フィオラにわって副官のルーニがグランゼス軍の指揮をとって戦いは続行されたが、数でまさるバーナーム軍に終始しゅうしおされてこの日の戦いはおわった。

 かたむき、闇が深まったことでバーナーム軍が兵を退いたおかげで、グランゼス軍は全滅をまぬかれたようなものだった。残存ざんぞん兵力も惨憺さんたんたるもので、まちせされたフィオラ直属のそう騎兵八〇〇〇はほぼ壊滅かいめつし、二万二〇〇〇もあったグランゼス軍の総数は今や一万二〇〇〇をきっている。

「敵は明らかに丘の占拠せんきょねらっている。そのための橋頭保きょうとうほをいくつもきずかれてしまった」

「くそッ、閣下かっか直属の騎兵部隊さえ健在であったなら、こうもやすやすと我らの眼前がんぜんに敵の橋頭保など築かせはしなかったものを!」

「もはや、丘は敵の手に落ちたも同然だな・・・・・・」

 フィオラが不在の軍議ぐんぎで、各部隊をあずかる騎士たちが口々にくやしがっている。

 そんななか、レイタスはを見て口をひらいた。

「敵にがわたってしまった以上、こちらも戦い方をかえねばならない」

 だがレイタスのこの発言に、周囲の騎士たちはしらけきった表情をしていた。なかには露骨ろこつ侮蔑ぶべつの笑みを浮かべる者すらいる。

 レイタスは気にしないようにつとめながら地図をし、新たな戦法をいた。

「まず、丘のふもとに長大ちょうだい塹壕ざんごうる。そして、騎兵もみな馬をすててその塹壕にこもり、丘の上からけおりてくる敵をむかえ撃つ。この迎撃げいげき戦法をとるのが上策じょうさくだ」

 これに対し、騎士らが憤然ふんぜんとなえてくる。

「上策だと? ふん! 我らをこのような窮地きゅうちに追いやった者の口から、よもや上策などという、たいそうな言葉が飛びだしてこようとはな!」

しかり! それに馬をすてろだと? 我らグランゼス家につかえる者はみな騎士ぞ! 騎兵の突撃によって敵陣を蹂躙じゅうりんすることこそを本懐ほんんかいとしているのだ! ネズミのように穴のなかでコソコソしてなどいられるか!」

 彼らの間でレイタスに対する信用はすっかり地に落ちているようだった。

 当然である。敵のさくを読みまちがえ、おおぜいの味方を死に追いやってしまったのだから。

 彼らとの間に長年の信頼関係が築けていれば、あるいは挽回ばんかいの機会があたえられたかもしれない。だが、昨日今日やってきたばかりの新参者しんざんものがそれを望むのはムシがよすぎるというものだった。

 それでも、レイタスの脳裏のうりにはまだ勝利という文字が点灯てんとうしており、これが消えない限りあきらめることはできず、ましてや、このにおよんで重装じゅうそう騎兵による突撃を画策かくさくしている彼らの作戦にはあやうさしか感じられず、レイタスは辛抱しんぼう強く説得をつづけた。

「きいてくれ。兵数でも、地の利でもおとる我が方に勝機が残されているとすれば、それは後手ごてせんせいすること。すなわち、塹壕にった迎撃戦法のみだ。それ以外の戦法でこの難局なんきょくを乗りきることは──」

「不可能か? ふん! 我が軍が負けると考えるような者に用はない。とっととせろ!」

 騎士のひとりが剣を抜かんばかりのいきおいで怒声どせいを発すると、他の騎士からもレイタスの退席を望む声が次々とあがった。

 だがレイタスは、周囲からあびせられる罵声ばせいに負けじと声を張り、彼らひとりひとりを見つめかえして懸命に説得を試みた。

「頼む! 頼むから俺の話をきいてくれ! 騎兵にたよった作戦では、もはや敵の優勢を突きくずすことは──」

「レイタスどの」

 レイタスや他の騎士らの声をあっして重々おもおもしくひびいたルーニの声に、その場がしんと静まりかえる。

「レイタスどの・・・・・・残念ながら、貴殿きでんの言葉にしんを置くことが今の我らにはできかねる。ここはいったん、ご退席願いたい」

 言葉づかいこそ丁寧ていねいだが、それはフィオラの客人に対する遠慮からであって、ルーニ自身は他の騎士らと同様、レイタスを信用できなくなっているという心情を苦々にがにがしい表情で雄弁ゆうべんに語っていた。

