第6話 私…お、お兄ちゃんと同じ家に住んでもいいんでしょうか?
「それでは、いただきますッ」
店内のテーブルには三人分のチョコケーキが皿にのせられている。椅子に座るなり、妹は元気よく、その言葉を口にしていた。
銀色のフォークを手に、妹は早速ケーキの先端をとり、それを口へと運んでいたのだ。
「んんッ、美味しい」
妹は頬を、フォークを持っていない手で押さえ、チョコケーキを堪能していたのだ。
それを隣の席に座る来栖尚央は見ていた。
そろそろ、食べてみるか。
来栖尚央もフォークで試食的な感じで口に含んでみる。
「……」
これは……おいしいな。
な、なんだこれは、今まで食べたことのあるケーキとは味が格段に違う。
定期的に食べたくなる味だと思った。
「ねえ、お兄ちゃんはどう? おいしい?」
「ああ……。妹って、普段からこういうモノを食べているのか?」
「いつもじゃないけど。私は定期的にしか食べないよ。お兄ちゃんと一緒の時だけだし」
「そうか」
実際、どんなにおいしくても、こんなに甘く濃い味のケーキばかり食べていたら、体に悪いだろう。
そうと思うものの、尚央はもう一度食べたくなった。
再び、口に含み、咀嚼する。
んん、やっぱり、美味しい。
妹の友人が勧めてくれた理由が今明確に分かった気がした。
「えっと、お兄さん? どうでしょうか?」
「普通においしいよ。教えてくれてありがとな」
「は、はい……褒められて嬉しいです……」
テーブルの反対側に座る、妹――鈴は俯きがちに頬を紅葉させ、微笑んでいた。
「その、ですね」
「何かな?」
尚央は一旦、フォークをケーキの皿に立てかけるようにして置き、視線を合わせない妹、鈴を見た。
「その、私、本当に、お兄さんの妹として名乗ってもいいのでしょうか?」
小学生の妹。本名、天貴鈴。
彼女は可愛らしい外見に見合うほど、内面も女の子らしかった。
趣味はお菓子作りのようだ。
妹としての素質を感じられた。
というか、なんで俺、鈴のことを評価してんだ?
いや、俺はロリコンじゃないから。
妹の友人の女の子を性的な目では見てないからな。
来栖尚央は何度も自分に言い聞かせていた。
絶対にロリコンではない。
それは断言できる。
それはそうと、尚央は鈴と向き合う。
「名乗ってもいいんじゃないか? 多分」
尚央は断定的には返答しない。
そもそも、妹という定義が謎なのだ。
血が繋がっていなくても、初対面であっても、一定の条件下であれば、妹として扱われるのだろうか?
いや、妹という概念が何なのかさっぱりわからない。
妹とは一体?
