11/9 ことばについて、雑感
ことばを覚える時に、僕らはきっと親を中心とした他人のことばづかいから自然を学んでいったもので、しかるに今、この歳になっても、ある程度他人のことばに影響を受けているように思う。僕など自覚もあり、しばしば仲良くしている人の口癖が伝染るし、ハマってしまった小説に引きずられることも多々ある。僕と何度も話したことのある方は、僕のことばの中にあなた自身を見つけるだろう。
いつのラジオだったか忘れたが、あるアナウンサーが「自分のことばは自分が一番耳にするものだから気をつけなければいけない。汚いことばや乱雑であってはいけない」という内容の話をしていらして、職業意識の高さに感心したものだった。
翻って自分、となると、書き散らしの、とりとめのないことばで、それが今のように何となく思考をまとめている程度であればよいが、感情の入った話になってくると筆圧が強くなって語調や単語選びも濃いものとなり、しかし今どきの“わかりやすさ”重視から言えばとにかくラードの味しかしないようなものが意外と評判で、後々見返した時にすべてが嫌になることが多い。
先日『嘘^n』という中編を改稿するか、と取り掛かったのだが、冒頭の何ページかで頭に来てしまい、内容はともかく文章に関しては全部取っ払わなけりゃならん、という心持ちになっている。僕はおおよそ2週間経つと自分の文章に対して怒りを覚えるのだが、これは約2年前に初稿が出来ているのでなおさらである。ちなみにこの怒り、『レッド・レター・デイズ』に関してはまだ発生していないので、まずまず書けたのではなかろうかな、という気もしている。
さて、ことばの話だ。自分のことばについては自分で気をつければよかろうが、インターネットに触れていると、村上春樹氏ではないが、“あまり上等でない”ものがやってきて見るに“堪えない”(最近に“耐え”と書く自称物書きが目に入ったりした。こういうことである)。もちろん大変に含蓄のあることばをこぼしてくる方々もいらっしゃるので、自分で上手く閲覧するものを決めたいところなのだが、twitterに関してはオススメタブに辟易させられている。あれはどうにかならないものか。
オススメから低俗な、あるいは対立を煽ることでインプレッションを稼ぎ、金にするような、マスメディアの悪い部分だけを切り取った情報が現れると「出くわしてしまった」という気持ちになる。
先日古川真人さんの『シャンシャンパナ案内』について「“小説”と出会うと熊に出くわしてしまったような」とツイートしたが、ずいぶん心地よい熊で、川上弘美さんの『神様』を連想させられる、善性のそれであった。こちらが熊と決めてかかってビビっていたというところもある――実際僕にとってはそれぐらい大きいものではあったが。
一方で、件のマスメディアの悪いところを煮詰めたような連中はまさしく蝗の類で、煮ても焼いても食えないし(特に中国で大量発生したものはそうだ)、根こそぎ燃やし尽くしていくものだから、うわっ、と顔をしかめたくもなる。
かように考えると、SNSなんかやらないに越したことはない、こんなものをやっているやつは馬鹿だ――などと短絡的に思ってしまいそうだが、なかなかどうして1の素晴らしい出会いがある。twitterを通じて出会った人と上野で肩を組んで飲んだり、文学や創作物、果ては世界の見え方を朝まで語り合ったとき、ああ、こういうことがあるからやめられないな、と思うのもまた、SNSである。
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