つるぎの時代の第六紀二九七年、四月二八日、早朝──。

 ドルト・ルアの東の斜面に、土砂崩どしゃくずれでもおこったかのような地鳴じなりがひびきわたり、土煙つちけむりがもうもうといあがった。

 丘の斜面がくずれたのではない。

 バーナーム軍の騎兵部隊が人馬一体じんばいったいとなって斜面をけおりてきたのである。

 数はおよそ三〇〇〇。だが、その後方には別の三〇〇〇がひかえていて、つづけざまに突撃してくるかまえをみせていた。

 塹壕ざんごう土塁どるいで封鎖線を構築しているグランゼス軍に、敵襲てきしゅうを告げる角笛つのぶえが熱狂的に鳴りわたる。

やりをかまえろ! 馬のあしねらえ! 敵の突破を決してゆるすな!」

 レイタスは塹壕ぞいに馬を走らせ、そこにこもって敵をまちかまえているグランゼス兵らを鼓舞こぶしてまわった。

 彼ら兵士の顔はみな一様に、今にも逃げだしたい恐怖を必死におさえこんで青ざめていた。

 無理もなかった。鉄の甲冑かっちゅうよろわれた人馬の軍団が、丘の斜面を脇目わきめもふらず猛然もうぜんと駆けおりてくるのだ。無数の馬蹄ばていが大地をみしめて地鳴りをおこし、その音はグランゼス兵たちの鼓膜こまくのみならず魂までもゆさぶってくるのである。

 槍をすて、かぶとを脱ぎ、塹壕からいだして敵に背をむける者が続出しても不思議ではない極限の状況だった。

 にもかかわらず、ひとりとして逃げだす者が現れない。

 フィオラへの忠誠が彼らをそうさせているようにレイタスには思えた。

 ほまれ高き〈紅炎こうえんの聖女〉の兵士として戦場に立っている。それだけで彼らにはこの上ない栄誉えいよであり、逃げだして彼女の名声めいせいおとしめるくらいなら、敵兵のひとりでも道づれにして死んだほうがマシだとすら思っている連中が大半なのだ。

 それは、兵が将に捧げる忠誠というよりも、男が女にいだく純粋な恋慕れんぼに近い心理であったかもしれない。兵士の誰もがフィオラを愛しているのだ。

 塹壕ぞいを一気にかけ抜けたレイタスは、そのまま止まることなく、今度は塹壕の後方で待機している兵士らにむかって馬を走らせた。

密集方陣みっしゅうほうじんはそのまま待機! 塹壕を突破してくる敵だけをちはたせ!」

 塹壕と塹壕の隙間すきまをおぎなうように配置された歩兵部隊は、その隊列をほぼ正確な四角形に整え、密集方陣と呼ばれる隊形で敵をまち受けていた。

 彼らの役目は、塹壕を突破してきた敵の掃討そうとうと、目まぐるしく変化する戦況せんきょう臨機応変りんきおうへんに対処するための遊撃ゆうげきにある。

 その密集方陣を構成している兵士のほとんどが、馬をおりた騎士たちであった。身軽さを確保するために兜と胸甲きょうこう以外のよろいはすべて脱ぐように指示されてもいた。

 この指示を、騎士の名折なおれと抗議する者はおおぜいいたが、彼らの主君しゅくんであるフィオラからじきじきに「すまない。しのんでくれ」と頭をさげられては、彼らもレイタスの指示に不承不承ふしょうぶしょうながらしたがわざるを得なかったのだった。

 塹壕と密集方陣で構成された長い封鎖線を自分の目で確認しおえたレイタスは、最後に本陣へと舞いもどると、馬をおりず鞍上あんじょうから一礼して赤髪の主君にしばしの別れを告げた。

「では、閣下かっか、手はずどおり俺は封鎖線の左翼を指揮しにむかいます。閣下は中央を、ルーニどのは右翼の指揮をお願いいたします」

 それだけを言って馬首ばしゅをかえしかけたレイタスに、フィオラの声がかかる。

「レイタス」

 名を呼ばれて肩ごしにふりかえると、侍女じじょから受けとった兜を小脇こわきにかかえたフィオラが黒い瞳に決然けつぜんとした光を宿して見あげてきた。

「わたしは勝つぞ。ここでの勝利を、ここで散った者たちへの手向たむけとするために」

 まるで自分に言いきかせているかのようにフィオラの声は力強い。

「わたしは勝つ。相手が誰であろうとも」

 名指なざしこそしなかったが、フィオラの脳裏のうりに今、誰が思いえがかれているのかはレイタスにも容易にさっしがついた。レイタスも彼女と同様に、その人物をまったく意識しないで戦うということが不可能であったから。

