11/8 タイパと笛吹きと

 ある年度内でどれほど利益を生み出そうが、10年も経たぬうちに見向きもされなくなる物語や言葉の羅列が、ある。ぼくはそういったものにあまり価値を感じられない。むしろ後年になって、潜水していた水泳選手のように、あるいは力を溜めていたマラソンランナーのように、すっと浮かび上がってくるものに魅力を感じる。

“面白さというものは、我慢強さというフィルターをとおしてはじめて表出してくるもの”であろうし、そうして現れたものは風雨にも耐える。生木で建てられた“格好いい”家には長く住むことができないということは、存外知られていないとみえる。


 タイパ、という言葉が使われるようになって――トレンドになって(させられて、でもよいが)――数年が経っていると思うが、ひとつのものを突き詰めることが難しくなっている。このことは読者や視聴者にとってあまり良いことではないのではないか。トレンドに動かされてしまうと、ある作品を味わい尽くすことができずにいる。安物買いの銭失いで、摂取する時間を短くすることで、かえって栄養を取ることができずにいるのではないか、と考える。

 ただ、コンテンツを配信する側にとっては次々に商品が回ってゆく大量生産・大量消費のほうが儲かるに違いない。

 父が大学時代に買ったらしいコーヒーメイカーがあって、それを数年前まで使っていたのだが、さすがにガラス容器かブレードか、何か部品が壊れて、もっともそれまでも修理して使っていたのだけれども、いい加減交換しなければどうにもならん、とメーカーに電話したそうで、すると担当者は、

「そんなに長く使うてもらったら困りますわ! うち儲かりませんやん!」

 と叫んだのだとか。関西人のユーモアである。ただ部品がない、と答えるのではそっけないと思う、関西人のユーモアである。


 話はそれたが、“タイパ”の言葉はあまりに踊らされている。踊らされてどこへ行くのか知らないが、笛吹きがあなたのことを斟酌してくれるはずもない。結末がどうなるかはご存知のはずだ。

 もっとも、これは友人の言だが、インスタの上で踊るというのも陽気で良さそうだ、という見方もあるけれど。

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