第23話 俺の中にあるものと、視界に映るもの…

「ねえ、お兄ちゃんッ」

「んッ」

 来栖尚央は突然の問いかけに体をビクつかせた。

 気が付き、辺りを見渡せば、二人の妹が視界に入る。

 梨華と鈴だ。

「どうしたの? さっき、ボーッとしてたよ」

「そうなのか?」

 梨華の問いかけに頷きつつ、自身の左右の手の平へと視線を向けた。

 指先を動かし、グーとパーを交互に繰り返す。

 特におかしいといった感じはしない。

 ただ、脳内にほんのりと残る実の妹との記憶。

 それが、体を通り過ぎるように、肌へと伝わってくる。

 今、尚央は、イベント会場近くの事務所の入り口前にいた。

 なんだったんだ……いや、記憶が混在しているのか?

 明確に分からない。

 けど、懐かしい気分になるのだ。

 本当に生きていたかのような気分だった。

 同時に、生きた心地がしない感覚。

 その二種類の感情に襲われ、脳内が混乱する。

「お兄ちゃん? 大丈夫なの?」

 心配そうな顔を見せ、覗き込んでくる妹の梨華。

 妹は左手を優しく包み込むように触ってくるのだ。

「もしかして、怖い夢でも見ていたの?」

「夢?」

 さっきの光景は夢だったのか?

 それにしても、ハッキリとした夢だったと思う。

「もしかして、情景夢的な感じなのかな?」

「情景夢?」

 尚央は梨華の言葉を繰り返すように言った。

「ねえ、鈴ちゃん。体に異常がある場合、そういう経験をするんだよね?」

「うん、そうだよ」

 情景夢というのが分からなかった。

「あのね、情景夢っていうのは、疲れが溜まっている時にね。自分の理想とかを鮮明に見たり、そういった感覚に陥る状態のことなの」

「そうなのか?」

 鈴が言っていることがどこまで本当なのかは不明。だが、彼女が言っていることと似た感じの経験を、今していたのだ。

 もしかしたら、それかもしれない。

「だったら、俺はどうすればいい?」

「それは、どこかの診療所に行くとか、それしかないかも」

「そうか」

 どのみち、診療所にはいかないといけないらしい。

 思い返せば、情景夢に出てきた莉奈という実の妹からも、病院に行った方がいいと言われた気がする。

 やはり、体の内面がおかしいのだろう。

「やっぱり、お兄ちゃんは打ち所が悪かったのかも。だから、昨日から言動がおかしいんだよ」

 両手で手を掴んでいる妹から、相当心配されていた。

 視界に入る妹――梨華は優しい。

 情景夢の中に登場した実の妹よりも、何千倍も優しいのだ。

 仮に、あの子が本当の妹だとしても受け入れられないと思う。

 いや、そもそも、なぜ、莉奈という子のことを、実の妹だと思い込んでいたんだ?

 わけがわからない。

 むしろ、この世界にいる妹の方が、本当の妹なんだ。

 はああ……疲れているのかもな。

 尚央は自分の胸に右手を当て、一度深呼吸をして、心を落ち着かせたのだ。

「帰りましょう、お兄ちゃん」

 鈴が胸に当てていた右手を掴み、愛するように触ってくるのだ。

「というか、妹イベントは?」

「もう、終了しましたよ」

「え? 終わり?」

 一体、どれほど、長い夢を見ていたのだろうか?

