第28話 お帰り、お兄ちゃん…これからも…

「お兄ちゃん?」

 優しい妹の言葉――

 それはまさに、莉奈だ。

 葬式会場のような場所に佇む妹は悲し気な表情を浮かべ、一切笑ってくれることはなかった。

 近づいてくる妹に、来栖尚央は怯えている。

 なぜ、そんな心境に陥ってしまうのか、自分でもわからない。

「どうしたの?」

「いや、これ以上、俺に近づいてほしくないんだ……」

「なんで?」

「ごめん……」

 尚央は意味不明な言葉を口にしてしまう。

 何言ってんだろ、俺……。

 つい最近までそこまで仲がよくなかったのだ。

 そんな妹と普通に会話することに抵抗があったのかもしれない。

「私ね、お兄ちゃんに言っておかないといけないことがあるの」

「なに、そんなに改まって」

「……あのね。お兄ちゃんは気づいているかな?」

「何に?」

「皆黒い服着ているじゃない」

「そうだな」

 辺りをチラッと見渡すだけでも喪服姿の人らが視界に入る。

「この状況わかるよね?」

「ああ」

 俺は死んでいるんだよな。

 だから、走馬灯みたいな経験をしていたのだと、なんとなくだが察することができた。

 ようやく、意味不明な世界にいた理由を知れた気がする。

 あの世界は、現実でもなく、死の世界でもない。

 生死を彷徨っている時に経験する、一種の境目のような空間。

「お兄ちゃん……わかった顔してるね」

「まあ、な」

「じゃあ、これ以上話さなくてもいいよね? 私も辛いし……」

 妹は笑ってくれない。

 そんな莉奈の顔なんて見たくなかった。

 尚央は硬直していく体を強く動かそうとする。

 そして、声を出そうとした。





「でも、どうして……俺はこんなことになってたんだ?」

 来栖尚央は自分の状態を何とか把握はできた。

 しかし、まだ消化不良なところがある。

 それは、なぜ死に至ったのかということ。

 まだ、死にたくない。

 いや、すでに体と魂が分離しかかっている今、元通りの形で生活するなんて無理だと思う。

 わかっているのだが、突拍子も無さ過ぎて受け入れられずにいた。

 尚央は顔を上げ、俯きがちの妹――莉奈を見る。

「お兄ちゃんは……ね。あのね、その……」

 莉奈の歯切れが悪い。

 なかなか、本題に入ってくれなかった。

「どうしたんだ、大丈夫か?」

 尚央は妹との距離を詰める。

 涙顔になる莉奈の頭を軽く撫でてあげた。

「んッ、す、んッ――……」

 泣いているためか、妹は鼻声になっていた。

 不思議と、莉奈の温かさが手を伝い、心へと響いてくる。

 妹も色々なことで悩んでいたのだと、尚央は感じた。

 亡くなる前に、自分から妹へ何かをしてあげればよかったと思う。

「ごめんな」

 尚央の口から想いが零れた。

「すッ、んッ、な、なんで、お兄ちゃんが、謝っているの? そういうの、私が言うことだよね」

「いや、いいよ。これ以上、莉奈の悲しむ顔を見たくないんだ。そんな顔を見せないでくれ」

「……お兄ちゃん」

 妹はさらに俯きがちになるものの、その口元は微妙に震えていた。

 嬉しさと悲しみが交差した想いが妹から伝わってくる。

 こんな風にさせるって、兄失格だと思う。

 そもそも、死んでいるのなら、もう何もできないのだが。

「あのね、お兄ちゃん。あの事件知ってる?」

「どんなこと?」

 突然、莉奈から話しかけられる。

「交通事故のこと」

「事故? どこで?」

「街中でことだけど知ってる?」

「街中……」

 あまり記憶がない。

 自分が死んだ時のことを客観的に理解できる人なんているのだろうか?

 けど、莉奈ではない、別の妹――梨華と一緒にいた時、街中で不思議な経験をしたことを思い出す。

 周辺にいる人らから話しかけられる謎の光景。

 もしかしたら、その情景こそが、事件と関係しているのかもしれない。

「お兄ちゃんはね、一瞬だったの。事故直後、多くの人だかりに囲まれていてね。私、一応、あとをつけていたから、その……すぐに気づけたんだけど」

「後をつけていた?」

「え、その、違うの。そういう意味じゃなくて。やましいことなんてないし」

 莉奈は突然、自己解釈しつつ、意味不明な言動を見せていた。

 慌てている妹を見ていると、少しだけ、普段通りの日常に戻れたようで心が軽くなる。

「どういうこと?」

「いいの。そういうのは」

 莉奈は恥じらうように、顔を背ける。

「でもさ。俺って、なんで街中にいたんだ?」

「知らないの?」

「え? ああ」

 尚央はわからなかった。

 自分が街中に行くということは何かあったのだろう。

「だって、お兄ちゃん。誰かと付き合うとか、そんなこと言ってたじゃない」

「そうなのか?」

「うん。言ってた。だから、こっそり」

「こっそり?」

「んんッ、なんでもないからッ」

 今度は強めの口調で言う。

「というか、付き合うって……誰……ああ、涼音とか?」

「多分……私、その人の事、深く知らないけど」

 莉奈は誰と付き合っているのかまでは把握していなったみたいだ。

「その、話は変わるんだけどね。私、お兄ちゃんとのね……仲直りしたかったの」

 莉奈は急に、尚央の右手を強く掴む。そして、両手で握りしめるのだ。

 死んでいるのも忘れるほど、妹の手からは生を感じられた。

「俺もさ。というか、俺が最初にそういう事、言うべきだよな」

「んん、私の方も悪かった事あるし」

 妹は必死だ。

「できれば、お兄ちゃんが交通事故に合う前に、仲直りしておけばよかったって。葬式の日までずっと思っていたの」

 そうなんだと思う。

 互いに同じ想いだったのだと、今になって感じても遅い。

 尚央も悔しさが滲んでくる。

「だからね、お兄ちゃんが車にぶつかって、横断歩道で倒れている時にね。必死に頑張っていたの。何度も、人工呼吸をしたり、その……」

 莉奈は頬を紅葉させていた。

「キスをしたり……違うよね。こういう事、今言うのは不謹慎だよね? でも、意識を失っていたら、人工呼吸は、キスじゃないよね?」

「いや、俺に言われても……」

 でも、実の妹から、そういった行為をされていると思うと急に恥ずかしくなる。

 想像するだけで、生き返ったかのように心臓の鼓動が高鳴ってきた。

「でも、無理だったの。ごめんね……」

「いいよ。それは莉奈のせいじゃないだろ」

 誰のせいでもない。

 ただ、そこにたまたま居合わせた自分が悪いのだと。

 運命力がなかったのだと、思う事しかできなかった。





「俺、もう大丈夫だよ」

 来栖尚央はストレートに想いを伝えた。

 諦めがついたわけじゃない。

 けど、いつまでも妹の前にはいられないと思う。

 どこかでケジメをつける必要性があるからだ。

 魂と体が乖離してしまったモノは別の世界に行くしかない。それが決まりなのだから。

「そんな事言わないで」

 莉奈は両手でさらに強く、尚央の手を目一杯に握りしめてくれる。

 まだ、離れたくないといった想いがひしひしと伝わってきた。

「私も、そっちの方に行きたい」

「行きたいって。無理言うなよ。だって、妹はまだ死んでいないだろ?」

「……うん。けど、死のうと思えば、色々な手段があるし」

「そんな事言うなよ」

 尚央は強く言い放つ。

 妹は体をビクつかせ、無き目がちになる。

 兄から強い口調で言われ、正直怖かったのだろう。

「ごめん、言い方が悪かった」

「んん、いいの……そう言われて当然だよね」

 莉奈は尚央の手から両手をそっと離す。

「でも、いずれかは、そっちの方に行きたい」

「まあ、時間が経てばな」

 尚央は距離を取って言う。

 距離が近いと、離れ離れになるのが辛く感じるからだ。

 刹那、音が響く。

 それは、生が死に切り替わる合図のように、鉦の音が鳴り響いた。

 莉奈が尚央に近づこうと手を前に出してくるが、妹の手は兄の体をすり抜ける。

 俺、もう、違う世界にいるのか?

 次第に、莉奈との心の距離感を感じてしまう。

 現世と幽世が鮮明になっていく。

 時間は短かったものの、莉奈の心を感じられた、ひと時だった。

 再び、鉦の音が鳴ると、お経が体に染みてくるのだ。




 これで、終わったのだろう。

 来栖尚央は――

 いや、もう名前なんてない。

 無の存在へと帰還してしまった。

 誰からも呼びかけられることのない世界へ。

 すべてが闇に包み込まれ、体が崩れ、そして、心も失いかけていく。

 来栖尚央ではない存在へと切り替わっていく感じだ。

 そして――





「お兄ちゃん、起きてッ」

 え?