 もはや、言葉で説得できる事態ではないように思われた。

 そうさとったレイタスの両肩が力なく落ちる。

「・・・・・・わかった」

 師を擁護ようごしようと前にみだしたセルネアを身ぶりで制し、レイタスはおとなしく席を立つと、その足を天幕の出口にむけた。

 ところが、出口にかかっていたとばりをはねあげると、そこに朱色の甲冑かっちゅうを着こんだフィオラが立っており、レイタスは思わず目を丸めて足をとめた。

 フィオラの顔には戦士の仮面がみごとにまとわれており、涙のあとも完全に消えていた。そして威厳いげんに満ちた声を静かに発する。

「席にもどれ、レイタス」

「ですが──」

「命令だ」

 有無うむも言わさずフィオラはレイタスのわきを通りすぎると、からとなっていた自分の席に歩みより、席につく前に一同をながめまわした。

「心配をかけたが、わたしの怪我けが軽微けいびだ。ご苦労だったな、ルーニ。あとはわたしが指揮をとる。軍議をつづけよ」

 ルーニや騎士たちには、フィオラの不在は怪我の治療のためと伝達されていた。そのため主君しゅくんの元気な姿をおがめた彼らは安堵あんどして喜び、さっそく重装騎兵による波状はじょう突撃で敵陣を深くきりく作戦を提案した。

 フィオラは最後までその案に耳をかたむけ、「なるほど、おもしろいな」と一定の理解を示したあと、いまだ席につかず出口で立ったままのレイタスに視線をふりむけた。

「レイタス、どう思う。おまえの意見をききたい」

 すると、騎士のひとりが意地の悪い笑みを浮かべながら異議いぎを申し立てた。

「フィオラさま、どうかあの者の意見などに耳をおかしになりませんように。あの者の口からは、またぞろ我らを窮地に追いやる策しか飛びだしませんぞ」

 この皮肉まじりの冗談に周囲がドッと笑声しょうせいをあげるなか、フィオラはくすりともせずに応じた。

「その進言には耳が痛いな。レイタスの策をれて実行に移す決断をくだしたのは、このわたしだ。責任のすべてはわたしにある」

 途端に笑声がぴたりとやみ、気まずい沈黙が天幕に満ちた。

 レイタスを揶揄やゆした騎士はバツが悪くなってうつむいている。

 フィオラがふたたび一同を見わたした。

「この際、みなに言っておく。策の失敗をめるのなら、それをけんじた者ではなく、容認した者を責めよ。そうでなくては、誰もが責めを負うのを恐れてわたしに策を献じなくなる。わたしはそうなることのほうをむ」

 これはレイタスひとりをかばった発言ではなかった。今後、様々な意見をぶつけあうことになる彼女の部下すべてにとっての免罪符めんざいふとなったのだ。全責任は自分が負うから思う存分に議論し、意見せよという、フィオラからのお墨付すみつきに等しい。

 この一連のやりとりを見て、レイタスは自分の「人を見る目」の正しさに満足していた。つかえる主君に彼女を選んだのは正解であった、と。

 そしてレイタスが最もうれしいのは、フィオラ自身が戦いへの覇気はきをとりもどしているように見えることだった。メルセリオのことをどこまで消化できたのかはさだかでないが、少なくともバーナーム軍を相手にした戦いで勝利をあきらめた顔には見えない。あきらめているのなら、そもそも軍議に顔をだしてレイタスに意見を求めるはずもない。

「レイタス」

 フィオラからふたたび発言をうながされたレイタスは、胸のうちの喜びを必死にこらえながら進みでた。

「はッ。では、お許しを得て申しあげます。敵に地の利を奪われた今、力おしでの速戦即決そくせんそっけつは望むべくもありません。かくなる上は、持久戦じきゅうせんのかまえをとる必要があると心得ます」

