第三章 軍師ふたり
1
オルベ川の
両軍とも敵
ところが、両軍の
敵の
「とはいえ、戦いのカギをにぎるのはやはりこの丘でしょう」
フィオラが
「この丘を敵に
「ならば全力でとりにいくまでだ」
美しくも
「と、敵も大いに勇んでいることでしょう」
レイタスは、そっけない口ぶりでフィオラたちの勇み足に注意を
「丘の奪取にばかり気をとられて、くれぐれも他の戦線を
「軍師どののご
ルーニが不服そうに、同じ表情をつくっている他の騎士たちを代表して口をひらいた。
「あの丘を敵に
ルーニや騎士たちは、ひょっこり現れてフィオラの
そういった彼らの心理はレイタスも
「たしかにそのとおりだ、ルーニどの。しかし、裏をかえせば、敵に丘をうばわれさえしなければそれでいいのだ」
「・・・・・・・・・」
ルーニはレイタスの言わんとしていることが理解できないらしく、
「レイタス」
フィオラが、副官のムスッとした
「我らは、おまえたち使徒のごとく
「かしこまりました」
レイタスは赤髪の女将軍にむきなおり、丁寧に解説した。
「たしかに、丘を敵にあたえることは許されません。ですから、敵が丘を奪取しようと
「なるほど。敵の目が丘に
フィオラの見解に、レイタスは「我が意を得たり」と言わんばかりに力強くうなずいた。
「で、具体的にはどうたたく」
フィオラから
「セルネア。閣下にご説明申しあげよ」
「はい!」
レイタスといれかわるようにして進みでた
「まずは、こちらをごらんください。これは、偵察隊からの報告にもとづいて作成した敵の布陣図で──」
軍議をおえ、ルーニや騎士たちが気あいをみなぎらせた顔で天幕を退出していくなか、レイタスひとりがフィオラに呼びとめられた。
「傷の具合はどうだ」
「お気づかい、痛みいります」
礼をのべつつ、レイタスは包帯が巻かれている胸に衣服の上から片手をあてた。
「ここ三、四日の行軍の間にだいぶよくなりました。少々、うずきはしますが、今では馬にも自力でまたがれます」
「そうか」
「ただ、
「それはかまわぬ。が、まだ正直に話す気にはならぬか?」
「なんのことでしょう」
表情を無にしてレイタスが問いかえすと、フィオラはあきれたような
「たしかその傷は、ニアヘイムに私用で
「さようです」
「いささか納得しがたい説明ではないか?
「使徒も人です。油断もすればひるみもいたします。ましてや闇夜のなかとあっては、相手の攻撃を受け損じるという事態がどうしても
レイタスがわざとらしく頭をかいて笑いだすや
レイタスはとっさに笑みを消し、
フィオラがニヤリと笑い、皮肉たっぷりの表情で
「
「・・・・・・・・・」
「まあ、よい」
フィオラは剣をおさめ、攻撃の動作で乱れた赤い前髪を片手で
「おまえほどの
「・・・・・・は」
レイタスは背なかに冷たい汗が流れているのを感じながら一礼した。
(バレたら殺されるな・・・・・・)
本気でそう思い、天幕の外で
彼女の愛する男が、彼女の
そのメルセリオが、今度は彼女を打ち負かすための策を
フィオラという女性が、心の
それに、他人のことばかりを心配していられる身でもない。
(俺は、あの人に勝てるのだろうか・・・・・・)
メルセリオと四年ぶりの再会を果たし、ほどなくして決別したあの日の夜以来、レイタスの
ドルト・ルアの丘をめぐる陣どり合戦は、両軍とも丘に先着できなかったことから痛みわけといったところであろう。
その丘は、バーナーム伯領とニアヘイムを結ぶ街道ぞいにあり、ニアヘイムを
これをメルセリオが
その結果、丘を手にいれ損ねたものの敵にもその機会をあたえずにすんだのだから、まずは満足すべきところであった。
(だが、相手はあの人だ。こうなることも
レイタスが最も頭を悩ませているのは、このあとメルセリオがどのような策をめぐらせて丘を奪取しにくるのか、その一点だった。
レイタスと同様、敵にうばわれなければそれでよい、と考えてくれているのなら、それほど楽なことはない。だが、メルセリオの
弟子として、様々な場面で様々な人に策を
弟子であったころは頼もしく、見習いたいと思っていたメルセリオのそんな性格が、敵となるとこれほど恐ろしく感じられるとは想像すらしていなかったことである。メルセリオという偉大な男を知りすぎているがゆえの恐怖心であった。
(くそッ、幻影にまどわされるな!)