 誰の声だ?

 聞き覚えのある口調。

 だが、莉奈ではない。

 残るのは、あの妹だ。

 んん……。

 尚央は表情をしかめ、ゆっくりと瞼をあけようとする。

 いきなりの光に、目が痛くなった。

「ここは……」

「お兄ちゃん。ようやく起きたんだね♡」

 え? ……梨華か?

 そこには、私服姿の妹――梨華が佇んでいた。

「なんで、俺はここに? というか、どこだ?」

 尚央は天井を見上げた。

 白い天井に電気がついている感じだ。

 隣には梨華がいる。

 尚央は今、どこかのベッドで横になっているらしい。

「お兄ちゃん、心配したんですよ。検査の後、一切目をあけなくて、本当にね」

 右の方を見やると、涼音が佇んでいる。

 え? なんで、ここに涼音が?

 と、思い、右手で瞼をこすり、二度見すると、その子は涼音ではなく鈴だった。

 尚央は驚き、上体を起こす。

「俺は……そうか、病院で検査を。あの小学生の女の子から検査を受けて」

「小学生? 女の子から検査?」

「へ? ち、違ったっけ?」

 尚央は腑抜けた口調になる。

「お医者さんが小学生なわけないでしょ、お兄ちゃん? もしかして、まだ治ってないんじゃないの?」

「治っていない? 俺は確か……この世界にいる妹と、別の世界に妹が居て」

「もう、やっぱり、治ってないじゃない。お兄ちゃん?」

 梨華からジト目を向けられる。

 右側にいる鈴も、呆れた感じにため息を吐いていた。





「妹が居る世界って。どういうこと? それ、お兄ちゃんの妄想だよ」

「妄想?」

 尚央は自分でもわからない。

 一体、何が生じているのだと思ってしまう。

「俺は妹だらけの世界にいて、規律があったり、妹と付き合ったり」

「重症ですね。梨華ちゃん」

「うん、そうみたいだね。鈴ちゃん」

 二人の妹は顔を合わせていた。

「お兄ちゃんはね。妹がどうとか、妹だらけの世界とか、意味不明なことを言うから、今こうして診療所で治療をしてもらっていたの」

 鈴が淡々と説明してくれる。

 俺のただの思い込みだったのか?

 え? でも、葬式会場とか?

 実の妹、莉奈との会話は?

 脳内がパニックになるのだ。

「でも、妹を好きになるなら、私たちを好きになってよね」

「うん」

 梨華、鈴が言う。

 話し的に、二人は自分の実の妹らしい。

 けど、妹以上の想いを抱いてしまいそうになる。

 なんだろ、この気持ちは……。

 あの異なる世界での日常も偽りだったとは思えない。

 尚央が両手を握りしめたり開いたりして、生きている実感を取り戻していく。

【ねえ、お兄ちゃん。今後は妹を悲しませないでね】

 え?

 懐かしさと嬉しさが混じった声が響く。

 それは、まさしく莉奈の声だった。

 辺りを見渡すが、病室には莉奈の姿はない。

「お兄ちゃん、挙動不審だよ。もう少し落ち着いたら?」

 梨華から左腕を抑えられながら言われる。

「でも、こうしたら、少しは落ち着くかな?」

 梨華は前かがみになり、尚央の左頬に軽くキスをする。

 生きている感覚が頬を伝い、体全体に広がっていくようだ。

「あッ、梨華ちゃん、それはずるいよ。私もッ」

 普段は落ち着いている鈴も頬を赤らめ、対抗意識を燃やしてくる。

「これは早い者勝ちからね、鈴ちゃんッ」

「もうー」

 梨華はふざけた感じに言い、病室から逃げるように走る。それを鈴が追いかけていくのだった。

 病室は一気に静かになる。

 尚央がホッと胸を撫でおろすようにため息を吐いた直後に響く声――

【お帰り、お兄ちゃんッ】

 新しい人生が始まる優しい言葉だった。

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朝起きたら妹が告白してきたんだが……そもそも、俺の妹は本当の妹なのだろうか? 譲羽唯月 @UitukiSiranui

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