 ありえない自分の体に衝撃を受けてしまう。

「でも、そんなに気にしないでくださいね。お兄ちゃんは、お兄ちゃんなので」

 鈴はさらに優しく問いかけるように、手を触ってくれた。

 両手には、二人の妹。

「お兄ちゃんッ、さ、帰ろッ、今日は色々なことがあって、妹イベントをちゃんと堪能はできなかったけど。それは今後ね♡」

「私も妹イベントを堪能できませんでしたが、今後にしましょう。気分を切り替えよ、お兄ちゃん」

 どんな環境下であれ、今は優しく、愛らしい二人の妹が居るのだ。

 わざわざ嫌な妹のことなんて思い出す必要性はないのかもしれない。

 尚央は両手に妹の肌を感じつつ、イベント会場を後にするのだった。





「それと、今後は余計に行動しないでくださいね」

 自宅の玄関に入った頃合い、来栖尚央は、妹である鈴から指摘されていた。

 先ほどの言動はさすがに自分勝手である。

 イベントが開かれていた会場の事務所に連れていかれたのも、鈴の発言を押し切ってしまったのが原因だからだ。

「私、心配していたんですよ。事務所に連れていかれて。それで、運営のあの子から、何を言われていたんですか?」

 鈴は心配そうな瞳を見せてくる。

「それでさ。あの二人の子の尾行をすることになったというか」

「尾行ですか?」

「そうなんだ。あの子らが、イベント会場で、色々と問題になっていたようでさ」

「そうなんですね」

 鈴は、尚央の言葉は注意深く聞いていた。

「あの子らって、この周辺に住んでいるみたいなんだけど。鈴ちゃんは知ってる?」

「んん、そうですね……」

 鈴は考え込む表情。

「鈴ちゃんは何か知ってる?」

 梨華が確認のために、さらに問う。

「どこかで見かけたような気がしますけど」

「本当に?」

「どこで?」

 梨華と、尚央が注意深く聞く姿勢を見せた。

「んん、確か、あっ、そうだ。施設にいた子だった気がします」

「施設? それって鈴ちゃんが元々いた場所?」

「はい。そうです」

 尚央の問いに、鈴が答える。

 何かを知っているようだ。

「けどさ、同じ施設内だったら、関わりがあるものじゃないのか?」

 尚央は疑問に感じていたことを口にした。

「わりと、そうでもないんです。家庭の状況によって、住みわけがされてるんです。一時的にいる人。まったく身寄りがなくいる人。他にも色々な事情でいる人もいますし」

「そうか」

 鈴と、その子らの接点がなかったのは、同じ施設内でも事情が違うからだろう。

 しかし、あの子らは、兄と妹の関係のはず。

 だとしたら、施設にいる意味なんてない。

 施設とは、兄がいない場合に、入居することができると以前聞いたはずだ。

 様々な疑問が残る中、尚央は考え込んでいた。

「では、ひとまず、リビングの方に行きましょうか」

 鈴は作を脱ぎ、家に中に上がる。

「ちょっと待って、鈴ちゃん」

 彼女を追いかけるように、梨華も続いた。

 尚央は靴を脱ぎながら思考する。

 あの子は、施設で生活しているのか?

 でも、なんか、あの子らどこかで見たことがあるような。

 いや、何かの勘違いか。

 だよな。そもそも、あの子らとの接点なんてないし。

 尚央はなんでもないかと、自分の心に言い聞かせ、リビングに向かっていくのだった。

 リビングに入ると、二人の妹が、透明なコップにペットボトルのジュースを注いでいる。

「お兄ちゃんも、飲むでしょ?」

「ああ」

「じゃ、お兄ちゃんの分はこれね」

 梨華は、尚央が普段から使っているテーブルの上に置く。

 尚央は椅子を引いて、コップが置かれている前の席に座った。

 それは、炭酸飲料のような飲み物である。

「ひとまず、飲んでからね」

「うん。そうだね」

 鈴は、尚央の正面の席に。梨華は、右側の席に腰を下ろす。

 実際に飲んでみると、そんなに炭酸のようなものを口内に感じなかった。

 ペットボトルをあけてから大分時間が経過しているのだろうか?

「ねえ、お兄ちゃんはさ。明日どうする?」

「何が?」

「明日は私たちが学校に行くし。お兄ちゃんはどこにいるのかなってこと」

 そうかと、思う。

 考えてみれば、明日は月曜日。

 必然的に妹らとは離れ離れになるのだ。

 というか、俺はどうなるんだ?

 そもそも、自分がどこかの学校に通っていた記憶がまるでない。

 尚央は、隣にいる妹へと視線を向けた。

「私は普通に学校だよね。鈴ちゃん」

「うん。でも、梨華ちゃんは明日までの課題終わったの?」

「んッ、お、終わっていないかも……」

 炭酸を口に含んでいたようで、口元が変になっていた。

「まあ、だ、大丈夫だよ。徹夜すれば平気だし」

 梨華は平然と言ってのけるが、頬から冷や汗が伝っているのが分かった。

「それより、お兄ちゃんは、明日どうするの? 私の学校に来る?」

 梨華は話を強引に逸らしたのだ。

「もう、梨華ちゃんったら……」

 彼女は不満げな顔を浮かべ、炭酸飲料を飲んでいた。

「俺って、普段何をしてたんだ?」

「お兄ちゃんはね……って、忘れちゃったの?」

「ごめん……わからないんだ」

「もう、しょうがないお兄ちゃんだね。お兄ちゃんはね、私たちが学校にいる時は、自由に何かをしていたはずだよ。あとはね、夕食の買い出したったり」

 妹の梨華は淡々と口にしているのだ。

「ねえ、梨華ちゃん?」

「なに?」

 テーブルの反対側にいる鈴からジト目で見られている。

「なんでそこまで知ってるの?」

「なんでって、まあ、色々ね」

 梨華は笑って誤魔化している。

「もしかして、たまに昼休み中、どこかにいなくなるのって、そういうことだったの?」

「そういうことはいいのッ」

 梨華は恥じらっている。

「もう、そんなにお兄ちゃんのことが好きなの?」

「す、好きっていうか。管理していたいの。そ、そういうことなのッ」

 サラッと、物凄いことを聞いた気がする。

「まあ、お兄ちゃんはね、時間もあると思うし、診療所に行ってきてもいいよ」

「診療所か。それもそうだな。でも、あの二人を調査するのは?」

「それは、あとでいいと思いますよ。あの子らも学校だと思いますし」

 鈴はそう言った後、コップを手に、炭酸を口にしていた。

 コップをテーブルに置くなり、尚央を見つめてくる。

「お兄ちゃんは炭酸飲む? 注いであげるよ」

 鈴は大きなペットボトルを手に、問いかけてくるのだ。

「じゃあ、貰おうかな」

 尚央は素直に、コップを差し出す。

「これくらいでいい?」

 コップ、スレスレまで入れてくれていた。

「梨華ちゃんは?」

「私も」

「梨華ちゃんは、しっかりと勉強するんだよ」

「わ、わかってるし。ねえ、だったら、鈴ちゃん。あの勉強教えてよ」

「もう、そう言うと思った」

 鈴は軽くため息を吐きながら、ペットボトルを、テーブルに置くのだった。

「じゃ、私、勉強道具持ってくるね」

 そういうと、梨華はくるりと回るように席から立ち上がり、軽く走ってリビングを後にするのだった。

 静かになった部屋。

 尚央は注いでもらった炭酸を口に含んだ。

 そんな中、鈴は尚央のことをじっーと見つめていた。

 何かを確認するかのように。

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