第二章 ニアヘイムの攻防
1
北方より襲来したバーナーム軍の
レイタスとセルネアの読みどおり、バーナーム軍は北門近辺に封鎖線を張る程度の兵だけを配置し、残りを東西の二門に分散させて
レイタスはみずから城壁の上に立ち、
「守備隊、おのおの配置につきました!」
「市民は
「お言いつけどおり、城壁付近の木造家屋はすべて打ち壊しました!」
次々と舞いこむ報告に、レイタスは
守備兵の配置はおおむねセルネアが立案したとおりである。
およそ一五〇〇の兵のうち、三〇〇あまりを北門の防備に割りあて、残る一二〇〇を等分してそれぞれを東西の守りにつかせた。
だが、ニアヘイムを取り囲みはじめたバーナーム軍の
「敵の配置から
「うん、わかった!」
レイタスと同じく白亜色のローブをまとったセルネアが、各方面に師の指示を伝えるため
彼女と入れかわるようにして議長のザンヘルが城壁にあがってきた。きらびやかな
「市民は港に避難させた。言われたとおり負傷兵を収容するための病院も港に
「感謝します、議長」
南の海に面した街の港湾区を、レイタスは市民の避難場所に指定していた。市民らには戦いがつづく間、そこで生活してもらう。バーナーム軍は船をもっていないので、彼らが空でも飛ばない限り、三方の城壁から離れていて、なおかつ海という名の壁に守られた港湾区は安全だった。いざとなれば船を使って市民を海上へ逃がすこともできる。
同様の理由から、負傷兵を治療するための
「それにしても、あそこまでやる必要はなかったのでは・・・・・・」
一割の疑念と九割の不満を表情にこめて、ザンヘルが城壁の上から街なみを見おろしている。
城壁に近い場所に建っていた木造の建築物が、民家も商店も例外なくみな打ち壊され、
それら壊された家屋はみな、敵にやられたのではなくレイタスの指示にしたがったニアヘイム守備隊の手によるものである。
「敵が火矢をあびせてくることを考慮して打った予防策です。どうかご理解ください」
火矢を大量に放って城内の建物を燃やしにかかるのは、攻城側の
これをされてしまうと守備側は、
「勝利した
さらりと言ってのけたレイタスは、それを支払うのがレイタス本人ではなくザンヘルら議会の面々であるという事実をあえて無視している。
「今は勝利すること。ただそれのみをお考えください、議長」
負ければ、木造家屋のみならず、すべてを失うのだということを
一一日の昼からはじまったバーナーム軍の攻撃は、
その
海水を引きこんで街の外周にめぐらされている
また、バーナーム兵が長い
城門では、
そして夕刻──。
バーナーム軍は
一方、ニアヘイムの兵士らは撤退するバーナーム軍の背に
ただひとり、レイタスだけが浮かれるでもなく敵の
すると、
「あのエリンデールをたおしたバーナーム軍のこと。どれほど強いものかとおそれていたが、いやはや、思っていたほどのものではなかったな。ああ、もちろん、今日の勝利は
撃退に成功して浮かれている様子のザンヘルに、レイタスはゆっくりと
「誤解なさらぬように、議長。今日のこれは戦いなどではありません。敵にしてみればほんの小手調べにすぎない。本番は明日からです」
「・・・・・・・・・・」
それなりに死傷者をだしている今日の戦いを戦いなどではなかったと評され、ザンヘルは明日からの戦いの壮絶さに思いを
そこへ、追いうちをかけるかのようにレイタスは
「敵味方の死体が城内のいたる所に転がっております。それらを一個所に集め、焼き清めていただきたい」
「なッ・・・・・・死者を燃やせと言うのか!」
「放置しては
だがザンヘルは激しく
「
「さりとて、城壁の内側に遺体を埋められるような場所はありません。あなた方の墓地は城壁の外にあります。そして今、そこはバーナーム兵がたむろするところとなっています」
「しかしッ──」
「死者は今後も増えつづけます。敵の包囲がいつ解けるともわからぬ以上、死者はその日のうちに焼き清めなければなりません」
「・・・・・・・・・」
理屈はわかる。だが心情的に受けいれることができない。ザンヘルはそんな苦悩を顔に浮かべていた。
レイタスとて、ローデランの
それゆえにザンヘルの苦悩や、遺族らの反発は容易に想像がつく。
だが、街の防衛を指揮する者として、いかなる理由があろうとも遺体の放置を許すわけにはいかなかった。
「海の商人たちは、