だが、そう念じれば念じるほど、自分のなかでかつての師の影が大きく
こうなると、メルセリオがわざわざレイタスを呼びだして
(だとしたら、俺はすっかりその
やはり一枚も二枚もメルセリオが
そんなレイタスの頭をもちあげたのは、不意に発せられた少女の
「ちょっと! あたしを置いてどこ行くつもり?」
レイタスが声のしたほうをふりむくと、そこには頬をプクッとふくらませたセルネアが腰に両手をあてて立っていた。
見まわすと、あわただしく構築されつつある陣地をあと一歩で抜けだすところだった。
「レイタス、だいじょうぶ?」
レイタスが
(弟子を不安にさせるようでは、師匠、失格だな・・・・・・)
そう自分を
「おまえに心配されるくらいだ。大丈夫じゃないのかもな」
いつもならこれで
「レイタスの、お師匠さんのこと?」
「・・・・・・・・・」
レイタスの沈黙を肯定と受けとめたのか、セルネアがはげますように声を高くした。
「だいじょうぶ! レイタスならきっと勝てるよ」
「根拠もなく勝敗を語るな。いつもそう教えてるだろ」
「根拠なら、あるもん」
どうせ売り言葉に買い言葉だろうが、レイタスはからかい半分に問うた。
「ほお。では、その根拠とやらをきかせてもらおうか」
「レイタス、あたしに言ったじゃん。なにかを壊そうとする人間よりも、なにかを守ろうとする人間のほうが強いんだって」
ニアヘイムを防衛する際、不安がるセルネアを勇気づけるために用いたレイタスの言葉であった。
「レイタスは、争いのない平和のために戦うんでしょ? でも、レイタスのお師匠さんはちがう。争いをたくさんおこそうとしてる。だったら、平和のために戦うレイタスが負けるわけないじゃん」
セルネアのはげましが、レイタスにひとつの言葉を思いおこさせた。
これは、弟子であったころのレイタスが、師メルセリオから
今も彼がその思想をいだきつづけているかどうかはさだかでない。が、もしすててしまったというのなら、弟子であった自分が受け
そのことを、レイタスは自分の弟子に気づかされたように思った。それでも素直に感謝するのが照れくさく、レイタスの口はまたしても余計な憎まれ口をたたいた。
「
「どーせ、あたしは世話の焼ける、どうしようもない弟子ですよーだッ」
それは、メルセリオとの密会でレイタスがセルネアを
「のみこみが早く、将来が楽しみだ、とも言ったはずだぞ」
「え?」
「おまえの言ったこと、非論理的だが、使徒として勝利を信じるにはじゅうぶんな根拠だ。
「レイタス・・・・・・」
感謝されるとは思っていなかったのか、感動ぎみに青い瞳をゆらしているセルネアに、レイタスは力強くうなずいてみせた。
完全に吹っきれたわけでも、不安が解消されたわけでもない。が、自分をはげまそうとしてくれている弟子の前で、これ以上、子供のようにひねくれているわけにはいかなかった。
(あの人に教わったことのすべてを、あの人にたたきつけてやるまでさ)
「いいか、セルネア。前線ではフィオラをうまく
「うん、わかった」
「それと──」
さりげなく視線をそらして言葉をつけ足す。
「それと、おまえも、その・・・・・・気をつけろよ」
「ん? あれあれ? それって、もしかして心配してくれてるの~?」
「お、おまえに死なれちゃ、おまえの教育に
もっともらしく
「んも~、素直じゃないんだから。でも──」
そっぽをむいているレイタスの
「心配してくれてありがと」
完全なる不意打ちに、さしものレイタスも
そんな師を置いて、弟子はなんでもない様子でスタスタと歩みさっていった。
両軍はニアヘイムの北東、ドルト・ルアの丘から東へ約一キロの平野で布陣を完了し、
その日の夜、決戦を前にして興奮した頭を夜風で冷やそうと