「持久戦はならぬ」

 フィオラのきびしい声がレイタスの発言をさえぎる。

「我らはシアーデルンを手薄てうすのまま残してきているのだ。時間に猶予ゆうよがないのを忘れたわけではあるまい?」

「ご安心を。あくまでも、持久戦の『かまえ』をとるだけでございますから。この『かまえ』をとるだけで、敵はいやでも我らに決戦をいどまざるを得なくなるのです」

「・・・・・・・・・」

 フィオラは黙ったまま不機嫌ふきげんそうに片眉かたまゆりあげ、レイタスの意図いとが理解できなかったことを無言のうちに伝えてきた。

ずかしながら、敵に丘を奪われることが確実となった今になって、ようやく気づくことができたのですが──」

 レイタスはそう前置きしてから、具体的な説明に入った。

「あの丘は、一種のわなだったのです。誰がしかけた罠というわけではなく、いて言うなら、大自然がしかけた罠。それも、有利に戦える地形をつねに意識している用兵家ようへいかだけがおちいる罠、といったところです」

 ドルト・ルアの丘を占拠せんきょすると、丘周辺の小範囲な戦場だけで見れば圧倒的に有利となる。が、港湾こうわん都市ニアヘイムをめぐる戦いという大局的たいきょくてき見地けんちに立つと、丘を占拠したことがかえって不利に働く、という罠。

しくも今、バーナーム軍はその罠におちいり、逆に、我らはその罠を利用できる立場にあるのです。では、作戦の詳細しょうさいをご説明しましょう」

 馬用のむちがにぎられたレイタスの右手が、机上きじょうにある地図の上を迷いのない所作しょさでなめらかに動きまわる。

「まず、この丘のふもとに塹壕を張りめぐらし、封鎖線を築きます。この封鎖線で敵を丘の上に封じこめ、それから──」

 ようやく軍議がきと前へ進みはじめた。



 一方、緒戦しょせんの勝利で戦場一帯をせいしたバーナーム軍は、ドルト・ルアの丘を悠々ゆうゆう占拠せんきょし、グランゼス軍が大打撃をこうむって息をひそめている夜間のうちに丘での布陣ふじんを完了した。

 初日の大勝利が、そして現在の圧倒的な優勢ゆうせい将兵しょうへいらの疲れを吹き飛ばし、丘の上へ夜どおしの行軍こうぐんだったにもかかわらず彼らの士気はすこぶる高く、丘の上での陣地じんち設営せつえい手際てぎわよく行われ、陽光ようこうが地平線の彼方かなたからほとばしる黎明れいめいには作業を完了するという偉業をなしとげていた。

 総大将たるバーナームはくベルラン自身が一睡いっすいもせず陣地設営を監督かんとくする意気ごみを見せるほど、バーナーム軍は自信と活力かつりょくに満ちていた。

 兵数も、無傷とはいかなかったものの約二万五〇〇〇を維持いじできており、それは緒戦で大敗たいはいきっしたグランゼス軍の二倍に相当した。

 敵の二倍の兵力で、敵よりも有利な地に布陣している。これでどうして負けるというのか。

 そんな明るい気運きうんにつつまれたバーナーム軍に冷水ひやみずをあびせかけるような急報きゅうほうをもたらしたのは、丘の上から周辺を監視していた見張みはりの兵士である。

「と、とにかく、こちらにおこしになってごらんください!」

 報告にもなっていない報告にイライラさせられながらも、軍師アドラフはバーナーム伯にしたがって丘のふもとが一望いちぼうできるやぐらに登った。

 この地に特有の朝霧あさぎりは完全に晴れていた。そして、青々あおあおとひろがるふもとの平原に視線を落とした直後、アドラフとバーナーム伯は等しく息をのんで目をみはった。

 自分たちが登ってきたゆるやかな勾配こうばいをもつ東方の斜面。そのふもとに、まるで丘への出入りをふうじるかのように塹壕ざんごうがいくつもられていたのだ。塹壕の前には、塹壕を掘ってでた土砂どしゃ土塁どるいきずかれており、土塁の前にはとがったくいさくなどの障害物が設置せっちされ、バーナーム軍騎兵の突撃をはばむかまえをみせている。

 掘られた塹壕のなかには、の長いやりを手にしたグランゼス軍の兵士がびっしりとめており、塹壕の外では馬をすてた騎士が歩兵と混ざりあって密集方陣みっしゅうほうじんを整えていた。