「いいんだよ、鈴ちゃん。私が許可してるんだし」
「そうだよね。うん」
鈴は愛らしく頷く。
「それで……その、今後のことについてお話ししたいんですが、よろしいですか?」
鈴はフォークをコーヒーカップに立てかけた。
そして、妹を一瞬見た後、一応兄である尚央を見つめてきたのだ。
「いいけど。何について話すんだ?」
「私、お兄さんのことをどういう風に呼べばいいでしょうか? お兄さんですか? それとも、鈴ちゃんのように、お、お、お兄ちゃんですかね?」
「いや、どっちでもいいよ。好きなように呼んでよ」
「そ、そうですか。では、私は尚央さんって、呼んでもよろしいでしょうか?」
「なんで名前を⁉」
「い、嫌でしたか?」
「違うよ。なんか、他人から“さん付け”されるのは、あまり慣れてなくてさ。ましてや、小学生から。その、だったら、お兄ちゃんでいいよ」
何言ってんだ俺。
自分で口にしてて、心底恥ずかしくなった。
「では、お、お兄ちゃんで」
鈴は俯きがちに、今にも消えそうな声で尚央のことを呼んでくれた。
は、恥ずかしい。
言われている方が逆に恥ずかしくなるのは、どうかと思うが、とにかく、緊張してくるのだ。
こ、この状況、どうすればいいんだよ。
「ねえ、お兄ちゃん。もしかして照れてるの」
「ち、違うから」
「もう、素直になりなよー」
「……」
隣にいる妹から茶化され、余計に心臓がどうにかなってしまいそうだ。
まあ、可愛い女の子に、言われて嫌なわけない。
むしろ、変な発言をせず、お菓子作りが趣味の妹と関われて心底嬉しいのは事実。
しかしながら、この感情をあからさまに表にはできない。
内面の想いを晒してしまったら本当のロリコンだ。
俺は断じてロリコンではない。
可愛い女の子が好きなだけなんだ。
「ねえ、鈴ちゃんも無言にならないでよ。なんか、私一人だけが話してるみたいじゃない」
「ご、ごめんね。梨華ちゃん」
ようやく鈴が口を開いてくれた。
「後ですね。もう一つ、決めておきたいことがあるんです」
「どんなこと?」
尚央は鈴の意見を聞く姿勢を見せた。
「私、お、お兄ちゃんの家に住んでもいいんでしょうか?」
「⁉」
尚央は衝撃を受けた。
新しくできた妹の言葉に対してだ。
一緒に住む?
まさか、同棲というやつなのか?
尚央は自分の心に何度も問いただしていた。
「ダメでしょうか?」
「いや、全然、ダメじゃないよ。けどさ、鈴ちゃんも家があるんだよね?」
「……いいえ」
「え? なんで?」
尚央は聞き返してしまった。
それがよくなかったのだろう。
「もう、お兄ちゃん。そういう発言はよくないよ」
「いッ――」
隣にいる妹から足元を軽く踏まれてしまった。
「ごめんね。お兄ちゃん、少し変なこと言うけど、許してね」
「うん、大丈夫だよ。そんなに気を使わないで」
鈴は尚央とは自然を合わせてはくれなかった。
家がないということは複雑な家庭なのだろうか?
深くは追求しない方がいいと感じた。
「あのね。お兄ちゃん? ちょっと耳を貸して」
妹は椅子から立ち上がり、耳元に近づいてくる。
耳元で息を吹きかけるように話し始めるのだが、妹の吐息に興奮しかけてしまう自分がいた。
「鈴ちゃんには、お兄さんがいないって、数時間前に言っていたでしょ?」
「ああ、そういえば」
「だからね、お兄さんがいないってことは、家もないってことなの」
「え? は? え? どういうこと?」
まったく意味不明だ。
兄がいないということと、家がないということに、なんの繋がりがあるのだろうか?
「あのね、兄がいないってことはね。施設で生活してるってこと」
「施設?」
「うん。そうだよ。兄が見つかるまで、そういうところにいないといけないの」
「なんで?」
「なんでって。お兄ちゃん、学校でそういうこと習わなかったの?」
「いや、知らないんだが……」
尚央はそんなこと学校で習ったことなんてない。
「妹って言うのは兄がいないと人権がないの。だからね、施設にいるってこと。施設にいる時だけ一応人権は確保されるし」
人権?
なんか、とんでもない話になったと思った。
「妹というのは、兄と一緒にいることで、体の中にあるエネルギーが覚醒するの」
「⁉」
エネルギー、覚醒?
電波的なものなのか?
