第13話 彼女はどうして、俺ばかりを見てくるのだろうか?

「お帰り。ようやく帰ってきたんですね」

 二人が自宅に到着した頃。玄関の扉前に佇む、天貴鈴の姿があった。

 彼女は施設の方々との手続きを終え、やってきていたようだ。

 鈴は大きなバッグを背負い、キャリーケースの取っ手を掴んでいる。

 それが彼女のすべての荷物なのだろう。

「今日からよろしくね。鈴ちゃん」

「うん、梨華ちゃんもね」

 二人は簡単に挨拶を交わすと、妹は自宅の扉を鍵で開ける。

「ねえ、お兄ちゃんも早く入りなよ、早くねッ」

 妹は元気よく言い、鈴の方は簡単にお辞儀をする程度で家の中に入っていく。

 というか、大丈夫なのかな。

 先ほどの妹の悲し気な顔。

 心配ではあった。

 けど、友人の鈴と出会い、多少は元気を取り戻していた気がする。

 余計に追求するのもよくないか。

 来栖尚央は一度目を閉じて、考え事をする。

「まあ、鈴ちゃんもいるし。余計なことを離さない方がいいかな」

 尚央は一言呟き、歩き出す。

 そして、扉を開け、玄関に入るのだった。





「ねえ、鈴ちゃん、今日はどうする? 夕食は私たちで作る?」

「んん、少し疲れたから、そこまで料理はしたくないかな」

 玄関で靴を脱ぎながら会話している二人の女の子。

「珍しいね。鈴ちゃんは、料理が好きなのに」

「そうだけど。私は、どちらかというと、お菓子専門だから……」

 そういうと、チラッと尚央の方を振り向いてくる。

 な、なんだ。

 どうして、俺の方が気になるんだ?

 気まずくなり、サッと視線を逸らす。

「ん? どうしたの鈴ちゃん?」

「んん、なんでもないよ。ちょっと施設のことを考えていただけ」

「そうなの? でも、私の家でも普通に過ごしてもいいからね?」

「うん。ありがと」

 鈴は素直に、妹の言葉に甘えるように頷いていた。

 というか、先ほどの視線は考え事をしている瞳だったのか?

 たまたま、視線が合っただけなんだよな?

 来栖尚央のモヤモヤが解消されることはなかった。





「そうそう、あとね。今後のことを決めなきゃ」

「今後のこと?」

「うん。そうだよ。一緒に生活していくんだし。皆の予定が分かった方がいいでしょ? それと、兄と妹のやり取りも色々あると思うし。そのスケジュール調整とかね。お兄ちゃんも、私たちの話に混ざってきてよね」

 リビングにいる妹から忠告される来栖尚央。

 二人の女の子は、一緒のソファに座って会話している。

 尚央はリビングの長テーブル近くの椅子に腰かけ、彼女らの話し声を聞いていた。

「ねえ、お兄ちゃんもこっちにおいでよ」

 妹が呼んでいる。

 まあ、近くまで行くか。

 尚央は立ち上がり、彼女らがいるソファ前まで向かう。

「お兄ちゃんは、ここに座って」

 ソファに座っている妹は、空きのあるところを右手で軽く叩いて、そこに座るように促してくるのだ。

 尚央はそこ腰を下ろす。

 妹の左側には、鈴の姿がある。

 そんな彼女とまた視線が合ってしまう。

 気まずいというか、なんでちょくちょく視線が合ってしまうのか疑問でしょうがなかった。

「ん? どうしたの、お兄ちゃん?」

 妹が首を傾げる。

「な、なんでもないよ。なんでもね」

「そう? なんか変だよ。さっきもだけど、どうしたの?」

「いや、本当になんでもないんだ」

 尚央は違和感を与えないように、そして、訂正するように、何度も本心を隠すような話し方になっていた。

「お兄ちゃん」

「なに?」

「調子悪いの?」

「なんだよ急に」

「今日、街にいる時も、変なことを言っていなかった?」

「……」

 確かに、変なことを言っていた。

 けど、あの時は、内面から湧き上がってくる何かを抑えることができなかったからだ。

 それに、得体のしれない何かに見られている恐怖心に圧迫されていた。

 街中にいた、あの連中は一体、なんだったのだろうか?

