3
シアーデルンから
そのためニアヘイムには一時的な平和が
フィオラの軍勢は
もっとも、これらの処置はあらかじめレイタスが書状でしたためていた指示にしたがってのことで、フィオラの判断によるものではない。
とはいえ、レイタスの意向にしたがったということは、フィオラ自身もそうすることの利点をよくわきまえているからで、彼女の指導者としての
レイタスはセルネアをともなってニアヘイムをでると、あわただしく
兵士のひとりに案内されるままに
「ひさしいな、レイタス。五年ぶりか?」
フィオラの口から
そのため敬意を
「ええ、
「あのころは弟子であったはずだが、今や師か」
レイタスの横に立つ緊張した
からかわれてもレイタスは表情ひとつ動かさず、肩をすくめてみせる。
「そうおっしゃる閣下も、剣をふりまわしていた負けん気の強いお姫さまから、今や一軍の将におなりだ。まったく、時の
「フィオラでよい。昔のようにな」
「そうはまいりません。今や閣下は〈
「ふん、皮肉か? 実態は、たかが一地方に
「本心からのお言葉とは思えません。少なくとも、あなたの瞳は昔のまま、今も
「それが本当なら、その光をふたたび
フィオラは一枚の書状を取りだし、それをレイタスに突きつけた。レイタスがフィオラに
「このとおり書状はたしかに受け取り、それに応えてやってきたぞ、〈アズエルの使徒〉よ。
「なければここにはおりません」
「シアーデルンにはわずかな兵しか残してこなかった。今ごろ、わたしの留守を知った東の将軍どもが
「承知しております」
レイタスが迷わずうなずいてみせると、フィオラもこれ以上、念をおすようなことはせず、納得したようにうなずいた。
「よかろう。ならば
フィオラがおもむろに腰の剣を抜き放ち、その
レイタスは進みでると
「
そう祈ったレイタスの両手からうやうやしくかえされた自分の剣に、今度はフィオラが口づけし、祈るようにささやく。
「
剣に宿るといわれている戦神アズエルへの誓いと、教団によってさだめられた短くも神聖な〈
「時に、レイタス──」
フィオラが自分の剣を
「おまえのかつての師は、今、どうしている」
その声のひびきにわずかなためらいがあったのを、レイタスはきき
この
フィオラがそこまで思い悩む理由をレイタスは知っている。ゆえに、知っている限りの情報を提供した。
「俺があの人のもとから巣立ったのは四年前、閣下とお別れした翌年のことです。俺の
アディームとは、ローデランのはるか南方にひろがる広大な砂漠地帯である。
「そうか、アディームか・・・・・・遠いな」
言葉どおり遠くを見つめるような
だがそれもほんの数秒のことで、レイタスとセルネアの存在を思いだしたフィオラはその美顔に戦士の表情をまといなおし、おごそかに告げた。
「部下にお前たちの天幕を案内させよう。朝まで休んで、過酷だった籠城戦の疲れを
「
レイタスはふたたび
案内された天幕でレイタスとセルネアはとなりあって横になり、夜明けまでの
旅することの多いこの若い男女にとって、ひとつ屋根の下で
ふたりとも、よく言えばおおらかなのであり、悪く言えばデリカシーに
少なくともレイタスのほうにセルネアをどうこうしようなどという
もっとも、彼がそういう姿勢で寝る理由は他にも考えられた。
というのも、セルネアはいつも寝る時になると
一度ならずレイタスに注意され、「服をきて寝ろ!」とこわいほど真剣な顔で
本当なら下着だって脱いで寝たいくらいなのだが、下着は女の
そんなわけで、グランゼス軍の陣地で寝ることになったこの日も、レイタスはセルネアに背をむけたまま
ところが、セルネアには気になることがあり、それが睡魔の到来をさまたげ、半裸で寝ているにもかかわらず、また、連日の
ついに
「ねえねえ。グランゼス将軍って、レイタスの知りあいなの?」
レイタスはふりかえりもせず、眠たげな声だけをかえしてきた。
「ああ」
「ふーん」と、眠たそうなレイタスに遠慮して会話を打ちきろうとするも、「で、どんな知りあいなの?」と、やっぱり気になってきかずにはいられないセルネアだった。
レイタスは背をむけたまま、それでも眠たそうな声で返事をしてくれた。
「俺がまだ弟子だったころに、師と一緒に
「そっかァ、レイタスにも弟子だったころがあったんだね~、うんうん。さぞかし、ひねくれた弟子だったんだろうなァ」
しみじみとうなずいてからかうセルネアだったが、レイタスは背をむけたまま怒るでもなくしれっと応じた。
「おまえと一緒にするな。俺は優等生だったんだ」
「ふん、どうだかね。ベーだ!」
思いっきり舌をだして抗議したものの、背をむけたレイタスにはまったく見えていないことに気づき、セルネアはますますムッとした。
