第26話 ここはどこなんだ? 莉奈…?

 暗い空間?

 なんだ、これ……。

 ようやく視界が鮮明になってきた。

 明るい光が体を包み込む。

 ここは一体、どこなんだ?

 来栖尚央は、ゆっくりと瞼を見開き、辺りを見渡す。

 んん……。

 どこだ……?

 尚央がいる場所は紛れもなく、平凡な世界。

 特に珍しいものが存在するわけではない。

 住宅街や商店街。学校にデパートやコンビニ。

 そういった場所が存在するなんの変哲のない街並みである。

 また、情景夢の世界なのか?

 尚央はそう思いつつ、前へと足を一歩踏み出した。

 この世界の空気を肌で感じ始める。

 生きている感じがするものの、どこか、冷めた感じに心が揺らぐ。

 それにしても、体が安定しないな。

 どうしてなんだ?

 尚央は違和感を覚えつつも、その道を歩き続けた。

 周りには住宅街がある。

 しかし、自分が知っている場所ではなかった。

 いや、ただ、忘れているだけかもしれない。

 そんな曖昧な面持ちで先へと進む。

「俺……どこに向かってるんだっけ?」

 尚央は自分でも、どこに歩んでいるのか不明だった。

 そもそも、行先が分からない。

「……」

 何度も心の中で悩んでしまうものの、どこかに行かなければいけない気分になる。

「なんだ、この感情」

 尚央は自分でもわからない心に戸惑う。

「ねえ、お母さん。どこかに行こうよ」

「そうね。じゃあ、お買い物に行きましょうか」

「うん」

 親子の会話が聞こえる。

 右斜め方向を見やると、近くの家から出てきた母親と、その息子の姿が視界に入った。息子の方は、小学生くらいだろうか。

「じゃあ、お母さん。スーパーであれを買ってよ」

「いいわよ。今週中も手伝い頑張ったものね」

「うん」

 懐かしい。

 尚央はそう感じた。

 他人であり、初対面の親子なのだが、その会話にはどこか懐かしさを感じてしまうのだ。

 尚央はその親子とすれ違う。

 体がフワッとした。

 な、なんだ、この感覚。

 背後に違和を感じ、振り返る。

「え?」

 そこには誰もいなかったのだ。

 先ほどまで、楽し気に会話をしていた親子の姿など、霧のように消え去っていた。

「お、おい。どこに行ったんだよ⁉」

 怖い。

 意味わかんないよ。

 尚央は頭を抱える。

 脳内に何かが入り込んでくる苦しさに追い込まれてしまう。

「んう、な、なんだッ、なんなんだ、この頭痛は……」

 痛い。

 今にも死んでしまいそうなほどの苦痛が、尚央の体を襲う。

「はあー、はッ、ああー……んんッ」

 瞼からは涙が垂れるほどの痛みを感じ、息が整わなくなった。

 体が重い。

 なんなんだ、この疲労感は?

 意味不明すぎる。

「ねえ、お兄ちゃん。大丈夫?」

 優しく問いかけてくれる一人の女の子がいた。

 俯いていた尚央は顔を上げ、そこの子を見やる。

「り……りか……いや、莉奈?」

「うん。莉奈だよ」

「そ、そうか」

 知っている子がいて、一安心してしまう。

 というか、莉奈。どうしてここに?

「お兄ちゃん? 息を切らしていたようだけど、大丈夫? どこかで休もうか?」

「ああ、そうだな。そうさせてもらうよ」

 莉奈という子は、妹だ。

 情景夢の中で出会った妹?

 実の妹?

 いや、莉奈の方が実の妹なのか?

 尚央は脳内が混乱してしまい、立ち眩みしてしまう。

 まだ、高校二年生なのに、これじゃあ、体が老体しているみたいじゃないか。

「ね、お兄ちゃん。手繋げる?」

 尚央は手を見せる。

 莉奈の温かい温もりに右手が包み込まれた。

「お兄ちゃん。行こッ」

「……」

 この話し方。どこかで……。

 ああ、梨華と同じだから、そう感じるのか?

 え? 梨華?

 え、いや……でも、そうじゃないとおかしいのか?

 莉奈とは、仲が悪かったような……それは俺の妄想?

「なんなんだ、これ? 梨華が実の妹で、莉奈が夢の中の妹? でも、最初は違ったような」

「ねえ、どうしたの、お兄ちゃん? さっきからブツブツ独り言ばっかり」

「ごめん……俺、わからないんだ」

「わからないって、どういうこと?」

「莉奈は俺の実の妹なのか?」

「当り前じゃない。最初っからそうでしょ。おかしな、お兄ちゃんね」

「あはは……だ、だよな。莉奈の方が実の妹なんだよな。俺、疲れてるのかもな」

 尚央は軽く笑って誤魔化す。

 頭の痛みは和らいできたものの、体に疲労がドッと伝わってきた感じだ。

 これは俺がおかしいのだろうか?

 尚央は自分の存在に疑問を抱きつつ、莉奈と手を繋いだまま、一緒に住宅街を歩き続けた。

「莉奈。一ついいか?」

「なんですか、お兄ちゃん?」

「ここって、どこなんだ?」

「どこって、今まで過ごしてた場所だよ」

「ここがか?」

 尚央はもう一度辺りを見渡した。

 まったくわからない。

 あの家も、あっちに見える家も、さっぱりだ。

 別の空間に移動してしまったのか、自分の脳内がおかしくなってしまっただけなのか。

 それすらもわからなかった。

「お兄ちゃん。そんなに落ち込まないで。多分、色々なことが一日の間に起きたから、少し疲れてるんだよ」

「そうなのか?」

 そもそも、そんなに忙しかった?

