第4話 異世界歴・天正八年 夏 ー川中島 ー1

 ■■■ 異世界歴・天正八年 夏 ー川中島・上森陣営ー ■■■


 空を泳いでいた四柱の龍が、するりと剣神の元に舞い降りる。

 帳のような濃霧に覆われた川中島。眼下の海津城からは、細く炊煙が立っていた。いつもより数が多い。


 この霧で判るまいと思っているのだろうね。でもそうはいかないさ、この霧は龍の神気そのものだもの。


 海津城の包囲を解き、妻女山に陣取っていた剣神は、くすりと笑って側に控えた家臣を呼び寄せ耳打ちした。


「今夜、下山するよ。雨宮の渡しから千曲川を渡る。皆にそう伝えな」



 ***************                ***************


「いやあ久し振りの戦だね! 胸が躍るよ!」


 普段から楽観的な当主だが、戦となると尚更だ。楽観的に先頭きって敵陣に突っ込んでいくので、家臣たちは気が休まらない。


「剣神様の見立て通りなら、いずれわが軍は挟撃されます。あまり深追いはなされませぬよう」

「詰まらない事を言いなさんな。戦はね、敵の大将を殺ってしまえば仕舞いだよ」

「武隈信厳を甘く見ないでくれ、と言っているのです!」


 そうは言っても、此度の戦は速さで勝負が決まる。決着が長引けば上森軍の負け戦となるだろう。


「ここで戦うのも四度目か。あいつとも、そろそろ決着をつけないとね」

 白い僧衣の剣神は、にやりと笑って遥か彼方を睨め付けた。



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 ■■■ 異世界歴・天正八年夏 ー川中島・武隈陣営ー ■■■


 夜明けとともに、海津城から出立した別働隊が、妻女山に布陣した上森軍に攻めかかる。虚を突かれ慌てた上森軍は、隊を乱してこの原野に殺到するだろう。

 こちらはそれを包み込む陣形で迎え撃ち、殲滅する。

 その計画が頓挫したと知ったのは、夜明けと同時に霧の中から、妻女山に居る筈の上森軍が攻めかかってきたからだ。


 場が乱れ、周囲で剣戟の音が響き渡る。

 ごうと突風が吹き荒れて思わず信厳が見上げると、乱れた霧の合間に龍鱗が見えた。


「見つかったな」


 呟きが先か斬撃が先か。

 突如、霧を引き裂いて現れた純白の人影が、信厳に向けて太刀を振り下ろした。


 咄嗟に軍配で払いのけた信厳が、にやりと笑う。


「保護色で突撃とは。なかなかコスいな、剣神!」

「私はいつもこの出で立ちだよ。随分と余裕の無いことを言うじゃないか。信厳」

「そりゃあ余裕が無いからな!」


 二撃、三撃と加えられる斬撃を、軍配ひとつで躱しながら減らず口を叩く。

 信厳の左手が閃くと、瞬時に炎を纏った白虎が現れ、吐き出された炎が馬上の剣神を押し包んだ。


 刹那、召喚された龍が豪雨を降らせ、水気を厭うた炎虎が姿を消す。土中に隠れた炎虎が、地中から火柱を吹き上げた。


「あはは! やるね信厳!!」

「お褒めに預かり、恐悦至極」


 上森・武隈両当主の、妖怪大戦争の様相だ。普通の人間が太刀打ちできるものでは無い。


「もう、当主の一騎打ちで勝敗を決めたらいいのに」


 一般人でしかない両家の重臣たちは、異口同音に呟いた。



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 砕けた軍配を投げ捨て、信厳は呼び寄せた炎虎に跨り身を翻した。即座に龍を呼び寄せて追いすがり、剣神が朗々とした声で挑発する。


「甲斐の虎が逃げるのかい!? 見損なったよ!!」

「阿呆! お前に付き合っていたらここにいる配下が全員溺れ死ぬわい、この戦闘狂が!! ついて来い!!」

「いいねえ! 二回戦目といこうか!!」


 あははと笑いながら、両当主が戦場から離脱していくのを見届けた後、両家家臣たちは一斉に戦うのを止めた。

 当主たちの気が済めば戻って来る、それまで一時休戦。

 過去三回あった川中島での戦いは、いつもこんな感じだった。



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 振り下ろされた刀を受け止め、弾き返す。がら空きの胴に斬撃を叩き込むと、寸でのところで躱される。


 いつの間にか決戦の舞台となった茶臼山。

 決着がつかないまま、二人は延々と斬撃を繰り出し続けていた。


「そろそろ死んでみる、ってのはどうだい? 信厳」

「ワシはかわゆい娘を侍らせて畳の上で死ぬ、と決めているからダメ」

「いやだねぇ。これだからエロオヤジは」

「ちょっと。ウチの家臣みたいなコトを言うの、やめてくれる!??」


 台詞は馬鹿々々しいが、発せられているのは紛れもない殺気。

 深緑の森の中には澄んだ剣戟の音が響き渡り、小鳥の囀りすら聞こえない。


 繰り出した太刀の切っ先が剣神の桂包を掠め、豊かな黒髪が解け落ちた。

「……ッ」

 視界が塞がれ、一瞬注意が逸れた剣神の手から太刀が叩き落とされる。愕然とした表情の剣神を、信厳がにやりと笑った。


「ハゲの勝利だ……!」


 悔しげに見上げる剣神と得意げな信厳。

 わははと高笑いする信厳の額宛てに、かん と鉛玉がめり込んだ。



 +++

 額宛ての金属部分が無ければ死んでいただろう。

 鉛玉をめり込ませたまま白目を剥き、ふらりと仰け反った先は崖だった。


「ちょ、信厳!?」


 慌てて信厳の腕を掴んだ剣神が、支えきれずに一緒に崖下に落下する。

 炎虎と神龍が後を追い、やがて森はしんと静まり返った。



 ***************                ***************


「これで仕留められていれば御の字ですね」


 愛用の火縄銃を下ろし、愛知光英はふう、と息をついた。

 うさぎを抱いた家靖が、化け物でも見るような目で光英を見返す。

『普通の人間』に、こんな事が出来るものなのか。


 信永配下でありながら『霊獣を従えて』いないけれど『非常にデキる』愛知光英に「一緒に霊獣探しにいきませぬか?」と声を掛けた家靖だったが、まさかこんな事になるとは思わなかった。


 越後と甲斐の境目ならば良い『霊獣候補』が居るのでは? とこっそり立ち入った場所が川中島で、そこでたまたま戦が始まってしまった。


 ここで家靖は「『霊獣』とはこんなに凄いものなのか」と顎がはずれそうになった。とてもうさぎで誤魔化せるものではない。


 瞬時に降り注いだ滝のような雨や、噴火と見紛う火柱。それを自在に操る霊獣と、それを従えた武隈信厳と上森剣神。

 こんな奴らと戦をするなどとんでもない話だ。こんな化け物どもに天下を取られるくらいなら、自称・第六天魔王の信永殿に取って貰った方が全然マシだ。

 信永殿の天下取りに全力で協力しよう。


 うんうんとひとり決心した家靖の耳元で、艶やかな美声が囁いたのはその時だった。


「……見たでしょう家靖殿? あれは神の力です。このままではこの世は、神に支配されてしまう。私は神や第六天魔王などではなく、ただの人間である家靖殿こそが、この世を治めるのに相応しいと思っています。『人の世は人の手で』。それが出来るのは家靖殿だけですよ……?」


 ゆったりと穏やかで、押し隠していた劣等感を解きほぐすような、優しげな声音。


「儂だけ……?」


 妖しく微笑んだ光英が、茫然と見返す家靖の肩に手を置く。

 家靖の腕から うさぎがするりと逃げ出した。



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