第五話

 翌日、早い時間にリリィは騎士団の団舎に赴き、グラムの中隊の全員にお願いして『一杯、二杯じゃ物足りない!』を合唱してもらった。

「ありがとうございます」

 メモをとりながらその合唱をきかせてもらったリリィが深々と頭を下げる。

「リリィちゃん、そんなことは気にしないでくれ。リリィちゃんのたってのお願いだ。それにうちは今暇なんでね、歌を歌うくらいお安い御用だ」

 グラムの後ろに並んだ三十二人の騎士たちがそれぞれに大きく首を縦にふる。

「いやー、それにしても今日はいい日だ。朝からリリィちゃんに会えたんだからなあ」

 グラムは嬉しそうに笑った。

 厳ついグラムの笑顔は今でも少し、怖い。

 でもそれは表情に出さずリリィは

「これで安心して歌えます。グラムさん、みなさん、ありがとうございます」

 とお礼を言った。

「いいんだよ、リリィちゃん。俺たちは全員リリィちゃんの味方だ。リリィちゃんのためだったらなんでもするさ……しかし、朝からこんな歌をうたっちまうとつい飲みたくなるな」

 お酒が大好きなグラムが隣に立っていた小隊長のヒューの脇腹を肘で突く。

 そのヒューはさっきからずっとリリィの姿に見惚れたままだ。

「噂には聞いていましたけど、本当にお美しい……」

 その言葉にリリィの頬が赤く染まる。

「お美しいだなんてそんな……わたしはダベンポート様に仕えるただのハウス・メイドです」

「ヒュー、リリィちゃんには手を出すなよ。ダベンポートに殺されるぞ。それも途轍もなく残虐にな」

 まだリリィから目を離せないヒューに対し、グラムが釘を刺す。

「そういう隊長だっていつもリリィちゃんの話しているじゃないですか!」

 なにやら雲行きが怪しくなってきた。

「グラムさん、みなさん、ありがとうございましたッ」

 リリィはそそくさと身支度すると、ペコリと頭を下げて騎士団団舎を後にした。


+ + +


 三日は長いようでとても短い。練習期間はあっというまに流れ去り、気がついたら開店記念パーティの日になっていた。

 その日、リリィはダベンポートに指示されて昼過ぎからサンドリヨンを手伝うために厨房に入った。

 これから、大量のパーティ料理をサンドリヨンと並んで作る。

「サンドリヨンさん、今日は何を作るのですか?」

「今日はね、王国風パブメニューでおもてなししようと思うの」

 真剣な表情で訊ねるリリィに笑顔で答えながら、サンドリヨンは自分のレシピブックを開いてみせた。

 そこには:


〜お品書き〜

・ジャケットポテト各種

・シュリンプ・スキャンピ(マヨンのソースを添えて)

・うさぎのシェファーズ・パイ

・フィッシュ・アンド・チップス(植民地風)

・スタンディング・ローストビーフ(フル・ラック)

・カフェ・シンデレラ特製バンガー・アンド・マッシュ

・山盛りのレタスとハーブのサラダ


 と書かれた厚口の紙片が数枚挟まれていた。


「これがメニューですか?」

 紙片を手に取りながらリリィが訊ねる。

「そう。七枚作ったわ。パーティだからメニューなんていらないんだけど、練習も兼ねて一応、ね?」

 サンドリヨンが片目を閉じる。

「でもね、リリィちゃん、あと数品欲しい感じなのよ。それも『カフェ・シンデレラ』の看板料理になるようなものが欲しいの。何かいい考えはないかしら?」

「うーん……」

 リリィはしばらく腕を組んで考え込んでいたが、やがて明るい表情で顔を上げるとサンドリヨンに言った。

「カレー・アンド・ライスはどうですか? カレー・アンド・ライスはパブメニューの定番ですし、お腹が空いている人がきっと喜ぶと思います。サンドリヨンさんなら何か特別なカレーをご存じなんじゃないですか?」

「カレー、ねえ……」

 サンドリヨンが考え込む。

「確かに私の国も王国と同じように東洋と貿易はしていたから、カレー・アンド・ライスは馴染みがあるお料理ね。私のスペシャルレシピもあるから、確かにそれはいいかも。オーブンでライスを炊けば量もたくさん作れるし……うん、いい考え。騎士団の人たちはたくさん食べそうだし」

「はいッ」

 笑顔でリリィが頷く。

「そのメニューは採用しましょう。これなら作るのも楽だし、これを定番メニューにするのはとってもいいわ。メニューの名前は……そうね、『カフェ・シンデレラの東の海風カレー・アンド・ライス』はどうかしら?」

「素敵だと思います」

 そこでサンドリヨンは七枚の紙片に『東の海風カレー・アンド・ライス』と綺麗な花文字で付け足した。

 サンデリオンは少し考えてから、その下に飾り線を作ってメニューを締める。

「もう数品必要かもって思っていたけど、これで十分だわ。さ、メニューはできたし、二人で一気に作ってしまいましょう。リリィちゃんにはスー・シェフとしてまずは『ソフリット(注:みじん切りにした玉ねぎ、にんじん、セロリをオリーブオイルで揚げるように炒めたもの)』をたくさん作ってもらえる? そうね、玉ねぎ二十個、にんじん十本、セロリ一株、それにニンニクを一玉でいいかな?」


+ + +


 午後七時。

「さあ、今日からカフェ・シンデレラ開店です!」

 といいながら観音開きのドアをサンドリヨンが開け放つ。

「わあッ」

「おめでとう!」

 今や遅しとドアの前で開店を待っていた魔法院の職員たちは一斉に歓声を上げた。

「サンドリヨンさん、おめでとう!」

「開店おめでとう!」

「王国へようこそ!」

 彼らは口々にお祝いの挨拶をしながらカフェ・シンデレラの中へと吸い込まれていった。

…………


 店内はすぐに満員になった。

 今日のメニューはそれぞれのテーブルに置いてある。今日はパーティなので無料で食べ放題、しかもセルフサービスだ。

 カウンターに置かれた大きなトレイには山盛りのパーティ料理。カレーはレンジの中の四角いフードコンテナーの中でまだ調理中だ。

「おーいサンドリヨンさん、ひとつ頼むよ」

 席を見つけて座るなり、会計課の人がサンドリヨンに向けて手を上げる。

「うちのタブは五個だよ、ポーター(黒ビールの一種)よろしくね」

「リリィちゃん、今日だけは大忙しよ」

 サンドリヨンは隣でお皿を準備しているリリィに声をかけると早速ビールをジョッキに注ぎ始めた。

 周囲の男性陣が見守る中、サンドリヨンが華奢な身体全体を使ってハンドポンプを操作する。その姿はとても可憐で、だが妙にエロチックだ。

 サンドリヨンは手慣れた様子で五杯のビールジョッキを黒ビールで満たすと、カウンターの前で待っていた会計課の若手の前にそのビールジョッキを押し出した。

「はい、あなたたちのタブ」

「うちのタブは三杯だ。ビールはエールにしてくれ」

 次いでグラムがサンドリヨンに告げる。

「はい、エールですねっ」

 サンドリヨンはおどけて敬礼すると、今度は違うハンドポンプを操作し始めた。


 ところでサンドリヨンはリリィと同じようなメイド服を身につけていた。

 それをどこで手に入れたのかは『内緒』だといってサンドリヨンは片目をつぶったが、ともあれメイド服を着て並ぶ二人の姿はなかなか様になっている。

 カフェ・シンデレラの定員は着席では三十人。だが、今日はカウンター席がお料理で占拠されているため、座れる席はわずかに二十席。ほとんど立食パーティ会場と化したカフェ・シンデレラはすぐに人が溢れる状態となった。

「リリィちゃん、もうドアは開け放ってしまいましょう」

「はい」

 リリィが入り口のドアを大きく開け放つと、それまで窮屈にしていた人たちがお店の外に溢れ出る。

 さっそく、騎士団の面々が勝手にテーブルを並べてテラス席を作り始めている。

「やあ、これはえらい事ですねえ」

 と、リリィは背後からの声に振り返った。

 見ればリチャードが呆れたように店の中を覗き込んでいる。

「リチャードさん、ようこそカフェ・シンデレラへ」

 リリィはスカートを摘むと軽く膝を折り、かわいいカーテシーをリチャードに披露した。

「こんばんはリリィさん。どうやら盛況のようで何よりです」

 リチャードも帽子を少し持ち上げてリリィに答える。

「あら、リチャードさん!」

 サンドリヨンはハンドポンプを操作する手を止めると、笑顔でリチャードに挨拶した。正式な女性の挨拶のカーテシー。だが、残念なことにその姿はカウンターに遮られて誰にも見えない。

「リチャードさん、そんなところに立ってないで中にお入りになって。ビールは何をお出ししましょうか。ポーター? エール? それともIPAになさいますか?」

 サンドリヨンは交互に二つのポンプを操作すると、騎士団の若手にはエールのおかわりを、そしてリチャードには自慢のIPAを振る舞った。

「サンドリヨンさんは器用でおられる」

 全身のバネを使って二つのハンドポンプを器用に扱うサンドリヨンを見ながらリチャードは手渡されたビールに口をつけた。

「こう見えても私、元軍人ですのよ? これくらいは朝飯前です」

「なるほど……」

 リチャードがサンドリヨンに対し頷いてみせる。

 彼はビールをちびりびちりと飲みながら店の様子を眺めていたが、やがて

「……いや、これは美味しいですね」

 と改めて自分のグラスの中を覗き込んだ。

 IPAとは東洋に向けた長い航海にも耐えるように大量のホップを入れて作られたビールだ。一般にセントラルのパブが出すIPAは苦味が強いが、一体どんな魔法をつかったのか、カフェ・シンデレラのIPAにはまったく苦味がない。

 ホップが強く香るカフェ・シンデレラのIPAはサンドリヨンの自慢の品の一つだった。

「しかしこの繁盛ぶりはすごいですね。先代の頃でもこんなに混んだことがなかったように思います」

「よかったわ。先代の方に叱られないように頑張ろうって思っていましたの」

 そういう間にも客の数が増えていく。どうやら食べ物も一通り行き渡ったようだ。頃合いよしと見て、サンドリヨンはリリィに声をかけた。

「そろそろお店も温まったわ。リリィちゃん、準備ができたらコンサートを始めましょうか」

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