「少なすぎる・・・・・・」
複数の
(まさか・・・・・・)
ふと思いあたることがあり、レイタスはそれを確認するため櫓をおりるとフィオラの
天幕の
そして、いやな予感が的中したことを知ってレイタスは思わず舌打ちした。
「しまったッ・・・・・・」
「どうした、レイタス。まるで
「
「敵は
「なぜ敵が兵を
ルーニの疑問に、レイタスは敵陣の篝火の数が少なすぎる事実を告げた。数が少ないのは、敵が別働隊を
その常道にのっとって敵の奇襲を事前に察知したレイタスの
「で、こちらはどうでる」
フィオラから
(さすがはあの人だ。丘を隠れ
やがて、
「敵が兵を二分したのに
レイタスのこの案は採用され、即座に出陣の準備が整えられた。
翌、四月二七日、
まだ
彼らの乗馬の口には布がおしこまれている。馬のいななきで自分たちの接近が敵に気づかれることを防ぐための処置である。
あたり一帯は、この地に特有の
霧のなかで
さらにしばらくすると風が吹きはじめた。この風も、この地ならではの気象現象であった。ニアヘイムの南方から吹きつけてくる海風である。それが霧をゆっくりと吹き払っていった。
フィオラはいったん進軍をとめ、各々の乗馬の口から布をとりのぞかせ、突撃開始の合図を待つよう命じた。
海風が霧のすべてを吹き払ったあと、目の前には
フィオラは自信をみなぎらせた黒い瞳を、となりで緊張した様子の少女にふりむけた。
「こわいか、セルネア」
本格的な
「こわいです」
正直な返答にフィオラは思わず
「その恐怖を
「いいえ、
意外な返答を得て、フィオラは
「では、なぜ戦場に立つ」
「それは・・・・・・だれかに夢をたくしているだけじゃ、自分の夢は絶対に実現しないから・・・・・・かな」
「なにやら
フィオラは笑った。が、それはセルネアを
フィオラが戦場に立つ理由はもっと単純だった。
勝利と
五年前に
「閣下、そろそろ
セルネアとは反対側に馬をならべていた副官のルーニがそう
前を見れば、いよいよ霧が晴れつつあった。
フィオラは肩ごしに
それが突撃の合図だった。
「
フィオラの
グランゼス軍八〇〇〇の総騎兵がバーナーム軍めがけて
大地をゆるがしながら
だが、霧が晴れて
その意味をフィオラは瞬時に
「読まれていたッ・・・・・・」
とっさに手綱を引き、あらん限りの声で
「
しかし彼女自身もそうであるように、重装備の騎士を乗せた馬はひとたび拍車をかけられてそうやすやすと立ち止まれるものではない。
フィオラが必死に叫ぶ
一方、突進してくるグランゼス騎士を馬上から突き落とすことに成功したバーナーム歩兵も、次の瞬間、すれちがいざまに
両軍ともに
フィオラは乱戦のなかで必死にもがいていた。
(読みを
霧にまぎれて奇襲をしかけたつもりのグランゼス軍八〇〇〇は、万全の態勢で待ちかまえていたバーナーム軍二万八〇〇〇と正面からぶつかってしまったのである。
どうしてそうなってしまったのかは明らかだった。レイタスの読みが大きく外れていたのである。
バーナーム軍は別働隊など組織していなかったのだ。わざと篝火の数を減らし、あたかも別働隊が存在するかのように見せかけて、数で
フィオラの目には
(わたしは、こんなところでおわるのか・・・・・・)
彼女自身の心にも敗色がじわじわとひろがりはじめ、これまでの人生で何千人もの敵を
その
その槍が不意に折れたのは、フィオラが攻撃に気づいてふりかえったのとほぼ同時だった。折られた槍のもちぬしはつづけざまに剣の
フィオラの命を救ったのは、
「
「よくもぬけぬけとッ」
セルネアをふりかえったフィオラの口から
「この
「・・・・・・閣下」
「ここから生きて帰れたら、おまえの師を
フィオラはそう言いすてて