この説得は、心情的にもザンヘルの納得できるものであったようだ。現役の海の商人でもあるザンヘルには一度ならず経験があることなのだろう。
長い沈黙のあとザンヘルは、ニアヘイムという船を、勝利という港へ導くために船長として
「・・・・・・承知した。ただちに遺体の処理を命じよう。遺族の反発は、わたしがなんとか
「ご理解に感謝いたします」
勝利のためとはいえ、自分たちの神聖な風習を曲げる決断をしてくれたザンヘルに、レイタスは心から敬意と
「それにしても、
ザンヘルが
やけに小さく見えたその背なかを見送りながら、レイタスはしみじみと思った。
(戦いとは、勝敗の
そして、ふと、自分のなかの
(戦わずに降伏していれば、少なくとも彼らのなかに死者はでず、彼らが死者を
つまり、ニアヘイムの人々に癒しがたい傷を負わせているのはバーナーム軍ではなく、戦うことをそそのかした自分なのではないか、と、そんな
こういう時、レイタスはかつての師が
だが、目の前に現れたのはかつての師ではなく、自分の弟子だった。
「レイタース! 見てよ、これこれ!」
遠くからセルネアがうれしそうに声を
「じゃじゃーん! 塩
青い瞳をキラキラと輝かせたセルネアの左右の手には、焼きしめられたパンに魚のきり身やタマネギ、トマトを
港町ならではの具材である。おまけに、日もちがきかない
「この街のために戦ってくれてありがとう、だってさ。明日も
右手のサンドイッチを口のなかに
「ん? どったの、レイタス? いらないの? なら、あたしがこっちも──あ!」
セルネアの左手からひょいとサンドイッチを取りあげ、それを口に運びながらレイタスは歩きはじめた。
(そうだな・・・・・・俺がはじめた戦いなら、最後まで自分を信じて戦い抜かねばな。ああいう笑顔のためにも・・・・・・)
サンドイッチを強く
翌、四月一二日──。
ニアヘイムが包囲されてから二日目のこの日、ついにバーナーム軍の
それを予感させる
投石機ほどの巨大な兵器ともなると、
「東に六つ、西に二つ、それと北にひとつの投石機を確認!」
「早くも
レイタスはセルネアにだけきこえる小声でつぶやいた。
「北と西は指示どおりにやってくれれば心配ない。問題は東だ。投石機が六
レイタスはせいぜい三、四基と想定していたのだが、それよりもはるかに多い現実に
投石機はもっぱら城壁を
また、
投石機から放たれた巨石の直撃を受けなくても、それが壁にあたって
巨石が飛来する音、それが壁に直撃した音、壁が崩れる音、それらに混じって味方があげる悲鳴と
おまけに、手入れの悪いニアヘイムの城壁がレイタスの不安に
バーナーム軍がニアヘイムを完全に包囲するまでの間、レイタスは守備隊を使って可能な限り城壁の
「ニアヘイムの兵士たちの顔、なんだか不安そう・・・・・・大丈夫かな?」
周囲の兵士たちを見まわしているセルネアの顔もまた、不安げに
ニアヘイムの兵士たちと同様に、これから本格的な戦いをむかえようとしている弟子の不安を少しでも
「戦いなれしていないのだから当然さ。だが、彼らはこの街の人間だ。港に避難している家族や友人のためにも、いざとなれば
「つまり、やるしかないってわけね」
緊張したセルネアの顔に
弟子の負けん気の強さに苦笑を浮かべるも、内心では頼もしく思い、レイタスは力強くうなずいた。
「そういうことだ」
そこにおくれてザンヘルと北門の守備を指揮する隊長が現れ、
「セルネアは北で隊長を補佐してやってくれ。議長、あなたには西の指揮をお願いしたい」
必然的に、最も
このあと一〇分ほどの時間をかけて防衛手段を確認しあったあと、レイタスはセルネアとザンヘル、隊長を交互に見やりながら念をおした。
「ここからは城壁の補修を行いながらの戦いとなる。敵に、街への侵入経路を決してあたえてはならない」
言葉にしたほど簡単な戦いでないことは、誰よりもレイタスがよく知っている。
むずかしい戦いになるだろう。
「かといって、投石機の攻撃にばかり意識を
レイタスの忠告にセルネアたち三者がうなずいて了解したあと、四人は別れてそれぞれのもち場へと散った。
東の城壁にのぼり、白亜色のローブを朝の風になびかせながら、レイタスはあらためて遠見の筒で敵陣を観察した。
(さて、ここからが本番だな、カルカリアの英雄さんよ。だが、おまえが考えている戦術は投石機による力おしだけでは、もちろん、ないんだろ?)
