第25話 俺から生気を感じないって、どういうこと?

「それでは、お腹と、その……胸を見せてくださいね」

 診療所に属する女の子はニヤニヤしつつも、冷静をよそおいながら診療を始めようとしていた。

 また、小学生か?

 そういった疑問を抱きつつも、来栖尚央はなんだっていいと思っている。

 この世界では小学生でも、大人のように仕事ができるのだと、そういう世界なのだと受け入れていた。そういうところにツッコミを入れるのは無しだ。

 先ほどだって、交番勤務していた人も小学生の女の子だった。

 まあ、今まで小学生が従事していたとしても、どこかで事件が生じたことなど聞いたこともない。

 多分、問題はないのだろう。

 気にするだけ、時間の無駄だと思いつつ、椅子に座っている尚央は上半身に身に付けていた衣服を脱ぐ。

 尚央の正面には椅子に座る白衣姿の女の子がいて、彼女は聴診器を首元に巻き付けるようにつけていた。

「良い体つきをしてますね」

 息を荒くする診療担当の女の子は、尚央の胸に聴診器を当て、左手で体を触ってくる。

「変な気分になるので、やめてほしいんですが」

「はッ、ご、ごめんなさい。私、兄を見ると、体を見たくなる衝動に駆られてしまうの」

「そういうのは、まあ、そうだな」

 尚央はそこまで嫌というだけではなかった。

 むしろ、嬉しく感じたほどだ。

「ちょっと待ってくださいね」

 女の子は真剣な表情を見せると、今後はしっかりと聴診器で体の状態を確認してくれていた。

「……」

「どうですかね?」

 尚央は問う。

「ちょっと、静かにしてもらえますか? 今、重要なところなので」

「重要?」

「はい。兄の興奮度がどれくらいか、確かめるために」

「……」

 尚央はジト目で、年下の女の子を見入ってしまった。

 この子は、真面目ではないと思う。

 真剣さは伝わってくる。が、多分、真面目系の変態だと感じた。

 診療所に勤務している小学生は、そういう子が多いのだろうか?

「それで、どうなんですか?」

「はッ、そうでしたね。ごめんなさい。でも、多分、大丈夫ですよ……特にね……多分」

 女の子は聴診器を首元から外し、尚央の方を見る。

 彼女は小学生にして、それなりの実績を持っているとの事。

 一応、鈴とは親しい仲らしく、そんなに悪い子ではないような気がする。

「後はですね。どこが悪いんですかね?」

 そういう彼女は脱弧くるみ。小学五年生らしい。ポニーテイルの髪型が特徴的で、真面目さを残しつつも、優しい笑顔を見せてくれる。

 白衣を身に纏う、くるみは、尚央が事前に記入した診断アンケート用紙へと目を通していた。

「兄さんは記憶がズレているという事ですか?」

「そうですね。この頃、記憶が乖離しているのか、わからないんですけど。この世界にいない妹と出会うんです」

「出会うというのは、どこでですか? 記憶の中? それとも現実の世界に現れるとかですかね?」

「いや、多分……夢? ですかね?」

 尚央は記憶を辿るように口にした。

「夢? でしたら、情景夢からもしれませんね」

「情景夢? それ、妹からも言われました」

「鈴ちゃんからですよね?」

「そうですね。やっぱり、そういう事なんですか?」

「そうかもしれないですよね」

 くるみはカルテも確認し、相槌を打っていた。

 大体の事情は、鈴から聞いているようだ。

 話がスムーズである。

「情景夢についてもう少し知りたいんですが? どういう時に、別の世界にいる妹を見ますか?」

「それは……あれ? どういう時だろ」

 いきなり問われ、思考するものの、パッと思い出せない。

「どうしたんですか? わからないんですか?」

「はい」

「でしたら、こちらの紙に思い出せる範囲でいいので書いてくれませんか?」

「ありがと」

 尚央は一枚の白紙と、ボールペンを受け取る。

 思考する中、ボールペンの尖端を用紙に押し付けた。

 一回目は、梨華と鈴がいる時だった気が……。

 二回目は……あれ? それも、梨華と鈴がいる時か?

 尚央はどちらも、二人の妹と一緒にいる時、別の世界にいる経験をしていることに気づいた。

 なんでだ?

 なぜ、梨華と鈴がいる時なんだろ。

 尚央は一人で首を傾げてしまう。

「兄さん? どうしたんですか? わかったんでしょうか?」

「いや、まあ、少しは……」

 尚央は思考が定まらず、一度冷静になった。

「……それがですね、梨華ちゃんと、鈴ちゃん。その二人といる時に、別の世界にいるような経験をするんですが?」

「二人と?」

「はい。なんでなんですかね?」

 違和感しかない。

 今まで深く考えてこなかったが、二人といる時、なぜか、体の中がおかしくなるのだ。

「それも怪しいですね。他に、どこか怪しいところはありませんでしたか? 脳内に何かが入り込んでくるとかは?」

「脳内に入り込んでくる……?」

 尚央はハッとする。

 何かを思い出すかのように。

 それは、街中にいる時だ。

 誰かに見られているような息苦しさ、そういった経験をしたことがあった。

 あの苦痛は何だったのだろうか?

 もしかしたら、その正体が分かれば、解決できそうな気がする。

「俺、この前、街中にいる人らが変な風に見えたんです」

「どういう感じにですかね?」

「それは、なんというか、言葉では説明しづらいんですが、こんな感じというか。んん、周りにいる人がジーっと俺の方を見つめてきたんです。俺に対して何かを話すような……悪口というか、そういう感じではないんですけど」

 尚央は身振り手振りを交えながら話す。

 くるみには伝わったのだろうか?

 普通は経験しないような、感覚。

 自分にしかわからないことを他人に伝えるのは、一苦労だ。

「周りにいる人が見つめてくると?」

「はい」

「でも、普通はそういうことなんて起きないんですけど。やっぱり、あの病気なのかなあ?」

 くるみはカルテのようなものを見ながら、首を傾げつつ、パソコンのような画面へと視線を向けていた。

「どうしたんですか?」

「ごめんね。ちょっと待ってて、何か分かるようなことがあって」

 くるみは真面目そうな表情を見せつつ、パソコン画面と向き合う。

 一体、俺の体に何が生じているのだろうか?

 わからない。

 わからないからこそ、怖いのだ。

 くるみはパソコンと睨めっこしている。

 真剣な表情は、小学生ではなく社会人のようだ。

「ねえ、兄さん?」

 急に話しかけられる。

 視線を向けることなく、くるみは画面を見続けながら問いかけてくるのだ。

「あのね、これをやればわかると思うんだけど。兄さんは暗いところに長時間入れる?」

「暗いところって?」

「精密検査の部屋だけど?」

「……この問題が解決されるのなら、いいですけど」

「では、精密検査を受けるってことで」

 くるみは軽く息を吐きつつ、一度目を閉じてから、尚央の方を見つめてきた。

「というか、精密検査をしなければいけないほど、俺の体がおかしいんですか?」

「んん、おかしいというか、何かが変なの」

「変というと」

「兄さんの体からね、生気を感じないの」

「え? は? そ、それはどういう事?」

「私にもわからないの。聴診器で確認したけど、その時からちょっとだけ違和感があったの」

「その時から?」

「うん。私ね、体を触ると、どんな感じかわかるんだけど。兄さんの場合、他の人から感じる生気が伝わってこなかったの」

「そ、それって危ないんじゃ」

 尚央は驚愕した。

 なんで、そういうことになってるんだと、苦しみにも似た感情が強くなる。

 普段は特に問題なく生活ができているのだ。

 体が何かによって蝕まれているのだろうか?

 尚央は両手の手の平を見つめていた。

「兄さんって、生きているの?」

「生きてるって? どういう意味?」

「まあ、その、私もね。疑いたくはないんだけど。あの……だからね、精密検査をしたいの。私も真実を知りたいから」

 くるみから必死な思いが伝わってくる。

 彼女の想いに少しでも答えた方がいいだろう。

 尚央は受け入れるように頷いた。

「わかりました。俺、精密検査を受けますので、よろしくお願いします」

 このままだと、梨華や鈴とも会えなくなる。

 生きるためには、体の細部まで確認した方がいい。

 二人は椅子から立ち上がり、その部屋まで向かうのだった。





「兄さん、ここに入ってくれますか?」

 来栖尚央は促されるがままに、その部屋に入る。

 闇に包まれたかのような、暗い空間。

 何もないといった方が的確かもしれない。

 本当にこんなところで診査するのか?

 尚央は疑問を抱きつつも、少しだけ奥へと行く。

「それでさ。ここはどういった場所なんだ? というか、電気は? つけないの?」

「……はい」

 くるみは落ち着いた口調で、少々活舌が悪い。

 舌足らずな感じではなかった。

 何かを隠しているかのように、声のトーンが小さくなっていくのが分かる。

「この場所では暗くしていないと、機材が壊れてしまいますので」

「そうなのか? 電気くらいで機材なんて壊れないような気がするけど?」

「いいですから、早く奥に行ってください」

 幼い子ではあるが、強気な口ぶりである。

 なんだ?

 どうしたんだ、この子は?

 尚央は前を向き歩く。

 時間が経過すると、次第に視界が少しだけハッキリとしてくる。

 視界が闇に馴染んでくる感じだ。

 虚無と言っても過言ではない環境。

「んッ」

 足に何かが当たる。

 何かと思い、下を向くと、そこにはベッドがあった。

「兄さん。そこに寝てください」

「ここに?」

「はい。お願いします」

 なんだ……?

 やっぱり、口調が違うような。

 尚央は振り返れなかった。

 背後から、くるみとは異なるオーラが、ひしひしと伝わってくるからだ。

「それと、このアイマスクをつけてください」

 右手にくるみの手が当たる。

 手元にはアイマスクが渡されていた。

 それを目にし、ベッドで仰向けになる。

 目を隠しているゆえ、辺りを見渡せない。

「では、今から精密検査をしますね」

 くるみの声が遠のいていくような、そんな気がした。

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