ニアヘイムの城壁は、レイタスとセルネアの師弟していに貧弱だとひょうされながらも、高さは二〇メートルをこえ、厚さは最大で五メートルにおよぶ。

 その壁が音を立ててふるえていた。バーナーム軍の投石機とうせききによって打ちつけられる巨石きょせきの衝撃にたえかねて悲鳴をあげているのである。

 そして、壁面へきめんをわずかにくずされただけでなんとかえていた石組いしぐみの城壁も、立てつづけに同じ個所をねらわれてはこうしきれず、バーナーム軍の大攻勢だいこうせいがはじまってから三日目の四月一四日、ついに壁の一部が崩落ほうらくするにいたる。

 雷鳴らいめいにも轟音ごうおんと守備兵たちの悲鳴、そして土煙つちけむりがあがる。

 決壊けっかいした個所は二メートル足らずのはばで、崩落した際の瓦礫がれきがそこに山積やまづみとなってくれたおかげで、ただちにバーナーム兵が大挙たいきょしてみこめる突破口とはならなかった。

 それでも、ニアヘイムの守備隊にとっては最優先で補修と防御に専念しなければならない要所ようしょとなったことにかわりはない。

「瓦礫を土台とし、その上に、用意しておいた石材をみあげるんだ! 守備隊は弓で応戦! 壁の裂け目に殺到さっとうしてくるバーナーム兵から工兵こうへいを守れ!」

 現場にかけつけたレイタスの口から矢継やつばやに指示が飛ぶ。

 城壁の補修用に用意しておいた石材や木材は、ニアヘイムの民家や商店を打ち壊して得たものである。

 それらを瓦礫の上に積みあげて新たに即席そくせきの壁を築くため、工兵が穴の前に集結し、彼らを守るため城壁の上では守備隊が弓矢をかまえる。

 その直後であった。

「くそッ」

 城壁の上から遠見とおみつつで敵陣の様子をさぐっていたレイタスは、できたばかりの壁の裂け目にバーナーム軍が殺到してこないことに気づき、その理由をただちに理解するとあわてて命令を撤回てっかいした。

「全員、退避たいひだ! この場から離れろおお!」

 投石機のひとつが、崩落してできたばかりの裂け目に向かってさらなる巨石を打ちだそうとしていたのである。壁の補修を妨害ぼうがいし、ついでにけ目をより大きくひろげるのがねらいであるのは明白だった。

「しつこい性格のようだなッ」

 敵の指揮官をそう揶揄やゆしながら、レイタスも城壁の上を走って逃げた。

 くうくような音を立てて巨石が飛来する。

 レイタスは頭からすべりこむようにして城壁の上にせ、両手で頭をかばって飛散する無数の瓦礫にそなえた。

 直後、着弾した衝撃音につづいて轟音と悲鳴があがり、城壁が鳴動めいどうする。

 降りそそぐ瓦礫のなかでゆれと音がやむのを待ってから、レイタスが腹這はらばいのまま肩ごしにふりかえってみると、晴れつつある土煙のむこう側に、先ほどよりも幅をひろくした城壁の裂け目が見えた。

 バーナーム軍からドッと喊声かんせいがあがる。

 その喊声の意味を知るレイタスは素早く立ちあがり、城壁の上と下に向かって交互に叫んだ。

「敵がくるぞおおッ 迎撃げいげき用意! 迎撃用意だああ!」

 右手に剣をにぎったレイタスは叫びながら階段をかけおり、付近の守備兵らをかき集めると彼らをしたがえて大きく崩された城壁の裂け目にかけつけた。

 直後、もうもうたる土煙をかいくぐってバーナーム兵がひとり、城壁の裂け目から侵入してきて、先頭のレイタスを視界にとらえるやいな雄叫おたけびを発しつつ剣をふりあげ襲いかかってきた。

 そのさきをレイタスは左の手甲ガントレットで払いのけ、すかさず右の剣を突きだして相手ののど深々ふかぶかとつらぬいた。

 だが、それでおわりではなかった。いまだ晴れきらぬ土煙のむこうからバーナーム兵が次々と姿を現しはじめたのである。

 レイタスは、口から鮮血せんけつをふきあげながら崩れ落ちる相手の重みを利用して喉から剣を素早く引き抜くと、それを下から上へとりかえし、左から襲いかかってきた新手あらての腕を斬り落として我が身を守った。が、つづけざまに右から別の新手にみこまれ、とっさに相手の斬撃ざんげきを剣で受けとめる。力比べを楽しむかのように相手は鍔迫つばぜりあいをいどんできたが、レイタスはそれにつきあわず、手甲ガントレットに守られた左手で相手の顔面にこぶし見舞みまい、鼻柱はなばしらをへし折って戦意を喪失そうしつさせた。

 突如とつじょとして乱戦らんせん渦中かちゅうにおちいったのはレイタスだけではない。彼につきしたがっていたニアヘイムの守備隊全員が、巣穴からいだしてくるアリのごとく城壁の裂け目から次々と侵入してくるバーナーム兵を相手に激戦のまっただなかに放りこまれていた。

 悲鳴と怒号どごう交錯こうさくし、血と汗が陽光ようこうにきらめいてちゅうを舞い散る。

 裂け目を突破して城内への橋頭保きょうとうほを築きたいバーナーム兵と、彼らをおしかえして一刻も早く城壁の修復に取りかかりたいニアヘイム兵との間で、この場がまたた修羅場しゅらばしたのである。

 このかん、レイタスたちにとって唯一のなぐさめは、味方を巻きこむのをおそれたバーナーム軍が投石機の使用を中止していることくらいであった。



「東面の戦況せんきょうが、どうもかんばしくないらしい」

 このうわさがセルネア率いる北面守備隊の間にひろがりはじめたのは、バーナーム軍の大攻勢がはじまってから六日後の、四月一八日のことである。

 命令や報告をたずさえて北と東西の各部隊を行きっている連絡兵たちが、その噂の震源であった。

 バーナーム軍の大攻勢がはじまってからというもの、セルネアやレイタス、そしてザンヘルたち指揮官はじかに顔をあわせなくなっていた。散発さんぱつ的ながらも敵が夜襲やしゅうをしかけてくるようになり、昼夜ちゅうやわず、もち場を離れることができなくなったせいである。

 それでも、四日前の四月一四日に東の城壁の一部がくずされ、そこで激しい攻防こうぼうが行われたことはセルネアもききおよんでいた。多大な犠牲をだしたものの撃退に成功し、その後の壁の修復も順調である、と。

 だから、今回の噂についてもセルネアは周囲の兵士たちほどには悲観していなかった。

「みんな、心配は無用だよ! あたしの師匠が指揮してるんだから、大丈夫に決まってるじゃん。あたしたちは、あたしたちのやるべきことに集中しよ!」

 セルネアがそう鼓舞こぶして勇気づけると、兵士たちは飴色あめいろの髪の少女の溌剌はつらつとした笑顔にはげまされ、不吉な噂を頭からふり払った。

 ここ数日の戦いで、セルネアは守備兵たちの信頼を得ることに成功していた。男たちに混じって剣をふるい、あるいは弓を引いてバーナーム兵を撃退する少女の勇姿ゆうしは周囲の男たちに勇気をあたえ、自分たちも負けてはいられないという闘争心とうそうしん喚起かんきさせ、あるいは、この少女を守ってやらねばという使命感をいだかせて、士気しきをおおいにふるわせていた。

 だが、翌一九日の昼過ぎにもたらされた新たな噂をききつけた途端とたん、セルネアは血相けっそうをかえて兵士の誰よりも動揺した。

「レイタスがッ?」

 彼が重傷を負い、戦線を離脱したというのである。

 青ざめた顔にうれいの色をただよわせたセルネアのもとに、中年の兵士が歩みよって気づかわしげに声をかけてきた。セルネアの助言にしたがって指揮をとっていた北面の守備隊長である。

「さぞや心配でござろう。ここは我らにまかせて、セルネアどのはレイタスどののもとにゆかれよ」

「でも・・・・・・」

さいわい、ここ北門の敵は少数にして戦況も膠着こうちゃくしております。すぐにも大事だいじにいたることはないでしょう。なにかあればすぐにお呼び申しあげるゆえ、さあ」

 娘をさとすように優しくうながされたセルネアは、強情ごうじょうを張らず素直に隊長の厚意こういに甘え、港湾こうわん区にもうけられた野戦やせん病院をめざしてけだした。

 ところが、そこにレイタスは収容されておらず、もしやと足を向けた東の城壁付近でようやく彼の姿を見つけることができた。

 あきれたことに、レイタスはぴんぴんしていた。ひたいに血のにじんだ包帯を巻きつけてはいるものの、兵士たちと机を囲んでなにやら真剣に話しこんでいて、セルネアが心配したような重傷ではない様子だ。

 おまけに「こんなところでなにをしている」と、レイタスの口からめるような台詞せりふが飛びだしてきたものだから、セルネアは心配した自分がバカらしくなってムッと口をとがらせた。

「そんな言い方ないでしょ! 人が心配してかけつけたってのにッ」

「心配? ああ、これか──」

 レイタスは自分の額に片手をあてて、照れくさそうに肩をすくめた。

「敵の矢がかすっただけだ。指揮官の補佐役がもち場を離れてまで心配するような傷じゃない」

 さりげなく職場放棄ほうき非難ひなんされ、セルネアはますますヘソを曲げた。

「あー、はいはい、そうですか。なら帰りますよ~だ、ベーッ!」

「いや、ちょっと待て」

 きびすをかえしかけたセルネアの背に、レイタスの思いなおしたような声がかかる。

「北の戦況はどうなっている」

「こことくらべたら天国みたいなもんだよ。なんたって、指揮官の補佐役がかすり傷を心配して飛びだしてきちゃうくらいひまなんだからね~」

 非難されたことを皮肉ってかえすと、レイタスはほおを苦笑でゆがめつつうなずいた。

「そうか。なら俺のそばにいろ。これからの戦いをお前にも見せておきたい」

「これからの戦い?」

 意地よりも興味がまさってセルネアはレイタスのもとに歩みよった。

 レイタスの指が机上きじょうの地図をなぞる。

「バーナーム軍の投石機による攻勢が弱まりつつある。連日の稼働かどうでガタがきはじめているんだ。命中精度の低下はもとより、射程距離まで短くなってきている。おまけに、ついさっき投石機のひとつが装填そうてんした巨石の重みにえきれず自壊じかいしたのを確認した。巨石の雨もじきにやむだろう」

「やったね! それっていいことでしょ?」

「ああ。だが、別の脅威きょういがこのまちに近づきつつある。これからは見えざる敵との戦いになるぞ」

「見えざる敵って?」

 この質問を予期していたかのようにレイタスは微笑ほほえんだ。

「ついてこい」

 レイタスにつれてこられたのは見張り塔の天辺てっぺんだった。

 風は強く、流れの速い雲がしばしば陽光ようこうをさえぎって地上にうすい影を落としていた。

 レイタスが遠見とおみつつを取りだし、東方の敵陣を観察しはじめる。

 セルネアもそれをまねて自分の遠見の筒を右目にあてた。

「なにが見える」

「ん~っと・・・・・・あ、壊れた投石機、みっけ」

「そうじゃなくて・・・・・・敵陣の奥を見てみろ」

「奥?」

 言われたとおりに遠見の筒を動かすと、セルネアの視界に見なれない風景が飛びこんできた。バーナーム軍の陣地内の奥まったところに、こんもりとしたり土がいくつも存在していたのである。

 陣地を設営する際にでた土砂どしゃだろうかとも考えたが、それなら戦いの初日に敵陣を観察した時に気づいたはずである。が、それを目撃したという記憶がセルネアにはない。となると、戦いがはじまってからあとの、ここ数日のうちにまれた土砂ということになる。

「あんな大量の土砂、最初に見た時にはなかったはずだけど・・・・・・なんだろ、あれ」

「トンネルをってでた土砂さ」

「トンネル?」

「ああ。城壁や水堀みずぼりの真下をとおるように掘って、地中から城内へ侵入するためのな」

 トンネルを掘れば当然、大量の土砂を捨てることになり、それらが盛り土となって地表に現れる。セルネアとレイタスが見つめる盛り土が、まさにそれだった。

 そして盛り土の量でトンネルがどれくらいの長さまで掘られているのかをだいたい推測すいそくできる。

「あの量からして、早ければ明後日あさっての昼には城内に達するだろう」

 そうなれば地中から次々とバーナーム兵が城内に侵入してきて、内外ないがい呼応こおうされ、城門が開け放たれ、セルネアたちの今までの苦労と犠牲ぎせい嘲笑あざわらうかのようにニアヘイムはあっけなく陥落かんらくすることだろう。

「そんなことされたら大変だよ! どうすんの?」

「おまえなら、どうする」

「えっと、えっと・・・・・・あ、そうだ! 夜陰やいんにまぎれて手薄てうすな北門から出撃して、東にまわりこんで奇襲をかけて作業を妨害する!」

 とっさにひらめいたセルネアの案を、若き師は真面目くさった顔で否定した。

「手薄とはいえ北門にも敵は張りついている。その敵が簡単に出撃を許してくれないだろうことは、北で戦っていたおまえが一番よくわかっているはずだ。おまけに、出撃を敵に見られたんじゃ奇襲が成功する見こみもない。そもそも、そんな余分な兵力はこちらにない。各方面の守備で手いっぱいだ」

「でも、あのトンネルをほっとくわけにはいかないよ!」

「見すごしはしないさ。だが敵の作業をとめることは実質的に不可能なんだ。こちらにできることは、のびてくるトンネルをひとつひとつ、そのつどたたくことくらいさ」

「なんだかモグラをたたくみたい」

「おもしろいたとえだな」

 セルネアの素直な感想に、レイタスはおかしそうに口もとをほころばせたが、すぐに表情を引きしめて言い足した。

「だが、命がけのモグラたたきだ。気をゆるめるなよ」

 トンネルがのびてくる方角や距離をはかるのは容易なことではない。なにせ地下のことである。防御側には目に見えず、いつ、どこから敵兵がトンネルを使って城内にひょっこり頭を突きだしてくるのかわからないのだ。

 それでいて、ひとたびトンネルの開通を許せば、そこから敵兵が城内へ一気に雪崩なだれこんできて陥落かんらくき目にあうのだから、ニアヘイム守備隊の置かれている現状は窮地きゅうちと言っても過言ではなかった。

 少なくともセルネアにはそう思えたのだが、彼女の若き師は、敵のトンネルを「脅威だ」と評しながらもあせっているようには見えなかった。

 すでに対策をほどこしているのかもしれない。

 そのことについてセルネアがたずねると、レイタスは見張り塔からおりてすぐ、ありふれた陶製とうせいつぼを片手に取って教えてくれた。

「耳のいい兵士を何名か選抜せんばつして、彼らにこれをもたせてくれ」

 その壺は小ぶりで、中身は空で、口には薄い羊の皮が張られていた。

「敵がトンネルを掘る音や振動を、こいつで探知するんだ」

 レイタスは自分の耳に、皮が張られた壺の口をあてながら得意げにそう言った。

「具体的には、まず東方に面した城壁ぞいに深さ六メートルほどの縦穴たてあなを掘り、そこに壺をもった兵士を降ろす。そして縦穴の東側の壁に壺をあてさせ、敵がトンネルを掘り進めている音や振動を探らせるんだ」

 近づいてくる音や振動の強弱でおおよその方角を割りだせたら、今度は敵のトンネルに向かってこちらからトンネルを掘り進める。敵のトンネルと首尾よく開通できたら迎撃げいげき部隊で敵の工兵こうへい一掃いっそうする。あるいは迎撃部隊のかわりに煙を送りこんで充満じゅうまんさせ、トンネル内の敵を窒息死ちっそくしさせてもいい。敵を撃滅したあとは人為じんい的に落盤らくばんを引きおこして二度と使えないようにトンネルを封じる。

「この坑道戦こうどうせん肝心かんじんなのは、敵のトンネルが城壁の真下に到達する前に、こちらのトンネルをぶつけなければならないという点だ」

「なんで? いっそのこと──」

 セルネアは小首こくびかしげ、思ったことをそのまま口にだした。

「敵のトンネルの方角がわかったらさ、敵が城内にひょっこり頭をだすところをまちぶせてたたけばいいじゃん。それこそモグラをたたくみたいにさ」

「敵がトンネルを掘る目的は城内への侵入だけとは限らん。城壁の真下で人為的に落盤を引きおこし、城壁そのものを基部きぶからくずすという戦法もあるからな。それをやられてはかなわん」

「ほえ~・・・・・・色々あるんだァ」

「感心してないで、しっかり頭にたたきこんでおけよ。防御する側の心理や戦術を熟知しておけば、逆の立場になった時、おおいに役立つからな」

「う、うん・・・・・・」

 セルネアとしては、市民を巻きこむ市街戦しがいせんは攻める側でも守る側でも御免ごめんこうむりたいところであるが、望むと望まざるとにかかわらず戦争のほうからやってくるのが乱世のつねである以上、戦術のはばをひろげておくことにいなやはなかった。

 レイタスの指示のもと、セルネアはさっそく坑道戦の準備に取りかかった。

 日付が変わって四月二〇日の夜──。

 レイタスの予言どおり、バーナーム軍が陣取じんどっている東方からニアヘイムに向かって、トンネルがまっすぐのびてきている事実が判明する。東面の城壁ぞいにいくつも掘った縦穴に兵士を降ろし、探知壺たんちつぼでさぐらせたところ、忍びよる掘削くっさくの音と震動がかすかながらも知覚できたのであった。

 さらに、音のでどころを綿密めんみつにさぐらせ、複数の縦穴からの報告を総合した結果、バーナーム軍は東面の城壁にむかって三本ものトンネルを掘り進めていることがわかった。

「三本とも、かなり近くまで掘り進められてるってさ。今までの投石機による派手な攻撃は、このトンネルの存在をあたしたちに気づかせないための目くらましだったんだね」

 セルネアは、自分の師の読みの正しさにおどろきよりもほこらしさを感じ、自分のことのように嬉々ききとした表情でそう報告した。

 一方、敵の戦術をみごとに看破かんぱしたとうのレイタスはというと、特に感興かんきょうをそそられた様子もなく、あたり前の結果だと言わんばかりに平然とうなずいていた。

「投石機による力おしと、坑道戦による奇襲という、二段構えだったのだろうな」「でも、投石機の猛攻はなんとかしのげそうだし、トンネルだってこれからつぶせる!」

「そのとおりだ。では、敵のトンネルが城壁の真下に到達する前に、既定きていの作戦どおり迎撃げいげきする」

 トンネル探知のため東面の城壁ぞいに掘ったいくつもの縦穴のなかから、三本のトンネルそれぞれに最も近い穴が三つ選びだされ、その縦穴の底から敵のトンネルめざして横穴よこあなが掘り進められた。

 こちらの接近をバーナーム軍に気取けどられないよう、夜になると地上の守備兵たちに宴会えんかいをやらせ、あるいは城壁の補修作業に従事させてにぎやかにした。

 それらの音にまぎれて掘り進むのだが、探知壺によって方角や深さを調節する必要がある時だけ地上に静寂せいじゃくを命じ、進路がさだまるとふたたびさわがせて慎重にトンネルをのばしていった。

 翌二一日の未明──。

 包囲されてからちょうど一〇日とおか目のこの日、レイタスたちニアヘイム守備隊は三本のトンネルのうち中央の一本を城壁の手前で捕捉ほそくすることに成功した。

 バーナーム軍のトンネルが近いとみるや、ニアヘイムの工兵はそれ以上、掘り進めるのをやめ、守備隊の兵士らと入れかわり、入れかわった兵士らは暗いトンネルのなかで身をかがめながら息をひそめ、むこうから掘り進んでくるのをまち構えた。

 そして、正面の土がもろくずれ、想定していなかった空間に行きあたって困惑こんわくしているバーナーム軍の工兵らに、まちぶせていたニアヘイム兵たちは勇躍ゆうやくして襲いかかった。反撃するいとまもあたえずバーナーム軍の工兵らを次々とりふし、暗くせまいトンネル内で一方的な殺戮さつりくを展開した。敵の本陣に通報されるのを防ぐため、逃げだした工兵も執拗しつように追いかけ、ついには全滅させたのであった。

 敵を一掃いっそうしたニアヘイム兵らは、石をみあげてトンネルを封鎖し、さらに人為的に落盤を引きおこして土砂をかぶせ、バーナーム軍が二度とトンネルを使用できないように処置をほどこしてから引きあげた。

 第二、第三のトンネルも次々と城壁の手前で捕捉、開通し、ニアヘイム兵のまちぶせによる奇襲で一方的な戦闘が行われたあと、つぶされていった。

 この時、地上では夜明けとともにバーナーム軍による攻城が再開されていたのだが、戦いの趨勢すうせいは、攻める側と守る側の人血じんけつで城壁がドス黒くそまっただけで勝敗を明確にしなかった。

 だが、多くの敵味方に知られることなくひっそりと行われた地下での坑道戦は、レイタスの指示どおりにことを進めたニアヘイム守備隊の圧勝あっしょうで幕をおろしたのである。



「トンネルがつぶされただとッ・・・・・・」

 そろそろ完成するトンネルにそなえて、地下からニアヘイムの城内に突入させる決死隊を編制へんせいしていたアドラフは、部下からの思いもよらぬ報告に冷静さの仮面をかなぐりすてて怒声どせいを発した。

「どのトンネルだ!」

 そういながら脳裏のうりに三本のトンネルを思いえがいて部下の返答をまったアドラフは、だが、すぐにその無意味さをさとらされた。

「それが、三本のトンネル、すべてなのです・・・・・・」

「・・・・・・バカなッ」

 言葉の意味を理解するのに数秒の間をようし、理解するとアドラフはけだした。

 むかった先は最も近くにあったトンネルの入口である。部下の報告を信用できず、みずからの目でたしかめにむかったのだった。

 トンネルの入口を警備していた兵士の手もとから松明たいまつを奪うようにして取ると、その明かりで先を照らしながら、単身、トンネルの奥へと突き進んだ。

 やがて行き止まりにたどりつき、たどりつくとすぐアドラフは違和感いわかんを覚えた。

 正面の行き止まりは、掘削くっさく途中の行き止まりとは明らかに様子が異なり、まるで落盤にあったかのように大量の土砂によって行く手をさえぎられていたのである。

 腰のベルトから短剣を抜き放ち、そのさきで正面の土壁つちかべけずると、やわらかい土のむこうで大小の岩が積み重なってできた壁にぶちあたった。人の手によって封じられたというたしかな痕跡こんせきである。誰が封じたのかは考えるまでもなかった。

 報告にあったとおり、アドラフが決戦の切りふだとして準備していたトンネルはニアヘイム守備隊の察知さっちするところとなり、完全につぶされてしまったのである。

「おのれッ・・・・・・」

 もはや部下の報告を疑う気力はえ、他の二本のトンネルも同様の惨状さんじょうが想像でき、敗北感がアドラフの胸中で急速にひろがりはじめた。

 これほど大規模な土木どぼく工事ともなれば、土砂を運搬うんぱんしている姿や、積みあげたり土から、トンネルの存在を敵に感づかれるのは仕方のないことで、それはアドラフも覚悟してのさくであった。だからこそ掘り進めている方角だけは察知されないよう、トンネルを遠く離れた場所から掘りはじめたり、土砂を捨てる場所もトンネルの入口から遠く離したりと、細心さいしんの注意を払ってきたのだ。

 にもかかわらず、トンネルの位置や距離が正確に見破られ、あまつさえ迎撃げいげきされ、つぶされてしまった。

「それも三本ことごとくッ・・・・・・」

 つぶされたトンネルが一本だけなら偶然ということもあるだろう。だが三本すべてとなれば、それは運の産物さんぶつではあり得なかった。

 ニアヘイムの守備隊のなかに、高度な見識けんしきと手法によってトンネルの位置を探知し、坑道戦こうどうせんを指揮した者がいたことは疑いなかった。

 土埃つちぼこりと怒りと敗北感とにまみれながら、アドラフはトンネルから地上へともどった。その耳に、追い打ちをかけるかのような凶報きょうほうがもたらされる。

「東の地平に大規模な軍影ぐんえいあり!」

 これをきいたアドラフは、またしてもみずからの目で報告の内容を確認しにむかった。

 部下の報告にあった東の地平とは、ニアヘイムの東側に陣取っているバーナーム軍陣地の後方にあたる。そこに横たわっているゆるやかな勾配こうばいの丘に馬を走らせていただきに登ると、アドラフはベルトにはさんでいたつつ状の道具を取りだして、それを右目にあてた。

 すると、はるか遠方の景色が拡大された視界のなかで、黒々とうごめく歩騎ほきの大集団がたしかに認められたのだった。

 その集団がほこらしげにひるがえしている白地のはたには、アザミをくわえたカワセミの意匠いしょう深紅しんこう色の糸であざやかにいつけられていた。この紋章の所有者は、英雄エリンデールがき今は当代きっての武名の所有者となっている。

「フィオラ・グランゼス・・・・・・ついに現れたか!」

 バーナームはくとフィオラ・グランゼスとの間に同盟関係はない。である以上、彼女がニアヘイムの救援に駆けつけてきたのは明白だった。

 だがアドラフは、高名こうめいな女将軍の出現におどろいてはいなかった。坑道戦に敗れた直後という失意しついがなければ、むしろ小躍こおどりして喜んだであろう。アドラフにとってフィオラの出現はおどろくにあたいしない、想定どおりの出来事なのである。

 問題なのは、彼女の出現までにニアヘイムを落とせなかった、この一事いちじだけであった。

 アドラフは目もとから筒をおろすと、肩ごしに背後をふりかえって忌々いまいましくニアヘイムをにらみつけた。

「ここまで守りがかたいとは・・・・・・くそッ」

 にらみつけたその街は、無数の黒煙こくえんを夕空に立ちのぼらせていて、もとから貧弱だった城壁も今ではいたるところに大小の穴をあけられ、崩れかかっており、見る者のあわれをさそう要素に事欠ことかかない。今のニアヘイムを人間にたとえるなら、余命よめいいくばくもない重病人といったところであろう。

 それでもニアヘイムの所有権はバーナーム伯ではなく、依然いぜんとして海の商人たちの手もとにあるのだった。あと二日、いや、あと一日だけ猛攻もうこうを加えつづければ陥落かんらくするにちがいない。が、背後にせまった新手あらてがそれを許してはくれまい。

 フィオラ・グランゼスの出現までにニアヘイムを攻略するというアドラフのもくろみは、完全についえたのである。アドラフの矜持きょうじは今、ニアヘイムの城壁以上に無数のヒビを走らせて崩れつつあった。

 このような屈辱くつじょくを自分にいた憎き人物があの街にいる。そう思うだけで、にらみつけている両目から炎がほとばしりそうなほどアドラフの心中は荒れ狂った。

「一体、何者だッ・・・・・・」

 その人物については名も顔も素性すじょうも知らないし、今は知りようもなかった。だがアドラフの胸中きょうちゅうには、その者の存在が家族や友人よりも克明こくめいに刻まれつつあった。

 やがてアドラフは深くゆっくりと息をきだして、頭を冷やすことにつとめた。私怨しえんで全体の作戦をとどこおらせるわけにはいかないのだ。

 背後に敵の援軍をむかえてしまった以上、前後から挟撃きょうげきされるのをけるためにも、いったん包囲の輪をいて後退こうたいする必要がある。そして可能な限り早く後続こうぞくの本隊と合流するのだ。

(まだ負けたわけではないぞ!)

 本隊と合流して数的すうてきな優位を築き、野戦でもってフィオラ・グランゼスを打ち負かしたあとに、ふたたびニアヘイムを悠々ゆうゆうと攻略すればよい。

 見た目以上に堅牢けんろうだった城壁をにらみつけながら、アドラフはまだ見ぬ敵の指揮官に再戦をちかった。



 つるぎの時代の第六紀二九七年、四月二一日、薄暮はくぼ──。

 バーナーム軍先遣隊せんけんたいが包囲の輪を解いて後退した。

 こうして港湾こうわん都市ニアヘイムは、レイタスやセルネアが予言した一〇日とおかという期日をぎりぎりたえ抜き、フィオラ・グランゼスの来援らいえんを得て一時的ながらも窮地きゅうちだっしたのであった。

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