 バーナーム軍が煌々こうこう篝火かがりびいて陣地の設営にいそしんでいたかたわらで、グランゼス軍は月明かりと、丘の上のバーナーム軍陣営から降りそそぐ膨大ぼうだいな数の篝火をたよりに、丘のふもとで塹壕を掘る作業に従事じゅうじしていたのだ。

「ふん。あの雌獅子めすじしめ、まだあきらめてはおらなんだか」

 たった一夜で丘のふもとに長大ちょうだいな塹壕を掘れるほどの気力がまだグランゼス軍に残っていたことに、バーナーム伯は素直におどろき、心情的な余裕よゆうから感心すらしていた。

 バーナーム伯ベルランはよわい五〇をむかえる初老しょろうである。口のまわりにたくわえた短いヒゲには白いものが混じりはじめ、目尻めじりにも年相応としそうおうのシワを走らせていた。

 旧王家の流れをくむ大貴族のわりにはを重んじる傾向にあり、狩猟会しゅりょうかいや馬上試合を頻繁ひんぱんに開催しては、バーナーム伯自身が選手として出場する猛者もさぶりを示していた。

 今も、ほどよく引きしまった老体ろうたい甲冑かっちゅうをまとい、それでいてあやうさをまったく感じさせない矍鑠かくしゃくたる身のこなしであった。

 そんな老将ろうしょうとは対照的に、となりのアドラフは愕然がくぜんとした心境で眼下がんかを見つめていた。

 ドルト・ルアの丘は、東の斜面だけがゆるやかな傾斜をもっており、あとの三方は野生動物ですら立ちいらない断崖絶壁だんがいぜっぺきだった。

 つまり東のふもとを封じられると、それは丘の出入りを封じられたのと同様であり、アドラフとしては自軍じぐんが思わぬ窮地きゅうちに立たされたことをさとらざるを得なかったのである。

「この丘を、死地しちにかえやがった・・・・・・」

 死地とは、軍隊がとどまり戦ってはならない地形をす。とどまり戦えば不利に運び、文字どおり死を覚悟しなければならない場所のことであった。

 アドラフの不吉な発言を、バーナーム伯が表情をしかめながらききとがめた。

「この丘に陣どっておれば敵を一望のもとに見おろせ、矢をかけるのに有利のみならず、斜面をかけおりる騎兵の威力いりょくも高めてくれように。それを死地などと、バカげておる」

 勝利とは重装じゅうそう騎兵の突撃によってのみ決定づけられるもの、というローデラン人の常識にならえば、バーナーム伯のこの発言は至極しごくまっとうなものであった。

 アドラフもその見解に異論いろんはない。だからこそ丘の奪取だっしゅ企図きとし、ここに布陣するようバーナーム伯に進言しんげんしたのだ。

 だがその時は、丘のふもとにあのような塹壕は掘られていなかった。

 忽然こつぜんと現れた塹壕を忌々いまいましく見おろすアドラフの脳裏のうり昔日せきじつがよみがえる。

「よいか、アドラフ。戦況せんきょうとは目まぐるしく変化するもの。昨日、有利だった場所が、今日も有利だとは限らん。先人せんじんが残した知恵は大切なれど、り固まった観念にとらわれてはならんぞ」

 師メルセリオから受けた講義の内容を、アドラフは思いだしていた。自軍にとっての有利は、さくをめぐらせてみずからの意思で生みだしていかねばならない。地形や施設のみに頼っていては敵に足もとをすくわれる、と。

(師が言わんとしておられたのは、このことだったのか・・・・・・)

 おそすぎる理解が反省となってアドラフの拳を強くにぎらせた。同時に、師の教えを正しく理解してたくみに実践じっせんしているレイタスに激しい嫉妬しっとを覚えた。

 眼下に見える深い塹壕や、迎撃げいげき態勢を万全ばんぜんに整えたグランゼス軍の密集方陣が、まるでレイタスこそがメルセリオのまな弟子だと主張しているかのように見えてアドラフをイラつかせる。

 ニアヘイムを防衛していた謎の指揮官の正体が、レイタスという名の〈アズエルの使徒〉であり、彼が今、フィオラ・グランゼスの軍師となっていることをアドラフはメルセリオからきかされていた。