 それだけにフィオラの心の葛藤かっとうをも容易に察することができ、それがレイタスにはつらかった。いとしい人を敵にまわして戦うことへの覚悟は将としてできても、その人への愛そのものがゆらぎはじめている女としての戸惑とまどいまではごまかしきれないのではないか、と。

 だが、とうのフィオラは心の動揺を少しもおもてにだしておらず、それどころか不敵ふてきな笑みを口もとにうっすらと浮かべてさえいて、将としての矜持きょうじと女としての意地を同居させた美しい表情をたたえていた。

 そんなフィオラがレイタスには健気けなげに思え、またいとおしく感じ、なにがなんでも彼女を勝たせてやらねばという熱意をよりいっそう強くした。

「勝ちましょう、閣下」

 頭のなかの勝算しょうさんと、胸のなかの情熱が、レイタスの顔に自然な笑みを浮かばせる。

「俺がおつかえしている限り、あなたを誰にも負けさせたりはしない」

 メルセリオにさえも──。

 その名を口にしなくても、フィオラにはレイタスの決意がしっかりと伝わったようである。彼女は満足したように深くうなずき、ふたたびまっすぐ見あげてきた。

武運ぶうんを、レイタス」

「閣下にも、戦神アズエルのご加護がありますように」

 たがいの健闘を祈りあったあと、あらためてレイタスが馬首をめぐらせたその時、ドルト・ルアの丘のふもとでドッと喊声かんせいがあがり、剣戟けんげきまじわる音が風に乗って運ばれてきた。

 丘のふもとに構築したグランゼス軍の封鎖線を、丘の上から駆けおりてきたバーナーム軍の第一陣が突きやぶりにかかったのである。

 そこでは、レイタスにとって大切な女性がもうひとり、彼の帰りをまって孤軍奮闘こぐんふんとうしているはずだった。

 レイタスは気あいを発して馬腹ばふくり、その少女のもとに馬を急がせた。



 塹壕ざんごうから放たれる無数の矢を受け、バーナーム軍騎士が次々と馬上から転落していく。矢の雨をかいくぐって塹壕にまで達した騎士も、そこから突きだされる何本ものやりに乗馬をやられ、前のめりにくずれる馬の背から放りだされて地面に全身をしたたか打ちつけていた。

 鞍上あんじょうから地面に投げだされた衝撃で死なずにすんでも安堵あんどできなかった。よろいの重みでおきあがれない彼らに、グランゼス軍兵士が群がって容赦ようしゃなくきざんでくるからだ。

 騎兵による突撃で活路かつろをきりひらこうとするバーナーム軍を、グランゼス軍が歩兵による槍の壁で食いとめようとしている。昨日に行われた緒戦しょせんとは立場をまったく逆にした修羅場しゅらばがそこにあった。

 その結果も、両者の立場を逆にして再現された。

 塹壕から突きだされる槍の穂先ほさきに馬のあしを傷つけられ、痛みにえかねた馬が次々と体勢たいせいを崩して騎手を投げだす。後続こうぞくの騎兵集団も、転倒した馬や味方のしかばね馬脚ばきゃくを乱されて転倒し、その醜態しゅうたいはさらに後方へと連鎖れんさしていった。そこへグランゼス軍から大量の矢をかけられ、バーナーム軍の損害は拡大する一方である。

 そんな乱戦のなか、たくみな手綱たづなさばきで人馬一体じんばいったいとなって矢の雨をかいくぐり、槍衾やりぶすまぎ払って、グランゼス軍の塹壕を突破したバーナーム騎士がわずかながらも存在した。

 ギルウェイ将軍もそのひとりである。

 彼は、味方が塹壕をこえてくるための橋頭保きょうとうほきずこうと、塹壕をこえたその場にみとどまって単騎たんき奮闘ふんとうしていた。

 を重んじるバーナーム伯の重臣らしく、彼もまた豪傑ごうけつの名にふさわしい武芸と胆力たんりょくをもちあわせていた。体のあちこちに矢が突き立っているが、そのほとんどが鎧を破れず体にまで届いていない。馬上から右手でふるっている槍は敵からうばいとったもので、すでに六本目となる。

 その槍も穂先の刃が欠けだし、そろそろ新しい武器にとりかえなければとギルウェイが手ごろな武器を求めて周囲を見まわした、その時だった。

 こちらにむかって猛然もうぜんと突っこんでくる敵兵に気づき、ギルウェイはすぐさま体勢を整えた。

 その敵は、白いローブをまとって馬上にあった。左右の手にはそれぞれ剣がにぎられている。子供のように小柄こがらだが、フードを目深まぶかにかぶっているので容貌ようぼう判然はんぜんとしない。

(まるでアドラフのようなやつッ)

 ギルウェイ自身がそう感じたように、両腕に手甲ガントレットがないことをのぞけば、その敵の外見はバーナーム軍の軍師アドラフにそっくりだった。

 小憎こにくらしいアドラフにている──。

 ギルウェイはそれだけで相手を憎むことができた。槍をかまえなおして、ローブ姿のグランゼス騎士を正面から堂々とむかえ撃つ。

 両者は馬をあおって近づき、すれちがいざまにそれぞれの得物えものを交じりあわせた。刃と刃が激しくぶつかり耳障みみざわりな金属音をひびかせ、それが鳴りやまぬうちに二合目にごうめをたたきあう。

 ギルウェイがすれちがいざまに放った一撃は、だが、やすやすと相手の剣にはばまれた。すかさず馬首ばしゅをかえし、相手の背後から槍を払う。が、これも相手が馬の背にせたことでかわされた。

 しばらく前後左右にもつれあいながら干戈かんかまじえていた両者は、やがて、たがいの乗馬を併進へいしんさせ、さらに数十ごうと撃ちあった。

「なかなかの手練てだれだ。ほめてやるぞ、小僧こぞう

 ギルウェイが相手を小僧と呼ばわったのは、間近まぢかで見るとフードの影に隠れた相手の顔がおさなく思えたからである。その言葉が、いっぱしの騎士に対して侮蔑ぶべつの意味をはらむことも承知の上である。

 その思惑おもわくどおり、相手は眉間みけんに小さなシワをきざみ、憎々にくにくしげにこちらをにらんできた。のみならず、攻勢こうせいにも猛々たけだけしさが増す。

 怒りをあらわにした相手の稚気ちきに、ギルウェイは当初、小気味こきみよさすら覚えて笑みを浮かべながら悠々ゆうゆうと戦っていた。が、次第にその笑みがこおりついていくのを自覚する。

 左右二本の剣から交互にくりだされる相手の突きやぎは、どれもギルウェイにとって重いものではなかった。が、その一撃一撃の間隔かんかく徐々じょじょにせばまっていくのはどうしたわけか。ひとつしのいだと思ったその直後には、別の方角から次の白刃はくじんせまっているのである。目には見えない複数の敵を相手にしている、そんな錯覚さっかくにギルウェイはとらわれた。

 それでも撃ちあいながら「名をきいておこうか」とたわむれにただせるのは、ギルウェイにまだまだ余裕があるからである。

「ブ男に名乗る名前なんてない!」

 外見にたがわず若々わかわかしいんだ声がかえってきた。

 ブ男とひょうされて、いささかムッとしたギルウェイだったが相手の勝気かちきさには感じいり、その顔にふたたび笑みを浮かべる。

「そいつは残念!」

 言うが早いかギルウェイは槍の、穂先とは逆の石突いしづきで、風がうなるほどの猛烈な突きをくりだした。

 この突きを、左右の剣を交差させて体のわきへと受け流した相手の技量ぎりょうたたえるべきであろう。が、ギルウェイは受け流されるその力を利用して、今度は槍の穂先を相手の頭部へすべらせるようにいだ。本命はこれである。

 ところが、相手は可能な限り上体じょうたいらし、槍の穂先が頭部へ直撃するのを紙一重かみひとえで回避した。疾走しっそうする馬の上でのことである。おどろくべき身のこなしであった。

 ギルウェイの渾身こんしんの一撃は、相手のフードを引っかけ、そのままフードを相手の頭から払い落すだけでおわった。

「ちッ」

 舌打したうちしながらも、相手の反撃に備えて体勢を整えようとしたギルウェイは、だが、やおらその動作をにぶくした。目をみはって相手の顔をまじまじと見つめる。

 フードを払い落された衝撃のため、相手は頭上で飴色あめいろのつややかな髪をふり乱していた。その髪が相手の顔のまわりに落ちついた時、ギルウェイはもう一度、目をみはった。

「女か!」

「だったらなにさ!」

 相手が叫んだと同時にギルウェイの左上腕部じょうわんぶに痛みが走る。我にかえってたしかめると、相手の剣に鎧の隙間すきまを突かれ、そこから鮮血せんけつがしたたっていた。

