第27話 なんで、俺の周りから、すべてが消えていくんだよッ

「ねえ、そろそろ、起きたら?」

 来栖尚央の記憶が取り戻すように、意識が鮮明になる。

 頭のところには、温かく柔らかいものが接触しているような感覚。

 何かと思い、瞼をゆっくりと開けてみる。

 少しだけ暗い空間。

 BGMが聞こえた。

 狭い部屋なのだが騒がしい。

 ここは、どこなんだ?

 横を確認すると、ジュースの入ったコップが二つ見える。

 現実?

 でも、なんだろ。

 体が軽く感じた。

 先ほどのような真っ暗な場所ではないことに安堵し、上体を起こして、辺りを見渡してみる。

 えっと、カラオケ……?

 たどたどしい反応を見せつつ、隣にいる子へと視線を向けた。

 鈴?

 一瞬、あの子かと思ったが、この前から付き合い始めた女の子であることに気づいた。

 頭に当たっていた温もりは、涼音の太ももだったらしい。

 それにしても、気持ちいい肌だったな。

 そんな如何わしい事を考えてしまう。

「何? その顔?」

「え、いや、な、なんでもないよ」

 涼音にジト目で見られてしまう。

 思っていることを見透かされている気分になり、正直どぎまぎしていた。

「ねえ、尚央は少し気が楽になった?」

「楽に?」

「だって、尚央は具合が悪いから休んでいたんでしょ?」

「ああ、そうだったな」

「もう、そんなことも忘れちゃったの?」

「ごめん……少し記憶がさ」

 尚央は記憶力の無さに絶望してしまう。

 なんで、忘れていたんだ?

「ねえ、尚央……」

「ん?」

 涼音の問いかけに、尚央は彼女の反応を伺うように見やる。

 彼女は口ごもりながらも、何かを話したがっているような感じだ。

 どうしたんだろうか?

「なに?」

「えっとね。今日ね、話そうと思っていたことがあったの」

「話そうとしていたこと? どんなこと?」

「……これ言ってもいいのかな?」

 涼音は戸惑う顔を見せ、サッと反対方向へ視線を向けた。

 隠し事?

 もしかして、本当は付き合っていなかったとか?

 罰ゲームで付き合うことになったとか、そういう事なのだろうか。

 尚央の心臓の鼓動が早くなる。

 嫌な気分に陥ってしまい、落ち着きがなくなってしまう。

「でも、本当のことならさ。言ってほしいんだけど」

 尚央はストレートに口にする。

 怖かったが、モヤモヤした感情を抱きながら、わざとらしいセリフだけを並べただけの会話なんてしたくなかった。

 尚央は真剣なのだ。

 初めてできた彼女であり、そういうところをハッキリさせておきたかった。

「……尚央が望むからいいけど。まあ、いずれかは話さないといけないことだし」

 涼音は諦めがついたように、尚央の方を向き、しっかりと瞳を見つめてくれた。

「私ね。尚央のことが好きとか嫌いとか、そういう想いで付き合おうって言ったわけじゃないの」

 涼音の本心に近い、発言が心に冷たく染みた。

 やっぱりか。

 だよな。

 当たり前だ。

 涼音が、クラスでも平凡な感じの俺を選ぶわけがない。

 つい最近まで、軽く会話したことしかなかった程度の単なるクラスメイト。

 大体がハッキリとし始めたことで、尚央も納得できるようになった。

「そうだよな」

「え? な、何が? 私。殆ど何も話していないんだけど」

 涼音は戸惑っている。

「え? 違うのか?」

「ねえ、尚央は何を思って、そんなことを言ったの?」

「いや、俺さ。てっきり、罰ゲームとかの一環で、告白されたのかと思ってさ」

「なにそれ、失礼じゃない? そんなわけないでしょ」

 涼音は呆れた感じに軽くため息を吐いていた。

「私、そういう風な人に見える?」

「……いや、そうは見えないけど」

「私、そういうのを他人から言われても罰ゲームで告白なんてしないし」

 なんか、少し思い違いだったようだ。

 彼女はそういう変な事なんてしない。

 でも、好きでも嫌いでもなかったら、どういった心理でデートに行こうなんて誘って来たのだろうか?

 尚央は疑問を浮かべつつ、涼音の顔を見た。

 少しだけ泣いているような、そんな表情が一瞬垣間見れたのだ。

「私……ね、助けたいと思ったの。だから……現実から背ける……いいえ、時間稼ぎのためにね。今日呼び出したの」

 涼音は真面目だ。

 嘘をつく要素など、どこにもない。

 重心がブレない、硬い信念を持っているような感じがする。

「でも、時間稼ぎって?」

「それはね。尚央を本当の意味で救うためなの」

「救うって? 俺、特に怪我とかもしてないけど?」

「わからない?」

 涼音は悲し気な瞳を見せてくる。

 なんで、そんな顔ばかりするんだよ。

 彼女は何を伝えようとしているのは確かだ。けど、わからない。尚央は気まずくなり、視線を軽く落とした。

「尚央って、右肩とかに痛みとかってない?」

「肩? いや、そんなことはないけど」

 この頃、体が怠くなりやすくなったりと、色々な諸事情に悩まされることが多かった気がする。

 もしかして、そういうのとの関係があるのか?