その撤退戦でもおおぜいの部下が犠牲となり、フィオラの瞳にこもった
ドルト・ルアの丘の東に面したふもとで、
そんななか、フィオラがわずかな兵をともなって
敵の
目の前までくるや
「使徒の
「も、申しわけ、ございません・・・・・・」
はめたのが誰であるのかは考えるまでもなかった。
(やはり、あの人にはかなわないのか・・・・・・)
そんなあきらめと
「まって!」
フィオラにおくれて帰陣したセルネアが天幕の
「そんなにレイタスを
「なんのことだッ」
レイタスを突き放したフィオラが、怒りに満ちたその目を今度はセルネアにむける。
フィオラの
「レイタスは、戦いたくない相手と
「黙ってろッ、セルネア!」
自分の弟子がなにを言おうとしているのか、それを
「ううん、黙らない」
セルネアは顔を
「
「なんのことだ! 誰のことを言っている!」
イライラと
「レイタスにとってはかつての師であり、あなたにとっては
そう言われてフィオラの
「・・・・・・メルセリオ?」
「でたらめを言うなッ!」
にらまれ、
その腕を、とっさにレイタスがつかんでとめた。
「でたらめじゃない。この胸の傷は、あの人につけられたものだ」
「・・・・・・なん、だと・・・・・・」
「俺があの人を四年ぶりに見たのは、オルベ川を
「あの人はかわってしまったよ、フィオラ・・・・・・少なくとも、俺たちの知っているメルセリオではなくなっている・・・・・・」
「・・・・・・うそだ・・・・・・」
フィオラが、どこを見ているのかわからぬ目でつぶやいた。頭ではなく心がそう言わせているのだろう。レイタスもメルセリオの真意を知った時は同じ思いだったからよくわかる。
「・・・・・・どうして・・・・・・」
だが、フィオラの震える
五年前に
バーナーム
あと一歩というところでローデランにもたらされるはずだった統一と平和を、なぜ踏みにじったのか。
彼女の胸に
フィオラが、まるで糸をきられた
両手に顔を
もともとフィオラは感情の豊かな女性である。まだメルセリオがフィオラのよき恋人としてとなりに立っていたころ、彼女はよく怒り、よく泣き、よく笑っていた。
それらの感情を隠すようになったのは、父親の死を
だが本当の原因は、時を同じくして彼女の前から姿を消したメルセリオにあることをレイタスは知っていた。
「立ってくれ、フィオラ。立って、俺と一緒にもう一度、戦ってくれ」
泣き
「俺は恐れていたんだ。あの人に勝てる見こみなんてないんじゃないかって・・・・・・その恐れが俺の読みを狂わせ、きみの大事な部下をおおぜい死なせてしまった・・・・・・けど──」
この瞬間にわきあがった思いを、レイタスはためらわず言葉にした。
「けど、もう恐れない。あの人に勝つことでしか、あの人は俺の言葉に耳をかしてはくれないだろう。だから勝つ。勝ってあの人をとりもどす。それにはきみの力が必要だ。きみと俺とであの人をとりもどそう。それができるのは、メルセリオを師と
今のレイタスが素直にいだく願いであり、覚悟でもあった。
だが、
「・・・・・・でていけ」
「フィオ──」
「でていけええェェェ!」
レイタスはセルネアをともない、泣き崩れたフィオラをあとに残して天幕をさった。
天幕の外にでるとすぐ、セルネアが
「ごめん・・・・・・やっぱり言わないほうがよかったね」
しょぼくれた
「いや、あれでよかったんだ。おまえが言ったとおり、フィオラも誰と戦っているのかを知っておくべきだ。その上でどうするかは、彼女の問題だ・・・・・・」
そして、彼女なら必ずや立ちなおってくれるとレイタスは信じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます