11/18 ChatGptについて
Chatgptなるものにプロットの相談をしてみた。今うんうん唸っているのはエンタメ系なのだが、どうやらそういったジャンルを書かれる作家さんが使っていらっしゃると聞き、藁にもすがりたいぼくは、なるはど選択肢として使ってみるのはありかな、と思ったのだ。
試してみたのは無料版で、最初に前提情報を組み込みすぎたせいか、あまり手ごたえがなかった。ほぼ入力した単語が使われているから、まあそりゃそうか、という回答になる。100入れて2ぐらいの有用性はあるが、それも新しい知見というよりは見落としていたり思い出せなかったものを言われたり、という面が強い。とはいえ気の利かない感想や本質ではない部分へ手を出してくる誰かよりは役に立つので、まあなんとも点数をつけがたい。
もっと質問を多くして細分化すれば良さそうだが、そもそもその質問が立てられるのならもう書けている。まったく荒地を開墾するのには多少役立つかもしれないが、今のところ仔細な部分はまだかな、という印象である。もっとも、当該AIを自分なりにカスタマイズしたり有料版であれば有用になるかもしれない、という気配はあった。とはいえ僕はAIを上手く使えるようになりたいのではなく小説にかかる能力を向上させたいのであって、あまり時間を割いては本末転倒なのだ。ぼちぼち育てていこうかなと思うのだが、難しいところである。
一方で、思考/思い出すこと/物事のつながりを見つけ出すことについてアウトソーシングする行為であり、副作用としてそれらの能力が衰える危険を覚えた。ちょうどワープロソフトを使うために漢字が思い出せなくなったり、携帯を持ったために電話番号が覚えられなくなったように。
ぼくは物事のつながりをいかに見出すか、あるいはあえて断絶させるか、というところに作家性を感じる(もちろん、それだけではないが。感じる部分のひとつだ)。集合知を用いることでそれが平均化されたり、独自性があることに気づけなくなったりするのではないか。もっとも、商業性を意識する時点である程度物の見え方の純粋さは相当程度減殺されると思うが、それを決めるのは書き手の意志である。はなから提示されている状況とは違う話だ。
冗長になったが、道具というものは常に良い点と悪い点を含んでいる。しかるに使い方の問題なのだ。僕も気長に、しかし差し障りのない範囲で注視してみようと思う。
今のところ作家がデジタル・ラッダイト運動を(これだとバーチャル世界におけるラッダイト運動のようにも見えるな?)起こさなければいけない雰囲気はないが――少なくとも文学において、本質に迫ることはなさそうだが――感じ手がどのような価値基準を持つかについての懸念は覚えている、と言っておこう。
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