投石機に巨石が
「軍師どの。
バーナーム軍
「いつでもはじめられるが、どうする」
「では、はじめてください。ただし──」
ゆったりとまとった
「六基すべてを
念をおすその声からは敵を一方的になぶることへの喜びがにじみでていて、ギルウェイを
ギルウェイは
一二歳で
今、敵として
昨日の昼の、ほんの数時間だけ行われた攻防でその認識を得たのである。
そして
こちらがとった戦法に、ニアヘイムの守備隊は適切な戦法で対処してきた。城壁をこえようとこころみる者や、城門を打ち破ろうとする者への撃退方法はどれも
このことは、ニアヘイムの防衛を指揮している者が海の商人などではなく
だが、
「ご心配ですか、将軍?」
すぐに立ちさろうとしないギルウェイを
「人の手で造られたものなら人の手で壊せます。こちらが攻勢を加えつづけていれば、いずれあの城壁も
「そう、うまくいけばよいがな」
そんな
「
「・・・・・・・・・」
皮肉の
「エリンデールに頼りきっていた腰抜けの
ギルウェイは、バーナーム伯の
そんな心の
それでも、無礼な言動をする
若者の名をアドラフといった。
全滅を覚悟したあの戦いで勝利のみならず、憎きエリンデールの死までもたらしてくれたのだから、ギルウェイも一応は敬意というものをアドラフに
とはいえ、アドラフの立てた今回の作戦が投石機による「力おし」だけでは、軍師の存在意義に疑問
そんな不満が、ギルウェイの口からイライラとした声となって流れでた。
「あの街は港をかかえているのだ。海路で物資を輸送でき、その気になれば人や物を
「ならば、こちらは陸路で兵と物資を潤沢に用意するまで」
「やつらに援軍があったらどうする気だ。たとえば、シアーデルンの〈
ギルウェイは、その名の女将軍と過去に一度だけ
完敗であった。
そんな
「あの女が居座るシアーデルンは、ここニアヘイムに近い。それゆえ、この戦いを
「将軍」
アドラフの声は大きくも鋭くもなかったが、ギルウェイの口をとざすにはじゅうぶんな
「カルカリアの戦いに先立って、あなた方は我らと
「・・・・・・・・・」
「今度はあなた方が誓約を果たす番です。こちらの意向にしたがっていただきましょう。たとえどんな不満があろうとも、です」
アドラフは
そして、その見かえりに、今後の戦いにおいては作戦のすべてをアドラフたちに
アドラフたち──。
そう、この若者には仲間がいた。どのような
そんな
「ご案じめさるな、将軍」
ギルウェイの恐れを
「すべては我らの思惑どおりに運んでいます。ニアヘイムを早期に攻略するための手立ても、すでに整えてあるのです。それの発動には今しばらく時間を
暗がりに隠れたフードの奥で、きっとアドラフは自信をみなぎらせた笑みを浮かべているにちがいない。そう想像することはギルウェイにとってむずかしいことではなかった。
彼がまかせろというのなら、まかせるしかない。余計なことは考えず、今は、
悪魔に魂を売った信者のような心境で、ギルウェイは攻撃命令をくだすため部下たちのもとにもどっていった。
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