(よーし、こうなったら──)
意地の悪い笑みを浮かべたセルネアは、そっと忍びよると勢いよくレイタスの上にまたがって彼の顔を覗きこんだ。
「ねね、どんな人だったの? レイタスのお師匠さんって」
目をあけたレイタスはおどろいたように顔をのけ
その肩をつかんでゆすり、セルネアはなおも食いさがる。
「ねえ、教えてよォ、レイタスのお師匠さんのことォ」
すると、背をむけたまま肩ごしにふりかえったレイタスがジロッとにらみをきかせてきた。
「教えたら、ちゃんとおとなしく寝るか?」
「うんうん、寝る寝る」
カクカクと短く何度もうなずくセルネアを見て、レイタスは疑わしげに目を細めたものの、ため息まじりに
「ったく、しょうがないやつだ──」
あおむけになって頭の下で両手を組んだレイタスは、過ぎさりし
「そうだな、なにから話したものか・・・・・・とにかく、すごい人だったよ。まるで敵将の心が読めているかのように、めぐらせた
語りながらもレイタスの声は徐々にしぼんでいき、やがてそれは穏やかな
「そっか・・・・・・すごいんだね、レイタスのお師匠さんって」
すっかり
「でも、あたしのお師匠さんだって負けてないよ?」
ニアヘイムの市民をみごとに守りきった自分の師の寝顔を誇らしく見おろしながら、セルネアは眠るのもわすれて胸をときめかせた。
「ニアヘイムを落とせなかったか」
のぼったばかりの太陽の下で
同じくフードを目深にかぶったローブ姿のアドラフが、男に向かってうやうやしく
「
「〈
「はッ」
短く返答するアドラフの声は興奮ぎみにやや高まっていた。
フィオラ・グランゼスをシアーデルンから引きずりだすこと。それが、目の前の男からあたえられていた課題であった。
その課題をみごとになしとげたのだから、ねぎらいの言葉がかけられるものとアドラフは信じて疑わない。
だが、アドラフの前に立つ男の反応はにべもなかった。
「彼女の出現までにあの街は落としておきたかった。お前は、かけつけた敵にむざむざ補給のための
「・・・・・・・・・」
男から
その頭上に、教師のような口ぶりで男の声が
「
「敗因?」
負けたなどとは
「・・・・・・お答えします、師よ」
アドラフは地面を見つめながら
心から
それでも頭は冷静に
「我が方は、北と東西の三方に兵力を分散してニアヘイムを包囲しておりました。この配置は敵の拠点を
アドラフはここでいったん言葉をくぎった。次に語ろうとしていることはアドラフにとって
だが、冷静に戦いをふりかえってわかってしまった以上、師に報告しなくてはならない。己を知り、敵を知るというところにこそこの問答の
アドラフは
「ひるがえって敵の防衛態勢は・・・・・・完璧でした。兵力の配置、
一気に語りおえたアドラフは、冷静に敵の手腕を認めているうちにあらためてわきあがってきた疑問を
「一体、何者が指揮を・・・・・・」
そして、答えを求めて師をあおぐ。
「このように
「おそらく、いや──」
はるか
「まちがいなく、あの街には〈アズエルの使徒〉が入っていたのだ」
「使徒が?」
おどろきと同時に納得がアドラフの
味方を守るその
その一員がニアヘイムの防衛を指揮していたというのなら、ふりかえった戦いのすべてに
「やっかいですね」
自分たちの歩む道に立ちはだかったおおいなる敵に、アドラフは興奮と警戒を隠さなかった。
だが彼の師は平然としていた。
「気に
目覚ましい活躍で急速に
そのことはアドラフたちにとって
そんな偉業をなしとげた
「〈アズエルの使徒〉は神でも悪魔でもなく、我らと同様、人間だ。たおせぬ相手ではない。神話や伝説の
「はッ」
「ニアヘイムの
「お言葉、
師の
アドラフもその背なかを追って丘の斜面をおりた。
ニアヘイムとは逆の方角になる丘のふもとにも、おびただしい数の煙が立ちのぼっていた。
ただし、それらは黒煙ではなく
バーナーム
半月ほど前にカルカリアの野で勝利したばかりのバーナーム軍だが、無傷だったわけでは決してない。むしろ
そんな
その目的はたったひとつ、エリンデールの死。
それのみを
今や各地から
カルカリアの戦いをおえてまだ日が浅いというのに三万近い大兵力を動員できていることが、バーナーム伯の
そんなバーナーム軍が次なる獲物として見すえる相手は、丘ひとつを
この両軍が、決戦にそなえて動きはじめる。
雨が降った。
フィオラの軍勢がニアヘイムの救援にかけつけた翌日のことである。
雨は昼過ぎから降りはじめ、たちまち
レイタスが
「オルベ川が
オルベ川は、レイタスの作戦上、バーナーム軍に対して有利な位置を確保するために通過する予定となっていた川である。
その川が氾濫し、のみならず橋まで流されてしまったらしい。
レイタスを
川の上流や下流には、
フィオラの天幕の前まできたレイタスは、入室の許可も求めずイライラと
天幕のなかでは、フィオラが
「
「急を
レイタスの
「どうした」
「オルベ川が氾濫しています」
「なんだと」
ことの重大さはフィオラにもすぐ理解できたようだった。昨日、レイタスから作戦の説明を受けた時にその内容を了承したのは彼女自身なのだから当然と言えた。
赤髪の女将軍は
それを意に
「どの程度の氾濫なのだ。
「橋が落ちているそうです」
「たしかか?」
「それをたしかめたく、
「おまえ自身で?」
意外そうな
「作戦を変更するにせよ、
「なるほどな。ならばわたしも
これをきいて今度はレイタスが眉をひそめた。
「俺が行って、見てきたことをご報告申しあげればよいことです。
「オルベ川の渡河は本作戦のキモだ。すておけぬ。それとも、自分はじかに見なくては納得できないくせに、わたしにはジッとしてろと言うのか? そういうのを、わがままと言うのだぞ」
自分のわがままを
「わたしが言いだしたらきかぬことくらい知っていよう?」
「ええ、イヤってほどね。おかげで何度も危ない目にあわされました」
レイタスは肩をすくめて降参した。まさしく、彼女が言いだしたら誰にもとめられないのである。
フィオラが
「わたしの馬を引け! 偵察にでる!」
かくして、レイタスとフィオラが
オルベ川はたしかに
「敵の
口もとを
「敵がこちらの手を読んで、橋を落としたのではあるまいな?」
「大雨を降らせて、ですか? それはないでしょう。バーナーム軍の軍師が何者なのかはわかりかねますが、天候まであやつれる魔法使いだとは思えません」
レイタスがおとぎ話の登場人物を引きあいにだして否定すると、フィオラは自分の
「ふふ、たしかにな」
「その証拠に、ほら──」
レイタスは対岸に人の集団を見つけ、彼らを
「あそこをごらんください。おそらくバーナーム軍の
集団の規模はレイタスたちと同じく
「敵も氾濫の噂をききつけ、確認のためにかけつけたのでしょう。つまり、彼らは橋を壊していない。自分たちで壊したのなら確認の必要なんてありませんからね」
笑みを浮かべながら、レイタスは腰のベルトにはさんでいた
「まちがいない。バーナーム軍の偵察隊です。規模はこちらと同程度。むこうもこちらに気づいています。いかがいたしますか」
冗談めかした口調でレイタスが
「たかが数騎で
「それをきいて安心しました。敵も同じ考えのようですので」
レイタスが
(それにしても、どうしてやつらがこの川を気にかける・・・・・・)
そう
なぜ、バーナーム軍も川の氾濫を気にして、わざわざ確認にやってきたのか。
それは、レイタスと同じことを考えていたからではないだろうか。つまり、レイタスたちが川をわたって
誰でも思いつける作戦ではなかった。
レイタスがこの作戦を思いつき、実行を決断できたのは、ニアヘイムで
(いや! それをやってのけそうなやつがひとりだけいる。カルカリアでエリンデールから勝利をもぎとった謎の軍師。やつならきっと・・・・・・くそッ、一体、何者なんだ!)
レイタスは遠見の筒の奥に意識を集中させた。
この川の渡河をたくらんでいたのなら、レイタスと同じく、川が氾濫しているときいてみずから確認にきているはず。そう確信し、その人物をさがすため、レイタスはバーナーム軍の偵察隊に向けた遠見の筒を水平に動かしていった。
レイタスはそこで遠見の筒をとめ、光ったものの正体をさぐった。
バーナーム兵の全員が
その右目には、レイタスのものと
しかし、その筒と、
(顔を見せろッ)
レイタスがそう念じた直後、思いがつうじたというわけではないのだろうが、ローブ姿の人物がおもむろに目もとから筒をおろし、フードを後ろに払って、これ見よがしに顔の正面をさらしてきた。
知っているのは性別だけではない。彼がどんな声をしていて、なんという名前なのかもレイタスは知っていた。
「ありえない・・・・・・」
レイタスの口から、現実を拒否する
となりからフィオラが気づかわしげに声をかけてくる。
「どうした、レイタス」
「・・・・・・・・・」
レイタスは
やがて男はふたたびフードを目深にかぶり、影のなかに
バーナーム兵がそれに
無人となった対岸を、それでもレイタスは遠見の筒で覗きつづけていた。
濁流があげる咆哮に、心のなかでなにかが崩れていく音を重ねあわせながら・・・・・・。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます