第8話:映画のペアチケット
「ーーはい、というわけで、みんなご苦労。テスト前にいろいろ出し切ったことだろう。しっかりテストに集中してくれたまえ」
「「「「「「·····」」」」」」
「ん〜?お〜い、返事はどうした~?」
「先輩の言葉に踊らされた部員たちの気持ち、少しは考えてあげてくださいね?」
「いや、まさか私のコスプレにそこまで需要があるとは思わなんだ」
「…夜の道には気をつけてくださいね?」
「そんなにか」
結局。
試合は28対28と、普段では考えられないような点数を叩き出したものの勝敗はつかず、賭けはなかったことになった。そもそも、いくらテスト前とはいえ、たかが平常練習でそんな大それたモノを賭けていいわけがない。ーーみんなの張り切り具合は相当だったので、効果があるのは確かだが。
「……はぁ~、まったく。オレがいないところでお前らは」
ここで、今まで黙っていた小野先生が、あきれたようにため息をつく。
小野先生は男子バスケ部の顧問で、数学科の32歳。中肉中背の身体にくたびれたスーツ、ボサボサな少し長めの髪、眠たげな目。ぱっと見た目は文句なしの駄目人間風な人だ。事実性格は面倒くさがり屋らしく、数学を専攻したのは「準備する教材が一番少ない科目だから」というもの。真面目に教師を目指す人に謝るべきではないだろうか。
しかし、そうした態度・見た目とは裏腹に、授業はとてもわかりやすいと評判で、つまづいても個別で教えてくれるほど親切らしい。今は2年生の担当であるにもかかわらず、よく他学年からも質問に来る生徒を見かけるので、相当である。
面倒くさがり屋を自称しているが性格は紳士的で、生徒のことを気にかけてくれているのは見て取れる。
総じて小野先生は、『モテないけど人気な先生』として、学内でも人気な教師の一人である。
「だいたい、賭け事なんて良いことないぞ。オレも学生時代、パチスロで10万が消えたときは膝から崩れ落ちたものだ」
「いや、私のコスプレ姿とパチスロを一緒にするのはやめていただきたく」
「例えだ、気にするな」
「女学生とパチスロを並べるのは悪意を覚えるのですが!?」
ーーこうして子安先輩を抑えてくれることに関しては、本当に頭が上がらない。
「とまあ冗談はさておき。明日からテスト期間に入るため、しばらく部活動の
まあ、余程悪くなければないが、と加えた先生の目は、何人かの部員を見ており、その部員は気まずそうな顔をする。男子バスケ部は基本的に成績は悪くないようだが、何人か危うい生徒がいる。1年で言えば、風見とかがその一人だ。
「幸いなことに、今回のテスト期間は少し長い。分からないポイントはクラスメイトなりオレら教員なりに聞いたり調べたりする時間は、たっぷりとある。使えるものは何でも使え。ーー休みの日まで詰めかけられるのはごめんだがな」
そう言いながら先生が肩をすくめると、小さく笑いが起こる。
「まあそういうわけだ。毎度のことだが、バスケに関しては素人だからな、オレからは以上だ」
「……姿勢、礼っ!」
「「「「「「あざっした!!!!!!」」」」」」
天城先輩の号令に合わせて、一同礼をする。先生はバスケ経験者ではないため、ほとんどを天城先輩に任せ、部活に来ることはあまりない。だがこういった大事なときには必ず来て下さるから、部員全員先生を尊敬している(引率者がいないと、そもそも公式戦も出られない)。
「ーーさて、先生もおっしゃったように、テスト勉強を頑張ること。あとは、まぁ、、、みんな疲れただろうから、ストレッチは入念にすること。よし以上、解散!」
「「「「「「お疲れっした!!!!!!」」」」」」
片付けも終わり、天城先輩の短めの締めの言葉で、今日の練習は終了となった(いつもは解散してから片付けに入るが、「今日は一緒に終わろう」という天城先輩の一声で、順番が逆になった)。
「竜ヶ水、少し」
着替えるために更衣室に向かおうとすると、小野先生が俺に手招きをする。何かしてしまったのだろうか。覚えはない。
「はい」
「そう険しい顔をするな。何かやらかして呼び出されたとか、そういうことじゃない。……着替えが終わったら、俺の車のところに来てくれ」
すぐに終わるーー。そう言って小野先生は、スタスタと歩いて行った。
……とりあえず、早く着替えるか。
「ほいこれ」
「これは…?」
そうして手早く着替えて先生のところに向かうと、1通の封筒を渡された。厚さはない。恐らく中身は紙製のものだろう。
「中身は」
「映画のペアチケット」
「え」
「手に入れたのは良いんだが、その日急遽予定が入ってしまってな。捨てるのはもったいないしどうするかと思ってたら、お前のめでたい話が聞こえてきてな。まあ教師であるオレが言うのもなんだが、少しくらいなら、な」
そう言って苦笑する先生。先生にまで知られているのは釈然としないが、とてもありがたい。
「でも、良いのですか? わざわざ入手したものを。それにこれ、カップr」
「これ以上は言わせるな」
「……ありがとうございます」
「よし。ではお相手のもとにいってやれ」
そら行った行った、と言われ、俺は一礼し、その場をあとにする。
ーー今度のテスト、数学は特に力を入れて、1位を目指そう。それが一番の恩返しのはずだ(物を持って行くと、「ガキが偉そうに」と怒られてしまいそうだ)。
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「……ありがとうございます」
「よし。ではお相手のもとに駆けつけろ。そら行った行った」
オレが手を払いながら言うと、竜ヶ水は黙礼して、その場をあとにした。
ーーまさかあのチケットを、他の誰かにくれてやることになるとは。まあ仕方が無い、さすがにこんな時に映画に行くのは少し
「良かったんですか、あげちゃって」
「!?」
突然の声に驚き、声のした方を見ると、そこには一人の女性がいた。
背は160ほど。少し茶色がかった黒髪は肩より下まで伸びるストレート。目はややつり目で黒縁の眼鏡をしており、生真面目さを強調している。身につけているスーツにしわはなく、本人の几帳面さを物語っている。
「橘先生、驚かさないで下さいよ…」
「すみません、帰ろうと思って降りてきたら声が聞こえてきて、つい…」
橘先生はそう言って、申し訳なさそうに眉を下げる。わざとではないとはいえ、盗み聞きしたかたちだ。生真面目な橘先生からしたら、気まずいのだろう。
「構いませんよ。まあこの件を黙っていていただけると助かるのですが」
「…まったく。そういうことにしておきます」
「ありがとうございます」
納得してもらえてよかった。
「それにしても、なぜ映画のペアチケットを?どなたかと行くご予定が?」
「!? 、、、ええ、まあ。結局行かないことにしましたが。ーー今朝病院から連絡があって、母が倒れたみたいでして」
「!? 大丈夫なのですか?」
「ええ。父は私が初任だった頃に持病が悪化して還らぬ人となったので、面倒を見られるのが私しかいないのです」
「そうだったんですか…」
「幸い軽い貧血だとのことなのですが、ここ数ヶ月は忙しさにかまけて行ってなかったので、実家に戻ろうかなと」
「なるほど。親孝行というわけですね」
目を細めてほほえむ橘先生。普段は凜とした雰囲気を持っているだけに、ふいに見えるこの表情は心臓に悪い。
「それでは小野先生、お疲れ様でした」
「あ、はい、お疲れ様でした」
終始丁寧な仕草で、この場をあとにする橘先生。
ーー『それにこれ、カップr』ーー
ーー『どなたかと行くご予定が?』ーー
……言えるわけねえよ、まったく、、、
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