第4話 異世界歴・天正八年 夏 ー川中島 ー1
■■■ 異世界歴・天正八年 夏 ー川中島・上森陣営ー ■■■
空を泳いでいた四柱の龍が、するりと剣神の元に舞い降りる。
帳のような濃霧に覆われた川中島。眼下の海津城からは、細く炊煙が立っていた。いつもより数が多い。
この霧で判るまいと思っているのだろうね。でもそうはいかないさ、この霧は龍の神気そのものだもの。
海津城の包囲を解き、妻女山に陣取っていた剣神は、くすりと笑って側に控えた家臣を呼び寄せ耳打ちした。
「今夜、下山するよ。雨宮の渡しから千曲川を渡る。皆にそう伝えな」
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「いやあ久し振りの戦だね! 胸が躍るよ!」
普段から楽観的な当主だが、戦となると尚更だ。楽観的に先頭きって敵陣に突っ込んでいくので、家臣たちは気が休まらない。
「剣神様の見立て通りなら、いずれわが軍は挟撃されます。あまり深追いはなされませぬよう」
「詰まらない事を言いなさんな。戦はね、敵の大将を殺ってしまえば仕舞いだよ」
「武隈信厳を甘く見ないでくれ、と言っているのです!」
そうは言っても、此度の戦は速さで勝負が決まる。決着が長引けば上森軍の負け戦となるだろう。
「ここで戦うのも四度目か。あいつとも、そろそろ決着をつけないとね」
白い僧衣の剣神は、にやりと笑って遥か彼方を睨め付けた。
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■■■ 異世界歴・天正八年夏 ー川中島・武隈陣営ー ■■■
夜明けとともに、海津城から出立した別働隊が、妻女山に布陣した上森軍に攻めかかる。虚を突かれ慌てた上森軍は、隊を乱してこの原野に殺到するだろう。
こちらはそれを包み込む陣形で迎え撃ち、殲滅する。
その計画が頓挫したと知ったのは、夜明けと同時に霧の中から、妻女山に居る筈の上森軍が攻めかかってきたからだ。
場が乱れ、周囲で剣戟の音が響き渡る。
ごうと突風が吹き荒れて思わず信厳が見上げると、乱れた霧の合間に龍鱗が見えた。
「見つかったな」
呟きが先か斬撃が先か。
突如、霧を引き裂いて現れた純白の人影が、信厳に向けて太刀を振り下ろした。
咄嗟に軍配で払いのけた信厳が、にやりと笑う。
「保護色で突撃とは。なかなかコスいな、剣神!」
「私はいつもこの出で立ちだよ。随分と余裕の無いことを言うじゃないか。信厳」
「そりゃあ余裕が無いからな!」
二撃、三撃と加えられる斬撃を、軍配ひとつで躱しながら減らず口を叩く。
信厳の左手が閃くと、瞬時に炎を纏った白虎が現れ、吐き出された炎が馬上の剣神を押し包んだ。
刹那、召喚された龍が豪雨を降らせ、水気を厭うた炎虎が姿を消す。土中に隠れた炎虎が、地中から火柱を吹き上げた。
「あはは! やるね信厳!!」
「お褒めに預かり、恐悦至極」
上森・武隈両当主の、妖怪大戦争の様相だ。普通の人間が太刀打ちできるものでは無い。
「もう、当主の一騎打ちで勝敗を決めたらいいのに」
一般人でしかない両家の重臣たちは、異口同音に呟いた。
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砕けた軍配を投げ捨て、信厳は呼び寄せた炎虎に跨り身を翻した。即座に龍を呼び寄せて追いすがり、剣神が朗々とした声で挑発する。
「甲斐の虎が逃げるのかい!? 見損なったよ!!」
「阿呆! お前に付き合っていたらここにいる配下が全員溺れ死ぬわい、この戦闘狂が!! ついて来い!!」
「いいねえ! 二回戦目といこうか!!」
あははと笑いながら、両当主が戦場から離脱していくのを見届けた後、両家家臣たちは一斉に戦うのを止めた。
当主たちの気が済めば戻って来る、それまで一時休戦。
過去三回あった川中島での戦いは、いつもこんな感じだった。
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振り下ろされた刀を受け止め、弾き返す。がら空きの胴に斬撃を叩き込むと、寸でのところで躱される。
いつの間にか決戦の舞台となった茶臼山。
決着がつかないまま、二人は延々と斬撃を繰り出し続けていた。
「そろそろ死んでみる、ってのはどうだい? 信厳」
「ワシはかわゆい娘を侍らせて畳の上で死ぬ、と決めているからダメ」
「いやだねぇ。これだからエロオヤジは」
「ちょっと。ウチの家臣みたいなコトを言うの、やめてくれる!??」
台詞は馬鹿々々しいが、発せられているのは紛れもない殺気。
深緑の森の中には澄んだ剣戟の音が響き渡り、小鳥の囀りすら聞こえない。
繰り出した太刀の切っ先が剣神の桂包を掠め、豊かな黒髪が解け落ちた。
「……ッ」
視界が塞がれ、一瞬注意が逸れた剣神の手から太刀が叩き落とされる。愕然とした表情の剣神を、信厳がにやりと笑った。
「ハゲの勝利だ……!」
悔しげに見上げる剣神と得意げな信厳。
わははと高笑いする信厳の額宛てに、かん と鉛玉がめり込んだ。
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額宛ての金属部分が無ければ死んでいただろう。
鉛玉をめり込ませたまま白目を剥き、ふらりと仰け反った先は崖だった。
「ちょ、信厳!?」
慌てて信厳の腕を掴んだ剣神が、支えきれずに一緒に崖下に落下する。
炎虎と神龍が後を追い、やがて森はしんと静まり返った。
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「これで仕留められていれば御の字ですね」
愛用の火縄銃を下ろし、愛知光英はふう、と息をついた。
うさぎを抱いた家靖が、化け物でも見るような目で光英を見返す。
『普通の人間』に、こんな事が出来るものなのか。
信永配下でありながら『霊獣を従えて』いないけれど『非常にデキる』愛知光英に「一緒に霊獣探しにいきませぬか?」と声を掛けた家靖だったが、まさかこんな事になるとは思わなかった。
越後と甲斐の境目ならば良い『霊獣候補』が居るのでは? とこっそり立ち入った場所が川中島で、そこでたまたま戦が始まってしまった。
ここで家靖は「『霊獣』とはこんなに凄いものなのか」と顎がはずれそうになった。とてもうさぎで誤魔化せるものではない。
瞬時に降り注いだ滝のような雨や、噴火と見紛う火柱。それを自在に操る霊獣と、それを従えた武隈信厳と上森剣神。
こんな奴らと戦をするなどとんでもない話だ。こんな化け物どもに天下を取られるくらいなら、自称・第六天魔王の信永殿に取って貰った方が全然マシだ。
信永殿の天下取りに全力で協力しよう。
うんうんとひとり決心した家靖の耳元で、艶やかな美声が囁いたのはその時だった。
「……見たでしょう家靖殿? あれは神の力です。このままではこの世は、神に支配されてしまう。私は神や第六天魔王などではなく、ただの人間である家靖殿こそが、この世を治めるのに相応しいと思っています。『人の世は人の手で』。それが出来るのは家靖殿だけですよ……?」
ゆったりと穏やかで、押し隠していた劣等感を解きほぐすような、優しげな声音。
「儂だけ……?」
妖しく微笑んだ光英が、茫然と見返す家靖の肩に手を置く。
家靖の腕から うさぎがするりと逃げ出した。
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