第二話
「あら、かわいいお店じゃない?」
二人は総務課に行く前にとりあえず物件を見たいというサンドリヨンの要望で、駅前のパブを訪れていた。
「面白い形をしているのね」
細い首を傾げて店の中を覗き込みながら、サンドリヨンが感想を述べる。
確かにその店は面白い造作をしていた。
建物は円筒形、その上にとんがり帽子のような円錐形の屋根が乗っている。屋根の色は深い緑。煙突がそのとんがり帽子の片隅に設置され、建物の周囲には綺麗にオレンジ色の花が植えられていた。
だが、この店の最大の特徴はその窓だ。
簡単に言えば、この店の一階には壁がない。壁面が全てガラスで出来ている。しかもその一部はステンドグラスに取り替えられていた。
このステンドグラスがアクセントになって、このパブは角度によってその表情がさまざまに変化する。
「はい」
リリィはサンドリヨンに頷いた。
「わたしも可愛い建物なのでこのお店は大好きなんです。お買い物の帰りにちょっと寄り道して中を覗いたりすることもあります」
さすが王立魔法院が管理しているだけあって、その内装は店が使われていないとは思えないほど手入れが行き届いていた。掃除が入るのは月に一回程度だが、パブはまるで今でも営業しているかのように綺麗に手入れされている。
このパブのキッチンは一階にあった。通常キッチンは地下にあるのだが、前の持ち主が変わり者だったのか、あるいは特別な意図があったのか、この店のレンジは一階の中心部に設置されている。
キッチンは狭かったが、どこからでもレンジに手が届くのは良い考えだ。
「じゃあ、行きましょうか」
サンドリヨンはひとしきり外から店の造作をチェックすると、リリィを引き連れて魔法院への道を引き返していった。
+ + +
庶務課との対話の流れはダベンポートに聞いた話と全く一緒だった。
だが、買主がサンドリヨンと知るなり、庶務課のリチャードの態度が変わる。
それはリリィが予想していた流れを遥かに超えた高待遇だった。
すぐに応接間に通され、王室でも高級で名を知られている紅茶が横からすっと差し出される。レモンスライスまで添えられ、まるで王侯か貴族のようだ。
「なるほど、なるほど。あの地所をあなた様がご購入なさると、そう仰る訳ですね」
リチャードが手揉みする勢いでサンドリヨンに言う。
「はい。お金は十分にありますから」
サンドリヨンは鷹揚に請け負うと、昨夜遅くにエンジ色の装甲馬車で届けさせた大きな茶色いトランクを机の上に乗せた。
サンドリヨンが開けたトランクの中にはぎっしりと隣国の高額紙幣が封緘付きで詰まっている。
「これだけあれば、十分でしょう?」
「もちろんです、マドモワゼル。両替はこちらの方で行いますので隣国の通貨でもまったく問題はございません」
では、とリチャードは地所のファイルを机に開いた。
中から書簡と思しき封筒を取り出す。リチャードが分厚いファイルから取り出したその封筒には手書きで大きく、「次のオーナーの条件」とタイトルされていた。
曰く:
・買主は女性であること
・ちゃんと酒を提供する店とすること
・ちゃんと調理されたおつまみを毎日最低三種類は提供すること
・店舗の造作に手を加えることについてはこれを全て禁止する。詳細については細則を参照されたい
・店舗は年末年始と臨時休業を除き、毎日開店すること
・店舗は日暮と共に開店し、遅くとも午前0時までには閉店しなければならない。ただし、開店時間を早くすることに関してはオーナーに一任する
・昼間の営業についてはオーナーに一任する
…………
「すごい条件ですね」
サンドリヨンは驚いたように眉を上げながらリチャードに言った。
「この条件でお買い上げ頂くことになりますが……」
「問題ありません」
隣国の大金が山積みにされたカウンターの前でリリィは彫像のように固まったままだ。
こんな大金、見たことない。旦那様がくださるお小遣いもせいぜいが紙幣5枚程度だもの。
サンドリヨンさんって超がつくお金持ちだったんだ。
そんなリリィの様子をちらと伺いながらサンドリヨンはリチャードに言った。
「じゃあ、中を案内してくださるかしら?」
サンドリヨンとリリィはリチャードに連れられて早速お店に向かった。駅前までは魔法院の馬車が連れて行ってくれる。こんな近い距離で馬車に乗ったのは初めてだ。
「では、開けます」
先に立ったリチャードが鍵を開け、三人で店内に入る。
店内のフロアは外から想像するよりも広かった。テーブルは五卓、そのほかにカウンター席が十席程度。
「まあ、素敵!」
サンドリヨンが歓声をあげる。
サンドリヨンは早速キッチンに入ると中の造作をチェックした。
「……なるほど、石炭は床下からレンジ脇のハッチに補給するようになっているのですか。よく考えられているわ」
「お水は井戸水なのね。水場の横に井戸を掘ったのは慧眼だわ。これなら水運びも必要ないし」
「シンクも大きくて使いやすそう。お鍋は天井から下げて収納するのね。ここに銅のお鍋が並んだら壮観ね、きっと」
その後も二人はお店の中の探検を続けた。リチャードはそんな二人に文句をいう訳でもなく、まるで影のようにその後に付き従う。
店舗は二階が生活スペースになっており、ベッドが二台置けるくらいの広さの部屋が二つ並んでいる。どうやら先代は東側の方の部屋を使っていたらしい。東側の部屋の方がどことなく生活感が残っている。
地下には洗面台とトイレ、洗濯場の他に小さいながらもお風呂まであった。
各階への移動は窓際の階段。緩やかな円弧を描いた階段の手すりは年季の入った木製で、それが鋳鉄で作られた支柱で支えられている。支柱はまるでキャンディーバーのようにねじられ、ところどころに葉っぱの装飾が施されていた。
「素敵なお店ですねえ」
うっとりとリリィがサンドリヨンに言う。
「十分にご覧頂けましたか」
と、それまでほとんどその存在を忘れていたリチャードがサンドリヨンに声をかけた。
「はい。とてもいいお店ですね。こんな物件を譲っていただけて私は幸せものです」
「それは良かった」
リチャードが暖かな微笑みを浮かべる。
什器の類は先代が使っていたものがほぼ全てそのまま残されていた。
お皿、ボウル、グラス、全てが揃っている。
「このお皿はもっと派手なお皿に変えたいわね」
サンドリヨンはふと呟いた。
「グラスも古いデザインだから入れ替えた方がよさそうね」
それを聞き咎めたのか、ふいにリチャードの態度が固くなる。
体の向きを変えサンドリヨンに向き直ると、リチャードはサンドリヨンに言った。
「いえ、残念ながらそれは出来ません。あくまでも現状維持、それが譲渡の条件です」
リチャードは硬い声でそう伝えると、契約書を取り出した。すぐに当該の項目を指し示す。
確かに、「外装、什器、食器を含め、すべての改変はこれを禁止する」と書いてある。
「まあ!」
さすがに驚いて思わずサンドリヨンは片手を口元にやった。
どうやら基本的にこのお店は模様替えすることが許されていないようだった。食器類にしてもメーカーが厳格に指定されており、それ以外の食器の購入が許されていない。
救いだったのは、店の名前や調理器具類は例外条項に含まれていることだった。また、家具類も入れ替えが許されている。これは店舗の使い勝手などを考えての事だろう。
「でも、先代はもう亡くなっているんですから多少は変えても……」
リリィはリチャードに反駁してみた。
たとえ変えたとしても怒る人がいるとは到底思えない。
「その場合は契約書E項の三条に従って我々が全力で原状回復を行います」
リチャードは重々しくそう二人に宣言した。
「昨日ご説明差し上げた通り、私たちは今では遺言執行人に指定されています。遺言執行人は遺言が正しく行われている事を監視する義務があるのでございます」
「まったく、ずいぶんとユニークな遺言だこと」
半ば呆れながらもサンドリヨンは改めて契約書を読み返してみた。
契約書自身はさほど厚い書類ではなかったが、後半のほとんどの部分がこうした細則に費やされていた。サンドリヨンほとんど読まずにサインしたが、まあ、たとえ読んだとしても購入の意思は変わらなかっただろうし、それに遺言ともなればこうした細則に補遺を加えることができるとはあまり思えない。
「先代はことの他このお店を大切にしておりました。それに先代の人柄を考えればこれもまた宜なる事かと」
「前のお店に行かれたことがあるのですか?」
リリィは無邪気にリチャードに訊ねた。
「そりゃあもう、毎晩ね」
再びリチャードは雰囲気を緩めると、リリィに笑顔を見せた。
「ここは私ども魔法院職員にとってはダイニングみたいなお店だったんですよ」
何かを懐かしむように上を見上げる。
「偏屈で生涯独身、何かというと怒る気難しい爺様でした。しかし料理は絶品、それに実によく気がつく人でしてねえ。ある日、風邪気味の時に晩飯を食べにいつものように立ち寄ったんですけどね、あの爺様は私の注文を無視して栄養たっぷりのチキンシチューをボウルいっぱいとエールを出してくれたんです」
「チキンシチューに、エール、ですか?」
不思議そうにリリィが首を傾げる。
「ひょっとしてエールも黒いエール?」
「ええ。それにあれはポーターではなくてスタウトでしたね」
「それは理にかなっていますわね。スタウトの方がポーターよりも遥かに栄養たっぷりですから」
「ええ」
リチャードは頷いた。
「でね、『それ食ったらとっとと帰って今日は寝ろ』って怒るんです。その晩はお代も取りませんでした。財布を探すんでモソモソしていたら『そんな暇があったら早く帰れ』ってまた落雷ですよ」
思わずリチャードが苦笑を漏らす。
「ですから、このお店は魔法院の職員全員の思い出の場所なんです。この契約書の細則も半分は私たちがこの場所の思い出を維持するために先代と一緒に起草したようなものです。それを最後に院長自らが査読・点検したというそれは恐ろしいものでして」
ですからどうかご理解を、とリチャードは言葉を結んだ。
「どうやら私は恐ろしい物件を購入してしまったようですわね」
思わずサンドリヨンは呟いた。
「まあまあそうおっしゃらずに」
リチャードがサンドリヨンを宥めにかかる。
「では鍵をお渡しします」
リチャードはファイルの中から鍵束を四つとりだすと、それをサンドリヨンの手の上に乗せた。
「なぜ四つ?」
「さあ?」
リチャードは肩を竦めた。
「魔法院もそれとは別に一組鍵を管理しておりますから、合計で五組の鍵が存在します。でも残念ながら理由までは存じ上げておりません」
「なるほど……ありがたく頂戴いたします」
サンドリヨンは四つの鍵束をリチャードから受け取ると、そのうちの一つをリリィの手のひらに乗せた。
「はい。これはリリィちゃんのぶん」
「いいんですか?」
「もちろんよ」
当惑するリリィにサンドリヨンがにっこりと笑って答える。
「あなたには私のパートナーになって欲しいの。もちろんハウスメイドのお仕事優先で構わないわ。手伝ってもらったぶんはお給料もお支払いするから安心して」
「あ、ありがとうございます」
リリィはもらった鍵束を大切に自分のハンドバッグにしまった。
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