 そのレイタスが、メルセリオのかつての弟子であったことを知った時などは、奇妙な不快感を覚えたものである。

(わたしとレイタスのどちらを、師は高く評価しておられるのだろうか・・・・・・)

 そんな疑念にとらわれ、その疑念が競争意識をはぐくむのにそう時間はかからなかった。

 そして、自分こそがメルセリオの愛弟子であり、後継者であると自任じにんしていた矢先やさき、レイタスにだし抜かれたような今日の事態をむかえたものだから、アドラフの心中しんちゅうは嵐のごとく荒れ狂った。

「どうした、アドラフ」

 急に黙りこくって歯を食いしばっているアドラフに、不審ふしんの念をつのらせたバーナーム伯がしわがれた声をかける。

 アドラフはこの場にいない人物への憎悪をいったんおさめ、現状を正しく理解できていない主君しゅくんにむかって苛立いらだちをみ殺した声で説明した。

「敵は、この丘に我らを封じこめる腹なのですよ」

 今回の戦いの端緒たんしょとなっている港湾こうわん都市ニアヘイムであるが、このまちを攻める側と守る側とでは、当然ながら戦いにおける事情が大きく異なっていた。

 攻め手のバーナーム軍は、障害として立ちはだかったグランゼス軍を排除はいじょし、さらにニアヘイムを攻略しなくてはならないが、本拠地ほんきょちからはるばる遠征してきた立場上、兵士と馬に食わせる食糧や、欠損けっそんした武器、防具の補充ほじゅうに苦労している。いわば、グランゼス軍との戦闘に時間をかければかけるほど首がしまっていく状況にあるのがバーナーム軍だった。

 これに対し守り手のグランゼス軍は、バーナーム軍の撃退が最終目標ではあるものの、それには補給の面で時間をかけられるゆとりがあった。近くにはニアヘイムがあり、その街を救うためにけつけたのだから海の商人たちもグランゼス軍に物資を提供するにやぶさかではなく、ニアヘイムという後盾うしろだてのおかげで物資の枯渇こかつの心配がないグランゼス軍は悠々ゆうゆう持久戦じきゅうせんにもちこめるのである。

「だが──」

 と、バーナーム伯が異議いぎとなえる。

「シアーデルンを手薄てうすのまま残してきたフィオラ・グランゼスが、我らとの戦いに時間をかけることをきらうのではないか?」

 意外にも明哲めいてつ大局眼たいきょくがんを示す主君に、だがアドラフは感銘かんめいを受けなかった。

「ごもっともです。が、残念ながら、シアーデルンを誰かがおそい、それを知った彼女が血相けっそうをかえて退却するまで、我らの食糧がもつとは思えませぬ」

 本拠地を遠く背に残してきたバーナーム軍の食糧事情はすでに逼迫ひっぱくしていた。数日のうちにニアヘイムを占領して食糧を補給できなければ、バーナーム軍の将兵しょうへいは空腹にさいなまれ、彼らの士気しき激減げきげんするだろう。そうなっては戦いどころではなくなる。

「ぬうう・・・・・・」

 バーナーム伯がヒゲの奥からうめくような声をもらした。ようやく自分たちの置かれている窮状きゅうじょうを理解したようである。そして理解すると、豪胆ごうたんな彼の性格を反映させた結論を導きだした。

「ならば、力づくであの塹壕を突破するまでだ!」

 バーナーム伯は短絡的たんらくてきにそう言い放ったが、結局のところ、とれる手立てはそれしかないのである。このまま丘の上に足止めされていても、援軍もなければ補給もなく、まっているのはえとかわきによる凄惨せいさん最期さいごだけなのだから。

(ならば死を覚悟し、全軍で丘の斜面を駆けおりて血路けつろをきりひらくしかない、か・・・・・・)

 アドラフもそう腹をくくるしかなかった。死地とひょうした所以ゆえんである。

(いいだろう。同じ師に教えをうた者同士、どちらが優れているか、そいつをここで決めようじゃないか、レイタス!)

 あに弟子にあたるレイタスへの敬意をアドラフは微塵みじんももちあわせていない。

 あるのは、メルセリオでさえも油断できぬと高く評価している男への、嫉妬しっと憎悪ぞうおだけであった。

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