いや、元々、この世界はおかしいのだ。
何かが確実に狂ってる。
むしろ、そういう風な概念があったとしても、なんら不思議でもない。
「まあ、わかった? お兄ちゃん」
「あ、ああ。なんとなくな」
尚央はわかったふりをして、頷いた。
妹は耳元から距離をとり、そして、元の椅子に腰を下ろす。
「ごめんね、鈴ちゃん。お兄ちゃんが変なことを言って」
「本当に大丈夫だよ、気にしないで」
「ほら、お兄ちゃんも謝りなって」
「ごめんな、鈴ちゃん」
「大丈夫なので、そんなに気になさらないでください、お、お兄ちゃん」
鈴は愛らしい笑みを見せ、尚央の謝罪を受け入れてくれていた。
それにしても、彼女はお兄ちゃん発言にまだ慣れていないようだ。
なんか、そういうところが可愛く思えてしょうがなかった。
自分と同世代の年頃の女の子とは違った魅力を感じられる。
「お、お兄ちゃん、その、私、お兄ちゃんの家に住んでもいいでしょうか?」
「いいよ。来なよ」
「本当にありがとうございます、お兄ちゃん」
んッ、な、なんで俺はここまで動揺してんだよ。
自分で、自分にツッコんでしまった。
そもそも、俺はロリコンなんかじゃないし。
「んんッ」
尚央は咳払いをして、一度深呼吸をし、新しい妹を見やった。
「よ、よろしくな。鈴ちゃん」
「はい。こちらこそ」
鈴は簡単に会釈をしてくれた。
本当に妹らしい女の子だと思う。
実の妹も、こういう感じであればよかったと感じていた。
「なに、お兄ちゃん、デレデレして、鼻の下を伸ばしちゃってさ」
妹は肘で、尚央の左腕を突いてくる。
「俺はそんなのないさ。鼻の下なんか、伸ばしてないし」
「だったら、鈴ちゃんのこと、魅力がないってこと」
「え」
「そうなんですか?」
「え、そういうわけでも」
尚央は二人の女の子板挟み状態になり、次の発言に戸惑う。
こういう時、なんて言えばいいんだ?
戸惑いを隠しきれなくなり、無言になった。
「あはは、面白いね、お兄ちゃん。その戸惑ってる顔とか」
妹は突然、腹を抱えて笑っていた。
「な、なんだよ、俺をからかってたのかよ」
「いいじゃん。面白かったし」
「もう、梨華ちゃん。そういうのやめてあげたら? お兄ちゃん、困ってるでしょ?」
鈴は天使のような笑顔を向けてくれる。
それが、唯一の救いでもあった。
「それと、ケーキを食べ終わったらどうする?」
突然、妹が話しかけてくる。
「俺は帰りたいけど」
「もう、なんで」
「だって、これでも十分、妹とは付き合ってるだろうし」
「んん、これは違うから」
妹は不満げに尚央の足元を右足で蹴ってきた。
「いたッ」
くるぶしのところに直撃し、痛みが一気に広がっていく。
「どうしたんですか、お兄ちゃん?」
「な、なんでもないよ、き、気にしないで……」
鈴の問いに、痛みを抑えながら返答した。
彼女のところからは、足元で何が生じているのか、わからないのだ。
いきなり、痛み出した感じに、思われてしまったのだろう。
「ねえ、鈴ちゃんはどうするの? 今日は私たちと一緒に行動する?」
「んん、今日はこれくらいで。私、これからお兄ちゃんの妹になるので、施設の人に、そのことを伝えてくるね」
「そうだよね。勝手に施設を抜け出せないもんね。だったら、私も一緒に付き添ってあげよっか」
「いいよ。梨華ちゃんは、お兄さんと色々しないといけないですし。あと、私、夕方くらいには、来栖家の方に向かいますので。それから改めて挨拶しますね」
鈴は丁寧な対応をしてくれた。
彼女はコーヒーを口にし、残りのケーキを食べ終えると席から立ち上がる。
「私は、これで失礼しますね。梨華ちゃんは、夕方までお兄さんと楽しんでおいてね」
「うん。じゃあね、鈴ちゃん」
妹は簡単に手を振り、店内で彼女と別れることになった。
鈴は店内の扉を開け、喫茶店から姿を消したのだ。
これからどうなることやら。
まあ、色々な意味で大変になると覚悟しておいた方がいいと、来栖尚央は思った。
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