 無意識のうちに体をひねって深手ふかでになるのをけていたようだが、ギルウェイにとっては衝撃的な失態しったいである。歯をくいしばり、一矢報いっしむくいようとあらためて槍をかまえなおす。

 と、その時、両者の一騎打ちに割って入ってくる者があった。

 白いローブを身にまとい、両手に鉄の手甲ガントレットを装着した、やはりアドラフとよく風貌ふうぼう若武者わかむしゃだった。黒く短い頭髪とうはつを風にゆらし、するど眼光がんんこうを放ちながら右手の剣をたくみにくりだし、女騎士と連携れんけいしてギルウェイを左右からはさみこむように乗馬をよせてくる。

「ぬう、こいつはッ・・・・・・」

 二、三ごう得物えものまじえただけでギルウェイには新手あらて力量りきりょうがわかった。新手の騎士の緩急かんきゅうりまぜた太刀たちすじは予測が難しく、ギルウェイはまたたに防戦へと追いやられた。

 加えて、女だとわかった先ほどからの騎士が左右の剣を間断かんだんなく突きだしてきて、ギルウェイに反攻はんこうてんずる機会をあたえない。

 無言のうちに成立した、ふたりのグランゼス騎士の息のあった挟撃きょうげき

 さしものギルウェイも自分が圧倒的に不利であることを認めざるを得なかった。新手の男のほうが女騎士よりも腕が立つとなれば、なおさらである。

 そうと認めたギルウェイに迷いはなかった。

 槍の大ぶりでふたりのグランゼス騎士を同時にらせると、彼らが体勢たいせいを立てなおしているそのすきに馬首をめぐらして逃げにかかる。

 それをはじとは思わなかった。生きていればこそ再戦し、勝利を飾ることができるのだから。



「追うな、バカ!」

 敵将てきしょうのひとりと思われるバーナーム騎士を追いかけようとするセルネアに、レイタスは容赦ようしゃない言葉をあびせて思いとどまらせた。

 手綱たづなをしぼったセルネアがふりかえり、ムッとした表情と声で抗議してくる。

「バカってなにさ! せっかくいいところまで追いつめてたのに!」

「俺はおまえを、ただの戦士に育てた覚えはないぞ」

「でも──」

「軍師が一騎打ちにかまけて指揮をおろそかにするとは何事なにごとだ!」

 この叱責しっせきにセルネアはハッと目を丸め、おのれ過失かしつを認めて肩を落とした。

「ごめん・・・・・・あいつに味方が次々とやられていくのを見てたら、ついカッとなって・・・・・・」

 フィオラのもとからレイタスがもどってくると、部隊の指揮をまかせていたはずのセルネアが所定しょていの場所におらず、心配と苛立いらだちを胸に戦場をけまわってさがしたところ、そのセルネアが敵将と一騎打ちを演じていたのだからレイタスとしてはあきれるしかなかった。

 とはいえ、仲間を思うその気もちは大切にしてほしく、しかられてさびしそうにしょぼくれているセルネアを見ていると言いすぎたのではないかという罪悪感ざいあくかんに駆られ、これ以上は弟子を叱ることができなくなるレイタスだった。

「まあ、いい・・・・・・とにかく、これからは戦場全体に意をそそげ。いいな?」

 セルネアはコクリとうなずき、周囲を見まわした。

「今、どんな感じなの?」

「みな、よくやってくれている。おかげでこちらの戦況せんきょう上々じょうじょうだ。ただ、フィオラの指揮する中央が少々、気がかりではある。バーナームはくは、その勇猛ゆうもうなお人柄ひとがらにふさわしく、中央突破ちゅうおうとっぱがお好みらしいからな」

「どゆこと?」

「バーナーム軍騎兵の突撃が中央に集中しはじめている」

 それは、フィオラからの報告と、みずから遠見とおみつつを用いて戦場を観察した結果、得られた結論だった。

 もっともレイタスは、敵の中央への猛攻もうこう陽動ようどうではないかと疑っている。バーナーム軍は封鎖線を突破する手立てだてを準備していて、中央への圧力はそのさくのためのおとりなのではないか、と。

 さりとて、中央の危機を看過かんかしてはグランゼス軍の封鎖線ふうさせん瓦解がかいしかねず、レイタスとしてはなんらかの手をうたねばならなかった。

「そこで、こちらの左翼からいくらか兵をいて救援にむかい、中央の封鎖線にあつみをもたせようと思う。おまえも一緒にこい」

 うなずくセルネアをしたがえて、レイタスは激戦が予想される封鎖線の中央へ馬首をふりむけた。

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