 ただの見間違い?

 いや、本当に一般の人では無い、何かに見えたんだ。

 見間違えるはずなんてない。

「ねえ、お兄ちゃん? やっぱり、体調が整いそうもないの?」

「多分……」

 尚央は咄嗟に頭を抱え込んでしまう。

 体が少しだけ、ふらっと傾いてしまったのだ。

 ソファに座っているのに、船酔いした感じである。

 なぜか、うまく体を動かすことができなかった。

 普通に生きているはずなのに、なんで、生きている感覚を失いかけてしまったんだ?

 なんだろ……これは……?

 尚央は自分の両方の手の平を見やった。

 特に何かの変化があったわけじゃない。

 問題ないはずだ。

「梨華ちゃん? お兄ちゃんの調子が悪いの?」

 妹の隣で心配そうな顔を見せる鈴。

「そうなの。だからね、さっき、診療所に行ってきたんだけどね」

「えッ、そうなの? だ、大丈夫ですか、お兄ちゃん?」

 妹からの許可が出たことで、友人である鈴も尚央のことをお兄ちゃんと口にしているのだ。

 新しい妹である鈴は、優しく寄り添ってくれる。

 実の兄妹でもなく、正式に付き合っている彼女でもないのに、親切な話し方だった。

 なんで、そこまで気にかけてくれるんだ?

 尚央はその真意がわからなかった。

 けど、鈴とは視線が合う回数が多い。

 もしかすると、好意を抱いているからこそ、そういった言動ができるのかもしれないと思った。

 いや、まさかな。

 好きとか、そういう感情があるわけじゃないよな、多分。

 出会ってすぐ好意を抱けるわけがない。

 尚央は自身の心に言い聞かせていた。

 そんな都合のいいことなんてない。

 あれ?

 なんだ……?

 一瞬、懐かしい視線を感じてしまった。

 その視線は鈴からのモノ。

 どうして?

 なんで、懐かしく感じるんだ?