「ねえ、お兄ちゃん。少し慰めてあげよっか」

 誘惑するような視線を妹から向けられた。

「な、なんだよ急に」

 莉奈は実の妹のはずだ。

 つい最近まで仲が悪い関係だった。

 そんな妹と、どうして普通に会話できているのだろうか?

 違和感しかなく、妹の一つ一つの言動を疑ってしまう。

「お兄ちゃん、こっち向いてよ」

「な、なに?」

 一瞬の出来事。

 尚央の唇に温かいものが接触していた。

 それは生を取り戻すかのような息が、尚央の体に入ってくるかのような感覚。

 兄妹同士で口づけをするなんて。

 殆ど人が道を歩いていないとはいえ、気恥ずかしい。

 でも、心地よかった。

 嫌な気分などせず、すんなりと受け入れられた感じだ。

「おい、あの二人、路上でキスしてるぞ」

「変態さん……かな?」

 幼い声が聞こえる。

 話し方的に、口づけをしている俺らに対しての発言だと、すぐに気づいた。

 尚央は莉奈から離れ、挑発的な台詞を口にした子らに視線を向ける。

 え?

 その子らには見覚えがあった。

 確か……どこかのイベントで出会ったような。

 はッ、そ、そうか。

 尚央は、罪をかぶせてきた中学生の男子と、その小学生の妹だと気づいた。

「お前さ。こんなところでキスなんてさ。別のところでやれよ」

「というか。なんで、俺らがお金を奪ったって周りの人に嘘を言いふらしたんだよ」

「は? 別にいいだろ。気に食わなかったんだよ」

「なんで? 俺が君たちに何かをしたって言うのか?」

「ああ」

 中学生の男子は自信ありげに言う。

「具体的には?」

「お前さ。妹のことを気にかけているのか?」

「妹のこと?」

「まあ、それなりには」

「それなり? そういうところがよくないんだよ」

 中学生の男子生徒は、苛立っているようだ。

 何に、そんなに怒ってるんだ?

 意味不明である。

 首を傾げてしまう。

「まあ、お前がそれでいいのであればいいんだけどさ」

 なんだ、この子は?

 年下なのに、舐めた口調だな。

 尚央はイラっとした。

「けどさ。お前、もう少し妹を大事にしろよな。じゃ、行こうか、莉奈」

 莉奈?

「ちょっと待って」

 尚央は背を向け、手を繋ぎどこかに行こうとする二人を引き留める。

「なんだよ、鬱陶しい奴だな」

「君の妹の名前も、莉奈って言うのか?」

「そうだけど。それが何?」

「俺の妹も莉奈って言うんだけど」

「……まあ、そうだろうな」

「そうだろうなって? どういう?」

 そんなことを言いつつ、先ほど口づけを交わした妹――莉奈へと視線を向けた。

「あれ? り、莉奈? どこに行ったんだ?」

 尚央は戸惑う。

 いきなり現れ、気が付けば、いなくなっている。

 どこに?

「ねえ、君たちは莉奈のことを……え?」

 再び、視線を戻した時は、その二人すらもいなくなっていたのだ。

「おい、ちょっと、なんでいないの? ど、どこに行ったんだよッ」

 尚央は強い口調になり、その声には不安さも混じっている。

 どこを見渡してもいない。

 住宅街から人の気配すらもしなくなっていた。

「お、俺を一人にしないでくれ」

 尚央は必死な想いで声を響かせる。

 刹那、再び、辺り一帯が黒い霧で覆われていく。





「ああ、無理だな」

「もうやめた方がいいわ」

「そうだよ。それ以上やっても、意識は戻らないんだって」

 四十代くらいの男性の声が聞こえる。

 大人びた女性の声もチラホラと響く。

「でも、もう少し……もう少しだけやらせてください。お願いします」

 とある女の子の声が黒い空間に響き渡っていた。

 誰なんだろ。その子は……。

 でも、心地いい声だな。

 来栖尚央は懐かしい気持ちになった。

 心が温かい何かで包み込まれているような感じだ。

「ですが、ここだと迷惑になるので、少し別のところに行きましょう。すでに呼んでいるので、そちらの方に」

「いやッ、私はまだやれるの。私がやるのッ、あともう少し……あと、もう少しでもとに戻りそうだからッ」

 女の子の声からは必死さが伝わってくる。

 涙交じりの口調。

 なぜ、そんなにも大きな声を出しているのだろうか?

「私、別れたくない。まだ……まだ、伝えきれていないことがあるからッ」

「ちょっと、体を抑えてあげて。この子がいると、なかなか進まないから」

「いや、ちょっと、私は――」

 その女の子は何かを必死に伝えようとしている。

 しかし、その言葉は別の音によって遮られているような感じだ。

「行先は?」

「あの場所で」

「わかった。では、あれを持ってきて」

「はい」

 喚いていた女の子の声は聞こえなくなったものの、大人たちが段取りよく、そして、せわしなく動いている。

 黒い霧で辺りを見渡すことができないものの、なんとなく声の抑揚でわかったのだ。

 刹那、尚央の体が上へと、少し浮いた。

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