人払いを始めた。そこに他の小隊の連中も合流し、青い制服の騎士団の若手が人を払ったりテーブルを動かしたりして店の奥に簡易ステージを作る。

 一方、赤い制服の銃士隊はそれに混じることもせず、むっつりと自分の席でビールを煽っていた。

「おい、ちょっと退いてくれるか?」

 少しビールが効き始めたこともあったのだろう、騎士団の一人が少し強めに銃士隊の若手に声をかける。

「なんで?」

 銃士隊の若手は目を合わせようともせずもう一口ビールを飲んだ。

「なんでってお前、そのテーブルを動かすからだよ。席を移動してくれ」

「嫌だね」

「なんだと」

 思わずその騎士が銃士隊の若手の胸ぐらを掴む。

「何をするっ!」

 すぐに銃士隊が集まってきた。

「おいおい、待ってくれ」

 慌ててグラムが中に入ろうとする。

 だが、タイミングが少し悪かった。

 グラムが割って入るよりも少し早く、銃士隊が一斉に騎士団に殴りかかる。

 グラムはその真ん中で殴り合いに巻き込まれた。

「おいおい、勘弁してくれよ」

殴られた顎をさすりながら、それでもグラムはにこやかに銃士の一人に言った。

「今日はパーティなんだ。ここは一つ、穏便に行こうや」

 だが、遅かった。

「隊長が殴られたぞ!」

「騎士団を舐めるな!」

 その様子を見ていた騎士団の若手が一斉にいきり立つ。


 そして、乱闘が始まった。


………………

…………


「すっかり遅くなってしまった」

 早足で歩きながらダベンポートはベストのウォッチポケットから懐中時計を取り出して時間を確かめた。まだ八時。

「店が開いて一時間くらいか」

 そろそろリリィが歌う頃合いかもしれない。

 少なくともリリィが歌う前には着かないと。

 やがて、『カフェ・シンデレラ』が見えてきた。

 ずいぶんと繁盛しているようだ。ガラス張りの壁面から、店内が混雑していることが遠くからも見える。店からはみ出ている客までいるようだ。

(よかった。繁盛しているようだ)

 だが、すぐにダベンポートは何か様子が変なことに気づいた。

「ん? なんだ? なんで乱闘になっているんだ?」


 ダベンポートが店内に着いた時には大乱闘の真っ最中だった。

 主に騎士団と銃士隊が殴り合っているようだ。中には巻き込まれた一般職員の姿も見える。被害者多数。大変な騒ぎだ。

「おいおい、お前ら、同じ隊の仲間じゃないか。仲良くしろよ」

 その乱闘の中心でグラムが仲裁しようとしている。

 だが、その努力は全く甲斐がないようだった。

 乱闘の渦がどんどん大きくなっていく。

 元々お互い仲の悪い連中だったが、なにもこんなところで殴り合わなくてもよかろうに。

「リリィ!」

 ダベンポートは店に駆け込むと、大声でリリィを呼ばわった。

「あ、旦那様!」

 キッチンの中で小さくなっていたリリィが安心した様子を見せる。

 ダベンポートはキッチン・カウンターのスイングドアを押してキッチンに飛び込んだ。

 すぐにリリィがダベンポートの胸に飛び込んでくる。

「旦那様! 乱闘になっちゃったんです。どうしよう」

 顔が蒼い。暴力沙汰に耐性のないリリィにとってはさぞかし怖かったことだろう。

 ダベンポートはリリィを優しく抱きしめると、安心させるために髪を優しく撫でてやった。

「で? サンドリヨンはどこに行った?」

「サンドリヨンさんならあそこに……」

 見れば、サンドリヨンは乱闘の真っ最中だった。

 さすが元軍人だけのことはある。ヒュッテ(回し蹴り)、シャッテ(足刀)、それにソバット。

 サンドリヨンの繰り出す技はどれもダベンポートの見たこともない、だが途轍もなく苛烈な体技だ。

 銃士の肩に手をついて背中側に飛び移り、すかさずキドニーに膝蹴り。たまらず膝をついた相手の脚をすくう地を這うような足払い。さらに逆立ちの姿勢で両足を顎に撃ち込み意識を完全に刈り取ってしまう。