 考えても結論に至れるわけではないのに思考してしまう。

「ねえ」

「……」

「ねえッ、お兄ちゃんッ」

 妹の大きな問いかけ。その声に、尚央は体をビクつかせた。

「あ、ああ。ど、どうした、そんなに大声出して」

「それは、お兄ちゃんがボーッとしていたからだよ」

「そ、そうなのか?」

「そうなの。本当に大丈夫? 無理なら部屋で休む?」

 隣に居る妹が真剣な瞳で心配してくれているのだ。

 実の妹ではないとは言え、妹の想いを素直に受け取っておいた方がいいだろう。

「じゃあ、少し休もうかな」

 尚央はゆっくりと口にする。

「お兄ちゃん、大丈夫かな……ねえ、梨華ちゃん、診療所での検査はどうだったの?」

「まったくわからなかったの」

「わからなかったの? なんで?」

「あのね、あの診療所に夏菜がいたのよ」

 妹は事の経緯を素直に説明していた。嫌そうな顔を鈴に見せながらだ。

「夏菜って、あの、成績優秀だった、あの同じクラスの愛須夏菜ちゃん?」

「そうだよッ、もう、なんか、そういうことがあってね。診断を中止したの。私、あの場所には二度と行かないしッ」

 妹は大きな声で断言する。

「でも、あの診療所って国から認められているところでしょ?」

「そうだよ。けど、対応がおかしかったの。お兄ちゃんも行きたくないって、ハッキリ言ったもんね。ね、お兄ちゃん?」

「う、うん」

 尚央は疲れ切った顔を見せ、返答していた。

「ねえ、梨華ちゃん。お兄ちゃん、辛そうじゃない?」

 尚央は少し目を閉じ、ソファに座っているのに、前かがみになりかけていた。

「お兄ちゃん、大丈夫ですか?」

 鈴の声が聞こえてくる。

 その優しい言葉を最後に、尚央はゆっくりと意識が消えていったのだ。





 そういえば、色々なことがあったな。

 来栖尚央は過去のことを振り返っていた。

 なんで、そんなことばかり考えてしまうのか、自分でもさっぱりわからない。

 けど、今はただ、妙に考え込んでしまうのだ。

 ああ、そうだったな。

 あの時、妹と喧嘩したんだっけか。

 薄っすらとだが、なんとなく思い出せるような、そんな気がしたのだ。

 その真意は定かではなく、心の中に伝わってくるような、そんな感覚だった。

 妹が中学生ぐらいになった頃、俺は高校二年生。

 大体、四歳ぐらい歳が離れているのだ。

 普通、歳に差があれば、争う事とかないと聞いたことがあるが、俺の家では、そういった枠には当てはまらないらしい。

 普通に視線が合うだけで言い争いになったり、無視されたりと散々だった。

 小学生の頃までは普通だった妹なのに。

 どうしてそうなったのか。

 その原因は、たまたまリビングのテーブルに置かれていた一冊のノート。

 俺がそれを見てしまったことが原因なのだ。

 最初のページには、なぜか、俺の名前が書かれていた。

 なぜ、名前が書かれていたのかは不明である。

 その次に、日記のような感じの文章が記されてあったのだ。

 それを詳しく読んでみようと思ったことが一番のきっかけ。

 その数秒後、頬を赤らめた妹とリビングでバッタリと遭遇してしまった。

 妹は風呂上がりで、中学生ながらも大人びた印象を見せつつ、濡れたショートヘアの髪。極めつけには、シャンプーなどの匂いが、誘惑するように漂ってくるのだ。

 怒りを込めた視線を向けながら、妹が近づいてきて、俺の手元から、その日記を奪い去っていった。

 それは妹の日記であり、奪うという言い方は違うのかもしれない。

 けど、強引な感じに、手に取った後、妹はその内容を確認した後、俺を睨みつけ、そっぽを向け、サッと、リビングから立ち去って行ったのだ。

 あの時、何か謝罪の言葉があれば、状況は変わっていたかもしれない。

 今になって後悔しても遅いだろう。

 もう、あれから二か月が経過しているのだ。

 顔を見ても謝罪しようと思っても、距離を置かれてばかりだった。

 苦しいのだ。

 妹とはもう関わりたくない。

 そんな思いを抱き、日常を送っているある日、どこかで体に強い衝撃を受けたのだ。

 その衝撃が何だったのかはわからない。

 けど、痛かったような気がする。

 それ以上の記憶なんてなく、ただ、その一瞬だけ解放されたような、そんな感覚だった。

 その次の瞬間だろう。

 あの妹から、お兄ちゃん呼ばわりされたのは。

 実の妹のような面影を残しつつ、実の妹ではない何かである妹。

 そんな彼女から、お兄ちゃんと呼ばれ、最初は誰という感情しかなかったが、内面では少しだけ嬉しかった気がする。

 つい最近まで妹から睨まれたり、無視されたりと嫌なことばかり。

 そういった苦しみから解放された瞬間であり、心から嬉しさが込みあがってきたのだろう。

 けど、実の妹と仲が悪かったからこそ、素直に、その妹の想いを受け入れることができなかったのかもしれない。

 尚央の心が次第に楽になっていく。

 なんだ、これ……。

 よくわからない何かが心に伝わってくる感覚。

「尚央。早く来ないかな」

 その女の子の声。どこかで聞いたことがある。

 鈴なのか?

 いや、違う。

 その子は、確か……。

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