第24話 梨華は、あの場所にいた莉奈じゃないんだ…

 翌日、来栖尚央は起床するなり、リビングへと向かった。

「おはよう、お兄ちゃんッ」

「おはようございます」

 すでに、テーブル前の席に座り、朝食を食べている二人の妹から、笑顔で挨拶された。

 ああ、今日は、二人とも学校だったな。

 尚央はそう思い、彼女らに近づいていく。

「お兄ちゃんは、まだ眠いの?」

「ああ、そうだな」

 昨日はしっかりと睡眠をとったはずだが、なぜか、寝た気がしなかった。

 不思議な感覚に困惑しつつも、ひとまず梨華の隣の席に座る。

「ご飯はもうできていますから」

「ありがと」

 尚央はあっさりとした口調で一言呟き、テーブルに置かれた朝食を目にする。

 そこには彩のよい食事が皿にのせられていた。

 鈴はお菓子しか作れないとか言っていたが、何気に料理全般が得意なようだ。

「お兄ちゃんも早くご飯食べてよね」

「わかってるさ。ふあああ……」

 尚央は箸を手にしたまま、背伸びをする。

 まだ、疲れがとれておらず、体がだるく感じるのだ。

 あくびを一つしてから、食事と向き合う。

「あくびをする時は、口を押えてくださいね」

 鈴から軽く指摘されてしまう。

「ごめん、なんか……」

「眠いのはわかりますけど」

 鈴は箸をおき、席から立ち上がる。

「梨華ちゃんもそろそろ行く?」

「え? もう? お兄ちゃんはどうするの? おいてくの?」

「だって、梨華ちゃん、まだ課題終わってないでしょ? 早く学校に行って勉強するって、昨日言ったじゃない」

「そ、そうだったね」

 梨華は軽く舌を出し、忘れてた感を表していた。

「それと、お兄ちゃんはゆっくりとしていてもいいので。あと、これは診療所の住所なので、私たちが学校にいる時に行ってくださいね。絶対にですからね」

 鈴から注意深く言われ、住所が記された紙を受け取った。

 その紙には、住所の他に診療所名まで記されている。

 鈴は梨華の勉強を見る傍ら診療所まで調べていてくれたようだ。

 何から何まで親切な対応をされてばかり。

 というか、俺の方が年上なんだし。何かしないとな。

 診療所に通って、早いところ、自分の記憶になぜズレがあるのか知りたかった。

 いつまでも、よくわからないままだと迷惑ばかりで申し訳なさを感じるからだ。

「お兄ちゃん、どうしたんですか? わ、私ばかり見て」

「え? いや、そういうつもりじゃないだけど」

 やばい、鈴のことをずっと見ていたのか?

 尚央は自分でも意識していないところで、妹のことをまじまじと見つめていたようだ。

「お兄ちゃんー、朝からどうしたの。ねえ、ねえ」

 梨華から茶化されてしまう。

「だから、なんでもないって」

 尚央は気分を紛らわすように、箸を手に、さっさとご飯を口にした。

 今日のおかずは目玉焼き。

 見た目がよく、食欲がそそる。

「まあ、ごゆっくりしてください。私たちは早めに行きますので、あとのことは頼みますよ。お兄ちゃん」

 鈴は食べ終えた食器を持ち、梨華と一緒にキッチンの洗い場へと向かっていく。

 まあ、ゆっくりと食事でもするか。

 尚央は一人寂しく味噌汁を飲み、目玉焼きを食す。

 それにしても美味しいな。

 見た目のよい目玉焼きは味も程よく食べやすい。

「……」

 やっぱり、俺……診療所に行った方がいいよな。

 尚央は先ほど貰った紙を確認する。

 住所を見ても、どこにあるのかさっぱりだ。

 まさか、住所までわからなくなったのか。

 と、自分の思考回路を疑ってしまう。

 スマホを見れば、何とかなると思い、ポケットを触ってみる。

 あれ? ない?

 そこにはなかったのだ。

 えっと……どこにあったんだっけ……?

 尚央は疑問を抱き、首を傾げながら思考する。

 ああ、そうか。

 妹の部屋に置いてきたのか。

 と、思い、箸をテーブルに置き、席から立ち上がろうとする。

 刹那、何かに気づいた。

 あれ……?

 妹の部屋?

 いや、違う。あれは別の部屋だった……?

 記憶が曖昧になってくる。

 妹の部屋と言っても、ここではないところの妹の部屋。

 自分のスマホがあるのは、梨華の部屋ではない。

 莉奈がいる部屋なのだと思い返す。

「あの部屋って……妹の部屋? それにしても、どことなくリアルな感じだったな……」

 尚央は席に座り直し、軽く呟き、自分の手の平を見た。

 あのスマホの感触。あれは本物だったはず。

 妹の押入れにあった、自分の所有物もなんとなくだが思い返せる。

 あれは夢だったのか?

 情景夢とか、そんなことを言っていたが、やはり、そういう夢とかじゃない。

 尚央は記憶が少しだけ、整い始めていた。

 けど、まだ記憶が怪しい。

 診療所に行って、そこら辺を鮮明にするべきだろう。

 尚央は再び、箸を手に食事を勧める。

 思考していると、階段の方から足音が聞こえ、リビングの扉が豪快に開かれた。

「お兄ちゃんッ、行ってくるからね。あとのことはお願いね」

 いきなり、ランドセルを背負った妹が入ってくる。

 パッと見、小学生の頃の莉奈という名の妹と重なって見えた。

「莉奈……」

「え? なに、お兄ちゃん?」

 疑問気な表情を見せる妹はゆっくりと近づいてくる。

「え、あ、な、なんでもないよ。気にしないで。じゃあ、気を付けて行くんだぞ」

 咄嗟に機転を利かせ、誤魔化すように口にした。

「そう? ……じゃあ、行ってくるね」

 梨華は背を向け、ピンク色のランドセルを見せる。軽く走って、リビングの扉前にいる鈴と向き合っていた。

 鈴は水色のランドセルを背負っている。

「お兄ちゃん、私も行ってきますね」

 鈴も軽く挨拶して、玄関で靴を履いて家を後にする音が聞こえた。

 なんか、早かったな。

 さっきまで、キッチンの洗い場にいたような気がするけど……。

 椅子に座っていた尚央は、キッチンの方を向いた。

 ランドセルか……。

 久しぶりな気がする……妹のランドセル姿を見たのは……。

 どこか、心に伝わってくる何かがあった。

 昔の記憶。

 ランドセル姿の妹と一緒に、学校へ向かっていた情景が脳裏に浮かんでくる。

「って……昔と言っても数年前なんだよな……莉奈と一緒に登校していたのは」

 莉奈……?

 莉奈って、梨華とは違うんだよな。

 尚央は一度、冷静になろうとする。

 現実にいる妹と、情景夢の中で出会った妹。

 二人は、そもそも別人なのだ。

 記憶の中に莉奈と、現実にいる梨華は違うんだと、尚央は自分の心に言い聞かせていた。 

 俺、どうかしてるよな。

 こっちの方が現実なのに、情景夢の方を考えてさ。

 箸を手に、一口、二口と、ご飯や目玉焼きを口にする。

 やっぱり、美味しい。

 この口内に伝わってくる味は本物だと思った。

 この世界の方が本当の世界だと。

 尚央はその味を噛みしめていた。





 来栖尚央は、テーブルに箸をおいた。

「じゃあ、そろそろ、診療所に行く準備をするか」

 尚央は席から立ち上がり、使い終えた食器を手に、洗い場へと向かった。

 俺はもっと、しっかりとしないとな。

 こんなだと、妹たちに迷惑をかけてばかりだし。

 尚央は二人より年上であり、兄なのだ。

 妹らに何かがあった時、最前線で守ってあげないといけない。

 そんなことを思い、洗い場に食器を置くなり、洗剤で簡単に洗う。

 朝の腹ごしらえを済ませたことで、自室で着替え、玄関を後にする。

 戸締りをし終えると、住宅街を歩き始めた。

 辺りを見渡せば、そんなに人がいない。

 現在九時であり、学生にしても、社会人にしても、現地に到着し、勉強や仕事をしている頃合いだろう。

 じゃあ、俺は……普段から何もせず、ただ凡庸な生活をしていただけなのか?

 尚央は一度、足を止めてしまった。

 こんな生活ばかりしているから、記憶が曖昧になってしまうのかもしれない。

 もう少し、何かに挑戦する気で人生と向き合うべきだろう。

 惰性のような生活。

 そんな日々とは決別した方がいい。

 尚央は右手を強く握りしめると辺りを見渡す。

 尚央は自分が住んでいる場所の区域名もさっぱりわからないことに今、気づいた。

 ヤバい奴なのかもしれない。

 それはそうと、迷った時は誰かに聞いた方が効率よく物事を進められるはずだ。

「えっと……」

 少しだけ歩き出すが、誰ともすれ違うことがなく、聞くにも聞けない。

 な、なんで誰もいないんだよ。

 尚央は自分にツッコんでしまった。

 道なりに沿って歩いていると、小さな建物が視界に入る。

 交番……?

 じゃあ、そこで聞いてみるか。

 少し駆け足になり、交番に入った。

「すいません」

 尚央は伺うように、交番の中を覗く。

「はい。なんでしょうか」

 え?

 尚央は衝撃を受けた。

 交番に勤務していたのは、見る限りに小さい。

 コスプレなのかと二度見、いや三度見してしまうほど目を疑ってしまう。

 その子は梨華と同じ背丈の女の子だったからだ。

 いや、まだわからない。

 合法ロリなのかもしれないのだ。

 伺うような姿勢で、頭一つ下の女の子へと視線を向けた。

「あの、ここの住所って教えてくれませんかね?」

「なに? 道が分からないの? しょうがないお兄さんだね」

 話し方から幼さを感じる。

 舌足らずな口調。

 まさか、この子も小学生?

 疑いの眼差しを向けてしまう。

「むッ、なに、その顔? 私が分からないとでも馬鹿にしてるんでしょ」

「え、いや、そうじゃないさ。ちょっとは疑っただけというか」

「だから、もうー、そういうのが嫌なの。私はこれでも、妹ランクはAなんだからね。これを見よ」

 警察官のような風貌をし、制服に身を包み込む女の子はお腹を露出し始めたのだ。

「ちょっと、やめてくれ。俺はまだ捕まりたくない」

 尚央は両手で顔を隠す。

「いいから見てッ」

 尚央は指の間から、覗くように見やる。

 確かに、お腹にはAというアルファベットが浮かび上がっていた。

「これで、信じた?」

「ああ、わかったから、そろそろお腹を隠してくれないか?」

 尚央は慌てた口調になる。

 こんな状況、第三者に見られでもしたら、小さい子に如何わしいことをしている不審者に見間違われもおかしくないだろう。

「それで、要件は住所だけ?」

「あ、はい。そうです」

 尚央は鈴から貰った紙を見せる。

「ふむふむ、ここね。それはね、ここの交番を出て、まっすぐ行ってね。そこに信号があると思うからね。そこを左ね。あとは、まっすぐに行けば、診療所の看板が見えると思うから。頑張って探すんだよ」

「あ、ありがと」

 小さい女の子から何かを教えてもらうのは、気恥ずかしい。

「わかったなら。気を付けて行くのよ」

 尚央は簡単に会釈をした。

 年下の子から、見送られるのは、不思議な気分だ。

 尚央は教えられた通りに歩き出すのだった。

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