第二章 ニアヘイムの攻防

 つるぎの時代の第六紀二九七年、四月九日、朝──。

 北方より襲来したバーナーム軍の先遣隊せんけんたいおよそ一万は、またた雲霞うんかのごとくわきたって、二日後の一一日正午には包囲の輪を完成、間を置かずに攻撃を開始してニアヘイムの城壁をふるわせはじめた。

 レイタスとセルネアの読みどおり、バーナーム軍は北門近辺に封鎖線を張る程度の兵だけを配置し、残りを東西の二門に分散させて攻城こうじょうのかまえを整えた。

 レイタスはみずから城壁の上に立ち、白亜はくあ色のローブに鉄の手甲ガントレットという、いつもの姿で指揮をとった。

「守備隊、おのおの配置につきました!」

「市民は港湾こうわん区に避難ひなんをはじめております!」

「お言いつけどおり、城壁付近の木造家屋はすべて打ち壊しました!」

 次々と舞いこむ報告に、レイタスは黙然もくねんとうなずいて応えた。

 守備兵の配置はおおむねセルネアが立案したとおりである。

 およそ一五〇〇の兵のうち、三〇〇あまりを北門の防備に割りあて、残る一二〇〇を等分してそれぞれを東西の守りにつかせた。

 だが、ニアヘイムを取り囲みはじめたバーナーム軍の陣容じんよう遠見とおみつつで観察していたレイタスは、自軍の配置に変更が必要なことを認め、それをさっそく弟子に伝えた。

「敵の配置から推察すいさつするに、バーナーム軍の本命は東門の突破と思われる。そこで、セルネア、北門の守りから一〇〇を、西門からも二〇〇をいて東門の守りにむかわせるんだ。北二〇〇、西四〇〇、東九〇〇でニアヘイムを防衛する」

「うん、わかった!」

 レイタスと同じく白亜色のローブをまとったセルネアが、各方面に師の指示を伝えるため飴色あめいろの髪を散らしてきびすをかえすと、両手の長いそでをヒラヒラとおどらせながら城壁の階段をかけおりていく。

 彼女と入れかわるようにして議長のザンヘルが城壁にあがってきた。きらびやかな平服へいふくを脱いで、今はかぶと鎖帷子くさりかたびらで全身をよろい、腰に剣をいた戦装束いくさしょうぞくである。

「市民は港に避難させた。言われたとおり負傷兵を収容するための病院も港にもうけてある」

「感謝します、議長」

 南の海に面した街の港湾区を、レイタスは市民の避難場所に指定していた。市民らには戦いがつづく間、そこで生活してもらう。バーナーム軍は船をもっていないので、彼らが空でも飛ばない限り、三方の城壁から離れていて、なおかつ海という名の壁に守られた港湾区は安全だった。いざとなれば船を使って市民を海上へ逃がすこともできる。

 同様の理由から、負傷兵を治療するための野戦やせん病院も港湾区に設けさせた。各方面の城門と港の間には、広くて立派な石畳いしだたみの大通りが整備されているため、負傷兵の後送こうそうと、治療をおえた兵士の戦線復帰がすみやかに行えるのも大きな利点だった。

「それにしても、あそこまでやる必要はなかったのでは・・・・・・」

 一割の疑念と九割の不満を表情にこめて、ザンヘルが城壁の上から街なみを見おろしている。

 城壁に近い場所に建っていた木造の建築物が、民家も商店も例外なくみな打ち壊され、残骸ざんがいとなったはりや柱を周囲に散乱させていた。そのなかにはザンヘルが出資しゅっししていた店もあったのだろう。

 それら壊された家屋はみな、敵にやられたのではなくレイタスの指示にしたがったニアヘイム守備隊の手によるものである。

「敵が火矢をあびせてくることを考慮して打った予防策です。どうかご理解ください」

 わるびれず、レイタスは形式的にそう応じた。

 火矢を大量に放って城内の建物を燃やしにかかるのは、攻城側の常套じょうとう手段である。家屋に火を放ち、巻きあがる黒煙と燃えさかる炎で守備兵や市民に動揺と混乱をあたえるのがねらいとなる。

 これをされてしまうと守備側は、鎮火ちんか作業や延焼えんしょう阻止そしにおおぜいの人手ひとでかなくてはならなくなる。そうでなくても兵数に限りがあるニアヘイム守備隊にとって、敵の攻撃を防ぎながらの鎮火作業は困難を極めると予想され、ならばあらかじめ燃えやすい木造家屋はぱらってしまおうとレイタスは考えたのである。

「勝利したあかつきには、家を壊された者に手厚い慰労金いろうきんを支払って再建を支援してあげてください」

 さらりと言ってのけたレイタスは、それを支払うのがレイタス本人ではなくザンヘルら議会の面々であるという事実をあえて無視している。莫大ばくだいがくになるであろう慰労金も、海の商人たちが力をあわせれば工面くめんできなくはないはずだからである。

「今は勝利すること。ただそれのみをお考えください、議長」

 負ければ、木造家屋のみならず、すべてを失うのだということをあんにほのめかしたレイタスの発言に、ザンヘルもようやく覚悟を固めたのか力強くうなずいた。

 一一日の昼からはじまったバーナーム軍の攻撃は、小手調こてしらべのような単調さこそにじませていたものの、可能な限りニアヘイムの戦力をいでおこうという魂胆こんたんがありありとうかがえる猛々たけだけしいものだった。

 その猛攻もうこうを、レイタスはニアヘイム守備隊とともにむかった。

 海水を引きこんで街の外周にめぐらされている水掘みずぼりをバーナーム軍が大量の土砂どしゃで埋め立てはじめれば、レイタスはあらかじめき止めておいた海水を一気に放流させ、堀を埋めていた土砂ごとバーナーム兵を洗い流した。

 また、バーナーム兵が長い梯子はしごを城壁に向かってたおし、そこをかけあがってくると、レイタスは守備兵らに梯子をおしかえさせ、あるいは岩を落として梯子をくだくように命じた。

 城門では、破城槌はじょうついと呼ばれる門扉もんぴを打ち破るための攻城こうじょう兵器がバーナーム軍の手によって使用されたが、これに対しては、城門の左右にもうけられたやぐらからやりや矢、あるいは石や熱湯ねっとうをあびせるよう指示し、門扉の前に敵兵のむくろを次々と築きあげ、仕上げに油を降りそそいで火矢を放ち、破城槌もろとも火達磨ひだるまにして城門付近を火の海と化すことで敵の接近をさまたげ、門扉を守りとおした。

 そして夕刻──。

 バーナーム軍は干潮かんちょう時のしおのごとく退いていった。ニアヘイムの攻略をあきらめたわけではなく、夕闇が深くなったせいで視界がきかなくなったからで、翌朝になれば、今度は満潮まんちょう時の潮のごとくバーナーム兵たちが押し寄せてくるにちがいなかった。

 一方、ニアヘイムの兵士らは撤退するバーナーム軍の背に罵声ばせいをあびせて気勢きせいをあげた。初戦の防衛を成功させた彼らの士気しきはおおいに高まった様子である。

 ただひとり、レイタスだけが浮かれるでもなく敵の夜襲やしゅうにそなえた配置を守備隊に指示し、指示をおえるとようやく城壁をおりた。

 すると、篝火かがりびに照らされたザンヘルが満面まんめんに笑みをたたえて歩みよってきた。

「あのエリンデールをたおしたバーナーム軍のこと。どれほど強いものかとおそれていたが、いやはや、思っていたほどのものではなかったな。ああ、もちろん、今日の勝利は貴殿きでんのみごとな指揮のたまものであろうがな、は、は、は、は」

 撃退に成功して浮かれている様子のザンヘルに、レイタスはゆっくりとかぶりをふった。

「誤解なさらぬように、議長。今日のこれは戦いなどではありません。敵にしてみればほんの小手調べにすぎない。本番は明日からです」

「・・・・・・・・・・」

 それなりに死傷者をだしている今日の戦いを戦いなどではなかったと評され、ザンヘルは明日からの戦いの壮絶さに思いをせて言葉をうしない、表情を強張こわばらせた。

 そこへ、追いうちをかけるかのようにレイタスは非情ひじょうな指示をくだす。

「敵味方の死体が城内のいたる所に転がっております。それらを一個所に集め、焼き清めていただきたい」

「なッ・・・・・・死者を燃やせと言うのか!」

「放置しては腐敗ふはいが進み、疫病えきびょう蔓延まんえんするもととなりますので、早急そうきゅうに処置を願います。また今後、馬や犬の死骸が敵から投げこまれることもあるでしょうから、その時も同様に焼き清めていただく」

 だがザンヘルは激しくかぶりをふり、むべきものでも見ているかのようなけわしい目でレイタスをにらんできた。

火葬かそうは、我らローデラン人の風習にはない蛮行ばんこうだ! 蛮族のごとく死者を焼くなど、そのような冒涜ぼうとくは許されぬ。第一、遺族いぞくが許すまい。土に帰すのが死者への礼義であり、大地の神への敬意だ!」

「さりとて、城壁の内側に遺体を埋められるような場所はありません。あなた方の墓地は城壁の外にあります。そして今、そこはバーナーム兵がたむろするところとなっています」

「しかしッ──」

「死者は今後も増えつづけます。敵の包囲がいつ解けるともわからぬ以上、死者はその日のうちに焼き清めなければなりません」

「・・・・・・・・・」

 理屈はわかる。だが心情的に受けいれることができない。ザンヘルはそんな苦悩を顔に浮かべていた。

 レイタスとて、ローデランの風俗ふうぞくに無知なわけではない。彼らが、人間の肉体は大地の神からのかりものであり、命をまっとうしたあとは大地に帰さなくてはならないのだ、とする古代からの教義を今でも忠実に実践じっせんしていることを、もちろん知っていた。土に帰れなかった死者の魂は神々の祝福しゅくふくを受けられず、永遠にこの世をさまよって安らぎを得ることもかなわない、と心から信じていることも。

 それゆえにザンヘルの苦悩や、遺族らの反発は容易に想像がつく。

 だが、街の防衛を指揮する者として、いかなる理由があろうとも遺体の放置を許すわけにはいかなかった。外敵がいてきの攻撃に長らくえていた城や要塞ようさいが、内部で発生した疫病のせいで多くの死者をだし、結局は降伏に追いやられたという事例じれいは歴史のなかに数多い。疫病の蔓延は外敵の攻撃以上の脅威きょういとなり得るのだ。

「海の商人たちは、船旅ふなたび途次とじで死者がでると、やむなく遺体を海の下にとむらうときいております。それと同じこと。この街を、あなたの船だとお考えください、議長。他の乗組員たちを守るための必要な措置そちなのだと」

 この説得は、心情的にもザンヘルの納得できるものであったようだ。現役の海の商人でもあるザンヘルには一度ならず経験があることなのだろう。

 長い沈黙のあとザンヘルは、ニアヘイムという船を、勝利という港へ導くために船長として苦渋くじゅうの決断をくだした。

「・・・・・・承知した。ただちに遺体の処理を命じよう。遺族の反発は、わたしがなんとかおさえてみる・・・・・・」

「ご理解に感謝いたします」

 勝利のためとはいえ、自分たちの神聖な風習を曲げる決断をしてくれたザンヘルに、レイタスは心から敬意と謝意しゃいをささげて深々ふかぶかと一礼した。

「それにしても、籠城戦ろうじょうせんとはなんと過酷かこくな戦いか・・・・・・」

 ザンヘルがきびすをかえしながらそうつぶやき、部下に非情な命令をくだすため歩みさる。

 やけに小さく見えたその背なかを見送りながら、レイタスはしみじみと思った。

(戦いとは、勝敗のべつなく両者にいやしがたい傷を残す・・・・・・か)

 そして、ふと、自分のなかの矛盾むじゅんに気がついた。

(戦わずに降伏していれば、少なくとも彼らのなかに死者はでず、彼らが死者をけがすこともなかったのでは・・・・・・)

 つまり、ニアヘイムの人々に癒しがたい傷を負わせているのはバーナーム軍ではなく、戦うことをそそのかした自分なのではないか、と、そんな自己嫌悪じこけんおにおちいりそうになったのである。

 こういう時、レイタスはかつての師が無性むしょうなつかしくなる。会って話がしたい、と。かつての師ならきっと、レイタスが弟子であったころに何度もそうしてくれたように、迷いを晴らす感銘かんめい的な助言ではげましてくれたであろうから。

 だが、目の前に現れたのはかつての師ではなく、自分の弟子だった。

「レイタース! 見てよ、これこれ!」

 遠くからセルネアがうれしそうに声をはずませ、なにかを両手にもって走りよってきた。

「じゃじゃーん! 塩けニシンのサンドイッチだよ~! 港に避難してた商人たちがね、兵士のひとりひとりにわざわざこれをとどけにきてくれたんだ」

 青い瞳をキラキラと輝かせたセルネアの左右の手には、焼きしめられたパンに魚のきり身やタマネギ、トマトを香草こうそうと一緒にはさんだサンドイッチがひとつずつあった。

 港町ならではの具材である。おまけに、日もちがきかないなま野菜をくさらせてしまう前に兵士たちの栄養にかえてしまおうという、商人らしい機転がうかがえる献立こんだてだ。

「この街のために戦ってくれてありがとう、だってさ。明日も頑張がんばらなくっちゃね! モグモグ・・・・・・うん、おいし!」

 右手のサンドイッチを口のなかに頬張ほおばって無垢むくな笑顔を見せるセルネアに、レイタスは思わず見惚みとれた。

「ん? どったの、レイタス? いらないの? なら、あたしがこっちも──あ!」

 セルネアの左手からひょいとサンドイッチを取りあげ、それを口に運びながらレイタスは歩きはじめた。

(そうだな・・・・・・俺がはじめた戦いなら、最後まで自分を信じて戦い抜かねばな。ああいう笑顔のためにも・・・・・・)

 サンドイッチを強くみしめながら、レイタスは心のなかでそうみずからをふるい立たせた。



 翌、四月一二日──。

 ニアヘイムが包囲されてから二日目のこの日、ついにバーナーム軍の大攻勢だいこうせいがはじまった。

 それを予感させるきざしは、きりがたちこめる早朝からニアヘイム守備隊の視界にありありと現れていた。昨日には見られなかった多数の投石機とうせききが、まるで海面に長い首を突きだした海獣かいじゅうのごとく朝霧あさぎりのなかで不気味にそびえ立っていたのである。

 投石機ほどの巨大な兵器ともなると、行軍こうぐんの際は運びやすい部品に分解し、戦地で組み立てるのが一般的となる。バーナーム軍も今朝になってようやく組み立てを完了したのであろう。

「東に六つ、西に二つ、それと北にひとつの投石機を確認!」

 まちで最も背の高い塔にのぼり、遠見とおみつつでバーナーム軍の陣容じんよう偵察ていさつしてきたセルネアが、もどってくると肩で息をしながら、確認した投石機の数と位置を地図上にし示してレイタスに報告した。

「早くも正念場しょうねんばがおとずれたな」

 レイタスはセルネアにだけきこえる小声でつぶやいた。

「北と西は指示どおりにやってくれれば心配ない。問題は東だ。投石機が六とはな・・・・・・考えていたよりも多い・・・・・・」

 レイタスはせいぜい三、四基と想定していたのだが、それよりもはるかに多い現実に一抹いちまつの不安をよぎらせた。

 投石機はもっぱら城壁をくずすために用いられる。おもりを使った落下エネルギーで巨大な石を放り投げ、激突した石の衝撃で堅固けんごな壁に穴を穿うがつのである。それを何度もくりかえされれば、やがて敵兵が城内へ殺到さっとうできるくらいの大穴が生まれる。場合によっては壁が十数メートルにわたって一気に崩落ほうらくすることもあった。

 また、巨石きょせきの雨にさらされる守備側の心理的圧迫あっぱくも想像をぜっするものがある。

 投石機から放たれた巨石の直撃を受けなくても、それが壁にあたって飛散ひさんする瓦礫がれきに頭をくだかれ、胸をつらぬかれ、命を落とす者があとをたないのだ。

 巨石が飛来する音、それが壁に直撃した音、壁が崩れる音、それらに混じって味方があげる悲鳴と絶叫ぜっきょうに守備兵たちは自軍じぐんが優勢であるとはとても思えぬ地獄にたたき落とされ、狼狽ろうばいし、混乱におちいり、ついには戦意を喪失そうしつして我先われさきに城壁からおりようとする。叱咤しったする指揮官の声に耳を傾ける者など皆無かいむに等しくなるのだ。

 おまけに、手入れの悪いニアヘイムの城壁がレイタスの不安に拍車はくしゃをかける。

 バーナーム軍がニアヘイムを完全に包囲するまでの間、レイタスは守備隊を使って可能な限り城壁の補修ほしゅうを行い、強度を高めることに腐心ふしんした。が、それも時間と資材しざいの不足でじゅうぶんだったとは言えない。

「ニアヘイムの兵士たちの顔、なんだか不安そう・・・・・・大丈夫かな?」

 周囲の兵士たちを見まわしているセルネアの顔もまた、不安げにくもっていた。

 ニアヘイムの兵士たちと同様に、これから本格的な戦いをむかえようとしている弟子の不安を少しでもやわらげてやりたい一心いっしんで、レイタスは表情と声を努めて明るくして言った。

「戦いなれしていないのだから当然さ。だが、彼らはこの街の人間だ。港に避難している家族や友人のためにも、いざとなれば奮起ふんきするにちがいない。人間ってのは、攻める側よりも守る側に置かれた時のほうが心を強くもてるものなのさ」

「つまり、やるしかないってわけね」

 緊張したセルネアの顔に不敵ふてきな笑みが浮かぶ。

 弟子の負けん気の強さに苦笑を浮かべるも、内心では頼もしく思い、レイタスは力強くうなずいた。

「そういうことだ」

 そこにおくれてザンヘルと北門の守備を指揮する隊長が現れ、軍議ぐんぎがはじまった。

「セルネアは北で隊長を補佐してやってくれ。議長、あなたには西の指揮をお願いしたい」

 必然的に、最も苛烈かれつな攻勢が加えられることが予想される東の指揮はレイタス自身が受けもつこととなった。

 このあと一〇分ほどの時間をかけて防衛手段を確認しあったあと、レイタスはセルネアとザンヘル、隊長を交互に見やりながら念をおした。

「ここからは城壁の補修を行いながらの戦いとなる。敵に、街への侵入経路を決してあたえてはならない」

 言葉にしたほど簡単な戦いでないことは、誰よりもレイタスがよく知っている。

 むずかしい戦いになるだろう。猛威もういをふるう投石機の前に城壁上の守備隊は無力に等しいのだ。とうじられる巨石の着弾点を素早く予測し、そこから兵を退避させ、着弾したあとはすみやかに欠損けっそん部分の補修に取りかからなければならない。逆に言うと、投石機の攻撃に対してできることはその程度なのである。

「かといって、投石機の攻撃にばかり意識をかれて、城門や城壁にへばりつく敵兵の迎撃げいげきをおろそかにしないように」

 レイタスの忠告にセルネアたち三者がうなずいて了解したあと、四人は別れてそれぞれのもち場へと散った。

 東の城壁にのぼり、白亜色のローブを朝の風になびかせながら、レイタスはあらためて遠見の筒で敵陣を観察した。

(さて、ここからが本番だな、カルカリアの英雄さんよ。だが、おまえが考えている戦術は投石機による力おしだけでは、もちろん、ないんだろ?)

 投石機に巨石が装填そうてんされていく様子を筒のなかで確認しながら、レイタスは、バーナーム軍の作戦を一手いってになっているであろう謎の人物に向かってそう語りかけた。



「軍師どの。投石機とうせきき全基ぜんき装填そうてんを完了したぞ」

 バーナーム軍先遣隊せんけんたい司令官のギルウェイ将軍は、ニアヘイムの東面を囲っている城壁をはるか彼方かなたに望みながら、ローブ姿の人物に歩みよってそう告げた。角張かくばったあごにはえた無精ぶしょうヒゲを片手でなでながら、太いまゆの下にある琥珀こはく色の瞳で「軍師」と呼んだ相手をにらむように見つめる。

「いつでもはじめられるが、どうする」

「では、はじめてください。ただし──」

 ゆったりとまとった茶褐色ちゃかっしょくのローブを朝の風にゆらし、鉄製の手甲ガントレットに守られた両腕を胸の前で組みつつ、その人物は目深まぶかにかぶったフードの奥から若い男の声をひびかせた。

「六基すべてを一斉いっせいに放つのではなく、一基ずつ、同じ個所に間断かんだんなくちこんで敵に修復のいとまをあたえぬように頼みます」

 念をおすその声からは敵を一方的になぶることへの喜びがにじみでていて、ギルウェイを鼻白はなじろませた。

 ギルウェイは生粋きっすいの武人である。父親がバーナームはくつかえる騎士で、その父親が戦死したことを受けて家名をぐと当然のようにギルウェイもバーナーム伯に忠誠をちかい、現在にいたる。

 一二歳で初陣ういじんを飾って以後、二八になるこのとしまで人生のほとんどを戦場ですごしてきた。そのなかには勝ちいくさもあれば負け戦もあり、戦いで勝利を得ることのむずかしさが、優れた敵を素直に認める深い度量どりょうを彼のなかにはぐくませた。

 今、敵として対峙たいじしているニアヘイムの指揮官は、何者であるかは不明だが、あなどれぬ敵としてギルウェイの認識するところとなっている。

 昨日の昼の、ほんの数時間だけ行われた攻防でその認識を得たのである。

 まちを取り囲む包囲の輪が完成すると、ギルウェイは兵たちの士気を高める目的と、ニアヘイムの城壁や城門といった防衛施設しせつの具合をさぐる目的もかねて、軽くもむ程度の攻勢こうせいをしかけた。

 そしてあざやかに撃退され、どちらの目的も思うように果たせなかったことにギルウェイはくやしがるよりも先に感服かんぷくしてしまったのである。

 こちらがとった戦法に、ニアヘイムの守備隊は適切な戦法で対処してきた。城壁をこえようとこころみる者や、城門を打ち破ろうとする者への撃退方法はどれも迅速じんそくかつ的確で、その手なみは、戦いなれしていない海の商人風情ふぜいのものとはとうてい思えないほど卓越たくえつしていた。

 このことは、ニアヘイムの防衛を指揮している者が海の商人などではなく歴戦れきせんの戦士であることを示唆しさしており、当初はいだいていた「ニアヘイムの攻略など時間の問題である」という慢心まんしんを完全にすてさるほどの強い警戒をギルウェイのなかに植えつけた。

 だが、悠然ゆうぜんと腕を組んで遠くのニアヘイムを見つめるローブ姿の若者は、ギルウェイとはいささか異なる見解をもっているようである。

「ご心配ですか、将軍?」

 すぐに立ちさろうとしないギルウェイを不審ふしんに思ったのだろう。若者はふりかえり、子供をあやすような口ぶりで言った。

「人の手で造られたものなら人の手で壊せます。こちらが攻勢を加えつづけていれば、いずれあの城壁もくずれ落ちましょう」

「そう、うまくいけばよいがな」

 思惑おもわくどおりにことが運ぶのなら、この世に負け戦などありはしない。

 そんな嫌味いやみをこめて応じたギルウェイに、若者は明らかに自尊心じそんしんを傷つけられたようなかた声音こわね応酬おうしゅうしてきた。

攻城戦こうじょうせんとは腰をすえてじっくりとあたるもの。気負きおい、あせれば負けるのが古来のつね。もっとも、三日でニアヘイムを攻略してみせるなどという、誰かさんの戯言たわごとの責任まではいかねますがね」

「・・・・・・・・・」

 皮肉のやりするどく反撃され、ギルウェイはほおの肉を緊張させながら黙りこんだ。

「エリンデールに頼りきっていた腰抜けのまちなど、三日もかけずに攻略してご覧にいれましょう」

 ギルウェイは、バーナーム伯の御前ごぜんでそう豪語ごうごしていたのだ。主君しゅくんを喜ばせたい一心いっしんでの発言だったが、今は思慮しりょいた妄言もうげんであったと深く反省している。

 そんな心の恥部ちぶを、目の前の若者は無遠慮ぶえんりょにえぐってきたのだった。彼がイヤな奴なのは前からわかっていたが、それを今、あらためて認識させられた思いである。

 それでも、無礼な言動をする若造わかぞうむなぐらをつかんでどやしつけなかったのは、彼が、バーナーム伯の信頼あついばかりでなく、あのカルカリアでの大勝利の立役者たてやくしゃだからでもあった。

 若者の名をアドラフといった。としは、ギルウェイの見立てでは一七、八。二〇歳はたちをこえてはいないと思われる。

 全滅を覚悟したあの戦いで勝利のみならず、憎きエリンデールの死までもたらしてくれたのだから、ギルウェイも一応は敬意というものをアドラフにはらっていた。

 とはいえ、アドラフの立てた今回の作戦が投石機による「力おし」だけでは、軍師の存在意義に疑問をつけたくなるというもの。

 そんな不満が、ギルウェイの口からイライラとした声となって流れでた。

「あの街は港をかかえているのだ。海路で物資を輸送でき、その気になれば人や物を潤沢じゅんたくに用意できよう。だが、船をもたぬ我らではそれを阻止そしすることもかなわぬ。時間をかければかけただけ不利になるのは我らのほうではないのか?」

「ならば、こちらは陸路で兵と物資を潤沢に用意するまで」

「やつらに援軍があったらどうする気だ。たとえば、シアーデルンの〈紅炎こうえんの聖女〉──フィオラ・グランゼスは油断できんぞ」

 ギルウェイは、その名の女将軍と過去に一度だけ干戈かんかまじえていた。一年ほど前に、バーナーム伯の同盟者がエリンデール軍の攻撃を受け、その救援のためにけつけた戦場で彼女とあいまみえたのである。

 完敗であった。戦巧者いくさこうしゃのエリンデールが不在の戦いであったにもかかわらず、フィオラが指揮したその戦いにギルウェイたち反エリンデール陣営は完膚かんぷなきまでにたたきのめされたのだった。

 そんなにがい経験が、ギルウェイにニアヘイムの攻略を急がせていた。

「あの女が居座るシアーデルンは、ここニアヘイムに近い。それゆえ、この戦いを虎視眈々こしたんたんとうかがっていよう。攻略に時をかければ、あの女の野心をくすぐることにも──」

「将軍」

 アドラフの声は大きくも鋭くもなかったが、ギルウェイの口をとざすにはじゅうぶんな凄味すごみがあった。

「カルカリアの戦いに先立って、あなた方は我らと誓約せいやくを交わされた。そして我らは誓約にしたがい、あなた方に勝利をもたらした。エリンデールの死という、この上ない形でね」

「・・・・・・・・・」

「今度はあなた方が誓約を果たす番です。こちらの意向にしたがっていただきましょう。たとえどんな不満があろうとも、です」

 アドラフはうそを言っていない。まったくそのとおりだった。カルカリアの勝利も、エリンデールの死も、ギルウェイたち反エリンデール陣営が心から望んだとおりにかなえられたのである。

 そして、その見かえりに、今後の戦いにおいては作戦のすべてをアドラフたちにゆだねることを誓ったのだった。

 アドラフたち──。

 そう、この若者には仲間がいた。どのような甘言かんげんろうしてバーナーム伯に取り入ったのかはギルウェイの知るところではないが、彼らはいつも伯の左右にはべり、伯と密談みつだんをかわしている。

 玉砕ぎょくさい覚悟だったカルカリアの戦いを鮮やかに勝利へと導いた彼らの手腕しゅわんはたしかに崇敬すうけいあたいする。が、同時に、その知謀ちぼうが悪魔めいた妖術ようじゅつを思わせて、ギルウェイの胸中きょうちゅうに純粋な敬慕けいぼの念をはぐくまなかった。

 素性すじょうも、本当の目的すらもわからない余所者よそもの

 そんなうす気味悪さが、ギルウェイのアドラフに対する畏怖の念の源泉げんせんであることは疑いなく、はるかに年下とししたのアドラフから軽くたしなめられた今も、ギルウェイは太い眉を不快げによせて黙りこむしかないのだった。

「ご案じめさるな、将軍」

 ギルウェイの恐れをさっしてか、アドラフは声音こわねをやわらかくして安心させるような口ぶりで言った。

「すべては我らの思惑どおりに運んでいます。ニアヘイムを早期に攻略するための手立ても、すでに整えてあるのです。それの発動には今しばらく時間をようしますが、まあ、見ていてください」

 暗がりに隠れたフードの奥で、きっとアドラフは自信をみなぎらせた笑みを浮かべているにちがいない。そう想像することはギルウェイにとってむずかしいことではなかった。

 彼がまかせろというのなら、まかせるしかない。余計なことは考えず、今は、たくみな防戦を指揮する雄敵ゆうてきとの戦いにだけ集中しよう。カルカリアでもそうだったように、アドラフたちの意にしたがっていれば勝利は約束されたも同然なのだから。

 悪魔に魂を売った信者のような心境で、ギルウェイは攻撃命令をくだすため部下たちのもとにもどっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る