第四話
その後の二週間、サンドリヨンはよく働いた。たまにリリィに手伝ってもらったこともあったが、ほとんどは彼女が一人でこなした。
こんな時、不死身の肉体はとても便利だ。数日なら寝なくても平気だし、怪我をしてもすぐに治る。実際、窓拭き中に一度うっかり梯子から落っこちて足を折ってしまったが、まっすぐにしておいたらすぐに治った。
サンドリヨンは華奢に見えるが、元軍人なだけに並の男性よりも力は強い。それに持久力も高かった。
彼女は一人でお店のガラス窓を隅から隅まで綺麗に磨き、傷んだ床の修繕を自ら行い、なんとなく薄暗かった地下部分には新たに瓦斯洋燈を設置した。
その間を縫っておつまみに使うナッツ類の仕入れルートを開拓し、発酵ピクルスを漬け込み、フィッシュアンドチップスやシュリンプ・スキャンピに使うための材料を定期的に届けてもらう手はずは駅前の魚屋のデーヴィッドと綿密に相談した。
海鮮類は仕入れのタイミングが難しい。海鮮類はいずれもほとんど保存が効かないため、毎日仕入れたものはその日のうちに使い切らないといけない。これはすなわち毎日どれだけ仕入れるかをちゃんと決めておくことを意味していた。
デーヴィッドは古い帳簿を手繰って先代のお店が盛況だった頃の記録を調べながら、それぞれの曜日や季節でどれくらいの売り上げが見込まれるかを事細かに計算してくれた。おかげで魚類については大体の目算ができるようになった。
その上でサンドリヨンはツナの油漬けとコンビーフの生産計画を組み立てた。計画通りにことが進めば、毎日美味しいサンドウィッチを提供できるはずだ。
逆に野菜のたぐいについては話が簡単だった。農場に相談しに行ったのだが、朝に来てくれれば野菜も牛乳もそれに卵も毎朝必要な量を渡してくれるという。
「だって、うちの農場はこの管区全体の野菜や乳製品の供給を担っているのよ? あなたのパブで使う量なんてたかが知れているわ。朝に言ってくれればすぐに分けてあげる」
と農園の夫人は太鼓判を押してくれた。
さらにパン屋に仕入れの計画を伝え、雑貨屋には毎日新聞を届けてくれるようにお願いした。
「必要なものがあったらいつでも言ってね。すぐに届けるから」
雑貨屋のマーガレット夫人はそうにっこりと笑うとサンドリヨンに請け負った。
(本当にこの街の人はいい人ばかり)
雑貨屋から帰る途中、サンドリヨンは胸がいっぱいになった。
今まで、こんなに良くしてもらったことがあっただろうか? 思えばいつも何かに怯え、なぜ自分は死ねないのかと世の中を儚みながら生きてきた気がする。
それが今では毎日が幸福の連続だ。毎日なにか嬉しい出来事がある。
(ありがとうございます、ダベンポート様)
金色になってしまった髪の毛をなんとなくいじりながら、サンドリヨンはダベンポートのことを思い出していた。
(ダベンポート様は新しい人生を楽しむようにとおっしゃってくださった。それに報いるためにも頑張って『カフェ・シンデレラ』を繁盛させないと)
…………
……
『トントン、トントン』
夜半過ぎ、店内で仕事をしていたサンドリヨンは外からノックがしたような気がして透明なドアに目をやった。
見れば、グレーのマントを着たリリィがランタンを片手に立っている。
慌ててサンドリヨンがドアを開ける。
「リリィちゃん! どうしたの、こんな夜更けに?」
「……いえ、あの」
リリィが少しモジモジする。
「今日はおうちのお仕事が早く終わったので、こちらの方で何かお手伝いできることはないかなーって思って。旦那様にも相談したのですが、駅前なら安全だから行っておいでって。魔法院のお膝元で犯罪を犯す人はいないみたい。そんなことしたら死んじゃいますから」
「とにかく、そんなところに突っ立ってないで中にお入りなさいな」
サンドリヨンはリリィを招き入れると、自分が作業していたテーブルの向かいの椅子をリリィのために引いてあげた。
「そうは言ってもねえ、もうほとんど準備はできているのよ」
そう言いながらサンドリヨンは綺麗に整えられた店内をリリィに示した。
「あとは食器を磨くくらいかしらねえ。他はもう済ませてしまったわ。ピクルスも仕込んだし、お料理は当日作るし、ビールももうそろそろ出来上がるはずよ」
「じゃあわたし、食器磨きを手伝います! 食器磨くのって好きなんです。ピカピカになるとなんか嬉しくて」
「じゃあお手伝いお願いしようかな」
サンドリヨンは食器の入った引き出しをテーブルに乗せると、特製ペーストとウェスをリリィに手渡した。
「じゃあそのペーストをウェスにつけて、ぴかぴかになるまで磨いてくれる? 磨いたものは最後に一気に洗ってしまいましょう」
「はい!」
リリィは持ってきたカンテラをテーブルの真ん中に乗せると、さっそくナイフを磨き始めた。
+ + +
静かに夜が更けていく。
「……ねえ、リリィちゃん?」
ふとサンドリヨンはスープを磨く手を休めると、リリィに話しかけた。
「はい?」
リリィもナイフを磨く手を休めて顔をあげる。
「リリィちゃんはお歌が得意なんだって?」
「……いえ、そんな」
リリィが少し赤面する。
「確かに舞台には立ちますけど、普通に好きな歌を好きなように歌っているだけです」
「でも評判は聞いてるわよ。とっても素敵なお歌をうたうって」
「素敵だなんて、そんな」
リリィはモジモジとみじろぎした。
確かにお昼のコンサートは相変わらず大盛況だ。リリィが歌う時はブラウンカンパニーの売り上げが二割は上がると聞いたこともある。
しかし、リリィは自分の歌が上手だと思ったことは一度としてなかった。
それはリリィの自己評価が不当に低いせいなのかも知れないし、あるいは彼女の向上心のためなのかも知れない。
ともかくリリィは自信を持って歌を歌ったことが一度もない。毎回とても不安になる。
不安? いや、あれはほとんど恐怖に近い。
「あのね、」
サンドリヨンはずいっと身を乗り出すとリリィの両手を握った。
「このお店ってみんなに助けてもらってできたじゃない? だからぜひ、開店記念パーティを開きたいのよ。その時、リリィちゃん歌を披露してくれないかしら?」
「え?」
思わずリリィは大きな青い瞳をさらに大きく見開いた。
わたしがパーティで歌を披露する? それも、大勢の人の前で?
え? え? え〜!
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