「んん、わからなかったら、それでいいよ。うん、その方がいいよね。知らない方が」

 涼音は自分勝手に頷き、テーブルにあるカラオケ用のマイクを手にした。

「尚央。少し歌わない? 気分転換しよ」

「え、まあ、いいけど」

「まだ、歌っていなかったでしょ? あとね、尚央が寝ている間に、注文したモノもあるんだよ」

 薄暗くてパッと見、分からなかったが、テーブル上にはフライドポテトや、通常よりも一回り小さいピザなどが丁寧に置かれてあった。

「色々購入しておいたから」

「ありがと」

 尚央は簡単にお礼を告げた。

「ね、何か歌おうよ」

「……」

 そうだなと思う。

 カラオケに来ているのに、寝ているというのもおかしい。

 何を歌おうか、タブレットのようなものを手に取り、画面上を見ながら考える。

「俺さ。まさか、君とこうして、カラオケに来るなんて思ってもみなかったし。なんというか、実際、嬉しいというか」

 尚央は人生で初めて恋人ができたことに心を高鳴らせていた。

 そんな想いを彼女に伝えていたのだ。

「ごめんね……」

「え、何が?」

 尚央はタブレットの画面を押し、歌いたい曲を選定し終える。

「ねえ、涼音は? 何がいい? 俺はこの曲に決めたけど……え?」

 左の方へ視線を向けると、そこには誰もいない。

 ただ、室内にあるテレビ画面から広告のような音が聞こえたり、今風のBGMが流れている程度だった。

「あれ? 涼音。どこ? ねえ、どこにいるの?」

 室内の扉が開く音もしなかったのだ。

 自然な感じに、スゥーと、消えてしまったかのような感覚。

「なんでいないの?」

 彼女が座っていたソファの場所を手で触る。

 まったく感じない。

 手に伝わってくるのは、無のような感触だけ。

 最初っから、そこに誰もいなかったかのような現状に、尚央は怖くなった。

「ど、どうなってるんだよッ」

 尚央は衝動的にソファから立ち上がる。

 涼音とは一緒に会話していたんだ。

 今日はデートするために出会ったはず。

 なのにどうして、なんで何もかもなくなってしまうんだよ。

 尚央は勢いよく扉を開け、廊下に出る。

 しかし、そこには店内のような光景ではなかった。

「な、なに? なんなんだ、ここ……」

 一瞬で辺りが暗くなった。

 一八〇度見渡すが、色もすべてが黒一色。

 店内に流れていた軽快なBGMも聞こえなくなっていた。

 刹那、誰かの足音が聞こえる。

「それにしても、不幸な出来事が多いですね」

「ええ」

「つい最近だって、区内に住むあの子の親御さんが亡くなったみたいじゃない」

「そうね。なんで、こんなに事件が多いのかしらね」

 尚央の背後から現れ、素通りしていく四十代くらいの女性二人の姿があった。

 彼女らが尚央の存在に気づく様子もなく、前へと進んでいく。

「すいません、俺は……ここはどこなんですか?」

 しかし、振り返ってくれることはない。

「申し訳ないです。尽力を尽くしましたが、私たちの力ではもう無理でした」

「それは、あなた方のせいではないです」

「ですが……」

 尚央の目先には白衣を着た男性と、その正面には心配そうに対応する女性の姿があった。

 白衣姿の人物と対話している女性に、どこか見覚えがある。

「……お、お母さん?」

 なんで、そこにいるんだよ。

 と、尚央は必死に近づいていく。

 二人へと手を伸ばすと、霧のように消え去る。

 何もない空気となって、辺りへと広がっていくのだ。

「ど、どうして。どうして俺から、俺から皆が離れていくんだよ。なんでなんだよ」

 尚央は嫌になった。

 すべてを失ってしまいそうで怖いのだ。

 何もできない。

 そんな自分に嫌気がさしてきた。

 んッ、なんだ、あの光は……。

 尚央は顔を上げ、遠くの方を見つめる。

 なんとなくだが、光。いや、赤色と黄色が混ざり合ったような灯が見えた。

「あそこに、何かがあるのか?」

 尚央は歩き出す。

 そこにたどり着ければ何かを得られそうな、そんな気がしたからだ。

 体が重い、苦しい。

 歩けば歩くほど、体に負担がかかってくる、不思議な感覚に見舞われていた。

 な、なんだ。この感覚は。

 けど、あの場所に行かなければいけない。そんな気がした。

 何かを追い求めるように、手を伸ばす。

 灯のある場所を掴むように。

 刹那、辺りは幕が上がるように、情景が変わった。

 色合いが戻っていく光景を目のあたりにしつつ、暗く閉ざされていた場所が鮮明になる。

「ここは?」

 とある大きな一室。

 そこはどこかの会場なのかもしれない。

 黒い服を着た人が、チラホラと佇み。それぞれ親し気な人らと会話している。しかし、私服姿の尚央を疑問視する人など、誰一人いなかった。

 一体、ここで何が?

 ふと気になり、遠くの方を見つめると、誰かの写真がそこにはあった。

 なんだろ。

 尚央は正体を知るために近づく。

 距離が短くなっている毎に、心臓の鼓動が早くなる。

 見たくない。

 けど、そこから視線を逸らす勇気もなかった。

「え? これって。いや、嘘だろ。な、なんで俺の写真が⁉」

 尚央は慌てる。

 思いもしない現実に打ちのめされた感じだ。

「お兄ちゃん。ようやくここに到着したんだね」

 落ち着いた口調の女の子の声。

 それは、妹――梨華……いや、莉奈の話し方だ。

 尚央が振り返ると、黒い衣装に身を包み込む妹の姿があった。

 本当の妹は、梨華ではなく、莉奈なのかもしれない。

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