 戦闘経験の少ない騎士団や銃士隊の若手が次々に昏倒し、固められていく。

 一方、男たちに囲まれてサンドリヨンは楽しそうだ。

 暴力と打撃音に彩られた、喝采のない奇妙なロンド。

 本来なら目を背けるべき光景だがなぜか目を離せない。黒く長いスカートを摘み上げながらバレエのように舞い踊るサンドリヨンの姿は凄絶に美しかった。

「みんな、落ち着いて。お店を壊さないで」

 王国の文化に疎いサンドリヨンには脚を見せることに対する躊躇がないようだ。細く長い脚を惜しげもなくさらしている。

 ダベンポートが呆れて見守る中、グラスを投げようとしていた銃士隊の一人の首にサンドリヨンの細い脚がタコのように絡みつく。

見たこともないアクロバティックな関節技。サンドリヨンは器用に銃士の首と脚を固めるとその身体を床に落とし、さらに首に絡み付けた脚を締め上げて相手を昏倒させた。

「もう、グラスは投げちゃダメって言ったじゃない」

昏倒した銃士をすかさず手隙の騎士が店の片隅に引きずって行く。

サンドリヨンが次々と男たちの意識を刈り取っていく。

想像以上にサンドリヨンは手練れだった。怪我をさせない絶妙な力加減で周囲に暴力をぶち撒けている。

「やれやれ」

 ダベンポートは手にしていた鞄からなにやら複雑な形をした拳くらいの置物を取り出した。

「このお守りがこんなにすぐ必要になるとは思わなかった」

 それは不思議なアイテムだった。

 土台には分厚い金が使われ、そこから生えるようにアメジストの結晶が埋め込まれている。中心には大きなラピス・ラズリの彫り物が据えられ、そこに取り付けられたギアのような形をした円盤には魔法陣。そしてその魔法陣の中心、領域(リーム)を結ぶ場所には大きなダイヤモンドが取り付けられていた。

 どうやらこのギアは他の動力で駆動するようだ。ギアのそばには大きなフライホイールが見える。

「旦那様、それは何なのですか?」

 まだダベンポートにしがみついたまま、リリィが不思議そうにダベンポートの顔を見上げる。

「ああ、これは『パシフィズムの結晶』っていう古いマジック・アイテムなんだがね。この店のお守りになるかと思って魔法院地下の倉庫からひっぱり出してきたんだ。しかし、まさか早速使うになるとはね」

 ダベンポートは『パシフィズムの結晶』を片隅に置くと、起動式を詠唱した。

 結晶が鈍く光り、ギアが回転し始める。

 と、不思議なことが起きた。

 ルーンの描かれた光輪が衝撃波のように店内に広がっていくと同時に、まるで魂が抜かれたかのように乱闘していた連中の動きが止まったのだ。

「あれ? 俺たちはなんで殴り合いしてるんだ?」

 ふと銃士隊の一人が不思議そうに首を傾げる。

「ああ、なんでだ?」

 騎士団の一人も殴った銃士隊の腕を掴んだまま首を傾げた。

「まあ、いいか。飲もうぜ」

「ですね」

 気がつけば乱闘は収まっていた。

 殴り合っていた集団がそれぞれビールのジョッキを片手に語らい始めている。

「あらあら、もう終わり?」

 物足りなさそうにしているのはサンドリヨンだけだ。

「じゃあ、ビールを注がなくちゃね」

 サンドリヨンはひらりとカウンターを飛び越すと、再びハンドポンプの前に陣取った。

「え?」

 リリィがあっけに取られてその光景を見つめる。さっきまであれほど激しく殴り合っていたのにどうして……

「旦那様、一体何が起きているのですか」

 リリィはダベンポートから離れるとダベンポートに訊ねた。

 リリィの身体からは華やかないい匂いがする。

 リリィの香り。石鹸の香り。

「なに、魔法を起動したんだ」

 ダベンポートがカウンターの上で今もゆっくりと働き続けている『パシフィズム(平和主義)の結晶』をそっと持ち上げるとリリィに手渡した。

「これはね、周囲の人から闘争心を奪うんだ。魔法戦争の時に『失われた過去の技術』を使って開発されたアイテムなんだがね、まあ、言ってしまえば失敗作だよ」

 リリィは手の中で光を放ち、時折周囲にルーン文字の描かれた光輪を放つ不思議な物体を不思議そうに見つめた。

「失敗作なんですか?」

「ああ、兵器としてはね。失敗兵器の典型だ」

 ダベンポートが皮肉っぽい笑みを見せる。

「王立魔法軍は敵の闘争心を奪い、一方的に袋叩きにしようと考えてこれを開発したんだがね」

 キッチンカウンターの向こうではブラウン老人の指示のもと、今まで隠れていた彼のカルテットが楽器の準備をしている。

「なにしろこれは無差別に闘争心を奪ってしまうんでね。本当だったら攻撃するはずの王立陸軍まで同時に無力化しちまったんだ。お陰様で見事お蔵入り、今まで魔法院の地下倉庫でホコリをかぶっていたんだ」

 そういいながらダベンポートは再びニヤリと笑った。

「だが、この店のお守りにはいいかも知れないと思い付いてね、こっそり持ってきたんだ。酒場に喧嘩は付き物だ。だが、僕はリリィをそんな怖いところに行かせたくはない」

 ダベンポートがリリィから『パシフィズムの結晶』を受け取り、再びカウンターの上、邪魔にならない片隅に設置する。

「でも、持ってきちゃっても良かったんですか?」

「大丈夫だ、ちゃんと許可は取ってある」

 ダベンポートは「廃棄物引取証」と書かれた紙片を制服の懐から取り出した。ちゃんと魔法院の青い紋章が押印されている正規の書類だ。

「これは万が一のためにお店のどこかにしまっておくといい」

 押印された書類を折りたたみ、リリィに手渡す。

「♪♬🎶──」

 と、背後でブラウン・カンパニーのカルテットが音合わせを始めた。

「さあリリィ、出番のようだよ。思いっきり歌っておいで」


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